第6話 僕は僕を使い潰す

「こっち! 早く!」


 その声に、僕は怒鳴るように返事して重い荷物を抱えて走り回った。

 物を運ぶことが多い体力系の仕事なのだが、僕は人より多めに、二倍三倍を運んだ。

 休み時間も運び続けた。


「そんなことしても給料には反映されねえぞ」

「時間給だしな」


 バイト仲間が笑って言う。僕は笑い返してそれでも手は止めない。

 働いて働いて働きまくる。どんどんどんどん回転させてやる。

 上からの指示は全て完遂し、それ以上の仕事をやっておく。

 バイト仲間は笑ったり呆れたりした。社員組からは感心された。苦手なあの社員には無視されたけれど。

 夜はぼろぼろになった身体を引きずって安アパートに帰って眠る。

 起きる。出勤する。働く。働く。働く。寝る。起きる。働く働く働く。

 やけくそだった。身体をいじめて悲鳴を上げても黙殺する。

 働いていれば忘れられた。

 不思議だ。こうまでしないとただの売春少女すら忘れられないなんて。

 次第にアルバイト先の人間には気味悪がられるようになった。何考えてるかわからない、だそうだ。僕にだって分かるもんか。

 そうして過ぎる二ヶ月と少し。


 夜道はぐらぐらと揺れていた。

 地震ではない。と思う。酔っ払っているわけでもない。揺れているのは僕だ。

 目が焦点を合わせてくれず、脚も踏ん張ろうとしないのでこうなる。

 舌打ちする。

 普段仕事の役にもたたないんだからせめて歩く時ぐらいしっかりしろよ。

 まともに歩くこともできないなんて、マジでクソだ。死んでしまえ馬鹿野郎。

 ひたすらぶつぶつと悪態をつきながら歩いていた。

 大きくよろめいて電柱に肩をぶつける。

 その痛みで、どういうわけだか知らないが、僕はふと母さんのことを思い出した。

 母さんは病院での今際の際に、穏やかな顔は全くしていなかった。ひたすら毒づき、暴れ、看護師を困らせた。そんな母がふいに放った一言が僕は今も忘れられない。


『まだあの子の母でいたい』


 身体を痛めつけ腫れあがらせる病魔と闘いながら、母は絶叫していた。

 わたしはまだ母でいたい。

 なんで思い出したんだろう。なんで僕は泣いているんだろう。しゃっくりのような、発作のようなひきつりが止まらない。

 僕は歩き続ける。

 暗い夜道はさらに闇を濃くして、暗く暗く、立ちふさがるように――いや。

 僕は本当に歩いているのか?

 脚が動いていない。身体がピクリとも動かない。

 ああそうか。ようやく気づいた。

 僕は倒れていた。

 それを自覚した瞬間、僕は気を失った。


……


 混濁する意識の中、色々な顔が見えた。

 子供の頃の鏡で見た自分の幼い顔。

 今のしょぼくれた情けない顔。

 あのくそったれの社員の顔。

 母の厳しく、でも優しい顔。

 最後に、冷たくも美しい少女の顔。

 僕はぼうっとそれを見上げ続けた。

 口が自然と呟く。


「綺麗だ……」

「それはありがとう」


 少女は無表情で答えた。

 僕ははっとした。鈍い頭なりに意識を弾けさせた。


「ヒナ……?」

「久しぶりだね」


 僕はゆっくり見回した。

 二ヶ月前と何も変わらないホテルの一室。

 僕はベッドに寝かされていた。


「僕は……」

「ホテルの前に倒れてたらしいよ」


 フロントの人が見つけて、彼女の部屋まで運んでくれたようだ。


「そうか……」


 僕は再び意識を混濁させながら目をつぶろうと――

 その前にがばっと飛び起きた。

 ヒナが小さく悲鳴を上げる。


「ごめん」


 僕は謝って、それからベッドを下りる。足がふらつきまくるが、歩けないことはない。


「ちょっと」


 僕の腕に触れるヒナから離れるように、まとめてあった荷物の方に歩く。


「何してるの」

「帰る」

「その身体で?」

「明日もバイトがあるんだ」

「無理だよ。休まないと」


 僕は肩越しに彼女を振り向いた。


「じゃあなおさら家に帰らないと」


 ヒナが悲しそうな顔をした。ように見えた。多分僕の気のせいだ。そんな顔をしてほしいっていう僕の願望に過ぎない。

 出口に向かう僕の前に、ヒナが立ちふさがった。


「無理」

「何が?」

「帰る前にまた倒れちゃう」

「大丈夫だよ」

「絶対倒れちゃうよ」

「大丈夫だって、言ってるだろ!」


 突如喉を割った大声に僕は自分でびっくりした。

 でも口は止まらない。


「僕が倒れたところで困る奴なんていないんだよ。働いてないと認めてもらえないんだよ! いないのと同じなんだ! せめて働いてそこにいないと……」


 ヒナは呆然としていた。

 彼女の冷静でない顔なんて初めて見た。


「せめて働かないと……」


 叫びを呟きに変えて、僕は彼女の横を通り過ぎようとして彼女の声に足を止めた。


「……ごめん」


 怪訝に思ってふと目をやると、彼女は俯いて立ち尽くしている。

 肩が震えているように見えるのは、きっと気のせいだ。


「なんで君が謝るんだよ」

「だって……」


 僕はため息をついた。


「仕事で男性の相手をしている娘に勝手に惚れた男が、勝手に振られたと思って、勝手に仕事に逃避してる、それだけだよ」


 言っていて、情けなくなる。


「君のせいじゃない。全く。全然」


 いいながらも彼女に恨みがなかったわけではない。

 なんで僕のものになってくれなかったんだとか思ってしまっている。

 そんなの全くの筋違いだし、僕の理性だけは理解している。これは恋じゃない。もちろん愛情なんてものでもない。何よりみっともねえ。


「それに大したことじゃないんだ。倒れたってもただちょっと疲れただけで」


 僕の言葉はそこで止まった。彼女の腕に抱きすくめられて。


「休もう。ね?」

「……」

「ここにいて。お願い」


 彼女はこちらを見上げた。優しい目だった。

 なぜだか涙があふれて、僕は泣いてしまった。みっともなくぼろぼろと泣いた。

 彼女の言葉にではなく、抱きしめられたぬくもりに。あまりに懐かしすぎて。

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