第9話「受け継がれた意志」

エリアス・ブラウの日記

(英語とドイツ語が混在。一部に日本語、ラテン語、ヘブライ語有り)


1946年 5月10日

 おれたちはオーストリアから上海に逃れ8年すごした。今度はニューヨークへ渡る。新しい生活が始まる。今日から日記を書くことにした。悪いことばかりにならないといいな。


1953年 9月20日

 父の再婚相手が金持って逃げた。


1954年 2月14日

 父が自ら命を絶った。


1954年11月 1日

 遺産を三分割したおれたち兄弟は、それぞれの道を歩むことにした。

 一人はアメリカに残り、一人はブラジルへ。おれは日本に行く。

 おれは、幼い頃から上海で慣れ親しんでいた、日本の文化に触れてみたいと思った。絵が得意だし絵画関係の仕事をしたい。


1956年 6月10日

 日本に来てから、もう1年が経とうとしている。横浜に降り立った日から、1年。早い。祖国オーストリアを後にしてから、上海、ニューヨークと、まるで流れ者のようだ。

 ここ日本では、たまに日本語が通じるのが救いだ。上海で覚えた甲斐があったというものだ。それでも異国の地には違いない。金もそうだがどうもに落ち着かない。



1956年 6月17日

 上野の博物館で開かれていた展覧会を見に行き、その足でふらふらと歩き回っていたら団子坂という場所にいた。

 「悠彩堂」という名の画廊があったので、ひやかし半分で入ってみた。

 そこで素晴らしい女性に出会った。

 透き通るような白い肌、吸い込まれそうな茶色の瞳。

 名をエヴァといった。奇遇にも同じユダヤ人のようだ。彼女以外に、おれの人生を彩る女性はいないと、そう確信した。


1959年 4月20日

 エヴァと結婚した。彼女は太陽のような心の温かい女性だ。結婚と同時に、この「悠彩堂」に住み込みで働くことになった。

 婿入りという形をとったのでエリアス・ローゼンタールとなったが、この機会に日本名を名乗ることにした。「桐嶋健吾」。エヴァは「桐嶋彩子」になった。戸籍もなんとかなった。やっぱり世の中、人脈と金だな。

 義父であるザムエルさんは、寡黙だが職人気質の男だ。彼の下で、絵画修復の技術を磨いていくことにした。


1960年10月 2日

 娘が生まれた。

 「サラ・ローゼンタール(日本名:桐嶋幸恵)」

 娘か。このおれに娘ができたのか。


1961年 9月 3日

 「悠彩堂」には、価値の高い絵画の修復依頼が後を絶たない。

 クレー、カンディンスキー、エルンスト、シャガール。

 どれも素晴らしい作品ばかりだが、どこか不自然な点がある。修復を必要とする絵画の状態が、あまりにも似通っているのだ。煤けているものや絵具が溶けかけているものが多い。

 ザムエルさんに尋ねてみたが、「時期が来たら分かる」と、はぐらかされてしまった。


1965年 11月12日

 今日、修復依頼の絵の中に、グスタフ・クリムトの作品があった。

 タイトルは分からないが、若い女性の肖像画だ。

 見た瞬間、心臓が凍りついた。

 この絵は、幼少の頃、オーストリアの隣家に飾られていた絵画だ。

 見間違えるはずがない。

 隣に住んでいたのは、ハンナという女の子。俺より一つ年上で、よく一緒に遊んだものだ。

 そしてこの絵には、当時なかったはずの小さな爪で刺したような傷跡が無数に刻まれていた。

 ナチスがオーストリアに侵攻してきた時、おれたち一家はすぐに逃げ出したが、ハンナ一家はどうだったのだろう。

 この絵が「悠彩堂」に持ち込まれたということは。

 ハンナ、君たちは一体どうなってしまったんだ?そしてこの傷は?


1965年 12月 1日

 このクリムトの絵だけは依頼者に渡してはいけない。

 おれは強烈にそう思った。贋作を造ろう。

 いつどこで贋作を造るか。悠彩堂はダメだ。ザムエルさんの目がある。その時おれが思ったのは仙台だった。

 顔料の買い付けで、3~4ヵ月に一度、一週間程度の期間で仙台に行っている。顔料を販売してくれている彼に場所の提供を頼めないだろうか。彼はおれが見つけてきた顔料の入手ルートだ。


1965年 12月10日

 いつも通り仙台に行き、顔料屋に油彩画を描いたり保管するのに適した場所を手配できないか相談したところ、あっさり願いがかなった。

 1年前に岩手の早池峰山のふもとに別荘を建てたのだが、いろいろ事情があって誰も使わず放置しているのだそうだ。土地代もタダみたいなものだし、必要であればあげるよと言われた。

 上物は?と聞いたら彼自身が建てたので工事費はかかっていないし、木材ももらったものらしい。登記もしてないから、登記もしてくれていいよと。

 相談して良かった。絶好の場所が手に入った。

 借りと思うならいつか返してくれればいいと言われた。

 ただ、おれは免許も車ももっていないと言ったら、必要な時に乗せていくよと言われた。頭があがらない。


1966年 7月

 ザムエルさんが倒れた。

 なんとか回復はしたがあまり容態が思わしくない。日に日に衰弱していくのがわかる。

 ある日、ザムエルさんからこれまで持ち込まれてきた修復依頼の絵画の由来を初めて聞いた。

 あの絵はすべてアウラ・ノクティスという組織の代理人が持ち込んできていたらしい。

 そして修復完了して返却した絵は、世界中の資産家に売却されている。これまでの生活費のほとんどは、この絵の修復代金でまかなっていたとのことだった。

 ザムエルさんは、おれを自分の後継者として組織に説明しているとのことだった。だからこれまで通りに持ち込まれてきた絵画を修復していれば生活は可能だと言われた。

 アウラ・ノクティスは恐ろしい組織だ。絶対に逆らうなと厳命された。

 また、エヴァは彼の実の娘ではないということも言われた。

 彼はリトアニアにいたが、逃げ出すために日本の領事館からビザを発給してもらい、日本に逃げてきたのだ。

 そのビザを発給してもらう列に並んでいる時に、一人で途方に暮れている少女がいた。それがエヴァだった。

 親や親族は?と聞いても「いない」としか答えない。

 周囲の人々も彼女を敬遠していたため、ザムエルさんが仕方なく一緒に日本につれてきたとのこと。

 最初は横浜にいたが、絵画修復の腕を買われ、アウラ・ノクティスにスカウトされ、悠彩堂を準備してもらったうえで住み着いたとのこと。土地は近所の地主の借地だが、建物はアウラ・ノクティスに改装してもらったとのことだった。


1966年 7月

 ザムエルさんが亡くなった。


1967年 8月10日

 今年も絵画が持ち込まれる日が来た。

 アウラ・ノクティスの代理人という人に会うのは初めてだ。

 彼は鷺沼と名乗った。

 見た目は日本人だが、話し方のクセというかアクセントの感じが、日本語を常用しているわけではないことがわかる。

 今回の絵画は3枚。

 これまで同様にあまり保管状況がよろしくないもののようだ。

 こちらからは2枚の修復完了した絵を渡した。


1968年 3月 1日

 今日から、武夫が家族となった。

 仙台の顔料屋の妾の子で、妾が亡くなったが事情があって引き取れなくなったらしい。サラと同じ歳で、利発そうな子だ。


1970年 4月

 武夫は本当に利発でよく働く子だった。

 サラと一緒の学校に通わせているが、成績は優秀。学校が終わり帰宅すると、エヴァの手伝いをして家事を始める。

 家事がひと段落すると、おれの手伝いで顔料の調整などもおこなってくれる。

 手が空いた時には、サラからせがまれて遊び相手にもなっている。

 最近は、武夫に請われて絵画の修復に関しても学んでもらっている。

 エヴァもサラも武夫のことを気に入っていて、エヴァは「将来、サラの旦那さんになってくれればいいのに」とまで言っている。

 おれはまだそこまで達観できていない。

 車の免許をとった。顔料屋にその話をしたら車をくれた。顔料屋は金持ちだな。


1970年 7月

 顔料屋から仕入れる雲母は非常に質が高い。他に類を見ないほどだ。

 顔料屋のところに置きっぱなしの車をとりに行った時に聞いてみたら、秘密の場所でとっているとのことだった。さすがに教えてはくれなかったが、たくさん仕入れてもらえるとありがたいらしい。鷺沼に話してみようか。


1973年 5月12日

 ついに、クリムトの贋作が完成した。

 本物と見紛う出来栄えだ。

 これで、あの絵を「アウラ・ノクティス」に渡さずに済む。

 偽物とすり替えたことは、誰にも言うつもりはない。


1974年 8月 2日

 鷺沼にクリムトの贋作を渡した。


1976年 8月15日

 エヴァが、逝ってしまった。


1977年 12月24日

 クリムトの贋作を鷺沼に渡してから4年が経過したが、なにも言ってこないところを見ると真作として扱われているのかもしれない。購入した人には悪いがうれしい限りだ。


1978年 4月1日

 サラと武夫が二人とも高校まで無事卒業し、店を手伝ってくれている。

二人で分担して家事もやってくれているし、傍目から見れば夫婦にしか見えない。もう結婚してくれていいのだが。


1979年 5月

 珍しい時期にやってきた鷺沼から新たな仕事を依頼された。世の中うまくいかないもんだ。仕方ない。やるしかない。やらなければならない。


1982年 4月13日

 武夫の腕がメキメキ上がっている。

 最近は、彼にほとんどの作業を任せている。俺よりも良い腕をしているように思う。向いていたのだろう。顔料屋には感謝しかない。


1983年 8月

 仙台での顔料仕入れと岩手の別荘にはずっと一人が行っていたが、そろそろサラと武夫に、傷のあるクリムトの絵画のことを話すことにした。武夫には顔料屋との取引のことも任せたい。

 次回、仙台に行く際には二人とも連れて行くことにしよう。

 そう思っていた矢先、鷺沼が青年をともなって絵画をもってきた。息子らしい。サラと武夫の2歳年上。来年からは息子にすべて任せるらしい。

 鷺沼にはおれの後継は武夫だと伝えた。おれもそうすべき歳になってきたのかもしれない。


1984年 7月

 悠彩堂を臨時休業にし、三人で仙台にやってきた。顔料屋に挨拶したあと、別荘にいった。

 サラに別荘の清掃や夕食をお願いしている間、武夫に隠し部屋のこと、隠し部屋の意味、傷のあるクリムトの絵画、その絵画とおれにまつわる因縁の話をした。

 武夫は黙って聞いており、あまり驚いた様子もない。

 アウラ・ノクティスの話もした。

 そして、このクリムトの絵だけは絶対になにがあってもアウラ・ノクティスに渡してはいけないし、売却してもいけないことを話した。

 念を押す意味で、額縁の裏に「Ne tradideris Aurae Noctis」とラテン語の文字を刻んだ。


1984年 10月20日

 ようやくサラと武夫が結婚した。

 武夫は最後まで遠慮していたが、サラはずっとその気だったことを知っていたので、頼み込んで結婚してもらった。美男美女のカップルだ。エヴァに見せたかった。


1986年 4月3日

 孫が生まれた。名前は悠斗。サラと武夫に請われておれがつけた。

 悠斗には、ユダヤの血が流れている。

 「ジョシュア・ローゼンタール」という名前も伝えてあげてほしいが、日本人としてだけ生きるのならば邪魔かもしれない。いつか悠斗に伝える日がくるだろうか。


 日付記載なし。

 最後のページ。


 武夫は約束を守ってくれるだろう。だから悠斗、君がクリムトを故郷に帰らせてほしい。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 土曜日。


 桐嶋悠斗が時計に目を見やると午後9時をまわっていた。


「もうこんな時間か」


 キャリーたちに、翻訳作業に集中したいので一人にさせてほしいと言い、朝食後からずっとホテルの一室に籠っていた。


 昨晩、東京に戻ってきてからあまり人と話していない。この日記のことが頭から離れなかったからだ。


 本来、この日記はクセ字ではあるが、桐嶋にもキャリーにも読める言語がほとんどであったため、翻訳作業までは必要なかったかもしれない。しかし、自分に関係のある人物の日記である可能性が高かったため、内容を理解し咀嚼してから伝えた方が良いと考え、あえて一人で翻訳した。


「キャリーとあのまま一緒に読んでなくて良かった。どんな顏してたかわからん」


 とにかく、桐嶋にとっては特濃すぎる内容だ。


 日記の主が祖父であったことにもビックリだが、一番驚愕したことは、自分が日本人とユダヤ人とのハーフであったことだ。しかも、ジョシュアなんて名前があったなんてまったく知らない話だ。


 思い返してみると、幼少の頃から祖父母の話を聞いたことがない。もしくはこちらから聞いた記憶がない。母親のことも同じだ。なにか聞いてはいけないような空気感があったのは間違いない。


「ませガキだったしな」


 自分から父親に母親のことを聞くのは、なぜかバカにされそうな気がして

聞く気はなかった。


 ふと、パソコンの画面を見るとメールマークが点滅している。倉橋からのメールだった。


 倉橋は木曜の夕方に一行と別れ、仕事に戻った。おそらくその後の内容は鳴海に聞いたのだろう。


 ここ数日の情報がすべて網羅されている資料が送られてきていた。


「ホント、まめなやつだな。助かるけど」


 桐嶋は、頭を整理させる意味でも倉橋が送ってくれた資料を確認した。


・A1~C5(別荘内でまとめた内容。Aは別荘について。Bはクリムトの絵について。Cはアウラ・ノクティスについて)


・別荘で地下室を発見。地下室には画材らしき材料が複数と日記があった。日記を回収。材料も一部回収。(写真が複数添付)


・鷺沼が来日後に盛岡でレンタカーを借りていた。鳴海が盛岡署に協力要請し確認。


・宮古署で、武夫氏が亡くなった時に担当していた刑事について鳴海が確認したが、両名とも事件の半年後に退職。その後の連絡つかず。


・別荘を担当している郵便局に、第一発見者である職員の所在を確認したが、事件の6日後に事故死していたことが判明。


・桐嶋さんが日記帳の翻訳を開始(ウインストン女史からの情報)


 今回の資料はいつもよりも簡素だし、文章が雑だ。倉橋も忙しいのだろう。


 改めて見てもわかる通り、桐嶋の父親が亡くなった際の関係者が死亡もしくは失踪しているのが異様だ。なんらかのバック、ないしは意思が介在したと誰しもが思う内容だった。


 そして、最後の一行が自分のことなのが、なにか不思議な気分になった桐嶋だった。


 ここ4日間で様々なことがわかったが、わかったからこその更なる迷路も出現しており、出口がまったく見えない気分に桐嶋は陥っていた。


 桐嶋はスマホを手に取り、無意識に藤堂に電話していた。


「どうした?」


 いつも通りの藤堂の声だ。聞きなれた声に少し安心する。


「あのな、おれ、日本人とユダヤ人のハーフだった」


 桐嶋は藤堂の驚きを予想していたが、反応はまったく異なっていた。


「やっぱりな」


「やっぱりな!?どゆこと!?」


「おまえは覚えているかわからんが、おれたちが初めて会った時のことを覚えているか?」


「・・・んー・・・えーと、あ!あれか?もんじゃ焼きの駄菓子屋か?確か子供は50円だったよな。懐かしいなぁ」


「そうだ。そこでおまえを見て最初に思ったことは『薄い』だった」


「薄い!?」


「髪の色は薄いし、目の色は薄いし、肌の色は薄いし。第一印象が『薄い』になるのは仕方ないだろう」


「え?そんなに薄かったか?」


「ああ、薄かったぞ。特に、それまでのおれの周囲は、髪も目も黒いのしかいなかったから余計にそう感じた。歳食ってからは、そう薄くもなくなっていったがな」


「そうか、薄かったのか・・・」


「おまえの場合、その特徴を揶揄されることもなかったから、あまり気にならなかったのだろうさ。自分のことはわからんもんだしな」


「そんなもんかな」


「ああ、そんなもんさ。だから、おれとしてはハーフと言われた方がすっきりする。長年の謎が解けたような気がして良い気分だ。実際、世の中には、純粋な日本人なのに、いわゆる日本人っぽくない人なんかたくさんいる。おまえもそういう一人だとしか思ってなかったさ」


 桐嶋は日記に書いてあった自分の生い立ちを藤堂に説明した。祖父母、母がユダヤ人で父親はアレ。


「おまえの祖父母や母には一度も会ったことないし、父親にだって数回しか会ったことがない。つまりだ。おまえが何者だろうと、これまでとなにも変わらんということだ」


 藤堂の断言に、桐嶋の心がストンと落ち着いた。その言葉を、誰かに言って欲しかったのかもしれない。『なにも変わらん』と。


「藤堂、ありがとうな」


「よせよ、気持ち悪い。あ、日記の内容は倉橋にでも説明して、資料にして廻してくれ。今はちと忙しくてな。そっちの方は任せるしかない」


「残業か?」


「ああ、まだ本庁だ。ここ数日、家に帰ることすらできん」


「そんなにか」


「まぁな。あ、そうだそうだ。鷺沼氏と、第二の犠牲者と言ってしまうが、中川氏とに関係しそうな共通の人物が浮上してきたぞ」


「なに!?誰だ!?」


 桐嶋は驚きのあまりスマホの画面のどこかを押してしまったようだ。突如、スピーカーモードに切り替わった。戻すのも面倒なので、そのままテーブルの上に置いた。


「名前はまだわからん。いや、偽名と思われる名はわかったがな。二人組だ。鷺沼氏の逗留してたホテルの防犯カメラと、中川氏の画廊周辺の防犯カメラに、その二人組が写っていた。距離的に考えても偶然ということは考えにくい。ホテルには泊まっていたようでな、記録も残っていた。パスポートも名前も偽造品だ。徹底してるやつらだな。ただ、ホテルの従業員がその二人を覚えていて、話口調や顔立ちからイタリア人とフランス人だと思われるということまではわかった。今は総出でその二人を追っている。赤坂署の二人も張り切っているぞ」


「工藤警部補と白井警部補か?」


「そうだ。詳しくは話せんがな。おまえに対する疑いは完全に晴れたらしい。白井がおまえに謝っておいてほしいだとよ」


「恨みに思うようなことでもないし、気にしてないと言っててくれ」


「ああ、わかった。そろそろ切るぞ」


「忙しい時にすまんな」


「かまわんさ、じゃあな」


 即座に電話がきれた。


 あの家族サービス大好き人間が本庁に缶詰か。桐嶋は身震いする思いだった。八つ当たりの鉾先が自分たちにだけ向かわないようにしないと。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 大きめの音量だったからか、外に少々声が聞こえたのかもしれない。扉の外で待機していてくれていたと思われるデイビスから声がかかった。


「桐嶋様?どうかされましたか?」


 桐嶋はそのまま応えようかと思ったが、一つ頼みたいことがあったので外にでた。


「すまんがルームサービスを頼めるか。軽いものでいい。少々腹がへった」


「お飲み物はワインでよろしいですか」


「いや、水でいい。あまり酒を飲む気分じゃない」


「かしこまりました。お待ちください。」


 その二人のやりとりを聞きつけたのか、隣の部屋からキャリーが飛び出してきた。


「兄様!」


 大きな白い星柄が複数入った、濃紺のゆったりしたワンピースのナイトウェアに、ナイトキャップをかぶっていた。あまりのベタな格好に桐嶋の顏がほころぶ。


「作業は終わったのですか!?」


「ああ、終わった」


「見てもよろしいですか?」


 遠慮がちなキャリーの言葉に一瞬迷ったが、キャリーの側にいたミラーが小さくうなずいたのを見て了承することにした。


「かまわないよ。こっちにいらっしゃい」


「はい!」


 キャリーは屈託もなくそのままやってきた。ミラーが後ろについてくる。


「私もよろしいでしょうか」


「当然。頼むよ」


 その言葉の意味を理解したミラーが微かな笑みを見せながら一緒に入った。


「兄様、このパソコンですか?」


「ああ、それだ。日記帳も脇にあるから・・・良ければ、検証も兼ねて見比べながら確認してくれないか?間違っているといけないから」


「はい!わかりました!」


「消してある箇所や、かすれて見えなくなった箇所は入力していない。きちんと読めるところだけにしたはずだが、その観点でも読んでもらえると助かる」


「わかりました」


 キャリーからの返答はきたが、もうすでに集中しているのがわかる。この集中力こそが彼女の力なのだろうなと桐嶋は感心した。


 しばらくすると、デイビスがワゴンを押してアラカルトを持ってきてくれた。一口食べると腹に染みわたる。朝食は食べたはずだが、意識が日記帳にいっていたため、あまり量は食べていなかったのかもしれない。妙においしい。もしかしたら、このおいしいという感覚を忘れていたのかもしれない。


 藤堂とキャリーのおかげだな。桐嶋は心の中で感謝した。


 小一時間も過ぎた頃だろうか。ようやくキャリーが顏をあげた。


「兄様、大丈夫です。間違いありません。判別しにくい箇所も問題ありません。完璧です!」


 キャリーの言葉に桐嶋は苦笑した。


「完璧は言いすぎだ。それで?読んだ感想は?」


 少々意地の悪い言い方だったが、キャリーの返答はこれ以上ないくらいに明解だった。


「兄様は悪くありません!!」


 両手を握りしめ力強く宣言した。その姿は桐嶋の笑いを誘った。


 ああ、この子の気持ちは、結婚式で出会った頃となにも変わっていないのかもしれない。成長して大人の姿にはなったが、キャリーはキャリーだと妙な納得の仕方をした。可愛らしい妹?従妹?妹だな。クリス(キャリーの兄)には悪いがそういうことにしよう。


 ようやく桐嶋の中で、キャリーの位置づけが決まったようだ。


「ありがとう、キャリー。さっそくあの三人にメールするとしよう」


「はい」


 そう言うなりキャリーは、座っていた椅子を桐嶋にあけわたした。


 桐嶋は翻訳した内容をPDFにしてメールする。ただし、倉橋にだけは「藤堂御大のご指名だ。要約して廻してくれとよ」と言葉を添えて送った。


 メールを送った直後、倉橋からメールがきた。さきほど送った内容には触れられていないので、たまたまタイミングがかぶったようだ。


『一種類の顔料だけがどうしても手に入りません。先日、少しだけ頂戴した絵具を解析した結果でわかった顔料なのですが、どこにあたっても取り扱ったことがないそうです。雲母なのですが、通常の雲母ではなく金雲母の一種のようです。すみません、もう少し時間をください』


 電話ではなくメールを送ってきたことから、倉橋もまだ仕事中なのだろうと推測できる。


『急がないから大丈夫。よろしくな』


 とだけ返信した。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「さて、キャリー。少し手伝ってほしいことがあるんだが、時間は大丈夫か?」


「大丈夫ですよ」


 桐嶋はちらっとだけミラーを見た。


「もう!なんでイヴリンを見るんですか!?大丈夫ったら大丈夫です!!」


 キャリーはそれがお気に召さなかったらしい。キャリーの剣幕に、桐嶋は苦笑をうかべながら頭を掻いた。


「すまんすまん。じゃあ、よろしく頼む。今読んだばかりで悪いが、問題点をまとめたい」


 桐嶋は日記を開き、あるページを抑えた。


「まずはここだ。1966年7月の記述。この記述から、悠彩堂は戦後まもなくから、アウラ・ノクティスをスポンサーとして絵画修復依頼を受けていた。それはザムエルさんから始まり、祖父、父と続いた。アウラ・ノクティスの当初の代理人は鷺沼父。おれに接触した鷺沼はその子供で、武夫の時代の代理人と考えていいだろう。つまり、桐嶋家代々がアウラ・ノクティスの金で生きてきたということだ」


「兄様、それは・・・」


「いや、いいんだ、キャリー。これは厳然たる事実だ。ここから目を背けてはいけない。おれは過去と向き合うことにしたんだ」


「・・・わかりました」


「次の問題は、クリムトの絵だ。これは1965年11月に悠彩堂に持ち込まれた。その後、1966年中には別荘に移動したと推測される。精巧な贋作を作るのであれば真作を側に置き、細かい点を確認しながら製作していくだろう。つまり、先日行った別荘の地下室にあったことになる。そして祖父の手によって贋作が製作され、鷺沼父からアウラ・ノクティスに渡った。ここまではいいな?」


「はい」


 キャリーは、信頼の輝きが宿った瞳で答えた。しかしそれは、桐嶋に失敗を悟らせた。


 キャリーは桐嶋を信頼してくれている。過剰とも言えるかもしれない。それはありがたいのだが、このように反証を期待しての洗い出しには向かないのだ。桐嶋は、段階的な要点整理と、文面および現在状況からの仮説構築に頭を切り替えた。


「この後に、気になる記述がある。1979年5月の項目だ」


「鷺沼父から新たな仕事を依頼された記述ですね。確かに、他にはない覚悟というか諦めのような記述が目立ちます」


 キャリーは日記を確認せずに即座に返答した。さきほど読んだだけですべて暗記したのかもしれない。桐嶋は内心舌を巻いた。


「おれはこの記述によって、祖父がクリムトの絵以外の贋作作成を依頼されたのではないかと考える。それまでは贋作、真作といった言葉がでてくるのに、この項目以降まったく記述されていない。まるで、そのことを書くのが憚れているかのようだ」


「確かにそうですね。そこから考えるならば、アウラ・ノクティスは、渡されたクリムトの絵が贋作だと知りながら顧客に売却した可能性もあります。そしてその売却が成功した結果、新たな商売を思いついた」


「そうだ。真作を保持したまま、精巧な贋作を売りさばくという新たな商売だ。キャリー、仮にだ。レゾネに載っているような有名な作品が行方知らずになり、年数がたった後、真作にしか見えない贋作がコレクターである資産家の目の前に提示されたらどうする?」


「間違いなく購入するでしょう。特にアウラ・ノクティスの顧客になっているような、資産家のコレクションは世に出ることがまずありません。つまり横のつながりがないのです。仮に贋作を複数売ったとしても誰にもわからないでしょう」


 そこまで言ってキャリーはあることに気づき、思わず口をおさえた。


「ナチス・・・」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「1961年9月3日」


 桐嶋は該当のページを開いた。


「ここの記述だ。『煤けているものや絵具が溶けかけているものが多い』。この言葉から導き出されることは、ドレスデン爆激によって焼失したとされるナチス収奪美術品の数々が、実は相当数回収されていたのではないかということだ」


 桐嶋は、キャリーが難しそうな顔をしていることに気が付いた。


「どうした?」


「兄様、すみません。ドレスデン爆激とはどのようなことか、概要でいいので教えていただけませんか」


 頭がいい、自分が正しいと思い込んでいる人であればあるほど、他人に知識の欠落を指摘されることを嫌う。いや、病的なまでに恐れる。ちっぽけなプライドが邪魔をし人に聞くことができない。結果、知ったかぶりや曖昧な返答や誤った知識を披露することが多くなる。


 幸いキャリーには、そのような悪癖はないようだ。素直と言っていい。桐嶋はなぜか安心した。


「おれもそう詳しいわけではないけどな」


 桐嶋は授業で聞いた内容を思い出すように中空を見つめた。


「ドレスデン爆撃は、第二次世界大戦終盤、1945年2月13日から15日にかけて連合国軍によって行われた、ナチスドイツへの大規模な爆激だ。ドイツ東部の都市ドレスデンへの無差別爆撃だったらしい。榴弾で建物を破壊し、焼夷弾で建物内部を焼き尽くし、さらに榴弾を投下し消火・救助活動を妨害するという徹底ぶりだ。そりゃあ、美術品がただですむとは誰も思わないよなぁ」


「でも無事なものがあったというわけですね」


「ああ、例のグルリット事件で見つかった1500点以上の美術品もそうだが、思った以上に多いのかもしれん。ナチスが収奪した美術品は数十万点だと言われている。仮に5%が残ったとしても最低で5000点だ。実際にはどれだけあるのか検討もつかん」


「それがアウラ・ノクティスの資金源の一つになっていると」


「彼らはどうにかして戦地から美術品を回収した。そして世界中の修復家や画商を巻き込み、修復して売却したという構図だ。世界規模で考えれば、祖父、父、鷺沼の例は氷山の一角だろうよ」


 キャリーが首をかしげながら疑問に思ったことを口にした。


「兄様は今回のクリムトの絵をどう見ています?」


「仮説に基づいての話ってこと?」


「そうです。アウラ・ノクティスが贋作と気づいたのであれば、傷物とはいえ真作を回収していないのはおかしいと思いまして」


「レゾネに載っていないからだと思うよ」


「え?」


 予想外の返答にキャリーは戸惑った。


「逆に聞くけど、レゾネに載っていない絵画を、真作だと顧客に説明するにはどうする?」


「えーと・・・科学的検証の結果や画家特有のクセや筆致や構図が一致しているとか、通常の真贋鑑定の結果のような説明になると思います」


「美術を生業にする人であればそれで信用するかもな。でもね、そこまで詳しくない、金だけ持っているコレクターならどうかな?」


「・・・信用しないでしょう。比較する数字や写真が本物かどうかわかりませんから。逆に贋作ではないかと、疑う結果になりかねません」


「まさにそれさ。彼ら、アウラ・ノクティスにとって、レゾネに載っていない作品は商品価値が低かったんだと思うよ。顧客に説明するのが面倒という理由でね。だから回収されていないし追求されてもいない。ただね、最近、彼らは簡単な真贋判定方法に気づいてしまったかもと思ってね。だから、今更、あの絵が欲しくなっているかもしれない」


「え!?それは!?」


「去年、ここ日本でおきた事件が発端さ」


 2023年、日本からポーランドに返還された絵画がある。イタリア人画家アレッサンドロ・トゥルキの傑作『聖母子』だ。


 『聖母子』は、1939年のポーランド侵攻時にナチスによって略奪されたはずだが、なぜか2022年1月に日本のオークションに出品された。それをポーランド文化・国家遺産省の職員が発見。


 最終的には、所有者とオークション会社が無償で返還に応じ、ポーランドに返還され、なぜ日本にあったのかは追求されずに、この件は終結した。


 その時に真贋判定の決め手となったのが、ナチスの略奪品リスト『もっとも価値のある521の美術品』だった。


「財団でも似たようなのを販売してたね。15ドルくらいだったかな」


「『WWII Most Wanted Art』ですね」


 ナチスドイツによって収奪された美術品が印刷された52枚のカードだ。モニュメンツ・メン財団が、オンラインストアで販売している。財団は、カードに掲載された美術品の回収につながる情報提供者に、最大25,000ドルの報酬を提供すると発表した。


「他国においても同様の取り組みはおこなわれている。つまり、これらがアウラ・ノクティスにとって『新たなレゾネ』になるわけだ」


「あ!」


「彼らは『新たなレゾネ』と、刷新した絵画修復家、画商を使って、また行動を開始するかもしれないね」


「兄様!すごいです!!」


 キャリーは桐嶋に抱きつこうと両手を広げて飛び上がった。が、寸前で、間に割り込んだミラーを抱きしめる結果になった。


 愛らしい表情でミラーの胸に顏をうずめるキャリーだったが、すぐに相手が違うことに気づいたようだ。ミラーの顏を上目使いに見上げる。


「イヴリン。邪魔」


「お嬢様。立場をわきまえてください」


「昔みたいに兄様に抱き上げてもらいたかったのに・・・」


 すんでで危機を脱した桐嶋がミラーごしにキャリーに言い聞かせた。


「あの時、君は8歳だったろ?15年もたったら大変だよ。おっさんにはちと厳しい」


「兄様はおっさんなんかじゃありません!」


 キャリーのふくれた顏に苦笑を返した時、桐嶋のスマホが鳴った。


 逃げるようにテーブルに向かい、スピーカーモードのまま電話をとった。


 つながるなり藤堂の声が聞こえた。


「桐嶋!悠彩堂が火事だ!!」


「なんだと!?」




(第9話 終)

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