第二章 20話「ヘルフライト」


輸送ヘリは離陸した。


私と老婦人、そして足の不自由な少女は、機体後部の光度を落とした照明が灯る、向かい合わせの搭乗席に座らされていた。


コクピットには、桜井少尉、砂岡中尉、アキコの3人、そして姿は見えないが、菊千代丸という人物が詰めていて、ヘリの操縦桿はアキコが握っているようだった。


僅かに開いていた操縦席と乗員席は、遮蔽され、強化プラスチックの透過窓から、彼らが何事かを話合っているのが見えた。


「ねぇ、あなたコロナなの?」


2人から離れた機体端部の座席に座らされていた私に、老婦人が話かけて来た。


「違いますわ。お婆ちゃん。うつらない風邪みたいなものだから安心して下さい」


私は微笑んだ。


老婦人の隣に座っている色白の少女は、ただ黙って私と老婦人のやりとりを見守っていた。


ヘリは徐々に高度と速度を上げながら、何処かに向かっているようだったが、窓から見える景色は、墨を流し込んだような完全な闇だけだった。月はおろか、流れる雲ひとつ視認出来なかった。


窓から見る闇を眺めながら、私は考えていた。


一体、どうしてこんな事になったのだろう…。


人間が突然発狂して、超自然の恐ろしい怨霊になり、さらに人間を襲う。


何が原因なの?海外の大国が開発した電磁波兵器か、細菌兵器かの何かが、広島長崎の原爆のように、日本人を発狂させ殲滅させる為に、この国に向けて突然使用されたのかしら?


それとも、まさかこれは地球全体で起きている事…?


生き残り、正気を保っていた人々も、少しずつ狂気に侵されていく…。


或いは、人間としての判断力を保っていても、


異常なまでに酷薄で冷酷な感性になっていくのは何故か…?


人が目の前で、どんな死に方をしようとも何とも思わない。


それは元々のその人間が有していた気質なのか。それが何かの影響で目に見える形で現れて来ただけなのか。


そして私自身も、多くの人達と同じように、少しずつ狂っていくのか?それとも冷酷なサイコパスに変質していくのか?


わからない…。


ただ、今はっきりしている事は、


このままでは、私は日本新生会から「尋問」というものを受けた後、


父、津島耕作の代わりに娘の私が処刑されるという事だ。


何とか生き残らなければならない。


あの「ゴーレム」の状態に再びなる事さえ、出来たら…。


その時、コクピットと乗員席を遮蔽していたドアが開いた。


巨漢の砂岡中尉がのっそりと乗員席にやって来た。


「アテンションプリ〜ズ!」


野太く粗暴な声を張り上げた。


「皆さまこの度は、日本新生会航空、地獄直行便の当機にお乗り頂き、誠にありがとうございます」


砂岡中尉は、巨躯を折り曲げ道化のようにおどけて挨拶をして来た。


「皆さまにご通達でございます。当機内に於いて、発狂の兆しが見られたお客様におかれましては、ただちにパラシュート無しのスカイダイビングをお楽しみ頂けるよう、乗務員一同、お取り計らう準備がございます」


砂岡中尉はまた、あの下卑た笑いを振り撒いた。


「あんた、パラシュートしなかったら、死んじまうじゃないのさ」


老婦人が甲高い嗄れ声で砂岡中尉に抗議した。


「決まってんだろ婆さん。黙らねえと高度1500メートルから飛び降りて貰うつってんだよ」


砂岡中尉は座席下に収納されていた救急箱を取り出すと、そこから無造作にアルコールスプレーを取り出し、私に近づくといきなり頭から噴霧した。


アルコールが目に入り、私は痛みに手で顔を覆った。


「消毒してやるぜ。スーパーバイキン女。絶対に俺に触るんじゃねえぞ」


砂岡中尉はそう言うと、私から離れた場所にドカッと腰を降ろし、タバコに火を付けた。


「アルコールが目に入って痛いじゃない。粗暴な男は嫌われるわよ」


私はすでに泥で汚れ、黒ずんでいる自分のハンカチを出し、顔を拭いた。


「おねえちゃん。私のハンカチ使って下さい」


足の不自由な少女が座席から立ち上がり、私に白いレースのハンカチを差し出しくれた。


「おいガキ、その女に近寄るんじゃねえ。お前、感染してえのか?」


砂岡中尉はタバコの煙を吹かしながら少女を睨んだ。


「ごめんなさい。ハンカチ渡すだけです」


少女は私にハンカチを手渡すと、足を引き摺りながら、座席に戻った。


「ありがとう。素敵なハンカチね」


少女の心遣いが嬉しかった。


私は、この少女と老婦人の為にも、今は出来るだけ彼ら日本新生会が、この輸送ヘリでこれから何処に向かい、何をしようとしているのかを探ろうと決めた。


私の処刑は決定しているとして、民間人である彼女達2人を、一体どこに降ろそうとしているのかを…。


「砂岡さん。このヘリはこれから何処に向かうの?」


「あー?おめえになんでそんな事、教えなきゃなんねえんだ。おめえはもうすぐ処刑されるんだぜ。念仏でも唱えてな」


砂岡中尉は、座席に踏ん反り返り、チェーンスモーキングを決めながら言った。


「だからこそ聞いているんじゃない。これから死ぬ人間に、少しは親切にしなさい。何がアテンションプリーズよ」


「わっはははは」


老婦人が嗄れ声で笑った。


「うるせえババア!少し黙ってろ」


「私はどうせ死ぬんだから、教えてよ。教えて下さらないと、死んだら怨霊になってあなたを狙って集中的に取り憑くわよ。女の恨みは恐ろしいわよ〜」


「何んだと?」


砂岡中尉はタバコを足で揉み消すと、私を見た。


「それとも、このヘリの中で火炎放射器を使うおつもり?」


砂岡中尉は、改めて私を凝視した。


やはり、こいつは人間じゃないかもしれないと、その表情には現れていた。


砂岡中尉は私から視線を逸らすと、苦い顔で諦めたように呟いた。


「東北地方だ。細かい行き先は、まだわかんねぇ」


砂岡中尉は私から視線を逸らすと、声を落として答えた。


「東北?何しに?この人達は何処で降ろしてあげるの?」


「知らん。菊千代丸に聞くんだな」


「菊千代丸さんって誰?どんな方なの?」


砂岡中尉は、座席から前かがみにその巨体を起こすと、急に沈黙し、私の顔をまたじっと見ていたが答えた。


「おめえは必ず死ぬ事になる。だから冥土の土産に教えてやるが、菊千代丸は新生会の作戦司令官だ」


「作戦司令官?」


「ああ。天下無敵、超天才の軍師だ」


その時、操縦席と乗員席の遮蔽ドアが開いた。


桜井少尉が乗員席に入って来た。


「おう、桜井。他の機と通信取れたのか?」


「ダメだ。おそらく東北方面に向かうのは我々のこの機だけのようだ」


桜井少尉はそう言いながら、砂岡中尉の向かいの席に座った。


「わかんねぇぞ。無線が届いてねぇだけで、近くを飛んでんのかもしれねえぞ。さすがの菊千代丸さんも、他の機と通信不能な状態じゃ、編隊の陣形を考えられねえだけなんじゃねえのか?」


「いや。菊千代丸の作戦は完璧だ。この程度の状況は、疾うに想定済みの筈だ」


「だが、なんで俺達だけ東北なんだ?今は俺達も都心の部隊に合流すべきなんじゃねえのか?在日米軍基地はおろか、自衛隊、警察さえも混乱して機能してねえ今が、都心部制圧の絶好のチャンスなんだぜ」


「わからん。ただ、菊千代丸は我々の機のみが、東北へ向かう理由については、計画書にも記載されていない極めて重要な極秘特務がある故と言っている」


「極秘特務か。そりゃあ、大役を仰せつかって光栄の至りだね。だが、正直俺も、霞ヶ関や国会議事堂に飛んで大臣様や官僚連中を、蜂の巣にして皆殺しにしたかったぜ」


砂岡中尉はまたタバコに火をつけた。


桜井少尉は、砂岡中尉の言葉を聞きながら、腰に差していた日本刀を自分の座席の隣に置き、制服の胸ポケットからモバイルホログラムレコーダーを出して私を見た。


「津島由紀子。このヘリが目的地上空に到着する前に、貴様の供述録画を始めるが、今のうちに貴様からの言い分があれば聞いておこう」


「言い分ね…。ないわ。どうせ死ぬんでしょうから…」


私は内心とは反対に、桜井少尉から目を背け、わざと投げやりな態度で答えた。目に涙でも溜めれば完璧だったかもしれない。要するに可哀想に見せたかったのだ。


砂岡中尉が手を打ち、笑いながら口を挟んだ。


「ドンピシャだ!録画の後、おめえの首は大根ぶった斬るみてぇに、刎ねられてジ・エンドだ。小便漏らすんじゃねえぞ。だが心配すんな。俺らが必要なのは生首だけだ。おめえの胴体だけはちゃんとヘリから落っことしてやっからよ!」


砂岡中尉はまた上機嫌になった。


「よくもまあ、口を開く度にそんな残酷なセリフがポンポン飛び出して来るわね。桜井さん。砂岡さんはもう気が狂ってるんじゃなくて?さっきお仲間の方々を3人も纏めて撃ち殺したばかりじゃない。もう絶対この人普通じゃないわよ」


「ワッハハハハハハ!」


また、老婦人が甲高い嗄れ声で、豪快に爆笑した。


砂岡中尉は座席から立ち上がり、老婦人の前に立った。


「おい、ババア。てめえもあの女の胴体と一緒に、ダイビングしてえのか?」


老婦人は砂岡中尉に構わず、手で口を抑えて笑いを堪えていた。


私達のやりとりを見ていた桜井少尉は、溜息を付くと席を立ち、何かを思い出したのか、再び操縦席に戻って行った。

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