第3話 春③
「「ねえ、あなた誰なの?」」
同じ声の問いかけが同じタイミングで放たれる。しかし、目の前にいるのが紛れもなく私であることは、あり得ないことだとしてもなんとなくわかっていた。
「ここ、私の部屋なんだけど。」
次に声を出したのは包丁を持っている私。
「は?あんたこそ何言ってるの?ここは私の部屋。とりあえず危ないからそれ下ろしてくれない?」
椅子に腰かけている私がそう返す。状況はよくわからないが、相手は私で危険はないようだ。私は刃物を下ろし目の前の私に問いかける。
「わかった。ねえ、一応だけどあんたの名前を聞いてもいい?」
「北見双葉、高校2年生。あんたもそうなんでしょ?」
「ええ、そしてここは私の家。どうしてコンビニから帰ったら私が増えてるわけ?」
「そんなの私だって知りたいよ!宿題を片付けてたら包丁持った私が突然部屋に入ってきたんだよ!?」
状況が呑み込めていないのはお互い様のようだ。
「「一旦状況を整理しようか。」」
またしても同じタイミング。なんだかおかしくなってお互いに噴き出してしまった。
ゆっくり話をするため私たちはリビングへ移動することにした。
「弁当食べながらでもいい?朝から何も食べてなくて。」
「そういうところ、本当に私って感じがする。いいよ。」
弁当をレンジに入れて、二人分の麦茶を用意する。席につくと私たちは弁当を挟んで向かいあった。
「えっと、まずあんたは半日授業から帰ってきたあと、昼食を済ませて宿題をしていたら私が帰ってきた、ってことであってる?」
「そうだよ、そしてあんたは帰ってきた後にソファーでゴロゴロしてからコンビニに買い物に行った。そして、帰ったら私が部屋で勉強していたわけだ。」
とりあえずここまでは分かった。ここで私はずっと不思議に思っていたことをぶつける。
「一つ聞いていい?なんであんたは午後イチで宿題なんてしてたの?私がそんなことするとは思えないんだけど。」
そう、私は勤勉なタイプではない。夏休みの宿題はラスト一週間で全て片付けるタイプだし、勉強よりも部活を優先して生きてきた。そんな私が貴重な半日授業の午後をわざわざ宿題に充てるとは思えないのだ。
「...ねえ、あんたは去年一年何をしてたの?」
目の前の私が逆に質問してくる。
「どういう意味?普通に高校に通って、ほどほどに勉強して、テニスをしていたけど?」
質問の意図が汲み取れずそう返すと予想だにしない答えが告げられる。
「なるほど分かったわ、あんたは去年車に轢かれなかった私なんだね。」
「車に轢かれた?」
心当たりはあった。去年の春、華と歩いていた時だろう。
「そう、私は車道に飛び出しそうになった華をかばって逆に轢かれてしまったの。」
命に別状はなかったがケガで部活を続けられなくなってしまったらしい。
◇◇◇
病室の窓から差し込む春の陽射しが暖かくて少し居心地が悪かったのを覚えている。華と出かけて車に吹っ飛ばされたのが昨日。そして、高校の間は激しい運動ができないでしょうと告げられたのが今朝のことだ。
何をするでもなくぼんやりと外を眺めていたら個室の扉がノックされた。
「双葉、お見舞いにきたよ。」
聴こえたのは華の声だった。
「入っていいよ。」
ゆっくりと扉が開くと果物の籠を持った華が入ってくる。ベッドの傍まで来ると華は荷物も置かずに深々と頭を下げた。
「双葉、本当にごめんなさい。私のせいでこんなことになってしまって...」
華は泣きそうな声でそう言った。
「大丈夫だよ、華。顔をあげて。」
赤く腫れた華の瞳と視線が合う。私が轢かれた責任を感じて一晩中泣いていたんだろう。
「でも、双葉、もうテニスできないって...」
今にもまた泣き出しそうな華の顔に、私は不意にドキッとしてしまった。ああ、この子はずっと私の為に泣いてくれていたんだ。そう思うと一層胸が締め付けられるような気がした。
吹き込んだそよ風に華の前髪が揺れる。その光景に私は自覚する。私、この子のことが好きになっちゃったんだ。
このまま華に付き合ってくれと告白したらきっと彼女は受け入れてくれるだろう。でもそんな罪悪感につけ込むようなことはしたくない。確かに泣き顔の華は今まで見たどんな光景よりも美しかった。それでも私は華には笑っていてほしい。
私は決心した。この三年間のうちに華を絶対に振り向かせよう。華が罪滅ぼしではなく心から一緒にいたいと思える相手になろう。
「泣かないで、華。私は大丈夫だから。それよりも華が無事でよかった。」
私はそう言って、そっと彼女を抱きしめた。
◇◇◇
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