第二章 21話「接近遭遇」


輸送ヘリが離陸してからどれ程の時間が経っていただろうか?


私の体感では3時間ぐらいだったが、もう確かではなかった。個人が所有している時計も含め、機内のあらゆる時計はデジタル、アナログ問わず全てバラバラに狂っていたからだ。


桜井少尉、砂岡中尉、アキコ、そして声だけでまだ姿を見せない菊千代丸の4人の「日本新生会」のメンバー達は、まだ全員が操縦席に詰めていた。


以前として東北地方の目的地には遠 いのか、私の尋問はなかなか始まらなかった。


そしていつしか、私の心身の疲労感は、極限状態で体内から分泌されるアドレナリンをすっかり使い果たし、何度目かの限界を突破していた。


堪え難い眠気に襲われ、いつの間にか座席で気を失い、ほぼ昏睡に近い深い眠りに落ちていたのだ。


どのぐらいの時が経過しただろう?


ふと、気がつくと、私を呼ぶ声が聞こえて来た。


誰かが肩を揺さぶり続けている。


「おねえちゃん!おねえちゃん!起きて!」


私を呼んでいたのは、あの足の不自由な少女だった。


「おねえちゃん!起きて!」


少女は切迫した様子で私の肩を懸命に揺さぶり続けていた。


私は少女の只ならぬ様子に、目を覚ました。


「…どうしたの…?」


少女は私の肩を掴み、向きを変えさせると言った。


「窓から外を見て!変なものが飛んでるの!」


老婦人も、窓に顔を埋め込むように近づけて叫んだ。


「ちょっとアンタ、あれ見なさいよ!」


「あ!」


私は衝撃で跳ね起きた。


それは、あのバイパス山道で、私と英一郎の乗った車を襲った、


あの緑色の光だった…!!


「あの光は…!!」


窓から見えた緑色の光は、闇夜の上空をヘリから7、80メートル程離れた距離を機体にピッタリと並走するように飛んでいた。


そして、やはり緑色の光は、人魂のように奇妙に、ゆらゆらと上下しながらも、

徐々にこちらに接近してくるように見えた。


(あの時と同じだ…!同じあの緑色の光だ。あれが近付いて来ると、もしかして、私と英一郎の乗った、ルノーのようにこの輸送ヘリも操縦不能に…!!)


「危ない!!」


私は叫んでいた。


「ありゃあ、UFOだよ!」


老婦人が続いて叫ぶと同時に、操縦室の遮蔽ドアが開き、桜井少尉と砂岡中尉が乗員席に駆け込んで来た。


「何だあれは…?!」


彼らは窓に近づき、少しずつ接近してくる緑色の光を見ていた。


「近付いて来るぞ!」


桜井少尉は、すぐさま操縦室に戻りアキコに命令した。


「松本、接近させるな!チャフ全弾発射!撹乱するんだ!」


「了解!チャフ全弾発射!」


アキコの声がした。


ボ!ボ!ボ!ボ!ボ!と足元からの振動と共に、ヘリの下部から何かが発射された。敵のレーダーを誤認させる防衛手段なのかもしれない。


しかし、何の効果もなく、緑の光は更にこちらに接近して来る。


「こちら陸上自衛隊輸送ヘリYZ45、これ以上、本機に接近するな!」


無線機を掴み桜井少尉が繰り返し呼びかける。


「無線、応答ありません!」


アキコの切迫した声がした。


「ちくしょう!どこの機体だ!」


砂岡中尉も、桜井少尉に続いて操縦室に戻り、アキコの隣のコクピットに座ると銃座に手を掛けた。


「やるしかねえ。粉々にしてやるぜ!」


バババババババ!とヘリの下部から爆音が響き渡り、装備されていた重機銃砲が火を吹いた。


しかし、重機銃砲から発射されたオレンジ色のラインは、緑色の光に吸い込まれるように消えていくだけで、やはり何の効果も表さなかった。


そればかりか、光体は更に接近し、ヘリの機内全体は、異様な原色の緑の光に照らされ始めた。


「なんだこりゃ!操作系統が言うこと効かねえぞ!どうなっちまった!?」


「少尉!操縦桿が…、操作桿が動きません!!」


砂岡中尉とアキコの叫び声が操縦室から聞こえて来た。


あの時と同じだ…!


このヘリは墜落するのか…?


「おねえちゃん、怖い!」


原色の緑一色に染まった機内で、少女が私に抱きついて来た。


老婦人は、魅入られたように窓の外に釘付けになっていた。


「松本、操縦は私がやる!お前は後部座席から、人数分のパラシュートを用意しろ!砂岡は脱出ハッチを開けてくれ!」


桜井少尉がアキコに命じた。


「松本!急げ!パラシュートは俺達の分だけでかまわねぇ!後の奴らはほっておけ!」


砂岡中尉は野獣のような素早さで、後部座席に駆け込んで来た。


アキコが続き、乗員室に装備されている脱出パラシュートのコンテナに手を掛けたその時だった。


「直ちに自動操縦に切り替えよ!」


ヘリの機内全体にアナウンスするように乗員室のスピーカーから声が響いた。


「繰り返す、直ちに自動操縦に切り替えよ!」


それは操縦席にいる菊千代丸の声だった。


その声はこの非常事態に於いても、全く動揺の色を含まない凛然たる声だった。


「菊千代丸、もうダメだ!間に合わねえ!墜落しちまうぞ!!」


砂岡中尉が脱出ハッチの扉のロックに手を掛けながら叫んだ。


緑色の光は、いよいよ間近、ヘリの20メートル程の距離に迫って来ると、

フワッと上昇し、おそらくヘリの真上辺りに鎮座し、並走して来た。


目を開けていられない強烈な緑の光線が、ヘリに搭乗している全員の視界を奪っていた。


ヘリはガクッと高度を落とし、機体は機首から下がるようにバランスを崩し、機内の床は突然、操縦席側に傾く恐ろしい急斜面の下り坂になった。


アーッ!と叫び声と、悲鳴が聞こえる。


アキコと砂岡中尉はかろうじて掴まりバランスを保ちながら、必死に自分達の脱出準備を続けていたが、


少女を抱いていた私と、老婦人の3人は操縦室の方へ座席から転がり、滑るように叩きだされた。


墜落する…!!


そう感じた。


しかし、その恐ろしい機体の傾斜を境に、ヘリは徐々にバランスを回復し始めていた。


依然、緑色の光に照らされている機内は、全員の受けたショックから、息を殺し続けるような沈黙に包まれていたが、


恐怖の傾斜から、機首は少しずつ元に戻り、機内はやっと完全な安定を取り戻した。


しばらくすると桜井少尉が何かを手にして、操縦室から出てきた。


彼は骨壷を入れる「桐箱」のような四角い木の箱を胸の前に、抱えるように持っていた。


操縦室の扉の前で転がっている私達3人を見ると、桜井少尉は少女と老婦人に声をかけた。


「大丈夫か?」


「UFOが襲い掛かって来たのかい?あたしの杖は、何処いっちゃったの?」


驚いた事に、老婦人は激しい横転にも特に怪我もなく、桜井少尉の腕に支えられ、震えながら立ち上がると、気丈に言った。


「おねえちゃん。怖い…怖いよう」


少女は、やはり倒れている私にキツくしがみ付いたまま、なかなか離れようとしなかった。


「もう大丈夫よ。怪我しなかった?ほら、真っ直ぐになったわ。立って一緒に席に座りましょうね」


私は少女を抱きしめ、声を掛けた。


「さすがは、菊千代丸さんだぜ。まさかここで、オートパイロットだけ機能するとはな…」


砂岡中尉が脱出ハッチを再び閉めながら、吐き出すように言った。


すると、徐々に機内を染めていた緑色の光が薄まって来た。


ヘリの真上に並走して飛行していた、謎の光体は音もなく、ヘリからスーッとさらに上空の方へと、離れて行ったようだった。


アキコは暫く、パラシュートランドセルを掴んだまま、険しい表情で窓から外の様子を伺っていたが、気を取り直したのか桜井少尉の顔を見て言った。


「離れて行ったわ…。少尉。あれはなんです?」


「私にもわからん。菊千代丸の意見を聞こう」


「このまま、自動操縦を維持せよ」


菊千代丸の中性的で澄み切った声が機内アナウンス用のスピーカーからした…いや…。


いや、そうではなかった。


今、その声は私の目の前の桜井少尉の手にしている小さな「桐箱」から発せられていたのだ!


その「桐箱」の中央にはゴールドでデザインされた、6センチ程な大きさの黄金色に輝く、皇室の菊の16花紋の紋章が付いていた。


菊千代丸の声はその「桐箱」の側面の両側に付いているスピーカーから出ていたのだ!


「津島由紀子。死ぬ前の貴様に紹介しておこう。これが我々の戦略司令官、菊千代丸だ」


桜井少尉が切り出した。


「この箱の中には何が入っているの?」


「可搬型の量子コンピュータだ」


「じゃあ、もしかして、あなたたち日本新生会の作戦は、AIの菊千代丸が考え出していたというの?」


「ほとんどそうだ。いや、全てと言っていい。もし、AIというものを人間に例えるなら、菊千代丸は、人間を超えた超人だ」


「もしかして自我も持ってるかもしれないのよ。でも、この話を聞いたお前は、これで絶対に死んで貰う事になるんだけどね」


アキコが微笑みながら言って、腰のホルダーから、サバイバルナイフを抜いた。


その時だった。一瞬の間に出来た無音な筈の音の中に、奇妙なイントネーションの念仏のような声が、小さな音で聞こえていたのだ。


なぜか全員が、同時にその声に気が付いた。


その声の主は、あの老婦人からだった。


老婦人は桜井少尉の腕にしがみ付いていたが、変に体を俯かせながら、何かを唱えているのだ。


私達全員が老婦人の様子がおかしい事に気づいた。


不気味な念仏のような声は、徐々に大きくなって来た。


「おい、婆さん。もう墜落しねえよ。薄気味悪りぃ念仏唱えるのはヘリを降りてからにしろ」


砂岡中尉が言った。


老婦人は砂岡中尉の言葉を無視し、さらに念仏を唱える声に力を込めて来た。


桜井少尉が私と少女に、ここを離れるよう目配せをして言った。


「お婆さん。もう大丈夫だろう?手を離してくれないか」


老婦人は離さなかった。


「あんたはあたしの好みだから離しゃしないよ!」


一瞬の間の後、思わずアキコが失笑した。


続いて、砂岡中尉が釣られて笑った。


私も思わず釣られて笑いそうになったが、桜井少尉の行動を見て目を剥いた。


彼は、一閃、腰の日本刀を抜くと、自分の腕を掴んでいる老婦人の腕を、付け根から切り落としていた。


老婦人は弱々しい悲鳴を上げると、仰向けに通路に倒れこんだ。


「お婆さん!」


私は駆けつけようとしたが、


「こいつに近付くな。凄まじい握力で腕を握って来た!」


桜井少尉は老婦人に日本刀を向けて言うと、砂岡中尉がそれに続いた。


「ババア!発狂しやがったのか!桜井!早いとこ、こいつダイビングさせようぜ」


「このうすのろ。うすのろまぬけのお前に何ができる?」


仰向けになっている老婦人が呟いた。


ミミズが震えるような気味の悪い声だった。


老婦人は震えながらゆっくり立ち上がると、今度は砂岡中尉を見て微笑んだ。


「でくのぼうが。首の骨をへし折られたいのかい?」


「おい。ババア、てめえマジに言ってのかよ?」


砂岡中尉が老婦人に近寄る。


アキコが隅に置いてあった火炎放射器を掴んでいた。


「馬鹿だねえ。あたしゃ怨霊じゃないよ…。それ以上のものだよ。お前たち全員に地獄の苦痛を味合わせるのが、あたしの心からの悦びなんだ…」


砂岡中尉は凄まじいスピードで老婦人の懐に入ると、右手で正面から彼女の喉元を掴んだ。


桜井少尉はその彼の動きを読んでいたかの様にサッと後退し、老婦人から間合いを取った。


「松本!後部ハッチ開けろ!俺がこいつをそっちに連れて行く!」


砂岡中尉がアキコに叫んだ。


応じ、アキコが後部ハッチに走ろうとした時、


「うすのろ。そう熱くなりなさんなっつってんだろが」


老婦人は、耳障りな奇怪な笑い声を上げると、残っている片方の手で砂岡中尉の太い二の腕を握りしめた。


砂岡中尉は激痛に一瞬、身を震わせたが、間髪入れず、片腕の老婦人に文字どおりの殺人一本背負いを炸裂させた。


それは中年手前の、油が乗り、鍛えられた軍人が、か弱い老人に使う技ではなかった。


機体が揺れる程のドーン!という残酷な音と共に、老婦人は機内の金属製の床に背中から叩き付けられた。


しかし、老婦人は手を離さなかった。


「グワー!いでー!」


老婦人に掴まれていた砂岡中尉の二の腕から血が噴き出し、何かが沸騰したような蒸気が上がっていた。


「…桜井!こいつの腕を斬れ!」


砂岡中尉が言い終わる前に、桜井少尉は近づくと、駿撃の速さで真剣を振り下ろし、老婦人のもう一方の腕を切断した。


砂岡中尉の二の腕から離れた、老婦人の腕はボトッと床に落ちたが、しばらくひとりで動いていた。


私はその手の、見たことのない異様な動きを見ているだけで、気が狂いそうになった。


胸にしがみ付いている少女に、今起きている事を見せないように強く抱いた。


桜井少尉と砂岡中尉は隙を見て、老婦人から離れた。


「なんてことをしてくれるんだい。お前たちのアレがにぎれなくなっちまったじゃないか〜〜!」


老婦人は甲高く耳障りな、震え声で叫んだ。


さらに立ち上がって来た老婦人の目は、完全に寄り目だった。そして眉間の辺りが、大きな肉腫のように異様に盛り上がっている。


「全部見えるんだよ。お前たちの心の中までねぇ〜」


両腕の無い、老婦人は上体を奇妙に前後に揺らしながら言った。


「この化け物!」


アキコが、手にしていた火炎放射器のノズルを向けた瞬間、


「やめろ松本!機内で使うな!」


桜井少尉のアキコを制止する声とほぼ同時に、


突如、老婦人はエビのように体を屈伸させ、火炎放射器を構えるアキコに向けて、猛烈なスピードでジャンプし、頭から体当たりを喰らわせて来た。


アキコは老婦人のジャンピングヘッドバッドが顔面に直撃する直前に、顔の前に腕を十字に組み防御したが、まるで疾走するバイクにでも撥ねられたように、体ごと数メートル吹き飛ばされ、後部座席に背中を激突させた。


「松本!」


桜井少尉は日本刀を構え、老婦人を斬首しようと駆け寄ったが、


両腕のない老婦人はそれより先に、また体を屈伸させ、ノミのような恐るべき跳躍力でジャンプし、倒れているアキコの眼前へ着地すると、再び殺人ヘッドバッドをアキコの顔面目掛けて繰り出した。


アキコは、老婦人のヘッドバッドを察知した僅かな瞬間に、手元に転がっていたサバイバルナイフを掴み、襲い掛かってくる老婦人の口の中に、カウンターで付き刺した。


「え、ガッ…ゴッ、でぇ〜!!!」


口の中にサバイバルナイフを深く突き刺された老婦人は、アキコから後退すると、モゴモゴと何かを言いながら、口から大量の血を吹き出した。


「この悪魔ババア!舐めるんじゃないよ!」


「松本!伏せろ!」


砂岡中尉が、自動小銃を構え、老婦人の全身に向け発砲した。


老婦人は身体を蜂の巣にされて、倒れかけのボーリングのピンのように、クルッと身体を一回転させると、ドッ!っ床に倒れた。


「桜井、脱出ハッチ開けろ!」


砂岡中尉が老婦人の血まみれの白髪を掴み、必死の形相でハッチに向かって引きずっていった。


桜井少尉が後部ハッチに駆けつけ、扉のロックを外した。


「砂岡!開けるぞ!合図で放りだせ!」


「オウ!」


脱出ハッチは解放され、ボォーッと外気が押し寄せて来た。


桜井少尉の合図で、砂岡中尉は髪を掴んだ老婦人を、脱出ハッチから、空に投げ付けるように放り出した。


両腕を切断され、口の中にサバイバルナイフを刺されたまま蜂の巣になった老婦人は、高度1500メートルから落下して行った。


「ざまあだぜ。婆さん。念願のスカイダイビングだ。」


砂岡中尉は荒い息を切らせながらハッチを閉めると言った。


「桜井少尉…。あれも怨霊なんですか…?」


アキコが、床に倒れた姿勢のまま、腰を摩りながら言った。


「わからん…。奴は、自分をそれ以上だと言っていた。菊千代丸の意見が聞きたい。菊千代丸、あの今我々を…」


桜井少尉が菊千代丸に質問しようとした時だった。


「アテンションプリ〜ズ!」


甲高い嗄れ声がした。


一同が一番前の座席を、一斉に振り返った。


老夫婦が座っているのだ。


相変わらず両腕はないが、口にはサバイバルナイフは刺さっていなかった。


「テメェ!なんでそこにいんだよ〜!!」」


砂岡中尉が裏返った声で叫んだ。


現実をまるで映画のフィルムでも編集したかのように、老婦人は少し前からその座席に座っていたのだ。


「下等なうすのろのお前らの苦痛が悦びだっつってんだろ。何兆回あたしを殺しても無駄だよ。あたしゃ怨霊とは違うっつってんだろ」


完全に寄り目の老婦人は、涎を垂らし、瘤のように盛り上がった額を蠢かせ言った。


「あの人を、みちゃダメよ…」


私は少女を抱きしめたまま、私の近くに、「いつの間にか」座っていた老婦人から離れた。


「あたしゃ、この手が無いのも、いいなと思ってたんだけど、せっかくだからお前らに見せてやっから」


老婦人は凍りつく一同に不気味な語り口でそう呟くと、


寄り目の状態で、またあの奇妙な念仏を唱え始めた。


アキコが神経を苛まれているような表情で耳を塞いだ。


それは聴いていると気が狂ってくるあの呻き声のような念仏なのだ。


見ると、老婦人の念仏と合わせるかのように、彼女の切断された両腕の付け根から、クネクネ何かが出て来た。


それは腕ぐらいの太さの、白いミミズのような生き物で、付け根からあっという間に伸びて2メートル位の長さになり、まるで老夫婦の両腕から生えた新しい奇怪な腕のように、ユラユラと空を弄っていた。


老婦人の両肩の付け根から伸び、何かの触手のようにクネクネ慌ただしく動いているが、見た目は、完全に巨大な白い「回虫」だった。


「このヘリの中で、おまえたちを何十万年もかけて殺し続けてやってもいいんだよ」


そう言うと突如、その回虫のような両腕を鞭のようにしならせて私と桜井少尉に向かって来た。


桜井少尉の日本刀が回虫の鞭を切断するが、信じられないスピードで再生するのが見えた。


私を襲った回虫の鞭は、逃げようとした私の後ろから腰を直撃した。私は少女を抱いたまま凄まじい衝撃に弾き飛ばされた。


頭から窓側に突っ込んだ記憶まではあった。


どのくらいか意識が途切れた後、

目覚めると私はまた、


「あの状態」になっていた。


あっさりと切り替わってしまう事に、恐怖を感じながらも、心のどこかに不思議な興奮感があるのを感じていた。


「ゴーレム」は弾き飛ばされた衝撃で気を失っている少女を座席に降ろすと、老婦人の方をゆっくりと向き直った。


その私のモードチェンジに、いち早く気付いたのは老婦人だった。


「お前はなんだ。なんで目を瞑っているんだ?ほれ、こっち見ろ!目さ開けれ!」


ゴーレムは振り向くと、目を瞑ったまま、ゆっくりと老婦人に一歩一歩近付いて行った。


「オー!津島由紀子と悪魔ババアのタイマンだぜ!こつぁ見ものだ!がんばれ!津島由紀子!」


「由紀子!そいつをやっちまいな!」


何故か私は砂岡中尉やアキコの歓声を受けていた。


応援してるなら、早く一緒に戦ってよと言いたかった。


ゴーレムが間近に迫って来ると、老婦人はその鞭のような回虫腕を、ブンッとしならせゴーレムの首に巻き付けた。


回虫腕に首を絞められても目を瞑ったまま無表情のゴーレムに、老婦人が呪いを込めて叫んだ。


「ほれ、こっち見ろ!目さ開けれ!目さ開けろや」


(ゴーレム!絶対に目を開けちゃダメよ!)


私の直感が叫んだ。


今度はゴーレムが自分の首を締める回虫腕を握って、老婦人の体を豪快にスイングし、機内の壁に叩き付けた。


骨が粉砕される音がした。


それでも回虫腕は離れなかった。


老婦人は回虫腕を更に強く閉め付けながら、ゴーレムを憎悪に満ちた己の眼前に引きせて来た。


「目さ開けれっつってんだよ!目さ開けれ〜!」


老婦人の呪いの叫びに、焦燥感が混ざり始めた。


「ほれ!こっちさ見ろや!目さ開けれ〜!目さ開けれ〜〜!!」


「津島由紀子!そのまま、奴を抑え込め!」


まるでスポ根ドラマの鬼コーチのような桜井少尉の熱い檄が飛んだ。


コーチ!いいから早く加勢して下さいと言いたかった。


「目さ開けれ〜!!目さ開けれ〜〜!!目ぇ〜開けてけろ〜〜〜〜!!」


その声が老婦人の最後の断末魔となり、恐るべき老婦人はそのまま、スウッと影のように薄くなり消えて行った。


霊体の私はゴーレムと老婦人の闘いを見届けると、また意識が遠退いて行く、あの抗えない脱力感を感じ始めていた。


(やっぱりエネルギーを使い過ぎたんだわ…)


霊体の私の胸からゴーレムの頭に繋がる光る糸の束が震え、視界が暗くなって来た。また、元の状態に戻るのね…。


意識がブラックアウトの淵に立っているのを感じると、私は、再びゴーレムのボディに落ちるように吸い込まれて行った。


再び意識を取り戻した私は、また前のめりに倒れていたが、上体を起こすと意外に静まっている機内の様子に気付いた。


しばらく機内は静まり返り、ただオートパイロット機能で目的地へと向かうヘリのエンジン音だけが響いていた。


「松本、立てるか?」


少しすると、足を引きずりながら、桜井少尉がアキコの側に来た。


「ダメですね…。さっきアイツに弾き飛ばされた時に、背骨をぶつけてやっちゃったみたいです…」


横になったまま、力なくアキコは答えた。


「大丈夫だ。しっかりしろ」


桜井少尉は苦痛に顔を歪めるアキコを慎重に抱きかかえると、横に倒した座席に彼女を横たわらせた。


砂岡中尉はしばらく黙って、独り後部座席に座っていたが呟いた。


「こっちも、無事では済まなかった。みてえだ。あの悪魔ババアに握られた左腕が…焼けるように熱いぜ」


砂岡中尉は左腕を抑え、顔に脂汗を浮かべながら虚しく笑ったが、胸ポケットから片手でタバコを出すと咥えて、ヨロヨロと立ち上がった。


ゴーレムから戻った私は、まだ半ば自失呆然の状態で床に正座していたが、後ろから砂岡中尉の足音が近付いて来るのに気が付いた。


「大丈夫かよ。立てるか?」


砂岡中尉が正座してる私に手を差し伸べて来た。


私は少しの間、黙って彼の顔を見つめていたが言った。


「私に触ると感染するわよ」


「かまわねえよ」


砂岡中尉は、太い片腕で私の腕を掴み立たせた。


「急にジェントルマンになったのね。どうしたの?」


気を失っている少女の隣りの座席に座り直し、私は言った。


砂岡中尉は私の向かいの座席に、ドカッと腰を降ろし、タバコに火を付ながら言った。


「おめえは…いや、あんたは凄え…。あんたが居なかったら、俺らは全員あの悪魔ババアに今頃ぶっ殺されてたところだ。あのババアはマジでヤバかった」


「そうね。あのお婆さんは怨霊じゃないわね。でも別にあなたたちの為に闘った訳じゃないわ。この女の子と私自身の為よ」


私は隣りに横になっている少女を見て呟いた。


「わかってるよ」


砂岡中尉は頭を掻きながら、そう言って頷いた。そして桜井少尉に向かって言った。


「桜井!まだ津島由紀子の処刑動画を録画する気か?」


桜井少尉は、ただ黙って私に鋭い視線を向けていた。


「少尉…」


座席に横になっているアキコが発言した。


「私ももういいと思います。由紀子と娘を何処かで解放しましょう」 


「アキコさん…」


私はアキコを見た。


「由紀子…あんたには敵わない。完全にあたしの負けだよ…あ、あたしを殺すなら今がチャンスだよ…」


アキコは息も絶え絶えに呟いていた。衝撃で実は致命傷を負っていたのだ。


「アキコさん、しっかりして!あなたには腐った日本を変えるって理想があるんでしょう!こんな所で死んだらつまらないわよ。これからじゃない!」


私は自分でも意味がわからずに、言っていた。


「あたしは、桜井さんみたいに立派じゃない。ただ、この人と一緒に派手に生きて行きたかっただけよ…」


「松本!」


桜井少尉が、握って来たアキコの手を取った。


「真一さん…本当は、革命なんて捨てて、あたしはあなたと二人で…南米辺りに逃げて優雅な暮らしが…したかっただけなの…。ごめんね…死なない…で…」


桜井少尉の手を握っていた手がスルリと落ちた。


アキコは死んだ。


桜井少尉は目を熱く潤ませていたが、ただ黙って前を向いたまま、何も言わなかった。


砂岡中尉も黙っていたが、低い声で、ただ一言だけ彼に声を掛けた。


「桜井…。」


その時、座席で気を失っていた少女が目を覚ました。


「おねえちゃん!」


少女はまた飛び付くように、私の胸にしがみつくと顔を埋めて来た。


「気が付いた?よかったわ。もう大丈夫よ。あのお婆さんは消えちゃったわ」


「あれ?おねえちゃん…どうして泣いてるの?」


少女は私に頬を寄せながら不思議そうに言った。




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