第一章 12話「戦争」


ベランダ窓のシャッターがザッ!と畳まれるように開くと、室内から強烈な光のシャワーが、私の魂の体、つまり「霊体」の両眼を射た。


岸谷たち3人は、ブレイクダウンした施設の予備電源の残量を見込んで、接客室に数台の発電機を持ち込んでいたらしく、


いくつかの発電機には、工事作業用の投光器が繋がれ、室内にいる彼らのシルエットを逆光の中で踊らせていた。


シャッターが開かれた後、ガラス窓が勢いよく開き、清水が嵐が吹き荒ぶベランダに出てきた。


私は咄嗟に如何すべきか判断しかね、ベランダに立ちつくしたまま、ただ、清水を眼前で見ていたが、


幸い、清水には「霊体」の私の姿は全く見えていないようだった。


「社長、二人とも死んでいます!」


嵐の中、清水は椅子の上で、雨と強風にさらされ、だらんとしている私の仮死体と、ベランダ床に転がっている塚田医師の遺体を調べ、室内にいる岸谷に叫んだ。


「よぉし。構わん!そのまま放っておけ、清水!中に入れ!早く窓を閉めろ!」


猟銃を片手に岸谷が叫んだ。


逃げるように清水が再び室内に入り、ベランダのガラス窓が閉められた時だった。


「あなたぁ…」


声は、闇の中で、ギラギラした投光器のスポットライトがだけが眩しい接客室のどこかから聞こえた。


「あなた…苦しいわ…」


虚な寂しげな女の声だった。アキコの声ではない。


「パパ!」


アキコの短い悲鳴が聞こえ、岸谷が叫んだ。


「清水!レーザー銃のバッテリーが切れたぞ!予備はどこだ!」


「社長!僕がやります!」


清水が飛びつくように、ソファの上にあったリチウムバッテリー掴むと、

、プラスチック製の円盤状の機器に、細い銃身とスイッチを取り付けただけの、レーザー銃と思われるに装置にセットした。


おそらく、共用部の天井にあった防犯用の熱レーザー銃を、清水が取り外し、急場の改造をしたものだろう。


清水は、そのオモチャのような見た目の熱レーザー銃を、突きつけるようにアキコに渡すと、


血走った眼で怯えるように、部屋の四方や天井を睨みながら、オートマティックの拳銃を両手で構えていた。


霊体になっている私はベランダの窓をすり抜けて、彼ら3人のいる室内に侵入していた。


彼らには今の私の姿は見えていない。


存在の「帯域」のようなものが違うのか、幸い今のところ怨霊にも私の姿は感知されていないようだった。


しかし、見ると部屋の壁や、天井には無数の黒い焼けたような後があった。怨霊の襲撃に対抗し、熱レーザー銃を乱射した痕跡だった。


私がベランダで怨霊に取り殺されそうになっている間に、完全防音されたこの部屋の中では、すでに激しい死闘が展開していたのだ。


今や、彼らが室内に籠城している意味はなかった。


怨霊はついに、壁や床、天井を擦り抜けて部屋に侵入し、3人を発狂させ取り殺そうとしているのだ。


アキコの悲鳴が聞こえた。


床から白い手が、すうっと生えてきた。


「あなた〜〜こっちぃ〜〜よぉ〜〜」


白い手はゆっくりと手招きをしている。


「おだまり〜!!」


絶叫したアキコが、床から襲って来た白い手に向けて、レーザー銃を乱射した。


しかし、熱レーザーの赤い光の束は、怨霊の手をほとんど焼かずにすり抜けていく。


もう熱レーザー攻撃では、怨霊を撃退できなくなって来ていた。


いや、物理的な攻撃自体が、既になんの効果も現さなくなって来ているのでは……!


「おのれ、妖怪!!!」


岸谷が何もいないシャンデリアに向かって猟銃を発砲した。


シャンデリアは爆発したように砕け散り、破片の雨がカーペットの上に振った。


岸谷はそのまま、ソファの前に行くと、ガラステーブル上にぶち撒けられているコカインを指に付け、口に含むと、


「弾はまだまだあるんだ。いくらでも相手になってやるからな。」


再び、今度はベランダの窓に向けて猟銃を発砲した。


窓は砕け散り、部屋に嵐が入り込んで来る。


私は一瞬、ベランダで椅子に縛られている私の肉体にあたったのか?!と肝を冷やしたが体は無傷のようだった。


「アーハ!ハハハハ」


岸谷は子供の様な歓声をあげ、走ってオーディオセットの前に行くと、猟銃片手に一枚のレコードを取り上げ、ターンテーブルにセットした。


途端に、スピーカーから猟銃の発砲音にも負けない凄まじいボリュームで、ワグナーの「ワルキューレの騎行」が流れて来た。


岸谷はクルリと振り向くと、ワグナーの流れるオーディオセットの前で、オーケストラの指揮者のような格好をし、猟銃を指揮棒のように振りながら、目を閉じ、独り恍惚とした表情を浮かべていた。


「パパー!しっかりして!!」


アキコが岸谷の側に駆けつけると同時に、ドン!ドン!ドン!と、玄関口から拳銃を発砲する音がした。


「社長!アキコさん!こっちに来てぇ!こっちから入って来てるよぉ!」


清水が老婆のような怨霊に背中から抱きつかれ、誰も立っていない玄関に拳銃を乱射しているのだ。


「イーヒヒヒヒ!僕はやるしかないんだ!や、やってやるぅ!!!」


カチャッ!カチャッ!と弾が切れても玄関に向け、ひたすら引き金を引き続けていた清水にアキコが叫んだ。


「清水くん!やられてるよ!後ろだよ!」


言うとアキコは、清水に向け、後ろから右肩を掠めるようにレーザー銃を撃った。


「アチッ、!!!」


清水は拳銃を放り投げ、玄関にもんどり打ち、熱レーザーの激痛にうずくまった。


しかしその痛みで、正気に戻ったようだった。


アキコは清水から離れた白髪の老婆の怨霊に向けて再びレーザー銃を打った。


だが、ジュッと、微かに何かが焼けるだけで、一瞬消えかけた老婆の怨霊は、再び、ボウッとその姿を現すのだった。


それは凄まじい狂気の闘いだった。


3人は既に追い詰められ、気が触れかけていたのだ。


「ここを脱出する!」


岸谷は叫ぶと、

ソファの下にあったアタッシュケースを掴み、アキコと共に玄関に向かう。


「清水!ガソリン持って来い!」


清水は、右肩を押さえながら、必死の形相で立ち上がり、部屋の端に積んであったガソリンのポリタンクを運んで来た。


「部屋の真ん中に置け!怨霊を一箇所に集めて焼き殺してやる!!」


「どうやって、誘き寄せるの?」


ハンドバッグを抱えて脱出の準備をしながら、切迫したアキコが言う。


「清水!お前がガソリンタンクの前で怨霊どもを挑発しろ!奴らがそこに集まって来たら、俺が猟銃でタンクを撃つ!撃つ前に俺が合図するから、お前はその合図で玄関まで逃げてこい!」


「そんなぁ〜!映画じゃあるまいし、社長!無茶ですよ!」


清水は懇願した。


「バカモン!貴様男だろう!この闘いに勝てば、お前を史上最年少の、我が社の重役にしてやる!」


岸谷は既に猟銃を構え、ガソリンタンクに狙いを定めていた。


「俺を信じろ!!やるんだ!!」


清水は、半ば捨て鉢な表情で、部屋の中央に置かれた赤いポリタンクの前に行き、叫んだ。


「ホラァ!来いよ!来てみろよ!!化け物ども!!」


清水は叫び、笑いながら、派手にポリタンクを蹴って怨霊の注意を集めようとしていた。


すると、天井から意外な速さで、血だらけの女の上半身が、スルリと、垂れ下がって来た。


天井から逆さ吊りで出現した女の怨霊は、両眼から血の涙を流し、髪を振り乱して頭上から、清水に覆い被さるように襲いかかって来た。


「ウヒャーー!!」


清水は奇声を上げながら倒れ込み、

怨霊を引き剥がそうと、シャンデリアのガラスの破片が散乱するカーペットの上で、ゲラゲラと笑いながら七転八倒していた。


女の怨霊に抱きつかれながも、異様な形相で清水は立ち上がると、ポリタンクのある場所から離れ、玄関先まで逃げようと足を踏み出した。


しかし、床からも、別の白い手が現れ、清水の右足首を掴んでいた。


「助けて…社長…」


清水の両眼から血が流れて来た。


「彼はもう狂ってる。役に立たないわ。パパ、撃って」


アキコが何の感情も籠らない声で言った。


「これが合図だ。清水君」


岸谷は、これを計算していたかのように、猟銃でポリタンクを撃った。


室内の中央で爆発したガソリンは、一瞬で室内を火の海にした。


猟銃とアタッシュケースを持った岸谷とアキコは、爆発で迫る炎から玄関の扉を急いで閉めると、廊下へと逃げていった。


天井まで舐めるように炎の柱が巻き起こる室内で、


火だるまになり、踊り狂う、清水の凄まじい絶叫が響き渡った。


人間松明になった清水は、よろめきながら、ベランダ窓のカーテンにしがみつき、更にその身を燃え上がらせると、ベランダに転がり出て、横たわる塚田の遺体の上に覆い被さるようにドッと倒れ込んで来た。


あまりの凄惨さに私は呆然としかけたが、すぐ我に返った。


(私の肉体が危ない!)


このままでは文字通り火葬になってしまう!


岸谷達の狙い通り、炎による浄化がなされたのか、怨霊達の姿は消えていた。しかし、既に室内は業火が荒れ狂い、ベランダの窓から有毒ガスを含んだ死の黒煙が噴き出していた。


ベランダに踊り狂い飛び出していた、清水の黒焦げの焼死体は、燃えながら下にいる塚田の遺体も焼き、さらに側で椅子にテープで拘束されている私の肉体をも、その呪いの火葬の道連れにしようと、火の手を伸ばして来た。


私は祈っていた。


何者かはわからないが、私のこの世での最後の祈りを聞き届けたまえ…!


(私の肉体を護って下さい!)


しかし、祈りは虚しく、炎は私を縛っていた椅子を焼き始め、足元から舐めるように伝わりながら、雨で濡れていた私の服と髪に引火しつつあった。


肉体の死を覚悟した最後の瞬間、業火の中で私は、まさに自分自身に向かって「全霊」で命じていた。


(立ちなさい!!立ち上がるのよーーーーーーーーーーーーー!!)


その時だった。


炎が引火しつつあった私の肉体の周囲で、「ボンッ!!」と何かが弾けるような音がした。


そして、肉体の私は動いていた。


項垂れていた彼女は、棺桶から起き上がる死人のように、ゆっくりと顔を上げると、椅子の脚に拘束していたビニールテープを、その両足の凄まじい力で引きちぎった。


そして立ち上がった彼女は、まるで塑像のように目を瞑ったまま襲い掛かる業火の中で立っていた。


私は私の「霊体」の目を疑った。


彼女、つまり魂が入っていない私の「肉体」である彼女は、何故か灼熱の火炎の影響を全く受けていないのだ!


既に、数百度を超える超高温地獄の業火に囲まれながら彼女は、目を瞑り、仏像のような表情で立っている。


まるで彼女の身体の周囲が、切り取られた別の空間でもあるかのように、彼女の身体は疎か、髪、衣服でさえも、その業火の影響の外にあった。


(これは一体…?)


ガソリンの爆発で引火した室内からの火勢はいよいよ凄まじさを増し、僅かな時間の間に、3階ベランダから吹上げ出した炎は、屋上にまで昇り始めようとしている。


足元で脂がはじけるような音がする。


燃え上がる、清水、塚田の遺体と共に、霊体の私と、不死身の肉体の私は、ベランダで完全に業火に包まれていた。


だが、その時、さらに異変は起きた。


まただ!


また、あの感覚だ。


あらゆる事象が既に並べられていて、その上を閲覧させられているような異質な感覚。


そこにまた入っている。


困惑しながら、私は何も出来ないと悟った。


諦め、ふと、無心になろうと、目の前にいる肉体の私と同じように目を瞑ってみた。


衝撃が内側からやって来た。


いままで見たことも無い、美しく、壮大な幾何学模様のようなものが見える。


私は時間が並列に並び、それらをテーブルの上で眺めているような認識の中で、1秒の10万分の一の瞬間に触れ、知った。


何かのシステムを理解したのだ。


それは折り重なった複数の立体映像のように、私の心に重なるように開示された。


私と彼女は死んでいない。


塚田が言っていたように、私と彼女は特殊な状態にいた。体と魂が別れていても、相互に繋がっていたのだ。


それはおそらく、生きている人間の目には見えない、いくつかの光り輝く糸のようなもので互いに接続されていた。


その束になっている輝く糸は、主に私の胸の中央から、彼女の頭頂部に接続されている。


今、霊と体に別れたこの特殊な状態にいる私達の「繋がり」を受け入れ、互いに協力しあって、生き残りの突破口に進む以外に道はない。


私は肉体の彼女をいまだ生かし続けている、命の「源泉」に心を込むてお願いした。


(脱出しましょう!)


肉体の私は立ち上がった。


彼女は立ち上がり、なんということか、眼を瞑ったまま、ゆっくりとベランダの手摺によじ登り始めた。


無意識の動きなのか?


それはまるで、何か見えない力によって墓場から蘇り、命令のままに動きだした生ける死体のような動きだった。


しかし、私はフッと思った。まさか彼女はここから飛び降りる気では?


私の不安は的中し、肉体の彼女は、やはり眼を瞑ったまま3階ベランダの手摺りの上から飛び降りようとしていた。


(待って!!お願い!)


その時だった、嵐の中、突然、研究所の一階の駐車フロア辺りからシャッターを蹴破り、引き裂くような激しい金属音が響き渡った。岸谷達の車の音ではない。


かろうじて、動きを止めてくれた彼女と私は、その耳障りな音を聴くとすぐ、さらに何かが一階から三階へと、建物の側面を伝って、凄いスピードで這い上がってくる機械のような音を聞いていた。


ブーンという音と共に、ベランダの手摺りから何かが急に姿を現した。


それは横幅4メートル程の巨大な白い蟹のような機械だった。


白い蟹の機械は、ベランダの手摺りに複数の触手のようなものを絡ませて、信じられないようなスピードで、一階作業車の車庫フロアのシャッターをぶち破り、ここまで登って来ていた。


ウネウネと動く、蜘蛛を思わせる複数の足に、無数の吸着パイルが付いている。


また、その平べったいボディの端部に付いている昆虫の複眼のように見える二つの部分は、青く光っていた。


巨大な機械の「蟹」は、ベランダの手摺りに立ちながら、目を瞑っている肉体の私の前に迫って来た。


「由紀子さま!どうぞこちらにお移り下さいませ」


と、ビットが荒く、質の悪い合成された女性の音声合成音だが、アニメの中に登場する可愛い少女のようなボイスキャラクターで呼びかけて来た。


私はその機械が何かを思い出した。この白い機械の蟹は、災害救護用レスキューロボットなのだ。


レスキューロボットは、私の肉体の周りを複数の触手で囲み、卵を護る母蟹のように背中に抱えると、3階から滑るように壁伝いで地上に降りていた。


ロボットというより、もはや生き物に近いか、それ以上の動きでレスキューロボットは動いていた。


それは最新のロボット技術と、AIによる生命体の模倣技術の融合によって生み出された、機械を超えた動きを持ったものだった。


元は軍事用に開発された、このクラスの最先端ロボットは、桁はずれに高額であるが故に、民間市場には、まだ限られた形でしか投入されていない。


この研究所の設備で、叔父が最も資金をかけたのはこのレスキューロボだったのだ。

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