第二章 17話「デッドライン」


私はゆっくりと立ち上がった。私の周囲を取り囲むように、自衛官達や民間人達の緊迫した視線が注がれている。


誰もが、ゴーレムが突然倒れた事に驚きを隠せないようだった。


私は再び生き返った喜びや安堵より、まず、このシチュエーションをどうやって乗り切るかに、一刻も早く意識を移さざる得なかった。


私は、酷い泥だらけの顔を、やはり泥と血で汚れた、白の夏用ジャケットのポケットからハンカチを出し、わざと丁寧に拭いた。


見た目、そして挙動が、ゴーレムの状態の私との明らかな違いに、周囲は恐れと怪訝の目を注いでいた。


まず、最初にアキコが私の目の前に近付いて来た。


アキコは、私の明らかな変化の意味を探ろうと、間近で私の顔を凝視している。


「怨霊でなくて残念でしたわね」


私は顔に付いた泥をハンカチで拭きながら、アキコの顔を見ずに、先手で切り出した。


「やっぱり、お前は…。生きていたのね。津島由紀子!」


信じられないようなもの見る目でアキコが呟いた。しかし、すぐに表情を変えると、


「お前はさっき目を閉じていたわね。今は開けている…。どうしたの?瞑想でもしながら歩き回ってた訳?」


アキコは不敵な笑みを浮かべながら、腰のホルスターから拳銃を抜いた。


今、撃たれたら私は確実に死ぬ。いや、拳銃だけではない。アキコの実戦用マーシャルアーツでも、一撃で死ぬか、致命傷を負うだろう。


「津島由紀子…?」


アキコと私のやりとりを聞いていた桜井少尉は、何かを思い出したかのように、目を剥いて私に近付いて来た。


「お前は…」


桜井少尉が何かを言いかけた時だった。


「桜井少尉!拘束中の狂人達が怨霊化します。直ちに焼却命令を!」


自衛官の一人が駆け寄って来た。


見ると丸太に拘束され項垂れ、既に動かなくなっていた数名の男女の頭部から、何か青白く光るガス状のものが立ち上り始めていた。


そして、それは徐々に、しかしはっきりと人のかたちを取ろうとしていた。


「いかん!」


桜井少尉は、人々が拘束されている丸太が並ぶ処刑場へ向き直ると、直ぐに号令をかけた。


「火炎放射器隊!焼却開始!」


「待って!」


私の呼びかけも虚しく、すぐに火炎放射器部隊は集まり、一列に並ぶと、丸太に拘束されていた人々に対し、一斉に火炎放射を開始した。


それは悪夢の光景だった。


およそ聞いた事のない、人間の発している声とはとても思えない壮絶な絶叫が、ログヤード、いや、この切り開いた山間全体に響き渡った。


オレンジ色の炎と、黒煙に包まれた9本の丸太から、いくつもの断末魔の叫びが聞こえ、辺りは人の脂の焼けた臭気と、ガソリン、パーム油の刺激臭でむせ返った。


「人殺し!」


「あんたら何の権限でこんな事を!」


「いや〜!俊雄さん!誰か助けて〜!」


民間人の悲鳴、いや絶叫と非難が、自衛官達、いや「日本新生会」のテロリスト達に浴びせられた。


バーン!と銃声が響き渡った。


「諸君!!」


桜井少尉が拳銃を空に向け発砲し、一喝した。


「諸君にも彼らが狂気を発症している事がわかっていた筈だ。諸君は忘れたのか!あのまま狂い死にした者が、怨霊になった時の危険さを。恐ろしさを!」


引き裂かれたような沈黙の後、民間人の女性の数名が泣き崩れ、男達は項垂れた。


「もし、彼らをあのままにして置いたら、全員怨霊化し、諸君と我々を取り殺そうと襲いかかり、さらに焼かねばならぬ狂人の犠牲者を増やすだけだ!」


桜井少尉は続けた。


「諸君は高速インターでの我々と怨霊の戦いを見ただろう?我々の同志はあそこで半分以上が狂い死にした。初めは有効だったマシンガンや手榴弾では、もはや怨霊を殺せない!現在、怨霊に対して有効対抗な手段は、火炎のみとなっている」


周囲を見渡すと自衛官達の中の何名かは松明を手にしていた。


「また、少し前は車や室内に立て籠っていれば安全だったものの、今や怨霊は天井、壁や床、地面などを擦り抜けるように移動して襲って来る!身体を接触されても狂気を発症するし、怨霊の姿を見続けてるだけでも発狂する!」


「この世の終わりだ…」


民間人の男の一人が座り込んで呟いた。


事態は私の想像を遥かに超えていた。


あの研究所の接客室で目撃した、岸谷達が繰り広げていたような狂気の死闘が、既に外部のあらゆる場所で、大規模に展開していたのだった。


「あんた達は自衛隊の中に潜伏して、クーデターを計画していた過激派だろう?本物の自衛隊はどうしたんだ!救助に来ないのか?!」


「電話はいつ通じるの?親と連絡とりたい!」


「これって日本中で起きているんですか?海外はどうなってるんですか?」


「日本政府は何やっているんだ!警察はどうした?国は機能していないのか?!」


民間人の中から激しい怒声が混ざった質問の声が湧き上がっていた。


トランシーバーを手にした角刈り頭の自衛官が、少尉に代わって声を張り上げた。


「現在、衛星、基地局を介する通信網の全てが原因不明の障害を受けていて不通だ。また、無線機による通信も極めて短距離の通信以外、交信できない状況が何時間も続いている」


それを聞いた民間人の中の、白髪の背の高い中年の男が、全員を代表するように、意を決し前に出て桜井少尉に言った。


「…あの、発言してもいいですか?」


「許可する。どうぞ」


「君達は私達をここまで避難させてくれた。あのインターに、あのままみんながいたら皆おかしくなって、あそこで狂い死にしていただろう。だから、それには感謝している。少なくとも僕はね。例え君らがテロリストの集団でもだ」


桜井少尉は黙って男の顔を見ていた。


白髪の男は続けた。


「だが、君らはこの後、ここにいる我々をどうするつもりかね?支給されていた水や食糧も残り少ない。みんなの疲労は限界に達している。またいつ、狂気を発症する人が出て来ても不思議じゃない。これからどうするのかね?」


桜井少尉は民間人を代表した男の目をじっと見ていたが、向き直るとまた民間人全員に向けて声を上げた。


「まず、改めて宣言する!」


少尉は日本刀を抜いた。


「我々はテロリストではない!新しく日本を蘇らせる革命有志の組織である。我々日本新生会にとって諸君は、極度に人口の減った今の日本国に於いて、貴重な臣民である。故に我々は諸君を避難させた後、これまで最善と考えられる判断を下して来た」


そこまで言うと、桜井少尉は女の子をおぶったまま立ち尽くし自衛官達に囲まれている岸谷の方へ歩いて行った。


「我々の粛清対象はここにいるような売国奴、そして神国日本に穢れを及ぼす全ての者だ!だが、罪なき神国臣民である諸君には、今ここで選択肢を与える!」


桜井少尉は女の子を背負った岸谷の首に日本刀を当てながら言った。


「選択肢は二つある。まず一つ。我々の計画では、もうすぐここに在日米軍基地から発進した、2機の大型輸送ヘリが到着する。もちろん我々の同志が操縦しているヘリだ。我々はそれに搭乗し、ここを離れる。よって、諸君の中から希望者を募り、希望者は我々と共に輸送ヘリでここを脱出する権利が与えられる」


続けて、桜井少尉はログヤードの出入り口を指差して言った。


「そして、二つ目の選択は、諸君が我々の管轄下を離れ、独自に行動し、自分達の足でこの山間部を脱出し、安全と判断できる場所まで、徒歩で避難する事だ。無論、高速インターとは逆方向にだ。どちらを選ぶかの判断は、諸君一人一人に委ねる」


民間人達の中から、ドッと重い溜息が漏れ、さわめいた。


彼らの代表の白髪の男の発言に勢いを得たのか、列の後ろから、汚れたTシャッツにジーンズ姿の青年が名乗りを上げ前へ出た。


「日本新生会かよ。マジにヤバい極右過激派だよね。だけどあんたらここから今俺達を本当に解放してくれるのか?あんたら国を転覆させるのが目的なんだろう…?解放された俺達の誰かが警察や本当の自衛隊にあんたらの事話したら…」


「君は我々が諸君に対し口封じでもするのでは?と、そう言いたいのか?」


桜井少尉は青年を睨んだ。


青年は、今の発言は決してすべきではなかったか事を悟り、口をつぐんで蒼ざめた。


桜井少尉は答えた。


「心配するな。これから例え諸君が我々の正体、計画を誰に話そうとそれは諸君の自由だ。ただ、これだけは覚えておきたまえ。我々日本新生会はこの国の大義の為に立ち上がった。我々のやり方で日本を再生させる為にな。諸君が今までのように一部の腐敗した特権階級の奴隷として生きて行きたいのなら、それも自由だ。我々が政権を掌握するまでは旧国家の下で奴隷として生きている諸君にも、今はそれを選ぶ権利がある。現状維持でまた奴隷を選ぶか、新しい日本の変革へ参加し、神国日本の臣民として蘇るか?をな」


少尉は続けた。


「それに何より旧国家はこの混乱で既に警察機能を失っている。通報でも密告でも好きなだけやるといい。」


少尉の宣言を聞きながらアキコは私から視線を逸さず、拳銃を向けたまま、桜井少尉に言った。


「少尉。計画書通りに、岸谷に供述させる事は可能でしょうか?」


岸谷は女の子を背負ったまま、泣き笑いの顔で娘、美千代の名前を呼び続け、二人を囲んでいる自衛官達に蹴られ、倒れては立ち上がり、よろめきながら、その場をウロウロしていた。


女の子はただ、岸谷をお父さんと呼びながら、岸谷の背に必死にしがみ付き、小さな顔を埋めていた。


二人が狂気を発症し、既に危険な程、時間が経過している事は誰の目にも、はっきりしていた。


桜井少尉は岸谷の首から、充てていた日本刀を離すと命令した。


「この男はもはや単なる狂人だ。売国行為の物的証拠は押収済みである。ここで計画書6項を変更する。怨霊化する前に、二人共々この場で即時焼却せよ!」


二人を取り囲んでいた自衛官達がサッと離れ、待機していた火炎放射器隊が女の子を背負って立ち尽くす岸谷に、ノズルを向けた。


「待ちなさい!!」


私は叫んでいた。


周囲が一斉にこちらを振り返った。


アキコが憎しみに満ちた目で私を見ながら言った。


「おだまり!お前の処刑は私が直々に執行してやる。この後にね」


「あら。あなたに出来るかしら?私には火炎放射器も通用しないのよ」


私は命懸けで虚勢を張った。


「さあどうぞ。あなたの空手でもう一度、私に危害を加えてみれば?ただし、頑丈なロープを素手で引きちぎる私の握力で、今度はあなたの手足を握り潰してあげるから」


「なんだって…?」


憎悪に火を注がれ、激昂したアキコは一歩踏み出すと、拳銃の銃口を私の額に近づけ、撃鉄を上げた。


すると直ぐにキティが、私の危機を察し、隣にやって来た。


「おやめ下さい。松本アキコ様。警告します。由紀子様へ危害を加える場合、キティはあなた様に防犯措置を取らざる得ません。おやめ下さい」


キティはボディの横に取り付けられている2機の防犯レーザーの先端をアキコに向けていた。


私はキティの動きを信頼し、敢えて目の前のアキコを無視しながら、声を張り上げていた。


「桜井さん!岸谷さんと女の子を一緒に解放してあげて下さい!その代わり、私が日本新生会の人質になります!」


「何だと?」


桜井少尉が私に鋭い眼光を向けて来た。


「どうせ岸谷さんは狂い始めているんでしょう?あなた達の広報殺人の役に立たないじゃないですか。ですから、私が彼の代わりになると言ってるんです」


「松本、その女をここに連れて来い!」


桜井少尉の命令に、流石にアキコは不承不承に私の額から銃口を外すと、


「歩け!」と拳銃を振り合図をした。


私はアキコに連行され、桜井少尉の前に来た。自衛官達も私を取り囲み自動小銃を向けている。


「お前が岸谷の代わりにだと?」


桜井少尉は私をまじまじと見た。


「そうよ。岸谷さんが社長を務める加山建設は、私の叔父が会長を務めているのをご存じ?」


それを聞いた桜井少尉は言った。


「では、やはりお前は津島財閥の令嬢、津島由紀子なんだな?」


少尉の表情が険しさを増した。


「ご明察。ご存じでしょうが、加山建設は津島グループの系列下よ。あなた達は岸谷さんを売国奴と糾弾したけど、甘いわ。私の父、津島グループの総帥、津島耕作はそれこそあなた達、日本新生会の真の敵の一人よ」


桜井少尉は今度は私の首に日本刀の刃先を充てて来た。


「なるほど。娘のお前の口から罪状供述を聞ける訳だな」


「ええ。私の父が会長を務める津島ケミカルは、日本の食品産業会に於いて、ほぼ全ての化学調味料、食品添加物を製造しているわ。その中には海外では既に厳重に使用を禁止されている、人体に有害とされている品目も数え切れない程あるのよ。父はアメリカの製薬会社と密約を交わして、日本にその危険な添加物を使用する権利を金の力で買ったの。厚生省も買収してね。日本人の民族劣化を目的としている海外財団から莫大な資金提供も受けてよ」


私は挑発するように薄笑いを浮かべて続けた。


「この行為は本物の売国行為でしょう?父は、父の会社で作ったあらゆる食品を、娘の私を含め、決して身内に食べさせなかったわ。私はそう言う人間の一人娘よ。岸谷さんの代わりの値打ちは充分あるでしょう?如何かしら?」


「我々の情報網を甘くみるな。そんな事はとうに調査済みだ。我々はお前の父親、津島ケミカルの会長、津島耕作の誘拐も視野に入れていた。だが、娘のお前が自ら、敢えてこの岸谷などの身代わりを申し出るとは、どういう訳だ?」


「岸谷さんの為じゃないわ。岸谷さんにおぶさっているその小さな女の子が、焼かれるのを見たくないからよ。もう沢山よ。その子はもう岸谷さんから離れ無いわ。二人一緒に解放してあげて下さい」  


桜井少尉は岸谷と女の子を振り返った。


「このまま放置すれば、もうすぐ怨霊化するぞ」


「そしたら、その時、焼けばいいじゃないですか」


すると、少し前に桜井少尉に質問していた民間人の白髪の中年男が、割って入って来た。彼の後ろには、ほとんどの民間人達が並んでいた。


「すみません。話を伺っていて、事情はわかりました。生き残った僕達は、身体が不自由で長距離を歩けない人を除いて、皆でここを歩いて出ようと思います」


桜井少尉は黙って男を見た。


男は岸谷を見て言った。


「この人岸谷さんと言いましたね。この人と女の子は、僕達が一緒に連れて行きます。僕達が責任を持って預かります。

申し訳ないが、ガソリンと松明数本、それと少しで構わないから食料と水を分けて頂けますか?」


いかに大義名分があろうとも、テロリストとして恐れられている殺人集団と共に輸送ヘリに乗る決断をする者は、やはりほとんど居なかったのだ。


桜井少尉はしばらく考えている様子だったが、自衛官の一人に合図してガソリンタンクを持って来させた。


そして、自らガソリンタンクを持ち、岸谷と女の子に近づき、二人にドボドボとガソリンをかけた。


皆がアッ!と驚いたが、桜井少尉は白髪の男に向き直ると言った。


「いよいよ危なくなったら、すぐに焼却しろ」


言うと桜井少尉は、白髪の男に自衛官の持って来た松明を手渡した。


そして、向き直ると、


「これより作戦の陣形を変更する!輸送ヘリによる避難を希望した数名の民間人を残し、残りは全員解放する!この後、我々はここでヘリの到着を待つ。一同待機!怨霊襲撃の警戒を緩めるな!」


桜井少尉は自衛官達に号令を掛けた。


私は隣にいるキティに小声で命じた。


「キティ。あの女の子を見守って一緒について行ってあげて。あなたは民間人の人達と、ここを出てあなたのバッテリーの持つ限り、あの人達を助けて一緒に行くのよ」


キティは、ハサミを下ろし、アニメ声で答えた。


「由紀子さま…。かしこまりました。どうぞご無事で。キティは女の子と皆さんを、私のバッテリーが持つ限り付き添い、警護します」


「頼んだわよ。キティ」


民間人の一団は、岸谷と女の子を背中に乗せたキティを先頭に、暗闇の山間部を松明を手にし、彷徨える殉教者の集団のようにログヤードを後にして行った。

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