セスティームの町

新たな家へ

 森は穏やかだった。茂る隙間から暖かい光が漏れ、普段より明るい。そのせいでか魔物は鳴りを潜め、代わりに動物の鳴き声がささやかながらにも聴こえてくる。重なり合って調和していて美しく、まるで母の出立を祝っているようだった。


 そんな森を見ている私は穏やかに見えて違った。ぽっかりと心に穴が空いたように、思考が働かない。

 母がいない。事前にそのことが分かっていたとしても、寂しさや不安がなくなることはなかった。


「うじうじしてないで、さっさと準備をするよ!」


 しんみりとした空気をぶち壊すのはスノエおばあちゃんだ。側にはリューがいる。


「……スノエおばあちゃん、いつの間に来たの?」

「そんなもの、ついさっきに決まっているさ。何回も何回も呼びかけてたのに気付かなかったのかい?」


 呆れたようにするおばあちゃんに私は目を逸らすしかできなかった。


 おばあちゃんが家に訪ねてきたことで、私は気の進まなかった荷物整理をすることになった。

 理由は新しい家に移るためだ。そこは現在おばあちゃんが営んでいる薬屋で、私は別にこのまま森生活で母の帰りを待っていてもいいのだけど年齢が八歳(精神年齢は除く)の子どもだから、傍に信用出来る保護者を置きたかったようだ。


 それでも私は不便だが居心地のいい家から出たくないから我が儘を通そうとするが、母に根負けした。

 常識を知ることや、限られた人としか触れあっていない私を案じてのことだったから否定することは出来なかったのだ。母に弱いこともあるけれど。


 まあそんな訳で、まだ準備し終わっていないことでおばあちゃんに叱られながらも必要な物を鞄に詰め込む。家具は新しく買うらしいのでいらないが、持っていきたい本や魔法に関するものが多すぎてどれを減らすか迷う。

 ちんたらとしていると、勝手におばあちゃんがポイポイと決めてしまうためそれを阻止しながらだから大変だ。リューに助けを求めようにも、いつものごとく日の光が当たるところで寝ているので全く当てにならない。リューも共に移るのだが、必要なものはないので楽でいいなと手を動かしながら思った。あまりの慌ただしさに、いつの間にか母のいない寂しさなどはどこかに飛んでいってしまった。


「これを着な」


 そんなことで、ようやく準備が終わり手渡されたのは黒いローブだ。着てみると手は完全には隠れないにしろぶかぶかでおおきめのサイズだった。


「これは?」

「メリンダから渡せって言われたものさ。それは人前では必ず着ていな。フードがついているから頭までしっかりと被ってね。魔法が付着されていて、クレアを助けるものになる」


 半魔の私に対する対策だろう。調べてみると魔法が施されていることが確認できた。布の裏地に魔力を通す精緻な刺繍で出来た魔法陣があり、魔力を込めると魔法が発動する仕組みだ。

 物の価値はよく知らないが、高価な物だろう。多分私が今想像しているより、ずっと。


 それにこれは闇属性の魔法だ。使い手がごく僅かな魔法が施されていることからより価値を高めている。私はここまでの魔法は使えない。

 闇属性に関しては影を少し揺らめくぐらいにしか動かせず、ずっとどうしたらいいか考え続けた日々だった。


 つまり、これは私にとって研究し、新たに闇魔法を習得することが出来る代物で。


「スノエおばあちゃん、引っ越しするのもう少し後にしない?」

「なに馬鹿なこといってるんだい。ほら、さっさと行くよ」


 研究時間はなさそうだった。



「それにしても本当に凄い。魔物の気配が全然しない」


 街を目指して森の中を歩くこと数時間、私達は魔物と遭遇することなく進み続けていた。勿論、普段はこんなことは起こることはない。

 魔物は本能に忠実で、餌となる魔力を含むものが好物だから、立っているだけでも向こうからやってくるのだ。


 それがなぜ魔物の脅威に警戒しなくていいのか。おばあちゃんが持つお守りのおかげだ。正確には龍の鱗である。


 おばあちゃんはリューの親である太古の龍とお酒を飲む仲なのだとか。どうして龍とそんな関係になったのかは気になるのことだが、「話す機会があったら、教えるさ」とのことだ。話してくれないらしい。

 まあそれは置いておいて、龍は魔物の中で頂点に君臨する立場だ。それが太古の龍であるならなおさらである。

 つまり魔物から恐れられているのだ。龍の魔力がこもっている鱗であってもそれは変わらない。


 だから鱗をもっていれば、魔物には襲われないという訳だ。勿論これは現在歩いている森の中でしか効果はない。そして危機察知能力がある程度ないといけないので、ゴブリンなどの弱い魔物のも同様だ。

 そんな魔物は森の浅いところにしか出ないのだけど。


「……警戒していた自分が馬鹿だったみたい」


 最初はそんな効果があるとは半信半疑だったからずっと警戒していたが、魔物の魔力の反応を見てみると魔物はお守りを持つおばあちゃんを中心に、近づいてくることはなく離れるばかりだった。


「警戒していたのかい? 絶対に効果があるってことはないが、少しは気を抜いたほうがいいさ。まだまだ歩くことになる。リューを見な。背負っている荷物の上で寝ているよ」

「えっ。道理でさっきから見ないと思った」


 途中で荷物を重く感じたのは気のせいではなかったのか。

 身体強化をしているからリュー一匹ぐらいは構わないが、くつろぎすぎではないだろうか。


「安心しているんだろうさ。なにせ、母親の魔力によって守られているのだからね」


 リューは捨てられた過去をもつ。そのことをリュー自身は理解しているのだろうか。何年も会っていない母親を信じられ続けれるのか。


「私はできなかったな」


 拒絶された。ただそれで簡単に諦めてしまった。前世の両親は私を望んで産んだわけではなかったから。

 私はただ無邪気そうに寝ているリューに、哀れだと感じてしまった。


 弱い魔物が出没する辺りになり、「フードを被っておきな」と指示があった。人と出会う確率が高くなるからだ。

 母と来た時は冬の時期で、そして森での鍛錬の最初の頃だけだったので心配は少なかったが、今は春。私は素直に従う。


 そして今度は森が開ける辺りになるとリューが隠れることになった。龍の子供はとても希少なので、目をつけられないようにするためだ。そのために空っぽの荷物入れを持ってきてはいたので支障はない。もぞもぞと居心地悪そうにしているが、果物をあげれば食べることに必死になり少し動くだけとなるから安心だ。

 そんなことよりも心配なことは。


「私、怪しくない?」


 頭まですっぽりとローブを着て、腰には杖と短剣。

 背には家で必要なもの詰めすぎてパンパンな大きなリュック、手にはリューが隠れる時々動く鞄。特にその人物が小さな子供というところが問題だろう。

 どこにこんなでかい荷物を持つ子供が徒歩でいて、武装しているのか。「君、ちょっと時間あるかな?」と事情聴取されるに決まっている。


「……」


 おばあちゃんは完全に聞こえてない振りだ。

 えっ、待って。そんなことになったら、関係ないと知らない人として逃げないよね?

 涙目になりながら焦る私に、なんだなんだとリューが鞄から顔を出す。


 結局、おばあちゃんがリューの入っている鞄を持ってくれることとなった。これで多少はマシになるはず。うん。そう信じよう。すれ違う人にじろじろと見られたとしても。


 そうして、これから私達が住む街、セスティームが見えてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る