第二章 22話「ジェットパック」


「これは…?」


桜井少尉は脱出用パラシュートが収納してあるコンテナの前で言った。


私と砂岡中尉も見ると、パラシュートが入っていた筈のコンテナそのものが、何かの液体のようなもので、完全にドロドロに溶けているのだ。


アキコが確保して座席に置いてあった幾つかのパラシュートランドセルも、硫酸の様な物で、巧妙に溶かされ、悪意の印のように無数の焦げたような穴が空いていた。


私達全員を決して生かしてはおかないと言っていた老婦人の仕業かもしれなかった。


「おい!やべえぞ、このヘリにはこれしかねえんだぞ…!」


砂岡中尉が座り込んだ。


「菊千代丸!我々は何処に向かっているんだ?今の我々にはレーダーによる座標確認もできない。教えてくれ」


桜井少尉が菊千代丸に尋ねた。


「余が目的地到着5分前に、目的地名を諸君に知らせる。それまで待機。次の指令を待て」


菊千代丸は答えた。


「なんで、それまで内緒なんだよ。今、目的地を教えてくれよ菊千代丸」


砂岡中尉が床に寝転びながら言った。


「余が諸君の精神の安定を考えての事だ。案ずることはない」


「精神の安定?なんだか、余計に不安になる返答ですわ。菊千代丸さん」


「津島由紀子。心配するでない。気持ちを大らかにし、余に全てをまかせるのだ」


菊の紋章を配した桐の箱から鳴り響く菊千代丸のその声からは、常に良き君主のような爽やかさと、自信、気品そして、神々しさが感じられた。


これが本当に音声合成の声なのか?


「菊千代丸。先程我々を襲ったあの民間人の老女は何者なんだ?そして突然接近して来て、この機の機能を狂わせたあの緑色に光る飛行体は?」


桜井少尉は自分の上着をかけてあげたアキコの遺体の側に座ると尋ねた。


「桜井少尉。そして、諸君。余はその問いに答える前に、約20分瞑目する必要がある。ちょうど余の瞑目が完了した頃、目的地まで約20キロの距離に到着するであろう。よってこれより瞑目に入り、完了後、再起動する」


菊千代丸は再び無言になった。


私は男達に尋ねた。


「瞑目?」


「要するに充電だ。さすがの菊ちゃんもバッテリー切れにはかなわねえ」


砂岡中尉は額に脂汗を浮かべ床から立ち上がり、ゆっくりと座席に座り直すとまたタバコに火を付けた。


砂岡中尉の顔色は悪くなっていた。


私は備品の救急箱を見つけ砂岡中尉の隣りに座った。


「腕をだして。袖を捲って」


砂岡中尉は黙って袖を捲った。


彼の腕は広範囲で赤黒く腫れ上がり、酷い熱を持っていた。また、捲った制服の腕は濃硫酸で焼いたようにボロボロになっていた。


「あの婆さんの手には毒でも塗ってあったのかな。まいったぜ…。あんた、この腕、触んねえほうがいいぜ。毒が皮膚から入り込む。触んな」


「かわまないわ」


私は痛がる彼の傷口に消毒を施し、薬品ガーゼを当てて包帯を巻いた。


私の側で少女がじっと介抱の様子を見ていた。


「すまねえな。だが、もうこの腕はダメかもしんねえ…」


桜井少尉が私達の前に来た。


「砂岡。心配するな。いよいよ貴様の左腕がダメになったら、私が斬り落としてやる。痛みの感じる事のないようにな」


桜井少尉と砂岡中尉は互いの目をじっと見ていたが、二人の目は笑っていた。


「貴様。人の腕だと思って簡単に言いやがって…。ま、そん時は頼むわ。桜井」


「貴様の片腕がなくなったその時は、私の片腕も、貴様の為にいつでも殉じる覚悟を持つだけだ。砂岡」


桜井少尉は砂岡中尉に微笑んだ。


私は桜井少尉の笑った顔を初めて見た。


私は複雑な気持ちになった。


彼ら「日本新生会」のしてきた過激過ぎる行いや理想、信念に、私はもちろん共感はできない。立場が違うからだ。


しかし、彼らには、私が生まれた頃から見てきた私の周囲にいた大勢の人達には決してなかった何かがあった。


生涯の中で、死を賭けても、絶対に譲れないものを既に彼らは持っていたのだ。




菊千代丸が「瞑目」という名の充電をしている間、桜井少尉と砂岡中尉は2人で操縦席に座ってヘリの操作パネルを調べていた。


「やっぱ、マジでオートパイロットしか使えねえようだな。どうなっちまってんだ」


砂岡中尉が呟いた。


「しかも目的地以外へは変更不能にプログラミングはロックされているらしい」


桜井少尉がパネルのスイッチ関係を忙しくオンオフしているが、自動操縦機能のインジケーター以外どれも点灯していなかった。


私も少女と共に操縦室に入り、彼らのやりとりを後ろで見ていた。


「君達2人を何処で降ろせるか…もしかして目的地に着陸してから解放する事になるかもしれん」


桜井少尉は操縦パネルを見ながら言った。


「それしかねえだろうな。どっち道このヘリは途中下車はしてくれねえ。まさか穴の空いたパラシュートでダイビングさせる訳にもいかんしな」


「ん?砂岡。これはもしかして?」


ふいに桜井少尉が操縦パネルの下にあった赤いアクリルカバーのボックスを指差し、砂岡中尉を見た。


砂岡中尉は彼の指し示す赤いボックスを見て口笛を吹いた。


「おー、もしかしてジェットパックが乗ってんのか?さすがにアメリカ野郎のヘリは装備に金が掛かってるぜ」


砂岡中尉達の日本新生会の制圧部隊は、この混乱に乗じて在日米軍基地から、このヘリを強奪して来たらしい。


「ジェットパック?」


私は2人に尋ね、桜井少尉が答えた。


「そうだ。作戦司令官レベルの上級士官が非常時に脱出する為のランドセル型のフライングマシンだ。君達は目的地に着陸してから地上で解放するのが一番安全だが、最悪の場合を想定して、ジェットパックで君達2人だけでも脱出はできる」


「そのジェットパックというのは私達の分だけ?」


「通常、この手の機にはせいぜい1台か2台だろう。お偉いさん用だからな。一般兵はみんなしょぼいパラシュートで脱出だ。後ろに来なよ。見せてやる」


砂岡中尉が座席から立ち上がり、後部座席の一番後ろにあったアメリカ空軍のシンボルマークの着いたコンテナを開けた。


コンテナの中には、大型の角張ったランドセルのようなマシンがひとつだけ格納されていた。


「あれ!一機しかねえぞ…。ちくしょう、やっぱ1人分だ…」


砂岡中尉はそう言いながら、コンテナからジェットパックを取り出そうとした時、機内に高らかに琴の音色が響き渡った。


その琴の音色は、「瞑目」が終了した菊千代丸の再起動の音だった。

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