第一章 9話「謝罪」


「どなた?」


「私です。由紀子様。加山建設の清水でございます」


聞き覚えのある声がした。


「医務室」のドアをおそるおそる開けると、昨晩から3階の「接客室」に岸谷らと立て籠っている筈の清水が立っていた。


清水は直立不動の姿勢で廊下に立っていて、玄関から顔を出した私を見るなり、


「申し訳ありませんでした!由紀子様」


体が折れ曲がったように頭を下げて来た。


「どうしたんですか?何故私の身元がわかったの?」


私は廊下に頭を付けんばかりに折れた姿勢の清水に、半ば呆れながら訊いてみた。


清水は直立の低姿勢のまま答えた。


「はい。実は大変申し上げ難いのですが、あの後、真に勝手ながら接客室のPCから表玄関のガードAIの入場認識記録を、調べさせていただきました。それで貴女様のお身元を知ったのです」


「管理AIが、64条で私の身元が明らかにするのをブロックしていた筈だけど…?」


「はい。社長の命令で、おそれながら管理AIの監視システムを無効化する非常用のリセットコードを使用させていただきました」


「今、管理AIは機能しているの?何の反応もないようだけど」


清水は下から伺うように私を見ると、


「は。非常コードを使用した為、一時的にですが、管理AIはシャットダウンし、施設保持機能を停止するようになっております」


「いつ再起動するの?」


「18台のPCに、OSそのものを別々に再インストールせざるおえない為、再起動させるには7時間以上かかります。アレは複数のAI回路から構成されている少し前のタイプなんです」


技術的な事はよくわからないが、再起動に7時間以上もかかるのでは、非常予備電源が無くなる前に、復旧できない。


管理AIが熱レーザー銃で、あの「幽霊」から護ってくれる事はもうない。


「ここの非常予備電源が後数時間しか持たない事も存じております」


清水は言った。そして


突然、清水は悲痛な表情で顔を上げ、思い詰めたテレビドラマの俳優のように私の瞳を見つめた。


ここで、この彼のような草食男子がお好きな女子なら、もしかしてドキドキするのかな?と、私はくだらない事を考えていた。


ちなみに私自身は、彼のような男子には全く性的な魅力を感じない女のようだ。


清水は言う。


「この度のお嬢様への非礼を社長は深く恥じておりまして…」


「非礼…?あれは暴力ですわ」


私は少し笑った。


「重ね重ね申し訳ござません。岸谷社長が、貴女に心からお詫び申し上げたい、すぐに接客室にお連れなさいとの事なのです。私と一緒に来ていただけますか?」


まるでお殿様の使いの若侍のような真摯な訴えだった。


どのみちこのままでは、解決の糸口が掴めない。知らなければならない事がたくさんある。そして、一刻も早く外に連絡を取らなければならない。


「わかりました。岸谷さんに会いましょう」


「ありがとうございます!由紀子様」


「貴方達にはいろいろ聞きたい事があります。別荘地で何があったのかを」


「はい。もちろんそれも含めて全てお話しします。私と一緒に上へ来て下さい」


私たちは医務室を出た。


外の異常気象(?)のせいもあり当然

、施設の共用部は、やはり夜のように暗かった。


施設の非常電源はあと5時間程度しか持たない。切れれば照明はハンディライトのようなものを使うしかない。


先を急ぐようにして清水は廊下を進む。私は後に続きながら、思いつきで清水に尋ねた。


「貴方は空の様子を見ました?」


「はい」


「あれはどうしたのかしら?何故あんなに暗いの?」


「わかりません。ただ、昼間の空があんな状態になっているのは今日で2日目です」


「あなた達はK別荘地からここに来たの?」


「はい。社長からお声をかけていただいた、私を含む社の若手幹部5人が、社長の所有なさっているペンションに泊まりに来ていました。社長と…お連れのアキコさんは、別にお二人で社長のお持ちの他の別荘にお泊まりになられておられました」


「岸谷さんは社の若手幹部の懇親会と、プライベートの遊びを一緒になさっていたのね。無論、奥様には内緒で。ペンションに泊まられていた清水さん以外の幹部の方達はどうなさったの?」


私がそこまて尋ねると清水は足を止め悲痛な表情で私を見た。


「死にました」


「死んだ?」


「はい。ペンションに招かれた私以外の4人全員が死にました。彼らだけじゃなく、ペンションの管理人ご夫婦、

キャンプ場に来ていたたくさんの家族連れ、いえ、K別荘地全域で、おそらくとんでもない数の人達が死んでいます」


「何ですって?」


「中でお話しします」


接客室の前に来て、清水は認証を浸ませると、扉を開け、私に会釈すると入室を促した。


「接客室」は相変わらず良い香りがした。超高級オーディオからシューベルトのピアノソナタ、イ短調16番が静かに流れている。


私は厚手のカーペットの上を裸足で進み、部屋の中央に進んだ。


部屋の中央のソファに岸谷は座っていた。


岸谷は私を見ると、微笑み、手にしているブランデーグラスをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。


「これは、これは、お嬢様。よくぞお越し下さいました」


その振る舞いは昨夜とは別人のように、温厚で紳士然としたものだった。


「ご無事で何よりです。昨夜の件について、まず貴女にお詫びを申し上げなくては…」


岸谷は私の目を見る事なく、大仰に会釈をして見せた。


「私がここに来たのは貴方の謝罪などを聞く為ではありません。K別荘地や、他の場所で今何が起きているのかを知り、ただちに外へ連絡する方法を探す為です」


「承知いたしたしておりますとも」


岸谷は頷きながら、満面の笑みを浮かべ、私にソファに座るように勧めた。

しかし、角張った金縁眼鏡の奥に光るその目は決して笑ってはいなかった。


私はソファに腰を下ろし、アールヌーボーのガラステーブルを挟んで岸谷と向かい合った。


「お飲みものは如何ですか?」


「結構です」


私は切り出した。


「岸谷さん、車出せます?ここから本線に出て、街へ大至急行きたいのです」


「もう少しお待ちください。今は動かない方が安全です。ところで、お嬢様のそのお怪我は、どうなさったのです?やはり、襲われたのですか?」


「私はバイパス道で交通事故に遭いました。私の連れは…」


そこまで言いかけて、私は絶句した。


部屋の壁側のカーペットの上に医師の塚田が倒れているのだ。


それだけではなく、倒れている塚田医師は、ビニール製のガムテープのようなもので手足を拘束されていた。


「どうしたんですか!!」


私は立ち上がり、塚田の元に駆け寄った。


塚田は頭から血を流している。私の呼びかけに、微かに反応を示すが、すでに意識を失い欠け、虫の息だった。


「これは?一体どういう事!!」


私は岸谷を見た。


岸谷はソファに座ったまま、グラスをゆっくりと口に運び、おどけた表情で私を見ると言った。


「いえいえ、大した事じゃないんですよ。塚田君は昨夜、あの後、貴女をこの部屋に入れて助けなさい、そうしなければ、私のインスリンのアンプルを全部割るぞ!と、騒ぎだしてね」


岸谷はそこまで言うと、玄関の方に視線を向けた。


清水が静かに玄関口を塞ぐように立った。


「あの状況でパニックを起こされては私達も迷惑するので、私が猟銃の銃床で彼の頭を4、5回殴打しましてね。

そしたら、すぐに大人しくなったのでまた暴れ出さないよう、ついでに拘束しておいたんですよ」


「ねぇ、パパ」


ソファに寛ぐように座っている岸谷の後にアキコが来た。


そして身を屈め、岸谷の持っていたグラスを取り、口を付けて言う。


「そのお医者さん死んだらベランダから外に放り出してくれる?お部屋に悪臭がしたらイヤ」


「あ、あなた達、何を言ってるの?…」


まともな人間の会話とは思えなかった。


「おい。清水」


岸谷は玄関口の前に立っている清水を呼んだ。


清水は軽やかな身のこなしで、私の前に来た。


やって来た清水のその顔は、先程まで私に見せていた沈鬱で思い詰めた好青年の表情とは全く別のものに変わっていた。


口元には薄笑いを浮かべ、その目はこの男の中に秘めていた悪意と、隠れていた残虐性が顔を覗かせようと、内側から暗く燃え始めていた。


「清水さん…?」


「さ、お嬢様。立って下さい」


清水は塚田の側に座っていた私に近寄ると、立ったまま背広の胸のポケットに手をいれた。


「それってどういう意味?」


「社長のコレクションの一つですよ。僕に譲渡して下さいました。自由に使って良いそうです」


清水は私に拳銃を向けていた。


私は目の前の清水と顔を合わせないように立ち上がり、岸谷に訊いた。


「なんの真似なのかしら?せめて説明して下さる?」


笑いながら岸谷が清水の隣りにやって来た。

アキコが腕に抱きついている。


「建設会社もデカい所は、どこも裏稼業と付き合いがあるものなんですよ。そんなものは珍しくもなんでもない。

金さえ積めばいくらでも手に入る」


「それで?」


「昨夜のお嬢様への数々の非礼の件、ウチの会長、つまり貴女の叔父様に知れたら私は終わりです。それは理解出来ますね?」


私は黙っていた。


そこまで言うと、岸谷はアキコを連れて窓辺に行き、暗い空を眺めて言う。


「お分かりでしょうが、つまりお嬢様にはここで、死んで貰う事になります。なぁに、心配しないで下さい。この非常事態だ。貴女一人が死んでも社会的には大した問題にならない。津島家だけの損失で済む話です。安いものだ」


岸谷は笑い、続けた。


「いずれこの異常事態が収束し、社会機構が復活した場合でも、この処置によって、私は今の立場を保持できますから。我が社にとってもこれがベストな選択なんですよ。わかりますね?」


「なるほど。ご立派な勘定ですこと」


なんという事…。私はこのサイコパスのような人達にこんな場所で殺されるというのか…。


私は時間稼ぎをしようと考え、同時にそれが例え無謀な策でも、反撃できるような武器が室内にないか、それとなく視線を走らせてみた。


見ると、塚田が倒れているすぐ真上の壁に2刀の西洋サーベルが飾ってあるのが目に入った。この部屋の趣味から考えるとあれは模造品ではないかもしれない。


しかし、眼前の清水に拳銃を突き付けられている今の私から、その距離はあまりに遠く、絶望的なものだった。


「非常事態って…その事について教えて下さる?外で何が起きているの?」


岸谷は振り向き、少しの間、私の顔を無表情に見つめると、何かを思い出したように言った。


「人が狂って殺し合いを始めたんですよ。なんの前触れもありませんでした」


「狂って殺し合い?」


岸谷は微笑みながら頷いた。


「そう。そして、狂って死んだ人間が、怨霊のようになった」


「怨霊?」


「今にわかる。清水、用意しろ」


急に声色を固いものに変えると、岸谷は顎を上げ清水に命じた。


「はい。社長」


頷くと清水は拳銃を私に向けたまま、片手で部屋の端にある椅子を掴み、私の前に持って来た。


「お掛けになって下さい。お嬢様」


清水は慇懃無礼にそう言うと、アキコに目配せをした。アキコは楽しそうにテーブルの下にあったガムテープを持って来た。


「さあ、椅子に座って。抵抗すれば、すぐ射殺するからね」


清水は急に、聞き分けのない子供に言い聞かせるかのような、苛立ちの混じり始めた口調で私に命じてきた。


管理AIがこの様子をモニターしていたならば、何らかの防犯処置を施していただろう。しかし、管理AIは清水によって予備電源が切れる前に、意図的にシャットダウンさせられている。


「5秒以内に座らないと撃つよ。社長の許可は受けているんですからね」

清水は明らかに態度を変えてきた。


それが彼の本質なのか、その口調は、ほとんど女子のようだった。


今や額に銃口を突き付けられ、やもなく私は椅子に座った。


私が椅子に座ると、アキコがビニールのガムテープで、私の手を後ろ手にしてから、椅子越しに手首をグルグル巻きにし、その後両足を開かせ、それぞれの足を椅子の足にテープで巻き付けて縛るように固定した。


「お嬢様にアルバイトをしていただきます」


岸谷は拘束された私の姿を、悦に入ったように眺めながら言った。


「なんのアルバイトかしら…雑誌の表紙モデルにしては変わったご趣味ですこと」


私は精一杯虚勢を張って、わざと軽口をたたいた。


岸谷はアキコと顔を見合わせ笑うと、


「なるほど、お顔は血だらけ、髪はバサバサ、服も血と泥でよごれてホームレスのようにボロボロだ。だが、お嬢様は、こうしてよく見るとなかなかの美人だ。育ちの良さが佇まいに現れている。これを品性というのかね」


「ねぇ、パパ。この女にアレ使っていい?」


アキコが嬉々として岸谷に縋りついた。


「もったいないですよ社長」


清水が戸惑うように異議を唱える。


岸谷は口をへの字に曲げ、何事か考えていたが、


「よかろう。面白いじゃないか。やってみろ」

そう言うと、岸谷はシューベルトのピアノが流れるオーディオセットの方に行き、スピーカーの上に置いてある装飾されたアンティーク調の小箱を持って来た。


「使い過ぎるなよ」


岸谷はアキコにその小箱を渡すと、

アキコはソファの前にあったガラスのテーブルを、私が拘束されている椅子の前に持って来た。


アキコはガラステーブルの上に小箱を置くと、箱からスティック状に固まった白いものを取り出し、ガラステーブルの上に置くと、そのスティックをカミソリの歯のようなもので忙しく丹念に刻みだした。


それはコカインだった。


刻み終わると、満足げな表情でアキコは私の椅子の前に立ち、急に表情を変えると、突如、私の頬に張り手を往復で喰らわせて来た。


それは手加減というものが、一切ない苛烈な往復張り手だった。


あまりの痛みに、涙が自動的に流れて来た。私は嗚咽が込み上げて来そうになるのを堪え、アキコの顔を見た。


「清水くん。頭押さえて」


アキコに命じられ清水は、わざと乱暴に私の髪を掴み、頭を少し上に向けて押さえた。


アキコはテーブルの上で刻まれた白い粉を、小箱から取り出したストローの先に詰めると、あらためて私の前に来た。


「暴れるとまたぶつわよ」


言うと、いきなりアキコは私の右の鼻の穴に、ストローを強引に深く差し込むと、まるで吹き矢でも吹くように、ブッ!と強く息を吹き込んだ。


「…!!」


途端に、鼻腔の奥に焼けるような激痛が走り、私が思わず咽せ込みそうになると、


「暴れるなって言ったわよね?」


即座にアキコは、両頬を握りつぶす勢いで私の口を押さえ、手を離すとまたあの手加減の全くない、鞭のように強烈な往復張り手を喰らわせて来た。


私は鼻血を出して、うなだれ、腫れ上がった頬に、悔し涙が伝って行くのを感じていた。

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