第二章 13話「キティ」
私の肉体を乗せ、レスキューロボが地上へ降り、駐車場へ避難して行くと同時に、
霊体である私も、彼女と私を繋ぐ光る糸の束の引力で、地上部の駐車場に降りていた。
燃え上がる研究所を前に臨みながら、
私達は少しの間、その火勢に圧倒されていた。全棟が火の海になるのは時間の問題だろう。
この火災を警察か消防署が見付けて駆けつけてくれる事を祈ったが、それは望みのない無駄な期待かもしれなかった。
表の門扉は開いたままになっている。駐車場にも車はない。岸谷達は既に車で脱出していたようだった。
「由紀子さま、ご無事でございますか?由紀子さま」
レスキューロボは、3階から救護し、地上に降ろした私の肉体に向かって、繰り返しアニメ声で呼びかけている。
アニメ声は子供を救出する時に使用するボイスモードだ。
嵐は自体は収まりつつあったが、雨の中で肉体の私は、地面の上に仁王立ちしていた。
彼女は微動だにせず、ひたすら目を瞑っている。
ここでまず、大きな問題がある。
そもそも、この「超自然」な状況をロボットに理解させられるのか?
途方もない困惑に目眩がした。
果たしてどうしたら「霊体」である私が機械のレスキューロボと話せるだろう?
レスキューロボは機体の底部のハッチから酸素マスクを出して、それをアームで掴み、立っている肉体の私の口に装着しようとしていた。
「由紀子さま。目を開けて下さい。酸素マスクをお口に付けて息をして下さい」
無茶とはわかっていたが、私はとにかく呼びかけてみた。
(レスキューロボ。聞こえる?返事して!)
すると、レスキューロボは、アニメ声での呼びかけを停止し、酸素マスクを掴んでいるアームが、急に固まったように動きを止めた。
10秒程経過した。
「由紀子さま?お声が変わりましたね」
(聞こえた!!!)
衝撃が来た。私は霊体の耳を疑った。本当に聞こえているのかしら?
「可聴域を遥かに超えた超音波帯域でお言葉をキャッチしております。由紀子さまはお口を動かしておりませんが、何処から発音なさっておられるのでしょうか?また、呼吸をなさっておられますか?すぐに息をして下さい」
レスキューロボは青く光る蟹の目のような複眼を動かして質問して来た。
霊体の私の声は超音波の帯域で発声しているのか。
考えてみたら、私は半分死んでいるのだ。今はただ起こる現象を受け入れるしかない。
(よかったわ。とりあえず呼吸は大丈夫と思う。助けてくれてありがとう。あなたを動かす電力がまだ、この研究所にあるとは思わなかったわ。話の伝わり方が普段と違っているけど、気にしないでね)
「かしこまりました。受信形態のバリエーションを追加します」
レスキューロボは続けた。
「清水氏が、管理AIをシャットダウンさせようとしていた事は、その行動から予測しておりました。よってその前に、管理AIは、清水氏に気づかれないよう、私レスキューロボットに、非常事に救護活動が可能な分の、最低限の充電をさせて置いたのです」
(さすがね。形は機械蟹のようでも、あなたは管理AIの分身なのね)
「その通りでございます。由紀子さま。残念ながら私の稼働可能時間は3時間足らずとなっております。今のうちに今回のこの火災の件も含めまして、由紀子さまに管理AIから受信した重要なメッセージをお伝えしておかなければなりません。お話ししてもよろしいですか?」
(何かしら)
レスキューロボは答えた。
「只今から9時間程前、数回に渡り、3階共用部から小型無線機による信号が発信されております。暗号化されている為、内容は不明ですが、発信源を探査した所、アキコ氏所有のハンドバックからとなっております」
(アキコの?ハンドバックに小型無線機が?)
「はい。発信されている信号の帯域が航空機が使用する特定のMHz帯である為、アキコ氏はヘリコプターやセスナ等に複数回、通信を試みていた可能性があります」
アキコが?なぜ…?
岸谷社長のおそらく愛人に過ぎないアキコが何故、航空機に無線連絡を…。しかも暗号まで使って。
「この度の非常事態について、アキコ氏は、外部から何かしらの情報を得て行動している可能性が高いと考えられます」
(彼女の身元はわかっているの?一体何者なの?)
「はい。ガードAIの認証記録によるとアキコ氏は、去年、都内で開催された産業EXPO2038で、加山建設のブースにてイベントコンパニオンを務めた都内在住の松本アキコという名前の29歳の女性です」
私は直感的に感じた。彼女は「何か」を知っている…!
こうなれば、アキコの後を追ってみるしかないかもしれない。
(レスキューロボ、あなたを何と呼べばいいかしら?名前はあるの?)
「私は型番RQー808、通称「キティ」とお呼び下さい」
(キティというの?声の通り可愛い名前ね。よろしくキティ)
「ありがとうございます由紀子さま」
キティはハサミのような二つのアームを下げ応えた。
キティの言葉を聞きながら、雨の中、キティの側で、駐車場でただ立ち尽くしている肉体の私の姿を、改めて眺め、私は考えていた。
肉体の私は、今のところ、説明の出来ない何か凄い力を有しているみたいだけど、彼女の無意識の動きなのか、なんだか半自律的に動きだしてしまう不安定さがある。
それでも、あくまでも私ではある。でも今は分離している。
私に私と呼びかけるのもいいが、どうせなら、
彼女、つまり不死身の肉体の私にも、とりあえず何かしらの呼び名(コードネーム)を付けてみようかしら。
アキコと岸谷の乗った車をこれから追跡しなければならない。
これはもはや「作戦」なのだ。
そうなれば、やはり肉体の私にも作戦用のコードネームは必須だ。
生と死の極限状態を抜けた私は、どこか開き直っていた。今度は自分を少しでも高揚させ、賦活させようと、スパイ映画の真似事のような、どうでもよいようなアイデアを出していた。
私はキティのAIに頼った。
(キティ、実はあなたの目の前に立っている私は、「肉体」で、今、あなたと話をしている私は「霊魂」なのよ。意味わかる?)
キティはしばらく固まっていた。返答に窮しているのだろう。
(つまり、あなたの前に立っているのはハードウェアで、あなたに語り掛けている私がソフトウェアなの。事故があって今は分離した形態をとっているの。深く考えなくてもいいわ。でも、とりあえず、ハードウェアの私にコードネームをつけてみて欲しいのよ。できる?)
「由紀子さまの現在の特殊な分離形態を、理解しました。ハードウェアの由紀子さまへのネーミングをご希望なのですね」
(そうよ。今から開始するアキコ追跡作戦用のコードネームを、あなたがハードウェアの私に付けてあげて)
「名前の由来を作成するご希望のプロンプトを入力して下さい」
(そうね…まあ、私は死んでいるとも言えるので、プロンプトは、
「死人」、それから「鈍い動き」と…、そうだ、凄い力を出すから「怪力」とか「不死身」とか…かっこいい名…)
私のプロンプトを聞き終わる前に、キティはハサミを上げ、自信ありげにネーミング候補を挙げて来た。
「由紀子さま。それでは「ゾンビ」という名前は如何でしょう」
(キティ。「ゾンビ」はイヤ。あんまりじゃない…。確かに見た目はそれっぽくなっちゃってるけど)
キティはまた、少し固まった後、第二の候補をプロンプトから挙げて来た。
「では由紀子さま。「ゴーレム」という名前は如何でしょうか?」
(ゴーレム?)
確か、ユダヤの伝説の怪力人形ね。まあ、「ゾンビ」よりはいいかなぁ…。
(いいわ。キティ。なんだか強そうだし。それでいいわ。私のハードウェアのコードネームは「ゴーレム」で行きましょう)
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