第一章 5話「Alone in the Night」
私は管理AIから一通り施設内の設備の説明を受け、2階の共用部から医療セットと救急箱を取り、その後エレベーターで3階の「接客室」に向かった。
充電テーブルの上に載せたスマートフォンのバッテリーはすぐに100%になっていたが、相変わらずアンテナは「圏外」のままだった。
時刻は午前1時を過ぎていた。
ここがオフライン状態、加えてあらゆる通信媒体が機能しない以上、外部と連絡できる手段はない。数キロ離れた山道に元婚約者の遺体が放置されているのを知りながら、今の私にはどうしようもなかった。
回線の復旧を待つか、一時的にでもここで休息を取って、次の行動を考えるか?既に思考が纏まらなくなっていた。
私はもう立っているのもやっとだったのだ。
「開けなさい」
力ない私の声で「接客室」のドアは開いた。
中に入ると静かにシャンデリアが点灯し、厚手のカーペットが敷かれた40畳程の洋室を照らした。
部屋はとても良い香りがした。
私は部屋の中央にあった大きな革のソファーにゆっくりもたれ、ため息と同時に、また不謹慎にも、笑いが込み上げてくるのを感じていた。
「接客室」
それは贅の限りを尽くしたプライベートホテルだった。
壁の左右にはいくつかの世界的な名画が飾ってある。おそらくはイミテーションではないだろう。
また、中央ソファーの向かいにはレコードラックと並んで、旧世代のアナログヴィンテージ志向な高級オーディオ機器が積み上げられた城のようにひしめいていた。
しかし、その手前に、「手で触る事が出来る映像」が触れ込みである最先端の「感触型ホログラムディスプレイ」が鎮座している。
そして壁側にある大理石で出来たサイドボードの中に、芸術作品のようなグラスの数々、最上級の洋酒のボトル達がおしなべて並んでいた。
それは、
簡素な設備が、もうしわけ程度に置いてあった一階の「研究室」とは、全く別の世界だった。
叔父は、県会議員を手玉に取り、貴重な県の血税を使わせ、社の上層部と議員達だけが談合に利用できるこのような「遊び場」を作っていたのだ。
私はそんな事を考えながら、ソファーの上で血だらけの服を脱ぎ、痛みに耐えながら慎重に傷の手当てを始めた。
傷口を消毒し、ガーゼを充てたが出血はあまり止まらず、ガーゼはすぐに真っ赤に染まった。
丸一日以上、水以外口にしていなかっが、緊張のせいか空腹感はなかった。
備え付けの冷蔵庫には、ワインボトル、生ハムやキャビア、フォアグラ、チーズ等が入っていたが、私は、冷えていた栄養ドリンクを飲み、冷凍庫に入っていたメロンシャーベットを少しだけ食べた。
僅かでも休息をとらなければ…。
私は管理AIに3時間後に起こしてくれるように頼むと、部屋を消灯し、そのままソファーの上で意識を失っていた。
でも、深い疲労とショック、そして徐々に増して来た全身の傷の痛みで逆に眠りは浅く、睡眠に入っても、すぐ目覚めてしまう。
しかし、その真の原因は英一郎のあの無罪な遺体を見た精神的ショックと身体の痛みではなかった。
それは、山道を独り歩いていた時から、ずっと意識の羞につきまとって来た「あの声」だった。
眠りに落ちると何処からか、あの不気味なうめき声が聞こえてくるような気がしてならない。
しかもその静かに忍びよるような気持ち悪さは、時間の経過と共に徐々に、私の心を蝕み始めていた。
一体どうしたんだろう…。
私はもしかして、あの事故で…。
(…少しおかしくなってしまったのかしら…)
その時だった。
防音されている筈の3階の窓側から微かに音がした。
地上からだ。
駐車場に誰かの車が勢い良く入って来る走行音がしている。
私は即座に立ち上がって、3階の窓を開け下を見た。
車は荒ぶるエンジン音を立てて乱暴に停車した。ヘッドライトが掃くように駐車場を照らすと、ドアが一斉に開き4人の人影がバラバラと降りて来た。
「ライトを消すんだ!」
一人が声を押し殺して叫んだ。
4人は全員で駆け込むように門扉の前に走って来た。
走って来た一人が、ガードAIの認証をしている。
加山建設の人間だろうか?
門扉はすぐに開き、4人は施設1階の研究室に入って来た。
私は「接客室」を出るとすぐにエレベーターで1階に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます