第2話
「ふむ、そうなのかい。母星に愛がない種族というものがあるとは初耳だね」
と。
そこで、隣から声がした。
横を向いて、驚く。
それは確かに人間の形をしていたけれど、人間とは思えなかった。
青色の髪の毛に、少女のような矮躯と、白い手術着のような服。そこまではいい――ただ、その瞳に宿る
声をかけるのは、ニビルには憚られた。
「やあ」
笑みを浮かべながら、それは言った。
綺麗な声だった。
「ッ――」
急いで、周囲を確認する。まだ人は、出てきていない。視聴ルームで決戦の様子を見ている。本当におめでたい連中である。
――いや、いや、冷静になれ。月面居住区に住む子が、船から降りた可能性だってある。
心の中では否定しつつも、しかしニビルは、焦る内心を落ち着かせるために言った。
「お――お前は、迷子になったのか」
初めて、それに話しかけた。
それは、眼を瞬かせて驚きつつ、続けた。
「迷子、迷子ね――そうかもしれない。何せ本隊は全滅してしまったからねえ」
「ほ、本隊?」
そんな情報は、流れてきていない。
「ああそうか、それでは辻褄が合わないな。紹介が遅れたね。僕は、君らの言うところの地球外生命体ELだ。お初にお目にかかり光栄だよ――地球人」
と、流暢な言葉で、挨拶した。
言葉を返そうとして、喉から声が、出てこなかった。事実上、ファーストコンタクトは各国の首脳たちが行ったとされている。その後、交渉が決裂し戦争に発展した――と。
――一般人が宇宙人と遭遇したなんて話は、
――こいつは。
「迷子という言葉を使ったということは、君から僕の姿は子どもか何かに見えているようだね。そして意思疎通も図れる。視覚誤認、言語強制認識は上手く作用しているというわけだ、ありがたい限りだよ」
「や――お、お前、どうして、ELなら、どうしてここにいるんだよ」
――そうだ。ELがここにいることは、おかしいのだ。
――小惑星帯と木星付近、そこにある絶対不可侵の防衛線がある。
――それだけは、奴らにはどうしようもないはずだ。
ニビルとて、いっぱしの兵士である。戦闘に関与する機械のメカニズムは知っている。あれはバリアだとかシールドだとか、そんな生易しい類のものではない。
――入っただけで、存在できなくなる代物だ。
――あれを突破することは、不可能だろう。
「そんなところかい。まあ、あの障壁には苦労したものだよ。■■■■は半壊してしまったしね。別銀河に避難していた仲間が、あれを突破する技術を作ってね。ただ、君らの戦争には間に合わなかったから――同じく回遊していた僕らが、特攻覚悟で突っ込んだわけだ。ま、突貫工事の技術だったから、■■■■――ん、うまく表現できないな。僕らが乗っていた船は半壊。乗組員もほとんどが死んで、僕は■■■――ああ、これも駄目なのか――そうだね、救命艇で逃げて、ここまで来たというわけさ」
「じゃ、じゃあ、お前は本当に、宇宙人なのか? ELなのか」
「そうさ。その名称もいささか正しくないけれどね、正式には■■■■■■■■■■■、ああ、駄目だな、これも表現することができない。うん、まあ、それでいいよ。君らなりの名前の理解には、まだ少々時間がかかるようだがね――改めて言っておこうか」
――私は、宇宙人だ。
あどけない笑みをこぼしたまま、それは言った。
まるで映画のワンシーンのようでありながら、現実味が微塵もない描写だった。
ただしニビルは、そんな虚構は嘘でしかないということを、嫌という程に、理解している。
「っ――」
その次の瞬間に、ホルスターにある拳銃を抜き、宇宙人の方へと向ける。
姿形は人間だけれど、その雰囲気は、どうやったって、人のそれではない。
――どうしてこの絶対防衛線にいるのか、それは、後で考える。
――今は、こいつを
――これは、人類の敵だ。
いくら才能が無くとも、無能でも、やってきた訓練は無駄にならない。
照準を脳幹、眉間の辺りに合わせて、引き金に指をかけた。
「あっはっは! 血気盛んなことだね。その拳銃、■■■のエネルギーを応用した特殊銃だろう。君たち全員に支給されているようだね。全く、本来は世界の調和を保つための■■■を、そんなことに利用するとは、罪深い一族だねえ」
「黙れ――お前を」
殺す。
そう言って、言葉が、剥き出しの心に沁みたような気がした。
彷徨っていた時代に、人を殺したことはある。
孤児院を抜け出すときに、一番のいじめっ子を殺した。
生きるために人を殺した。
死なないために人を殺した。
恨みつらみで人を殺した。
しかし。
命を握られても目を逸らさない輩というのは、初めて見た気がした。
――まさか、こいつには銃は効かないのか。
――十分にあり得る。
――あの不可侵のブイと小惑星帯を抜けてきた個体だ。
事実、地球外生命体の個体については、もう戦争も長くなるのに、一向に正体が分かっていない。
「いいや、効くよ」
と、宇宙人はニビルの心理を読み取るようにしてそう言った。
「ちゃんと効く。■■■のエネルギーは、私達にとっては天与であり、また天敵でもある。君らの法則で言うところの原子力のようなものだ。食らったら最後、僕たちが個体を保ち続けることは不可能だろう」
あどけない少女の姿は、笑みを崩さずにそう言った。
「なら――」
「ああ。まあここで君に殺されるのも悪くはないと思う。本当は地球人に一矢報いてやるはずだったけれど、仲間が全員死んでしまって、僕一人ではどうしようもないからね。ただ、殺すなら殺す前に、少し話をしないか、ニビル」
と――少女は、彼の名前を呼んだ。
記号として付けられただけの、自己と他己を判別するためだけの、そんな名前を。
「ど――どうして、俺の名前」
「知っているとも。読心は基本中の基本だよ。そう、話をしようと、言っているんだ。ニビル。それが終ったら、僕は殺されていい。抵抗しないと誓うよ。もしも何か妙な行動を起こしたと思ったら、君が手に持つ拳銃で僕を打ち抜いていいし――そこの非常用通報装置を叩き押したっていい。ああ、ちなみに僕らの急所は、今までの君らで言うところの目の下側から、少し上角度に放つんだね。そうすれば確実に死ぬ」
――自分から急所をばらすだと。
――これは一体、何を
「ああ、そうか。君らは■■――ええと、読心を使えないのだったね。読めれば、僕が嘘を吐いていないことくらい、分かると思うけれど――まあ、敵を信用しようと言うのも無理な話か。まあどちらでもいい。どうせ僕は死ぬ。ここで君に殺されるか、君たちに実験台にされ殺されるか、大気圏で燃え尽きるか、どれでもいいんだ。もう守るべき人も、いないからね」
その台詞を言う時の少女は、やはり、笑っている。
――いや、騙されるな。
――こいつの言うことが正しければ、俺たち人間がこいつをそう認識しているというだけの話だ。
――俺の領域で考えるな。
ただ、言っていることについては――戦地で戦っている人々には申し訳ないけれど――少しだけ、ほんの少しだけ、共感してしまった。
自分の中で、その感情が芽生えたのが分かった。
思わず目の前を見ると、少女は、笑みを浮かべてこちらを見ていた。
――…………。
――お見通しか。
15秒、考えた。
こんな風に、誰かとゆっくり、身の上話をする機会など、一度としてなかった。
「……いねえのか、守る人」
「お。つまり君は、僕の話に乗ってくれるということかな、ニビル」
嬉しそうに顔を近付けたので、眼を逸らした。
「ちなみに――ここには監視映像もあるはずだが、その辺り、大丈夫なのかよ」
「ああ、問題ないよ。人にどう見せるのかを、今の僕は自由に選択できる。少なくとも今の僕は、目の前にいる君にしか見えていないからね」
「……そうかよ」
それこそ、まるで空想のような話だけれど、しかし人の瞳を持たぬその少女は、間違いなくニビルの近くにいる。戦争は終わるのだ、最後くらい、雑談に花を咲かせるのも良かろう。そう思って、ニビルは、肩を落とした。
「わーった。分かったよ。話してやる。言っておくが俺の人生は聞くに堪えないひで
えもんだぜ」
「あっはっは、それなら僕も敗けていないさ。じゃあ、この話が終ったら、君は僕を殺してくれ」
「いいぜ。殺してやる。その代わり、話してやるよ」
「ありがとう」
少女は、司令室のレーダーの上に、慣れた感じで腰かけた。
「そう言えばお前、名前はあるのか」
「ああ。僕の星での名前は、■■■■■■■■■だけれど。ううん、やはりその表情だと通じていないね。そうだな、僕の名をこちら側の言葉で訳して――クオリア、と呼んでくれ」
クオリアか。
聞いたことがあるようなないような単語である。何の用語だったか、幼い頃に詰め込まれた言語群が想起されたが、俺の枯れた脳味噌はそれを思い出させない。
――一体俺は、何をしているのだろう。
――まあ、いいのだ。
――どうせ戦争は、もうすぐ終わる。
――そうすれば俺の行き場所も、生き場所もなくなる。
――最後くらい、誰かと話しておこう。
――語っておこう。
彼はそう思った。
「いい名前じゃねえか、クオリア」
「君だってそうさ、ニビル」
笑ったのなんて、久しぶりだった。
(続)
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