第一章 3話「水」
あれから私はさらに1時間以上山間部のこのバイパス道を歩いていた。
時刻は夜10時を過ぎている。
注意しながら、圏外から脱出したかどうか?の確認時だけ電源を入れていたスマートフォンのバッテリーは、僅か残り3%になっていた。
アンテナは未だ圏外になっている。
そして何より、私の疲労はとうに限界に達していたのだ。
事故の現場から約5kmの距離を、トータル2時間かけて、血まみれで歩いて来た。
学生時代にフェンシングで鍛え、基礎体力は平均的な同年代より充分充実していたつもりだった私は、その体力も事故の負傷と重なり、この2時間弱の裸足の徒歩で全て使い果たしていた。
別荘地へ直通している本線に出るには
もし、このまま一台の車も通らなければ、このペースでは明日の夜明け過ぎになってしまう。
一体何キロの距離を、後何時間、この血だらけの幽霊のような有り様で歩き続けなければならないのか?もう考えたくもなかった。
私はもはや路肩ではなく、道の真ん中に大の字に倒れ、ただ夜空を見ていた。
このまま、また意識を失ってしまいたいと願ったが、事故の興奮から分泌されたアドレナリンが切れ始めると同時に、復活して来た身体の痛みが、その種の休息さえも許してはくれなかった。
その時、月が隠れている雲った夜空を見上げながら、知覚だけは冴えていた私の耳が捉えた。
何処からか山水が流れる音がする。
水…
水だ!
水がのみたい…!
抑えていた喉の渇きが今にも爆発するように迫ってきた。
脱水症状を起こしかけていた私は最後の力を振り絞り、水音の方へ歩き出した。
水音が近くなると、道幅が僅かに拡がり、丁度ナトリウム灯の柱からそう遠くない林の窪みに、山の上から崖にそって敷いてあるパイプの中を流れてくる小さな岩清水の採水場があった。
古いトタンの屋根の櫓(やぐら)の下に、手動の組み上げポンプがついている。
私は蛇などがいないか、落ちていた枝をひろい、それで草や枝を払いながら裸足で藪の中の小さな採水場に入った。
私は何も考えず、すばやくポンプに口を付け水をゆっくり少しずつ、でもたっぷり充分に水を飲んだ。
ようやく、人心地が付き、また道路に仰向けになって少し休んだ後、ポンプから出る水で顔の血を慎重に洗いながら、私はある事を思い出していた。
水…。
(水といえば、このバイパス道沿いには…。確か、私の父の会社「津島ケミカル」の系列下にある「加山建設」の「水質研究所」があった筈…!)
その話題は英一郎とも、つい昨日、この道に入る時、なにげなく触れた記憶があったのだ。
5年程前に県からの受託で、山頂から市内に流れる地下水の水質調査の名目で建てられた研究所の一つだが、あからさまな過剰な資金投入で話題(問題)になり、加山建設と県との癒着が疑われた、法的にも際どい部類の、曰く付きの施設だった。
私は噂されていたその施設に興味すらなかったが、加山建設の会長は私の父の実弟であり、私にとっては幼い頃からよく知っている叔父であった。
事故を起こした現場から私の歩いた距離から考えて、加山建設の「水質研究所」はもうこの辺りにある筈。
県会議員をそそのかし、湯水のような税金を使い建てた、叔父さまの「所有資産」に助けて貰おうかしら…。
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