タクオのノリモノ冒険記

@aiyuh

第1話

序章 張りつめてふるえる、彼女の瞳(め)




 こちらをじっと見つめてくる、黒真珠のような透き通った黒い瞳。

 タクオはまるで吸いこまれるような、その瞳をじっと見つめ返した。

 弓の弦のように張りつめてふるえる、その瞳。少女のそれを目にした時から、タクオはどうにかしたいと思ったのだ。

 タクオがいるのは夜明け前の酒場だ。だがそこは、タクオの事務所も兼ねている。

 赤い髪の少女が、そこに入ってきたのだ。それも、ただならぬ様子だった。

 その少女は武装している。使い古された皮の鎧。腰に差された二振りのナイフ。

 野伏か盗賊のような隠れ潜みやすい格好で、髪だけが真っ赤だった。真紅の髪だ。

 その髪が、肩の辺りで切りそろえられている。女の子にしては髪が短めだけど、彼女が女ながらに戦闘をするのなら、短くて困るということはないのだろう。

 彼女は就いている。なんらかの戦闘職に。騎士ではなさそうだが、農兵でもないだろう。

 タクオへの依頼も、なんらかの荒事なのかもしれない。

 タクオは体が弱く、荒事への自信はない。だが、彼女の依頼は請けたいと思った。

「灰色の髪……あなたが運び屋のタクオかしら」

「そうだけど」

 少女はタクオを知っているようだった。誰かから紹介されたのだろう。

「ユーリーからあなたを紹介されたわ。サキって人のおすすめだって」

「サキのツテか。まあ座ってよ」

 タクオはそう申し出たが、少女は椅子に腰かけようとしない。テーブルのむこう側で、座っているタクオを見下ろしている。せっかく入れて差し出した紅茶も飲もうとしない。

 サキは、タクオの育ての親だ。この酒場と宿屋の主で、数少ない魔法使いでもある。

 タクオはそのサキからノリモノという魔道具をもらい、運び屋を営んでいるのだ。

 ユーリーは知らない。まさかユーリー=リース大公ではないだろう。大物すぎる。

「〝天の遺跡〟に、いまから行きたいのだけど……行けるかしら」

「天の遺跡なら知ってる……この村からさらに北東だ」

 この大陸の北東の端だ。国の外だ。それならこの村から行くしかないだろう。

 この村――ダイシャ村は〝ノル王国〟の北東の端にある。地の果てのようなものだと、遠くから来た人たちは言う。

「行けるかしら?」

「行けるのは行ける……僕の魔道具なら一日か二日だと思うよ。でもなんで?」

 天の遺跡は誰も住んでいない。人の手が入っていないし、それに魔物もうようよいる。

 遺跡に宝などが遺されているとしても、リスクに見合うとは思えなかった。

 だがタクオがためらったのを見て取ったのだろう、少女が怒り出した。

「必要なの。これは私の戦いなのよ!」

 ばん、とテーブルに身を乗り出してくる少女。タクオが出した紅茶がひっくり返る。

 ごめんなさい、言って後片づけをはじめる少女。

 彼女が隙の多いタイプには見えない。きっとそれほど必死なのだ。

 テーブルの上が見えないほどに、必死で思いつめている。

「僕の魔道具なら、三日かからないと思うよ。君さえよければ、すぐに出発しよう」

 だから――タクオは決めていた。

 この女の子に、できるだけ力を貸そうと。

 気丈にふるまいながらも張りつめ、いまにも崩れ出しそうな彼女の瞳。

 それを見て、少女の力になりたいと思ったのだ。

「ありがとう。私はリリィよ」

「僕はタクオ。運び屋だ」

 タクオの眼を見て名乗るリリィ。

 だがタクオが差し出した手を、彼女は握ろうとしなかった。














第一章 天の遺跡と石像の騎士





   1.


「こっちだよ」

「そこにあるのが、あなたの使う魔道具なのね?」

 タクオはそれから、リリィを納屋へ連れて行った。

 彼女はすました顔で、しかし警戒しながらついてくる。すぐ腰のナイフを抜ける態勢だ。

「うん。べつの世界の人が使ってたらしい」

「異世界人……七百年前の、魔王軍との大戦で戦った人ね」

「そうだよ。その人の魔道具が残ってて、まだ使えるんだ」

 タクオは納屋に入るとリリィに、彼の使う魔道具を見せた。

 七百年前に起こった、魔王軍との大戦。それを戦い抜いた異世界人。

 その人が移動や運搬に使っていた、ノリモノという魔道具。

 馬がなくても動く車だ。エンジンと呼ばれるもののパワーで、馬よりも速く走るのだ。

 それが補給しなくても延々と走れるよう、魔法がかけられているのだという。

 その名を、ジープという。

「座席が二つあるわね」

「うん。君は右側に座って。左側にあるその輪っか、ハンドルでジープを操作するんだ」

 座席が二つ並んで誂えてあり、そのうちの左側が運転席だ。

 運転席には運転に必要なアクセルやハンドルなどが取りつけられている。

 かなりの速度が出るからだろう、前方にガラスがあって、それが風防になっている。

 リリィはジープのあちこちを観察し、指さきの腹でなでたりもしている。そうして下のほう、タイヤのところも覗きこんでいる。

「……これ、車輪じゃないわね。それに木でも鉄でもないわ。いったい何でできてるの?」

「タイヤというらしい。その黒いところはゴムっていうんだ」

 タイヤはゴムという物質で覆われていて、滑りにくく弾力のある構造になっている。

 屋根はないが、幌を取りつけることはできる。だから真冬でも乗ることは可能だ。

 通常は馬か馬車に乗る。こんなものは、世界にひとつしかない。

 だが希少な物でもそれはタクオの仕事道具で、普段は水や薪を運んでいる。

 人を運搬することもあるが、近所ばかりで、遠出をしたことはほとんどなかった。

「これ、かなり速いと聞いたわ」

「馬にもそうそう追いつかれないよ。おまけに、休まず走れるんだ。ずっと走ってると、運転している僕のほうが疲れちゃうけどね」

「そう。ユーリーが紹介するわけだわ。あなた自身はどうかしら」

「というと?」

「人里から離れるのよ、すこしは腕が立たないと死んじゃうわ」

 人里から離れると魔物が出る。人里に出るのはまれだが、街道にはしょっちゅう出る。

 街道などだと、魔王軍の兵士が群れを成して盗賊になっていたりもする。

 それに対抗するすべはあるのか。リリィは、それを訊いているのだ。

「戦闘用の魔道具も持ってる。連発出来て、弾が尽きない銃だ」

 それも異世界人の武器だ。リボルバーと呼ばれる小型の拳銃。

 弩弓よりも威力があり、弓よりも連射力に優れる。

 腕っぷしに自信のないタクオでも、これがあれば戦力にはなる。

 タクオは剣術などに長けてはいないが、飛び道具の命中精度に自信はあるのだ。

「そんなのよく手に入れたわね。銃なんて魔法使いと同じで、おとぎ話のたぐいよ」

「僕の育ての親の、サキが持ってた。彼女は魔法使いなんだ」

「魔法使い……本物なの? 実在しないって言う人も多いわ」

「本物だと思うよ。僕が小さいころは、よく病気を治してくれた。手をかざすだけでね」

「そう。治癒魔法と呼ばれるものね。魔法使いの子だから、珍しい物を持ってるわけね」

「そうだよ。僕自身はただの孤児さ。魔法も全く使えない」

 それからタクオは運転席に座った。リリィにも座るように促す。

 恐る恐る、リリィがそのとなりの助手席に腰かける。

「シートベルトを締めて。こうして……そう、それでいい」

「なるほど。こうすれば落ちないのね」

「落ちないのもそうだし、急に止まると頭をぶつけたりするからね」

「それは痛そうね」

 ふたりともシートベルトを締めてから、ゆっくりジープを発進させる。

 するとリリィは車体をさわりながら驚いていた。

「ほんとうに動いてる……不思議だわ」

「落ちないように気をつけてね」

「落馬するより危なそうね」

「スピードが出るからね。村から出ると、こんなもんじゃないよ」

「もっと速いの?」

「いまはほら、そこの家の陰から人が出てくるかもしれないから。子どもとかね」

「――よう、タクオじゃねえか」

 村の出口で、騎士のリックと出会った。

 タクオと同い年の親友で、この村を治める領主さまの長男だ。

 なにかあったのか、彼は武装している。板金鎧を着こみ、馬に乗って槍を携えている。

 彼のお供という少女も、彼と背中合わせに騎乗していた。長弓(ロングボウ)を持っている。

「リック、どうしたの?」

「これから戦だ。俺も声をかけられた。魔王軍がキナ臭いらしい」

 魔王は大戦の末に、東の果てに封印された。七百年前の出来事だ。

 だが四大魔将軍などは残っていて、魔王軍は何度も攻勢をかけてきている。

 それで魔王領に最も近い地――人間の国であるノル王国が狙われているのだ。

 だから、戦がある度に兵が召集される。タクオの住んでいるダイシャ村からも、日ごろ畑仕事をしている農民が兵となり、貴族で騎士であるリックに連れられて戦にむかうのだ。

「悪いけど、僕はこれから仕事だから」

「サキから聞いてるよ。行ってこい。ケガすんなよ」

「君もね」

 タクオは戦が苦手だった。

 これから遺跡にむかう道中にも、敵が現れるかもしれない。

 だが冒険がはじまるのだ、それが楽しみでないといえば嘘になる。

 逆にリックは戦が好きだ。腕が立つし、それを披露するのが楽しみなのだろう。

 村を出る。石壁に囲まれた安全な村のなかから、危険な外へ。

 ここから先は猛獣も出る。魔物もいるかもしれない。

 盗賊と化した魔王軍の兵が、タクオたちを待ちかまえているかもしれない。

 そしてタクオの運転次第で、事故など危険なことが起こる可能性もある。

 油断は、できなかった。


   2.


 深い、とても深い谷の間。

 そこをジープで進んでいく。

 この村は高い山の上にあり、深い谷の底にあるのだ。村の東西が、高い崖になっている。その上がどうなっているかはわからない。誰も登ったことがないのだ。

 この辺りの空気はうすく、夏でも風は躰(からだ)をあたためてはくれない。いつも冷たいのだ。

 いまは早春だ。崖の上の雪が融け、それが谷に流れこみ、辺りは泥濘になっている。

 そこをタクオは慎重に進んでいった。慎重と言っても、馬で軽く駆けるより速い。

 周囲に誰もいないので、泥をはね上げながら進んでいった。

 湖や森のある南と違い、村の北には何もない。

 昔あった街道も荒れ果て、道とはわからなくなっている。

 何百年も前のこと。はるか北の地に住んでいた〝風の民〟ハルピュイア族が死に絶えた。

 魔王軍のはぐれ部隊と、壮絶な相討ちになったのだという。その跡地が天の遺跡だ。

 それで街道を使う者がいなくなった。だから街道は放置され、荒れ放題なのだ。

「速いのね。もう村が見えなくなっちゃった」

「ぬかるみだから速度は抑えてる。硬い地盤になったら、もっと速度を出せるよ」

「ちょっと怖いわね。だいじょうぶかしら」

「ジープにはブレーキもあるから、なにかあってもすぐに止まれるよ」

 北へ行くほど谷は細くなる。だが溜まった土もなくなって、地面は岩盤になるはずだ。

 その辺りは、知識としては知っていた。来るのははじめてだ。

 いつもは南に行って材木などを運んでいる。あるいは近くの町まで人を乗せるかだ。

 こんな国の端にも盗賊は出る。村の領主さまなど、貴族も往来するからだろう。

 商人などはこの村には来ない。隣の町までだ。儲けがないのか、村までは来てくれない。

 だから隣の町に買いつけに行く人がいて、そういう人がタクオの太い顧客だったりする。

「そう。この村に来るのは苦労したから、迎えに来てもらえばよかったかしら」

「迎えに行くには伝言か手紙がないとだから、もっと時間がかかったと思うよ」

「それもそうね。人に伝言を頼むぐらいなら、私自身が行ったほうが早いわ」

 谷が細くなってきた。谷は曲がりくねっていて、速度は出せない。

 日陰に雪が残っているところもあって、まだゆっくりと走る必要があった。

「やっぱり速いわね」

「僕としては、もっと速度を出したいんだけど」

「そう。それなら私も、すこし慣れなきゃいけないわね」

「慣れたらもっとリラックスできるよ。寝ちゃう人とかいるしね」

「信じられないわ……のんきというか、すこしは警戒心がないのかしら」

 警戒心。

 事故に対してもそうだが、タクオに対しても彼女は抱いているのだろう。

 朝早くに出発した。夜明け前にリリィが来て、そのまますぐに発ったからだ。

 しかし、谷を抜けるまでにはまだまだ時間がかかるはずだ。

 もう真昼になっていた。太陽が、ほぼ真上にまで来ている。

「休憩しよう。すこし疲れた」

「そうね。集中力を保つ。それにも体力が要るもの。ゆっくり休んでちょうだい」

 川原で休む。水を補給し、パンなども口にした。

 リリィが来る前に朝めしを食べて以来だったので、空腹は音が鳴るほどになっていた。

 リリィは酔ったりはしていないようで、干し肉をちぎってちまちまと食べている。

「パンは要らない? たくさんあるよ」

「けっこうよ。これがすこしあったらじゅうぶんだもの」

「そっか……」

 ピリッとしたものを感じた。リリィの態度からだ。

 会ったばかりなのだ、彼女には警戒されているのだろう。それでまだ壁があるのだ。

 客の話し相手になることは多い。愚痴などを延々と聞かされることもある。

 ずっと座ったままでいるのだ、暇になる人が多いのだろう。

 だが本などを読んだりすれば、酔ってしまう人も多い。

 だから雑談に興じたりする人が多いのだが、リリィはそうではなかった。

 タクオを信じきってはいないのだ。

 きっと誰が相手でもそうなのだろう。

 辺境の平和な村で、ぬくぬくと育ったタクオとは違うのだ。

 彼女のようなかわいい子。そんな子と話せるのは、正直言ってうれしかった。

 だが壁のようなものをはっきり感じて、タクオはすこしへこんだりもするのだった。


   3.


「そろそろ出発するよ」

 タクオがそう声をかけると、リリィは読んでいた書物を背嚢にしまった。

 座っている時もひざの上で抱えたままの、その背嚢。

 後ろの荷台に置いていいと声をかけたが、それもけっこうよ、と断られた。

 なんだか断られてばかりだった。

「じゃあ出発するね」

 リリィがシートベルトを締めたのも確かめ、タクオはジープを発進させる。

 リリィが長い、白い息を吐いた。それが後方に流されていく。

 ここまで警戒されるのは珍しかった。タクオは小柄で線も細い。

 まして、武器なども事前に見せるようにしているのだ。

 腰に差した拳銃。荷台に置いたシャベルや斧。それらがタクオの武器だ。

 彼女が着こんでいる、使い古された皮の鎧。手になじんでいそうな二振りのナイフ。

 彼女の正体はわからないが、激しい戦の中に身を置いていたことだけはわかる。きっと誰が相手であろうと警戒するのが、彼女の中では当たり前のことになっているのだ。

 真正面。

 そこで谷が終わっていた。緩い坂になっている。

 そこを登っていくと、いきなり視界が開けた。高台になっている場所だったのだ。

 そこでは周囲の山々が上から見える。東のほうには海まで見えた。地平線のきわだ。

 大陸の端。地の果て。

 サキや町で出会った行商人が言っていたことが、ようやくタクオにも実感できた。

 村からそう遠くないところで、海がはっきり見えるのだから。

「あれが海ね……はじめて見たわ」

「僕もだ。こっちに来たことはなかったから」

「もっと近くで見てみたいわね。全部終わったらの話だけど」

「全部って?」

「私の旅よ。私は大陸じゅうを回らなきゃいけないの」

「どうして?」

「それが使命だからよ。私に託されたことなの」

「そう」

 それきりリリィは、口を閉じた。

 それ以上踏みこむことは、彼女が拒絶している気配だった。


 高台を走っていた。

 だがすぐに周囲は山になった。高台の上に、さらに山があるということになる。

 天の遺跡は、空の上にあるとも言われている。それほど高い地ということだろう。

 タクオのいた村でさえも、かなり高い場所にある。

 村のなかに白い霧が立ちこめることがあるが、それは雲なのだとサキは言っていた。

 空の低いところに雲ができていて、村がその高さにまで突っこんでいるのだとか。

 周囲の山。

 そのてっぺんは見えない。そこにも雲がかかっている。

 その雲も低い位置にあるのだろうか。それとも山が高いのか。それはわからない。

 迷うかもと危惧したが、次第に街道が見えてきていた。

 高地にあって気温が低すぎ、草などもあまり生えないのかもしれない。

 石畳のしっかりした道が、ずっと先まで続いている。

「そろそろよ。〝風の民〟と呼ばれていたハルピュイア族の領地に入るわ」

 古い地図を拡げながらリリィが言う。それならかつての国境が近いということだ。

 ノル王国とハルピュイア族との間で、どこが国境なのかは話しあわれたはずだ。

 だがいまはハルピュイア族も滅び、王国も領域を縮小してしまっている。

「あれよ。あの山を目指してちょうだい」

 ひときわ大きな山が真正面にあった。それが次第に見えてきていた。

 その頂上は雲で見えない。いや頂上どころか、中腹でさえも見えない様子だ。

「日が暮れてきたわね」

 そう言って、指さきをこすり合わせるリリィ。

 彼女の手袋は指が出ている。あれでは冷えるだろう。

 タクオは予備の手袋も持っていたが、それを貸そうという提案も断られた。

「見えてきたわね。あれが天の遺跡のある〝天空の山〟よ」

 山自体はずっと前から見えていた。

 リリィが言っているのは、山の様子が見えてきた、ということだろう。

 山の斜面。そこに、ハルピュイア族の町がある。木の上に、小屋を創る。それが彼らの家なのだ。そのひとつひとつが見えてきている。それが夕陽に照らされている。

「あそこに泊まりましょう」

 リリィが指さしたのは、近くの高台にある小さな砦だ。

「砦じゃないわよ。あれは見張り台。敵が近づいてきたら警鐘を鳴らすの」

 道が真正面と右とに分かれていた。その右側、見張り台への道を登っていく。

 そして見張り台の前でジープを停める。エンジンも切り、荷台から毛布も出した。

「私は要らないわ。これぐらいの寒さは平気よ」

 リリィは断るだろう。そう思いつつも訊いた。毛布は二人分積んであったのだが。

 リリィは案の定断った。タクオの申し出は、なにひとつ受ける気はないようだ。

 リリィは腰のナイフに手をかけつつ、見張り台のなかへ踏みこんでいく。

 岩を削って作ったであろう見張り台は、持ち主がいなくなっても健在だった。

 蹴っ飛ばしても崩れたりはしないだろう。

「でも、上には上がらないほうがいいわ」

「それもそうだね」

 円形の建物。入り口のほかに窓が三つあり、四方が見渡せるようになっている。

 階段があり、屋根の上にも上がれるようだが、さすがにそれは危険すぎると思う。

 リリィの言う通り、登らないほうがいいだろう。登る意味も、あまりない。

「じゃあ、おやすみなさい」

 リリィは壁際で座って壁にもたれこみ、腕組みをしたまま目を閉じた。


   4.


「焚き火はしないでちょうだい」

 リリィがそう言う。頼むふうではなく、断定するような口調だった。

 あんまり寒いので、毛布だけでは足りない。二人分でもだ。

 だからタクオは火を焚きたかったのだが、リリィにきつく言われ、あきらめた。

「火を焚いたら外から丸見えよ」

「……そうかもね」

 こんなところにいったい誰がいるのか。誰もいるものか。

 タクオはそう思ったが、口には出さなかった。

 周囲の誰もを、自分で雇ったタクオですら警戒している彼女。

 その彼女のがんじがらめになった心は――警戒心は容易には解きほぐせない。

 それを感じ取ったから、タクオは何も言わなかったのだ。

 その警戒心の現れなのだろう、彼女は横になることさえしない。

 壁にもたれてはいるものの、座ったままで、ナイフも佩いたまま目を閉じている。

 これではとても休まらないだろう。タクオはそう思う。心配に思いもした。

 だがそれを口には出せずにいたところに、リリィのほうから口を開いた。

「――私は平気よ、タクオ」

 タクオの視線。

 じろじろと見たりはしていないが、それだけで察したらしい。

「ずっとこうだもの」

「ずっとって……」

「ずっとはずっとよ。ずうっとね。そうね、三年ぐらいかしら――」

 三年前には大戦があった。魔王軍の四大魔将軍の四人ともが攻めかけてきた大攻勢だ。

 魔王軍の大軍二十万に王都は包囲され、魔王軍の精鋭には王宮にさえも侵入された。

 それで王家の方々は皆殺しにされ、それからノル王国の王位は空位となっている。

 それほどの大事件があったのが、三年前だ。

 リリィもその事件にかかわっているのだろうか。

 それを訊き出すことは、彼女が組んだ腕が拒絶しているという気がする。

 そして。

 当時の王と王女の肖像画は、至るところで目にする。タクオでさえも見たことがある。

 となりのバイシクル町に仕事で行って、そこの領主の屋敷にお邪魔した時だ。

 二人の髪は赤髪なのだ。リリィと同じ真紅の髪だ。ほかに見たことのない色だ。

 彼女と王家は、いったいどういったつながりがあるのか。

 当時の王女さまにそっくりな彼女は、王家の一員だったのではないか。

 彼女は――三年前に死んだはずの王女さまではないのか。

 タクオはそう思っていたが、それを問いただすことは、できずにいた。


   5.


 あまり眠れなかった。

 火も焚けなくて寒いから、という理由だけではない。

 リリィの緊張が、タクオにも伝わっているからだ。

 うう寒、と躰を丸めるタクオ。

 小声でつぶやいたつもりだったが、リリィには聞かれていたらしい。

「ごめんなさいね、タクオ。寒いでしょ。でも、それだけ危険な旅なのよ」

 事前に言っておくべきだったわ。そう言ってもう一度謝るリリィ。

「そんなこと……僕は君を助けるって決めたんだ。君の力になるってね」

 彼女はなにかを背負っている。タクオの思っている以上に壮絶ななにかを。

 それがわかっていたから、タクオは料金さえも話しあわずに村を出発したのだ。

 これまでにない依頼を請けたのだ、料金の指標になるものはなにもない。

 彼女を信じていないわけではないが、信じる根拠も、なにひとつないのだ。

「どうして? どうしてそこまでしてくれるの?」

 理由なんてなかった。リリィの瞳。それを見て決めた。それだけのことだった。

「そう。そんな瞳をしていたかしらね」

 腕組みを解き、床の上に手を置く彼女。すこしは警戒を解けたのだろうか。

「タクオは野宿をしたことはないの?」

「ひと晩だけなら。連泊したことはない」

「そう。私は逆に、宿に泊まることさえなかったわ」

「それは……大変だね」

 言葉に詰まった。

 彼女のそれが、ただの旅ではない。それがたちどころにわかったからだ。

「まるでさすらい人みたいだ」

「みたい、ではないわね。私はさすらい人の一員だもの。だった、というべきかしら……」

 さすらい人。レンジャーとも呼ばれる人たち。

 荒野を流離(さすら)いながら、魔王軍と戦っている人たちだ。

 盗賊や野伏に性質は似ていて、戦うためならどんな手段もいとわないという。

 彼らに守られていることはわかっていても、関わり合いになりたくはない。

 そんな連中だった。少なくとも、好感を持っている人に会ったことはなかった。

「じゃあ、なんでひとりで? さすらい人は集団のはずだ」

「私に賛成する人がいなかったのよ。私の力になろうって人も。ひとりもいなかったわ」

「だからか」

「ええ。誰も賛同しなかったから、私はひとりで旅をしてるの。戦で力もつけたしね」

「…………」

 女の子がひとりで旅をする。それも、国外のこんな苛烈な場所に赴く。

 その目的はいったい何なのだろう。

「探し物よ」

 訊いてみても、リリィはそう言う。そう言ってはぐらかす。

「魔王軍が集まってるわ。さすらい人は魔王領にも入るの。だからわかる」

 リリィは言う。今度の魔王軍はとても止められないと。

 王国は王位さえも空位で縮小している。一方で魔王軍は増大している。

 だから戦では勝ち目などないと。だから彼女の探し物が要るのだと。

 彼女は淡々と、だがか細い声でそう言うのだ。

 涙など、涸れきった。そんな声でそう語るのだ。

「魔王軍を止めるため。そのために私は旅をしてるんだから。だから泣き言なんて言っていられないの。弱音なんて吐けないの。立ち止まるどころか、ためらうことさえできない」

 立ち上がるリリィ。こちらにむかって歩いてくる。

 そして座っているタクオの前でしゃがみ、彼を覗きこんでくる。

「心配してくれてありがとう。感謝するわ。でも平気。私はだいじょうぶだから」

 そうやわらかい声で言って、元の場所に戻るリリィ。腰を下ろして膝を抱える。

「怖くはないの?」

 タクオはつい訊いていた。

 彼は怖かったからだ。村の外が。夜の闇が。怖くてたまらなかったからだ。

 リリィは膝を抱えたままで、無表情にこう語る。

「怖がってる余裕なんてなかったわ……必死で戦って、必死で逃げて。そのくり返しで、いまも生きてる。立ち止まることすら、考えてる余裕すらなかったから」

 リリィの瞳は宙を見ている。どこにも焦点が合ってないように思える。

 ほんとうはどこを見ているのか。どこに想いを馳せているのか。

 それも、タクオは訊けないままだ。

「タクオはわかるかしら。さすらい人の戦いがどういうものか」

「よく知らないな。農兵として、戦に参加したことは何度かあるけど……」

 領主さまの命令で、村じゅうの男たちが集められる。武器は各々が持っていく。

 そうして領主さまの長男であるリックを先頭にして戦場へ赴く。それが戦だ。

 盗賊や魔王軍のはぐれ部隊が主な相手で、大人数で叩きのめすばかりだった。

「そう。じゃあやっぱり、死すれすれの戦いなんて経験してないのね」

 いいことだわ――うらやましいくらい。

 そうこぼすリリィは、どれほどの戦いを経験してきたのだろう。

「私? たった五十人で、千人以上もの魔王軍を相手取ったこともあるぐらいよ」

「それ、絶対に勝てないでしょ」

「勝ちの定義によるわ。私たちは魔王軍の食糧を焼き払い、井戸さえも埋めて立ち去った。魔王軍は、それ以上進軍できずに撤退した……一度も戦ってないけど、私たちの勝ちよ。敵は大勢いたからこそ、かえって補給ができなかったのよ」

「そういえばサキも言ってた。戦は、目的を果たしたほうの勝ちだって」

「そうよ。だからさすらい人は、真正面からは戦わないの。斥候を狩り、食糧を焼いて、時には町さえも焼いて逃げまくる。そうすれば敵は、その町を占領できないもの」

「町を占領できなければ、次の町には進めない。ましてや食糧を狙われてちゃ」

「そういうことよ。そういった戦い方が多いから、さすらい人は野蛮と見なされることも多いのだけれど。騎士道みたいなものには反するし。町を焼けば、被害者も出るわけだし」

「さすらい人が悪く言われるのって」

「騎士道を重んずる人たちに、よく思われていないからよ。野盗みたいなことをする人もいるから、それで忌避されてるのもあるけど」

「騎士道か。子どものころはあこがれたけど」

「実戦じゃ、そんなことは言ってられないわ。戦いは三度剣を受けてからとか、正面から堂々と戦うべきとか言われるけど。そうは言っても、魔王軍は矢に毒を塗ってるし」

「奇襲、夜襲なんかも得意みたいだしね」

 その夜襲を警戒する。彼女はそれが当たり前なのだろう。

 タクオのような、一度寝たらなかなか起きられないダメ人間には考えられないことだ。なんだか申し訳なくなってくる。

「いえ――それでいいのよ」

「というと?」

「人々が安心して暮らせる。それに勝る喜びはないわよ。戦ってる甲斐があるというものだわ。そのために戦ってるんだもの」

「それでも悪い気がするなあ」

「タクオは気にしすぎよ」

「そうかな」

 きっと当たり前なのだ。彼女にとっては、戦うことが。

 しかし当たり前すぎて、戦いのない人生など想像できないのかもしれない。

「でもリリィも、はじめからそうだったわけじゃないでしょ?」

 タクオはそう訊いてみる。それにもリリィは、抑揚のない声で答える。

「そうだわ。女で子どもだから腕力がない。ふかふかのベッドに慣れちゃっていたから、眠れないのに起きられない。そんな感じだったわ」

「眠れないのに起きられない、か」

「そうよ。眠れなくて疲れは取れない。それなのにいざ敵が来ても起きられない。そんな感じだったわ。ほかのさすらい人に、迷惑をかけまくっていたわね」

「やっぱりそんなころはあったんだ」

「はじめのうちだけね。すぐに慣れたわ。そうでなきゃ生きられなかったもの」

「魔王領にも入るんでしょ? よく生きてるな、と思うよ」

「そうかしらね? 見張りのために兵が分散してるから、奇襲するときは割と楽なのよ。敵がこちらに攻めてきたときのほうが、ひと塊になっていて厄介ね」

「そういうもんなのか」

「そういうときは、近くの町に立てこもったりすることもあるわ。各地に散って、援軍をかき集めてきたりね」

「さすらい人って何人ぐらいいるの?」

「知らないわ。ひとつの塊が五十人ほど。その塊がいくつもあるわ」

「そうか。総数を知らないでいれば」

「敵に捕縛されたとしても、総数を吐かないでいられるのよ」

 足を伸ばし、両手を床に置くリリィ。

 相変わらず、口を固く引き結んでいる。だがすこし表情が和らいでいる気がした。

「タクオ。私を心配してくれてありがとう。でも私はさすらい人なのよ。横にならないで眠るなんて平気。それが、当たり前なのよ」

「でも……」

「いつだって、気を張ったまま寝てるわ。それでいいの。ベッドに入って子守唄を歌ってもらったとしても、きっとぐっすりとは寝られない。躰に染みついちゃってるの」

「僕が見張ってたとしても?」

「ええ。あなたを信頼してないわけじゃない。あなたになにかされると思ってるわけでもないわ。敵がすぐそばにいる。その状況に慣れきってるのよ」

「そう」

「その毛布も要らないわ。あなたの申し出はうれしいの。ただ、毛布を着こむと身軽ではいられなくなっちゃう。私がナイフを持ってるのも、剣や槍より身軽だからよ。それほど身軽さを追い求めてるの。それが、必要なのよ」

「そっか。焚き火も」

「敵に見つかっちゃう。そう思ってしまうのよ。そういう習性なの」

 そう言ってうつむくリリィ。前髪に隠れ、彼女の瞳が、表情がよく見えない。

「だから、気にしないで。あなたこそ躰を休めて。明日も運転しなきゃなんだし」

「それもそうだね」

「じゃあおやすみなさい。夜も更けたわ。ぐっすり眠ってちょうだいね」

 リリィはそう言い、腕を組んで目を閉じた。


     6.


 リックは急いでいた。

 騎馬で町へとひた走る。

 農兵の招集と指揮は父に任せてある。リックのほうが武勇に長けているというだけで、本来の指揮官は、村の領主貴族である父だ。交代することは、べつに問題にはならない。

 いま、王の義弟であるユーリー=リース大公の名に置いて、騎兵が集められている。

 ユーリーは、身分の高い大貴族というだけではない。

 二十年以上も魔王軍と戦いつづけている、人類すべてにとっての大英雄だ。

 三年前の大攻勢が起こったときも、彼が魔王軍を撃破して勝利した。

 それほどの男が、ノル王国じゅうの騎兵を残らずかき集めているのだ。

 なんらかの異常事態で非常事態なのだろう。

 リックはその招集に応じるために、町へと全力で駆けていたのだ。

「リックさま。私も参加してよろしいのでしょうか」

 と、リックと背中合わせで騎乗しているミーナが言う。

 彼女はコビト族の生き残りで、村で父に拾われ、いまはリックの従者になっていた。

「ユーリーは騎乗射撃で有名だ。馬に乗りながら弓を射るんだよ」

「ああ、それで」

「俺が馬を操る。おまえが弓を使うんだ」

 手綱を使わずに馬を操る。リックはその領域に達していない。

 だからミーナを乗せたのは、その代替手段だった。そうすれば騎乗して矢を放てる。

 そうしてリックたちは、目的地にたどり着いた。

 ダイシャ村から最も近い町――バイシクル町の郊外だ。ここは魔王軍の領域にも近い。

 そこに騎士たちが集まっている。大きな旗があるので、その下にユーリーがいるはずだ。

 ほかの騎士たちに挨拶をしながら、リックはその旗のもとへむかった。

 ガハハ、と高らかに笑う声。オーク並みの巨躯を持つ黒騎士。

 彼がユーリーだ。大貴族なのに、山賊の頭のような、豪快な男なのだ。

 それもそのはず、彼はかつてさすらい人だったのだ。土地も持っておらず、平民ですらなかった。村や都市での、長期間の滞在すら許されない。そんな身分だったのだ。

 そこから武勇で成り上がり、この国で有数の大貴族にまでなった。それがユーリーだ。

 その勇猛さは世に鳴り響き、しかし政治や統治の手腕まである。そういう男なのだ。

「ユーリー、新人だぜ」

 誰がリックを指さした。リックは軽く頭を下げ、すこし前に出る。

 だが馬から降りようとしたところで止められた。腕前を試す、とのことだった。

「行くわよ!」

 突っかけてきたのは、黒いマントを着た女性の騎士だった。ユーリーの側近のようだ。

 彼女が名乗る。クレイ=クロウというらしい。

 だがリックが名乗る前に、攻めかけてきた。

 彼女はすれ違いざま、腕ほどもある太い鞭を叩きつけてきた。

 リックはそれを槍で跳ね除けたが、彼女が速すぎ、反撃できない。

 だがリックは反撃できなかったが、ミーナが彼女を追い打った。彼女の背中に矢を放つ。

 彼女も弩弓の矢を放とうとしていた。だがミーナの矢をとっさにかわす必要に迫られ、それどころではなくなっていた。

 その間に距離が離れ、矢の距離ではなくなっている。

 パチパチパチ、と手を叩かれる。ユーリーが手を叩いていた。ほかの人もそれに倣う。

 リックと女性は動きを止める。ミーナも弓につがえていた矢を外した。

「やるな」

 ユーリーがそう言って近づいてくる。そして、ミーナを抱き上げた。

「後ろにも攻撃する。それができる者は少ない。なかなかやるじゃねえか」

 合格だ、とミーナを鞍の上に戻すユーリー。どうやらお眼鏡にはかなったらしい。

「名を何という」

「リック=ライドです。こっちはミーナ」

「よろしくな。おまえらには俺の軍――〝影騎兵〟に入ってもらう。色もいっしょだし」

 たまたまだが、リックやミーナの武装も黒だ。ユーリーたちと同じ色だった。

「昼には目立つ。強い圧力をかけられる。そして夜には目立たない。奇襲がしやすい」

 黒はそういう色だ、と高笑いをするユーリー。

 このあたりには二百騎近くが集まっていたが、影騎兵に選ばれたのは十騎だけだった。

 そしてこれから影騎兵だけで、敵軍に攻撃するのだという。

「魔王軍が集結中。こっちもだ。だから来るとは思ってない。準備中だし。そこを叩く」

 ユーリーはそう言い、その十騎を率いてひた走る。魔王領のある東の地へだ。

 すさまじい速度だった。速度自慢のリックも置いていかれそうになった。

 とても重装備の騎兵とは思えない。ましてユーリーは、相当な巨躯なのだ。

「すげえな……こんな人とともに戦をするのか」

 リックは思わずつぶやいていた。


     7.


 見張り台の外を、タクオは見やる。

 だが朝もやがかかっていてほとんど見えない。

 リリィは立ったまま、干し肉をちぎって食べている。タクオもパンを咀嚼した。

 朝もやが晴れるまで、待つことになった。こんな状況では運転できないからだ。

 昨日とは打って変わって、リリィは無口だった。おはようとさえ言わないのだ。

 すこしは打ち解けたかと思っていたが、タクオの思いこみだったのかもしれない。

「タクオ、後ろを見て」

 リリィが淡々とそう言うのでふりむくと、大きな皿ほどもあるクモが飛びかかってくるところだった。

 タクオは身構える。だがとっさのことで何もできない。顔を腕で庇っただけだ。

 だがそのクモが、空中で真っ二つになる。

 クモを真っ二つにしたもの。それはリリィのナイフだった。

 彼女がタクオの肩越しにナイフを投げつけ、クモを両断したようだった。

 だがそのナイフが戻っていく。魔道具だったのだろう。それをリリィがキャッチする。

 うまいな、と思ったところだった。リリィの背後。壁を這い寄って降りてくるもの。

 タクオの背たけほどもある大グモだ。危ない。そう叫ぼうとした矢先だった。

 リリィが後ろも見ずにナイフを一閃させる。大グモの頭部がポトリと落ちた。

 ナイフを振って血を払い、それから鞘に納めるリリィ。

 その背後で、壁に張りついていた大グモの巨躯が地面に落下する。

 切断面が綺麗すぎるからだろう、大グモの死体からの出血はほとんどなかった。

 淡々としている。作業をしているようだ。慣れきっている、ということなのだろう。

 タクオはその腕前と精神性に、素直に感心した。

「すごいな……」

「こんなの楽勝よ」

「いやすごいって。村に出たら、大勢で戦わなきゃいけない相手だ」

 魔物は強力だ。運動性能は高く、力は強く、傷ついてもなかなか倒れない。

 大勢で弓と槍を使い、ハリネズミのようにしてようやく倒せる。そんな相手なのだ。

 それをひとりで討ち取った。それも一撃でだ。奇襲に感づいたのもすごい。

 これほどの腕前だから、ひとりでも旅ができるのかもしれない。

 タクオはそう思った。


 朝もやはすぐに晴れた。出発の準備をする。

 リリィは何か言う前に、助手席に腰かけている。

 タクオもすぐにジープを発進させた。行くよと言うが、リリィは答えない。

 しばらくはなにもなかった。石畳の道をずっと進んでいく。それだけだった。

 が、ときどき魔物を見かけた。トカゲのようなヤツ。蛇のようなヤツ。いろいろいた。

 道にいなければ無視して走った。道にいれば、クラクションを鳴らして追い散らした。

 むかってくる魔物には、リリィがナイフを投げて対処した。

 タクオが撃つ暇などない。そんな感じだった。早わざすぎるのだ。

 それからタクオたちは、ハルピュイア族の町へ入った。

 彼らの町は、天空の山のふもとにあり、山にもすこし入りこんでいた。

 すこし間を空けて立ち並んでいる大きな木。その上に創られていた小屋の跡。

 小屋はすでに朽ち果てていて、木だけがいまだに元気だった。

 町を囲む城壁などはない。なにかあったらどこかに避難したのかもしれない。

 空を飛べるのだ、機動力も戦い方も、タクオの想像の外にあるのだろう。

「敵よ」

 リリィがそう言ったのは、町を抜けた後だった。天空の山の登り坂だ。

 魔物の兵士ゴブリン。小柄だが力は強く、武器を扱えるほどに知能が高い。

 それが道の真ん中にいたのだ。

 タクオは急ブレーキを踏んだ。ジープが停車する。

 同時にリリィが飛び出していった。二体のゴブリン。そこに駆け寄るリリィ。

 ゴブリンはポカンとしている。

 その首にむかってリリィが真横に一閃。また逆方向にナイフを一閃。

 その二振り。それでゴブリンの首は飛んだ。

 物言わぬゴブリンの首が落ちる。遅れて躰がどさりと倒れる。

「ここまで魔王軍が来てる……急がなきゃ」

 ブツブツとつぶやくリリィ。

「この先に宝物でもあるのかな」

「そうよ。私の捜してるものがね。だから急いで。魔王軍は近づけないと思ってたけど、私が甘かったみたい」

「わかった」

 どこかで休もうと思っていたが、それどころではなくなったようだ。

 リリィの口ぶりからして、ゴブリンはほかにもいるのだろう。

 もしかしたらこの辺り一帯に、うようよいるのかもしれない。

「じゃあ急ごう」

 リリィが助手席に飛び乗る。タクオはアクセルを踏みつけた。

 魔王軍の兵士ゴブリン。その数は何十万といる。王国の人口より多いほどだ。

 並の男より力はあるし、矢を体中に射こんでもなかなか死なない。群れを成して言葉も話すし、集団戦や兵法というのも理解している。それがゴブリンだ。それほどの脅威なのだ。

 しかし。

 それ以上に気になるのは、リリィの言葉だった。

 魔王軍は近づけないと思ってた。先ほどリリィはそう言った。

 魔王軍が近づけないような魔道具はほとんどない。あればどこかの軍が使っている。

 だが例外はある。

 それが伝説の秘宝である〝宝玉〟だ。秘宝中の秘宝だ。その価値は、天井知らずだ。

 宝玉は全部で七つあり、すべてそろえたものは神の力を得られるという。

 そしてそれらの宝玉は、七百年前の大戦で使われ、魔王軍を率いる強大な魔王を、東の地に封じたのだといわれている。

 それなら魔王軍は近づけない。

 魔物はすべて黒の力に属するものであり、宝玉は強大な白の力そのものだからだ。

 だがそんなものはおとぎ話だ。有名ではあるが、到底信じられない話だ。

 ふつうはそう思う。

 彼女はひとりでここに来た。

 誰にも賛同されなかったからだ。仲間で戦友でもあるさすらい人にすらもだ。

 おとぎ話に身を投じたのならそうなるだろう。誰も信じなかったのだ。

 だがタクオは聞かされていた。育ての親であるサキに、本物の魔法使いでもある彼女に、歴史的事実として聞かされていた。

 神の力を封じた七つの宝玉のこと。

 その力を行使する七人の聖騎士のことも。

 彼らは七百年前に魔王軍と戦い、宝玉の力で魔王を封印した。

 そのうえで宝玉が悪用されないよう、そして壊されないよう各地に隠蔽した。

 その七百年前の大戦では、さまざまな種族が力を合わせて魔王軍と戦ったという。

 それらの種族に、その宝玉は預けられたのだ。

 その力があったから、六百年以上もの間、魔王軍の侵攻はなかったのだ。

 宝玉は魔王軍に対する勢力を囲むようにして置かれ、その力で魔物が近づけないようになっていたからだ。

 しかし二十年前に大戦があった。タクオが生まれる前のことだ。

 それは途方もない大事件だが突然のことで、人間側は備えなどしていなかったという。

 七百年前の多いk巣あ生き残った魔将軍たちが結託し、人間の国の都市を攻め滅ぼしたと言われている。東の都といわれる人間の街――東都ハイウェイは、その時から魔王軍の支配下に陥り、魔軍都市パンツァーと名も改められたという。そこがもともとは城塞都市だったのもあって、いまもそこは奪回されていない。

 それからの二十年は戦続きだ。三年前にも大攻勢はあった。

 魔将軍たちはさらに王都を包囲して、精鋭を潜入させて王家の人々を皆殺しにまでした。

 しかし魔将軍たちはユーリーに敗れた。それから東の地に撤退させられたのだ。

 少数精鋭による奇襲で叩かれ、大軍が撤退したのだという。すさまじい武勲だ。

 宝玉の話がほんとうだったとしても、その力は失われている――。

 そう思われていてもおかしくはない。現に魔王軍が攻めてきているのだ。魔物が街道に現れるようにもなったし、少数の魔王軍が頻繁に国境を侵してきている。

 だがリリィが捜しているのなら、宝玉の力はまだ顕在なのかもしれない。

 しかし、何のためにそれを欲しているのか。ひとりで命がけの旅をしてまで欲している。

 その理由がよくわからない。ただ魔王軍を止める、というだけではない気がする。

 それならば、魔王の復活が近いのかもしれない。

 魔王を封じて七百年が経った。いつ復活してもおかしくない、という気もする。たとえ宝玉の力が神の力でも、月日が経てば弱っていくだろう。いずれ尽きてなくなってしまう。きっとそういうものだからだ。

 魔王の再封印。それがリリィの目的なのか。けれど、それを訊いたところで、リリィが答えてくれるはずもない。最悪、口封じに殺されてしまうかもしれない。魔王軍の前に、タクオの口が封じられる。そう思って彼は黙っていたが、リリィのほうから口を開いた。

「あなたの考えている通りよ」

「えっ」

「私は宝玉を探し求めてる。魔王軍と、そして魔王と戦うためよ」

「そうだったんだ」

 宝玉の力を使い、魔王軍に対抗する。二十年前から言われていることだ。

 だが実行しようとした者はいない。宝玉が各地に散っていて、試すのは不可能だからだ。

 さまざまな種族や国の事情が絡み、宝玉を再び集めるのはほぼ不可能と言われている。

 そもそも、宝玉の在りかが判明しているのも六つだけで、最後のひとつは行方不明だと言われているのだ。

 それをこの大陸じゅうから捜し出す必要がある。

 そんなこと、ほぼ不可能だろうとタクオは思っている。

「ええ。ドワーフやエルフも説得して、宝玉を譲ってもらうつもりよ」

「彼らが認めてくれるかな」

「認めさせるのよ。人間はずっと最前線で、魔王軍と戦ってきたんだから、彼らは人間に借りがあるもの。まして私たちさすらい人には、頭が上がらないはずよ」

 そう決意を口にするリリィ。

 そう語る彼女は、どこか遠くを見つめていた。


   8.


 その後。

「そこで停めてちょうだい」

 リリィが切迫した様子でそう言うので、タクオは急ブレーキをかけ、あわててジープを停車させた。。

 彼女はジープから素早く飛び降り、森のなかへと駆けこんでいく。

 かん高い悲鳴が聞こえた。ひとつではない。複数聞こえた。怒声も続いて聞こえる。

 それからゴブリンの首を引っつかんだリリィが、森のなかから飛び出してくる。

 そして、それを追ってくるゴブリンたち。怒りの声を上げている。

「やあっ!」

 リリィが叫び、振り返りざま、背後にナイフを投じた。

 ナイフはゴブリンの額に刺さり、リリィの手に戻っていく。

「それっそれっ!」

 ナイフを二振りとも投げた。それぞれがゴブリンの急所に突き立つ。

 またゴブリンが今度は二体、リリィのナイフによって倒れ伏す。きっと死んでいる。

 だが四体目がリリィにむかって斬りかかった。ナイフはまだゴブリンに刺さっている。

 タクオはとっさに銃を使う。距離はおよそ八歩分。見事にゴブリンの頭部を撃ち抜いた。そいつが倒れ、動かなくなる。

「助かったわ」

 リリィはそう言い、周囲をきょろきょろと見回している。耳も澄ませているようだ。

 タクオはドキドキしていた。魔物を、それも魔兵と呼ばれるゴブリンをはじめて倒した。大勢で袋叩きにしたのではない。ひとりでそいつを、仕留めたのだ。

「タクオも捜して。生き残りがいたら、本隊に連絡されるかもしれない」

「わかった」

 森のなかに見張り小屋があった。これも岩を削ったもののようだ。

 すでに木々に埋もれていたが、ゴブリンたちが活用し、この道を見張っていたらしい。

 ほかにゴブリンはいない。それを確信するのに時間は要らなかった。

 タクオは眼で見て確かめなければならないが、リリィは気配でわかるみたいだった。

「こいつら、きっと盗賊じゃないわね。ここは頻繁に使われている街道じゃないんだもの、通っていく人から分捕れる物なんてないわ」

 とリリィがつぶやく。

「おそらく魔王軍も、私の集めているものを狙ってるんだわ」

「――宝玉を?」

「使うためではないでしょうね。おそらく壊すためよ」

「そうすれば魔王は」

「封じるすべがなくなっちゃうわ。敵より先に宝玉を手に入れないと……」

「わかった、急ごう」

 乗って、とタクオはリリィを促した。彼女は無言でジープに飛び乗る。

 アクセルを蹴飛ばすように踏みこんだ。ジープが荒々しく急発進する。

 リリィもジープに慣れてきている。もう遠慮は要らなかった。


 またゴブリンに遭遇した。

 今度は騎兵、騎馬隊だった。

 タクオたちは、後ろから追われた。昼すぎのことだ。

 魔物の馬に乗ったゴブリンが二騎。嗤いながらタクオたちを追ってきた。

「魔王軍の斥候よ!」

 かなりの速度を出している。通常の馬では、あっという間に振りきれる速度。

 だが奴らはこちらに追いすがってきた。魔物の馬はそういうものだと聞いたことがある。

「そこ!」

 リリィが叫ぶ。

 ミラーの中。二体のゴブリンののどに、二振りのナイフが命中する。

 タクオが後ろをふりむくと、魔物の馬ごとゴブリンたちが倒れ伏すところだった。

 魔王軍の兵士。それを全く寄せつけないリリィの強さ。

 それを間近で目の当たりにして、タクオは直に感嘆していた。

 ――すごい。とんでもない腕前だ。

 タクオはそう思った。敵などいないんじゃないか。そう思うほど彼女は強い。

 しかし、彼女の強さにも限界はあった。

 十騎ものゴブリンが追ってきた。今度も斥候だろうとリリィは言う。

 戦ってみて戦力をはかる。それを威力偵察という。そういう斥候もあるらしい。今回のゴブリンはそれだろうとのこと。

 敵はつかず離れず追ってくる。リリィのナイフがわずかに届かない距離のようだ。

 道が急に狭くなった。急な登り坂になり、曲がりくねっている。

 天空の山。いよいよそこに入ったのだ。

「やあっ!」

 カーブでゴブリンとの距離が詰まった。そこにナイフを投射するリリィ。

 ナイフは見事に先頭のゴブリンに当たった。怒り、距離を詰めてくるゴブリンたち。

「はっ!」

 またリリィがナイフを投げる。また先頭のゴブリンを的確に仕留めた。

 ゴブリンが道を外れていた。蛇行する道を外れてまっすぐに登っていき、タクオたちの先回りをしようとしたのだろう。

 これほど急な坂でも駆け登れる。それが魔物の馬のようだ。

「タクオ、速度を上げて!」

「言われなくても!」

 またゴブリンが道を外れた。今度は三騎だ。リリィのナイフで仕留めきれない数だ。

 もし先回りされたらまずい。前後から挟み撃ちに遭う。

 タクオは思い切りアクセルを踏み、暴れるジープを抑えこむようにして走った。

 車体が激しくブレる。タイヤが横滑りする。わずかな段差で車体が跳ね上がる。

 だがどうにか制御した。思うようにいかず、暴れまくる車体をコントロール下に置いた。

 先回りしようとした一団。そいつらをどうにか追い越した。

 前後から挟み撃ちされる事態はかろうじて回避した。

 だがそいつらが後ろから追ってきている連中と合流し、再度追跡を開始する。

 しかしそいつらはまた道を外れた。先回りするのを諦めてはいないらしい。

「やあっ!」

 急な坂を登り、真横から突進してくる三騎。そいつらにナイフを投げつけるリリィ。

 敵もそれを警戒していて、片手剣でナイフを跳ね除けた。ナイフはリリィの手に戻る。

 だがナイフの防御で敵の足が鈍った。その隙に駆け抜け、挟撃をなんとか避ける。

 左カーブ。後輪を滑らせながら曲がった。運転席が谷側になる。

 真横から突進してくる敵の騎兵。そこにタクオは拳銃を撃ちつけまくった。

 銃弾の一発が先頭の肩に当たった。

 敵の足がわずかに鈍る。その間に騎兵の鼻先を通り抜け、また挟み撃ちをさせなかった。

 それをくり返す。タクオとリリィ。谷側になったほうが、敵に攻撃して足止めするのだ。

 それで先回りをさせずに妨害、挟み撃ちをさせずに防ぐ。それを徹底した。

 敵が退いていく。追ってくるのをやめたようだ。馬首を返し、山を駆け降りていった。

「今度は本隊が来るかもね。いったいどれだけいるのやら」

 淡々と言うリリィ。だがタクオは青ざめていた。

「もしだよ。もし山の上に追いこまれたら――」

「そこで戦うしかないわ」

 平然として言い放つリリィ。

 だがタクオの頭に不安がのしかかってきて離れない。


 雲を突き抜けた。

 雲の上に出る。

 そこからの景色。まるで雲の平原だった。雪景色にも似ている。それがずっと広がっているのだ。

 そして道も見えている。山の稜線だ。

 それが雲から浮き出ていて、道のように続いている。

 その道はほかにもあった。道はいくつもあり、枝分かれしたり合流したりしている。

 そこを駆けてくる騎馬兵。魔物の馬とゴブリンだ。

 相当な数が見えている。タクオたちと並走している。

 道がつながっているところで先回りされるかもしれない。

 タクオはアクセルを踏みこんだ。

「まずいわね。ゴブリンが多すぎる。そして統制が取れている」

「……?」

「ゴブリンに限らず、魔物は我が強いわ。なかなか命令を聞かないの。数が多いと特にね」

「じゃあ命令を聞かせられるヤツがいると」

「そういうこと。強力なリーダーがいるはずよ」

 やがて道がひとつになった。道はまっすぐに北にむかっている。

 日が暮れかけ、薄暗い空。そこにぼんやりと見えてきたもの。

「あれが天の遺跡よ。ハルピュイア族の神殿があった場所。風の聖騎士が祀られていたの」

「じゃあそこに」

「宝玉があるはず。〝風の宝玉〟よ。それを先に手に入れなくちゃ」

 神殿は、さらに高い台地の上にあるようだ。そこを登る道が一本だけある。まっすぐで急な坂道だ。

 そこを駆け登り、そのてっぺんで停車させた。辺りを見渡す。

 タクオたちは山頂へたどり着いていた。そこには平たい台地がある。

 その台地のほとんどを占める神殿。

 それはすべて崩れていた。なにもない。瓦礫の山だけだ。

 その端に、苔むした石像がひとつだけ屹立している。祈るような姿勢の騎士の石像。

 それ以外はすべて瓦礫だった。

「来るわよ!」

 無数のゴブリンの騎兵。それが坂の下に殺到している。

 そこに雷が落ちた。何度もだ。焼け焦げる匂いがここまで漂ってきた。

 リリィの手。そこに丸い玉が乗せられている。紫色の透明な玉だ。

「――それも宝玉か!」

「ええ。王家に伝わっていた〝雷の宝玉〟よ。とても扱いが難しいのだけど」

 リリィが宝玉の力で落雷を起こす。雨のように雷を落とした。

 だがそれをいくらぶっつけても、敵の騎兵は止まらない。

 この道は幅広い。ジープ四台分は優にあるか。

 だから敵の侵攻を食い止められないのだ。

 右に雷を落とせば、左から騎兵が駆け登ってくる。

 それを迎え撃てば今度は右から突進してくる。

 そのくり返しで、すこしずつ敵に近づかれていた。

 そして、その時だった。

「あの二人を殺せ! 行け、宝玉も破壊しろ!」

 雷鳴のような怒声が鳴り響いた。地響きのように低い声だ。

 ゴブリンのキーキーとかん高い声とはまるで違っている。

 あまりの大音声と迫力に、タクオは腰を抜かしそうになった。

「オーク……」

「嘘、だろ」

 リリィがつぶやく。タクオはそれを聞いて、背すじの凍るような気持ちになった。

 オークは人型の魔物だ。

 ただしゴブリンと違い、人よりずっと大きくて重い。

 その力も、比較にならないという。

 矢も剣もオークには効かないなどと言われていて、その戦闘力は、ゴブリン百匹に勝るという。

 数多くの戦場に現れ、少数や一体であっても戦局を大きく変えてしまい、殺戮の限りを尽くしたといわれる〝魔将〟。

 それがオークという怪物だった。

「宝玉の力は接近戦では使えない。敵を近づかせないで!」

 リリィの悲痛な声。

 タクオも拳銃を使っているが、まだ遠すぎて当たっていない。

 敵が近づいてきた。タクオの拳銃も当たるようになる。

 だが敵の投石なども近くをかすめていく。タクオはジープの車体に身を隠した。

 リリィもそうして、二人で車体に隠れながら戦った。

 タクオは拳銃を使う。リリィもナイフを投げつける。

 すでに距離が近すぎ、宝玉の力が使えないようだ。

 あれほど大規模な落雷だ、接近戦ではこちらも巻きこまれてしまうのだろう。

 だがその大規模な落雷を前にしても、ゴブリンたちは全くひるまずに突っこんでくる。こちらに距離を詰めてくる。

「さっさと進め、ゴブリンどもォ!」

 オークの怒声。ゴブリンが飛んできた。

 これほどの距離を跳躍できるはずもない。

 まさかオークが投げ飛ばしたのか。

 リリィが何度も雷を落とし、煙と砂塵が舞っている。向こう側はよく見えない。

 その見えないむこう側から、次々とゴブリンが飛んでくる。

 そのうちの一体がリリィに当たった。

 彼女が後ろに転倒する。

 いまだ、とばかりに飛びかかってくるゴブリンたち。投げられたゴブリンもだ。

 起き上がり、こちらを攻撃してくる。

 それをタクオは片づけた。

 接近戦で拳銃を使う。乱射だった。だがそれでも、日ごろの鍛錬は嘘をつかない。

 銃弾は次々とゴブリンに命中した。

 とにかく速く撃ちまくったが、外れた弾はほとんどなかった。

 気づくとゴブリンはすべて倒れていた。

 しかし、それから目に入ったのは、リリィに近づいていくオークの巨躯だ。

「させるか!」

 タクオはそう叫んで拳銃を使い、オークの裸の胴体に浴びせかける。

 心臓。鳩尾。肝臓。あらゆる急所、あるいは痛く感じる場所に食らわせたはずだ。

 だがすこしも傷ついていない。血の一滴も出ていない。

 思いきり殴るような衝撃もあるはず。

 しかしオークは、ひるみもしない。ずんずんとタクオたちの元へ近づいてくる。

 無造作な腕のひと振り。それだけでタクオは軽く払いのけられ、吹っ飛ばされた。

 近くの地面に叩きつけられる。

 タクオはどうにかよろめきながら起き上がったが、その衝撃で拳銃はどこかにいった。

 今度はリリィがナイフを横に薙いだ。だがそれも、うっすらと血がにじんだ程度だ。

 渾身の力で斬りつけても、オークの肉すら傷つけられない。

 嗤うオーク。だがその表情が、苦痛にゆがむ。

 ヒザの裏を、タクオがシャベルで殴りつけたのだ。

 さすがに関節部分はもろかったのか、オークが体勢を崩してよろめく。

 そこに、リリィがナイフを投げつけた。至近距離で顔面にだ。

 だがオークは顔に攻撃されてものけぞっただけで、ニヤリと気味悪い笑みを浮かべた。

 タクオはシャベルを低くかまえ、槍のようにして突きかかる。

 だがオークは、その左腕をたやすくつかんでねじり上げた。

 激痛。こらえてタクオは右手で短剣を抜いて突く。

 オークの首。だがまた刺さらない。厚い皮に阻まれている。

 タクオは軽く投げ飛ばされ、空樽のように転がっていく。

 オークが歓喜の雄叫びをあげた。タクオはよろよろと立ちあがるが、それ以上動けない。

「やあっ!」

 リリィが跳躍し、ナイフで目を狙う。ナイフの鋭い尖端がオークの目蓋に傷をつけた。 

 が、紙一重でかわされている。今度はオークが、腕をこん棒のように振りおろす。

 空中にいてかわすことができず、それを食らったリリィが叩き墜とされる。

 そのまま倒れ伏すリリィ。動かない。動けないのか?

 オークは、タクオのシャベルを拾いあげ、杭のように逆手で持つと、リリィにむかって振りあげる。

「やめろォ!」

 タクオが叫ぶ。それと同時だった。

 何かが傍を駆け抜けた。タクオのうしろからオークの横へ。

 オークの巨躯から、頭が落ちる。

 そのむこうで騎士らしき影が、剣を真横に抜き払っている。

 ――あれはさっきの石像?

 騎士の石像――いや石像の騎士が、オークの首を刎ねたのだ。

 指揮官がやられたからだろう、下のゴブリンどもが一匹残らず逃げ散っていった。

 リリィを助け起こす。そこに石像の騎士が歩いてくる。石像なのに歩いている。

 騎士の体はボロボロだった。表面は風雨にさらされ、摩耗している。

 肩やひじの関節部分はヒビだらけで、一歩進むたびに足の根元も折れそうだった。

「あなたは――」

 リリィがつぶやく。騎士は彼女の傍らに跪き、何かを差し出してにぎらせた。

『守り通したぞ』

 そうつぶやき、石像の騎士は崩れた。散らばった小砂利の山になる。

 その中に、人のものと思しき頭骨がある。

 それもすぐに崩壊して砂になり、風に流され溶けるように散っていった。

 そしてリリィの手の中には、緑色に光り輝く玉がある。

「……もしかして、宝玉?」

「ええ。私が探していたもの。ハルピュイア族が守っていた〝風〟の宝玉よ……」

 神々の秘宝だった。伝説上の代物だ。

 手にした者は、神の力を得られるという。

 かつて滅びたこの国には、古い石像の騎士がいて、神の宝を守っていた。

 ――この騎士は何者で、いったい誰なんだろう?

 剣と斧を背負い、祈るような姿勢で待っていた。

 そしてリリィの命を救い、彼女に宝玉を託して消えていったのだ。

 彼の正体はわからない。だが味方であることは間違いない。そう思えた。

「リリィ、ケガは?」

「ないわ。あちこち痛いけど」

「動ける?」

「ええ。このまま朝まで寝ちゃいたいけど」

 だが、ゴブリンどもがまた戻ってこないとも限らない。

「それに、吹きっさらしだものね。疲れて、体も冷えちゃったわ」

 リリィの体がふるえている。彼女はああ言っているが、寒いだけではないはずだ。

「クルマに乗ろう。すこしはあったかいよ」

「そうね。あの毛布も貸してちょうだい」

 リリィはそう言い、タクオの手を取って立ち上がった。

 それからふらふらとしつつも助手席にお尻を落とす。

「ありがとう、助かったわ」

 彼女に毛布をかけた時。彼女はそう言い、タクオにほほ笑みかけた。

 彼女がはじめて見せた笑顔だった。


   9.


 タクオたちが去ったしばらく後。

 天の遺跡にふわりと降り立った者がいた。

 男の身なりをした美女。彼女は、周囲からはサキと呼ばれている。

『無事に役目を果たしたね、風の聖騎士タクロー=ニノ』

 彼女は残された砂の山に声をかけた。それからそれを、手のひらにすくう。

『僕もちゃんと、役目を果たすよ』

 手のひらから、砂が飛んでいく。風でさらさらと飛ばされていく。

『お疲れ様。そして、さよなら――』

 彼女は石像の騎士の剣を拾い上げた。それは砂になっていなかったのだ。

 その剣を背中にしょって、それからまた宙にふわりと浮き上がる。

『さて――行こうか』

 彼女は、誰にともなくそうつぶやくと、雲の下へと消えていった。









第二章 地上の廃墟と地底の王国





   1.


 タクオは闇の中を突き進んでいた。

 ヘッドライトの灯りで前を照らしている。

 壁。村を取り囲む石壁が見える。門の木戸も見えてきた。

 ようやく村に帰りついたのだ。見張りの兵に声をかけて、村の中へと入れてもらう。

 タクオは仕事が遅くなって、深夜までに帰れなくなることは多かった。見張りの兵とは顔を会わせることが多くて、顔パスで村の中へ入れてもらえた。

 村のド真ん中。タクオの家でもある酒場が見える。酒場からは、灯りが漏れ出ている。

 村の中で、灯りはそれだけだった。後は村の外、見張りの兵が焚く火だけだった。

 あれから夜通し運転した。そうして昼間も走りつづけ、夜になってもまた走った。

 タクオはそうまでして急いだ。数十騎のゴブリンが、まだどこかにいるからだ。

 それが功を奏したのか、あれから襲撃を受けることなく、なんとか無事に帰りつけた。

 街道はほとんど一本道なのだ、ゴブリンたちには発見されなかったのではなくて、車の速度で振りきったのだろう。タクオはほとんど、アクセルを踏みっぱなしで走ったのだ。それゆえに精神力も集中力も使いきり、タクオはふらふらになっている。

「やっとついたわね」

 大きなため息とともに、そうこぼすリリィ。

 助手席にいるのも、それはそれで疲れるものだ。

 酒場の二階が宿屋になっている。彼女はそれを聞くと、すぐに酒場へ入っていった。

 その間にタクオは納屋にジープを入れた。眠い目をこすりながらだった。

『やあ、お帰り』

 酒場に入ると、カウンターでサキが出迎えてくれた。

 父親役も要るからと、わざわざ男装してくれている美女だ。

 彼女がタクオの親だった。孤児だったタクオを拾ってくれたのだ。

 仕事がどれだけ遅くなっても、彼女はタクオを待っていてくれる。

 いつも彼女が待っていてくれるから、タクオはどこにでも行けるのかもしれない。

 闇夜の移動は恐ろしかった。

 魔物などを恐れている、という理由だけではない。

 不気味なのだ。何もかもが。闇の中では、山の影さえ気味悪く見える。

 そんな中で、酒場から漏れ出た灯りが見えるといつも安心する。心が安らぐのだ。

 そうして安らぐ建物に入ると、心休まる笑顔で彼女が出迎えてくれる。

 彼女はやさしい言葉をかけてくれて、いつもいつでもタクオを気遣ってくれる。

 疲れたときなど、それを目当てに頑張ることも数多くあった。

『寒かったろう。シチューを作ったんだ。あったまるよ』

「リリィは?」

『二階だよ。宿代もいただいた。でも、僕のシチューは要らないとさ……』

「ぼ、僕は食べるよ。おなかすいたし」

 サキには仕事の話もする。毎度彼女は笑みを浮かべて、タクオの話を聞いてくれる。

『オークか……思った以上に危険な旅だったんだね』

「でも助けられた。あの石像の騎士は、いったい何者だったんだろう」

『〝ヒトガタ〟という魔法はあるけどね。高度な魔法だ。人の形をしたものに魂を宿す。移す。そういう魔法があるんだよ』

「それでか……でも僕らを救った後に崩れちゃったんだ」

『天の遺跡が滅んでから二十年経つ。魔法の力も尽きていたんだろう』

「彼は、宝玉を守っていたみたいだった」

『それじゃあもしかしたら、聖騎士の魂を宿した像だったのかもね。七百年前の人だ』

「聖騎士か。ほんとうなのかなあ……」

 シチューを食べ終えると眠くなってきた。サキに連れられ、自室に戻る。

 ベッドに倒れこむと、ベルトをゆるめられ、靴を脱がされた。

『おやすみ、タクオ』

 そう言って部屋を後にするサキ。ほどなくしてタクオは、夢の世界に落ちていった。


 目が覚めると、すでに日が高く昇っていた。

 寝坊なんて珍しい。昼に目覚めるなど、子どものころ以来だった。

 あわてて身を起こす。部屋から出ると、廊下でリリィと出くわした。

 腕を組んで、壁にもたれていた彼女。もしかして、タクオを待っていたのだろうか。

「油断しすぎ。私が逃げちゃったらどうするの。まだ料金は払ってないのよ」

「君は、逃げないさ」

「そう言ってくれるのはうれしいけれど」

 一階に降りようとするとサキに出くわした。なんだか出くわしてばっかりだった。

 彼女はタクオの朝めしを持っていた。パンにシチューの残り、それとリンゴ。

 すでに酒場が食堂になっている時間帯だからと、わざわざ持ってきてくれたらしい。

 タクオはまだ顔も洗っていない。人前に出られる格好ではなかった。

「……で、何の用?」

「まずは料金を支払いたいのよ」

 銀貨をいくつかいただいた。それでリリィとの関係は終わり。そのはずだった。

「僕は君の力になりたいのだけど」

 タクオはそう思っていた。リリィも同じことを考えていたようだ。

「私もあなたの力を借りたいわ。といってもね、とても便利な魔道具を持っているから、という理由だけじゃないの。あなたの力が必要なのよ」

「……ほかの宝玉を集めるんだね」

「ええ。ユーリーによれば、魔王の封印はもうすぐ解けるわ。その前に集めて揃えないといけないの」

「大役だね」

「そうよ。でも昨日までの旅の延長だわ。やってやれないことはないはず」

 サキには悪いが、朝めしの味など憶えていなかった。

 食事をしながら、リリィとすっかり話しこんでしまったからだ。

「旅は過酷だわ。魔物との戦いもあるでしょうね」

「わかってる。特にオークだ。もうすこしで殺されるところだった」

「対策を考えなきゃね。でなければ無謀だわ」

 テーブルの上に地図を広げるリリィ。大陸の全貌が描かれた地図だった。

「まずここから最も近いバイシクル町を目指すわ。そこにユーリーの麾下である影騎兵が集結してるはずなの。そこから西へむかって、ドワーフの〝二階層王国〟へ。それからは南南東のエルフとエントのいる〝古森〟へと入るわ。さらに南下して〝海賊連邦〟に入国してから北西の〝酒谷〟を通り抜けてさらに北の〝雪原〟へ行くの。それで六つの宝玉が揃えられる。最後のひとつは、六つ揃えると現れるというから、それを期待しましょう」

「いつ、どこに現れるんだ?」

「わからないわ。七つ目の宝玉は、その伝説以外に手がかりはないのよ。それを守護していた聖騎士の名さえも明らかじゃないわ。どんな力を持ってるのかもね」

「じゃあ六つ揃えないとだね。ほかの宝玉も、魔王軍に狙われているかもしれないし」

「敵もたやすくは近づけないみたいだけどね。でなければ二十年もほったらかしにされてないわよ。ハルピュイア族が滅んでから、守る者はあの石像の騎士だけだったんだから」

「そうだね。その石像の騎士も動くと崩れてた。動いたのは、あれがはじめてだろう」

「――で、どうするの? またオークに遭ったら殺されちゃうわ」

「どうしよう……銃も効かなかったしな」

 そのとき部屋がノックされた。僕だよ、とサキの声。

 昼の忙しい時間帯が終わり、彼女の手が空いたようだった。

『宝玉は二つ持ってるね? 使い方を教えよう』

 そう言って庭にタクオたちをいざなうサキ。なぜかなにもかもを知っているようだ。

『拳銃を貸して』

 タクオがずっと使っている拳銃。その握りのところには穴が空いている。

『宝玉を貸してごらん』

 リリィは迷っているようだったが、タクオがうなずくと、渋々宝玉を手渡した。

 風の宝玉だ。握りの穴。サキがそこに宝玉を嵌めこむ。

 タクオは、心の底から驚かされた。そこにはなにかが嵌まるだろうとは思っていたが、それが宝玉だとは思いもしなかったのだ。

 そしてサキが的を撃つ。何度も拳銃の練習台にした、並べて立てたいくつもの薪だ。

 一発撃つと、銃口から風の塊のようなものが放たれ、薪をすべてなぎ倒してしまった。

『宝玉を嵌めこめる武器がある……この拳銃もそのひとつさ。この剣もね』

 サキが抜き払った長剣。その柄尻にも穴がある。

 そこに風の宝玉を嵌めて一閃すると、束ねた薪が一斉に断ち斬られた。

『どうだい? 剣に、風の刃をまとわせたんだ。風の聖騎士タクローは、これでオークの首を刎ねたんだよ。同じ太さの鉄だろうと断ち斬れるだろうね』

「あの石像の騎士を知っているの?」

『魔法使いだからね。僕も〝見ていた〟のさ』

「どういうこと?」

『〝遠目〟の魔法だよ。魔法でどこでも覗けるのさ』

 それ以上言い募っても、サキは何も答えてはくれない。ずっとそうだったのだ。

「私の武器――ナイフにも使えるのかしら」

『左手に宝玉を持って、右手でナイフを投げる。それだけで効果があるはずだよ』

 リリィが言われたとおりにする。左手に雷の宝玉を握ったまま、右手でナイフを投げる。

 ナイフが薪に突き立つ。そこに雷が落ちた。

 前にゴブリンに攻撃していた時は、もっと大雑把だったと思う。あまり狙いが定まっていなかったのだ。だがこれなら精密に狙える。リリィのナイフは百発百中だからだ。

「接近戦でも使えるのかしらね」

 薪を宙に放り投げ、それをめがけて横薙ぎにナイフを振るうリリィ。

 バチン、と音がした。ナイフから雷が迸ったのだ。薪は黒焦げになっている。

「これならオークも倒せるわ。ありがとう」

『どういたしまして。せっかくだ、宝玉を使って逃げる方法も教えておこうか』

 そう言ってジープを納屋から出してくるサキ。

 宝玉の扱い方。特に道具を使った応用にサキは詳しいようだ。

 もっと早くに出発するつもりだったが、サキの授業は深夜まで続いた。

 それを受講していてよかったと思う。

 もうひと晩泊まるから、とリリィが宿代を払おうとした。

 だがサキは、その代金を受け取ろうとしなかった。


   2.


 翌朝。

 日の出のすぐあと。

 タクオたちはもう出発しようとしていた。

 わざわざサキが、見送りに出てきてくれる。いつものことだった。

『タクオ。君に貸すから』

 だがこれはいつものことではなかった。

 サキに手渡されたのは小さな袋だった。中には平たいものが入っているようだ。

『お守りだよ。ケガや疲労を引き受ける、という効果がある』

 開けちゃダメだよ、と笑うサキ。タクオは慌ててお守りの口を閉じる。

『僕にとっても大事なものだ、ちゃんと返してね』

 そう念押しして、お守りをタクオの首にかけてくれるサキ。

「わかった。ちゃんと返すよ。サキの大事なものなんだしね」

 サキが念押しする理由。それは、タクオは理解していなかった。

 それを心の底から理解して受け取れるようになるのは、ずっと先のことだった。


「いい人だったわね」

 出発してから、となりのバイシクル町へむかう道中。

 リリィがらしくもないことを言った。もうサキのことを警戒してはいないようだ。

「でしょ? 僕のことも、拾って育ててくれたんだ」

「だからしゃべり方もいっしょなのね」

「……!」

「気づいてなかったのね」

「……サキがリリィみたいなしゃべり方だったら」

「貴方、女言葉でしゃべってたかもね」

 くすくすと笑うリリィ。また彼女の笑顔を見られた。天の遺跡以来のことだった。

「こんなにサキと別れるのははじめてだ。これまでは、遠くても一泊しかしなかったし」

「息子さんを借りますって、ちゃんと言っとくべきだったかしらね」

「これは僕の旅だよ。君の力になるって、僕が自分で決めたんだ」

「そう。じゃあ行ってきますって言ってたからそれでいいのね」

「うん。帰ったらただいまって僕は言う。それだけさ」

 街道を走っている。国の最北端、最東端のダイシャ村から、となりのバイシクル町へ。

 街道は油断ならない。魔物がいる。盗賊もいるかもしれない。

 そして何より、魔王軍がいるかもしれないのだ 魔王軍の兵は、よく盗賊になっている。二十年前に戦があってから、魔王軍は頻繁に国境を侵しているのだ。

 そしてこちらの兵は全く足りない。日ごろ働いているし、そもそも絶対数が少ない。

 だから少数の魔王軍は放置せざるを得ないのだ。

「魔王軍が東の地に集結してる。でも油断はしないでね」

「わかってる。慎重に進むさ」

 ほかの旅人を追い越す、ということもなかった。

 貴族が往来するので周辺の住民によって街道は整備されているが、この街道は行商人でさえ利用しないのだ。つまりほとんど使われていない。

「ここだけじゃないのよ。魔王軍を警戒して、多くの街道がさびれているわ」

「そうなんだ……」

「二十年前、魔王軍の大攻勢で東の都が滅ぼされた。その避難民が各地にいるはずだから、その分人口が増えたはずなんだけど」

「僕らが生まれる前のことだね。いま東の都は魔王軍の拠点なんだっけ」

「そうよ。もともと城塞都市だっただけに、こちらが攻め滅ぼすのは難しいわ。防衛戦になれば、負傷兵なんかも戦えちゃうから、兵力差もさらに広がることになる」

「ユーリー=リース大公でも無理か」

「あの人がすごいのは野戦よ。攻城戦はまたべつ」

 やはり彼女は、ユーリー=リース大公を知っているようだ。

「当たり前じゃない。さすらい人の頭目だった人よ」

「そうなの?」

「貴族になってからは、騎兵を重視した野戦を得意とするようになったけどね」

「そうか。馬を飼える人なんて」

「貴族ぐらいだもの。土地も持たず、流浪を続けるさすらい人には無理ね。でも、騎兵のほうがずっと強力なの。ユーリーの騎兵戦はぶっ飛んでるわ。四大魔将軍も彼を恐れたと言われてるほど」

「あの人がいなかったら王国が滅んでた。サキはそう言ってたけど」

「そうよ。あれは三年前のことだった。王都レンタルが、二十万もの魔王軍に包囲された。想像を絶する大軍勢よ。一方で、王都の守備兵は、男手をすべてかき集めて三万足らず。それもほとんどが、そこらの人を引っ張ってきただけだったのよ。当時のノル王国には、敵なんていなかったから。王家の方々も殺され、敵の増援も続々とやって来ている。その状況で逆転できたのは彼だけよ」

「どうやって勝ったんだ?」

「四大魔将軍のひとりを討ち取ったのよ。だからいまの魔将軍は、ひとりが二代目」

「それが総指揮官だったのかな」

「そうみたい。少数騎兵で奇襲したらしいわ。彼は数十の騎兵を、手足のように動かせるらしいわよ」

 ユーリーの話題になると、突然饒舌になったリリィ。彼の英雄譚は、実はタクオも好きだった。古い伝説ながらいまだに現役、というのも大きい。彼ほどの英雄は今後現れない。そう言われるほどなのだ。

「でもユーリーは親しみやすい人よ。よく笑うし、とても元気づけられるのよ」

 結局リリィの話は止まらず、町に着くまで話しつづけたのだった。


   3.


 リックは猛烈な速さで疾駆していた。

 ユーリーと副官という女性騎士を戦闘にひた走る十騎。

 その十騎が、影騎兵の本隊と合流した。

 漆黒の五十騎。リックたちは彼らに囲まれるようにして走った。彼らに運ばれるようにして疾走している。

 これほどの速度だが、いまだに落伍者は出ていない。

 リックを含む、先ほど選ばれたばかりの十騎からもだ。

 選んだ者たちの眼が確かだった。そういうことだろう。


 二騎のゴブリンがいる。

 魔王軍の騎兵と出くわしたのだ。

 ゴブリンたちはこちらに気づき、あわてて馬首を返す。

 が、ユーリーが出ていった。影騎兵の集団から飛び出し、敵との距離を一気に詰める。

 魔物の馬。ふつうの馬より速いはずだ。だがユーリーの馬はその上を行っているようだ。

 あっという間に距離を詰め、ゴブリンを矛の餌食にした。ひと振りで首を二つ飛ばす。

「斥候だ。魔王軍の本隊は近いぜ!」

 笑うユーリー。ほかの影騎兵は沈黙している。それこそ影のように静かなのだ。

 そして魔王軍が見えてきた。地を埋め尽くすような数だ。そのほとんどがゴブリンだ。

 だが中核にはオークがいるだろう。ほかの魔物もいるかもしれない。

「突撃!」

 そこに突っこんでいくユーリー。彼が速度を上げた。影騎兵たちも上げる。

 リックたちも、どうにかついていった。囲まれていたからついていけたようなものだ。そうでなければ置いていかれている。

 魔王軍。何の備えもしていなかった。当たり前だ。

 斥候から何の報告もない状態で、敵への備えなどしているはずがないのだ。

 こちらの馬が走る音も、味方のものと思ったかもしれない。

 衝撃。

 ユーリーが魔王軍に突っこんだのだ。続く影騎兵とリックたち。

 矢じりのような隊形で、魔王軍のなかに分け入っていく。

 先頭のユーリー。大きな矛を振るい、敵を吹っ飛ばしていく。

 ゴブリンが小柄とはいえ、すさまじい強さだった。膂力だった。

 影騎兵たちは彼についていっているだけだ。

 ユーリーは、ただひとりで敵兵を蹴散らし、突進していっている。

 大きな旗。そこに魔王軍の中枢がある。指揮官もそこにいるはずだ。

 ユーリーはまっすぐそこに突き進んでいる。だがたやすく到達できるはずもない。

 そこが軍の中枢なのだ、その防御は厚いはずだ。たどり着けるわけがない。

 案の定だった。上から下まで重武装のオーク。その壁で中枢は守られている。

 あれでは騎兵でもブチ破れない。硬く、重すぎるからだ。ただでさえ重くて硬いオーク。それが重装備の鎧で重さも硬さも増しているのだ。そのオークが何百もいる。ただでさえ、オークの膂力は人間の比ではないのだ。鎧は人間のそれより厚く、手にする盾も幅広い。

 が、ユーリーはそこに突っこむ直前で急激に進路を変えた。右にだ。

 手には矛ではなく、背たけほどもある長弓を手にしている。

 すぐさまユーリーは矢を放った。彼だけだ。

 ほかの影騎兵たちも弓を手にしてはいるが、矢を放ったのはユーリーだけだった。

 その矢が遠くへ飛んでいく。リックはその行き先を注視していた。

 ユーリーの矢。大きな旗の手前へ飛んでいった。魔王軍の大きな旗。それが揺れる。

「放て! 旗の下に浴びせかけろ!」

 ユーリーの指示。今度は影騎兵たちが弓を使った。リックたちもあわてて矢を飛ばす。

 その矢は大きな旗の下に降り注いだ。旗が倒れる。そこが大騒ぎになっているようだ。

「カハハハハ! 四大魔将軍のひとりを討ち取ったぜ! 側近にも犠牲が出ただろうよ!」

 ユーリーの笑い声。魔王軍全体が揺らいでいた。

 指揮官が討たれたのはほんとうらしい。旗は倒れたままで、オークたちが退いていく。

 だが追撃はしなかった。またゴブリンの海を突き破って魔王軍の外へと脱出する。

 またしても抵抗らしい抵抗はなかった。ほとんど衝突もなく、魔王軍の外へ出られた。

「やってやったぜ!」

 はしゃぐユーリー。当たり前だ。魔王軍の中核を討ち取ったのだ。

 それも、犠牲を出さずにだ。

 ゴブリンたちに戦意などなかった。ほとんど逃げまどっていたのだ。

 それゆえに魔王軍は、味方同士の衝突で犠牲を出していたほどだ。

 そして、戦意も旺盛で重武装のオークたちとは戦わなかった。

 その頭を越えて矢を降らせ、魔王軍の中枢と思われる位置に浴びせかけたのだ。

 突撃で第一の壁を突破し、それから矢を使う。重武装の弓騎兵にしかできない戦い方だ。ユーリーの麾下以外にはありえない兵科だから成し遂げられたことだ。

「これで時間は稼げるな。後はリリィ待ちか……」

 ブツブツとつぶやくユーリー。

 六十騎もの馬蹄の音の中で、それはリックにしか聞き取れなかったと思う。



   4.


 タクオたちは昨晩、バイシクル町で宿に泊まった。

 それから町で買い物をし、食糧などを買いそろえてから出発した。

 そこからドワーフの国へむかう街道。大きな道だが、人はいなかった。

「町で聞いた噂だけど、ドワーフの国でなにかあったみたいね」

「なにかって?」

「さあ……とにかく行ってみましょう。どれぐらいかかるかしら」

「人もいないし道も広い。夜までには着けると思う」

「そう。やっぱり速いわね」

「でも、リックも同じぐらい速いんだ。馬でこの車についてこれるのは彼だけだったけど」

「そんな人もいるのね。世界は広いわ」

 途中で関所などもあった。まだノル王国の領域内なのだ。

 だが放棄された関所を通るようになった。領域が縮小されてそうなったのだろう。

「もうすぐドワーフの国よ。わりと閉鎖的な人たちだから、失礼のないようにね」

 はぐれ山と呼ばれるひとつの山。そこに彼らの国があるという。

 ドワーフ族のただひとつの国――二階層王国だ。

 山上にある都市。山の地下にある都市。その二つの都市から成るので、二階層なのだ。

 夕刻にはそれが見えてきた。だがおかしい。国が近いのに、旅人たちの姿がないのだ。

 はぐれ山が近づいてくる。夕刻なのに煙も見えない。料理と灯りのために、どの種族であっても火を使う時間帯のはずなのに。

 やがて都市の姿も見えてきた。荘厳な都市だ。大きな石の建造物が密集している。

 だが人の姿が見えない。

 都市は斜面の上にあるのだ、大きな通りも見えているのに、人っ子一人見当たらない。

「おかしいわね。慎重に進んでちょうだい」

 日が暮れる寸前。タクオたちははぐれ山のふもとにたどり着いた。

 地上の都市。そこは無人で、正門も開け放たれていた。

「まさか、魔王軍に滅ぼされた?」

「そうは思えないわ。ここは王都より西だもの。魔王軍は東から来るのよ」

「どうしよう」

「上の都市には入らないほうがいいわね。地下への入り口を探しましょう」

「そうだね。どこかにあるはずだ」

 真南に入り口はあった。巨大な洞穴の入り口があり、そこに城壁が築かれていたのだ。

 そしてそこに門がある。巨大な門だった。見たことがない、とタクオは驚いていた。

 日が暮れるからだろう、その門は閉じられようとしていた。慌ててそこに駆けこむ。

 門は目の前で閉じられかけていたのに、もう一度すこしだけ開いた。開けてくれた、ということだろう。だがそのおかげで、タクオたちは城内へ入ることができた。

 しかし門の裏で、ドワーフの兵たちに包囲される。

 背は低いががっちりしていて、とても力強そうな人たち。彼らがドワーフ族だ。

「何者だ」

 そのうちのひとりが言った。顔の下半分がひげで覆われている。だが女性の声だった。

「私はリリィよ。あなたは、ドワーフ軍筆頭のナナカね? 私たちは、宝玉を集める旅をしているの」

「宝玉だと?」

「ええ。魔王をまた封じるためよ。ユーリーからもそれを託され、私はいまここにいる」

 ジープから降りるリリィ。ナナカと呼ばれた兵が前に出る。

「もう一度訊くぜ。何者だ」

「さすらい人のリリィよ。ユーリーの配下。いまは単独で動いているけど」

「ユーリーの……その少年は?」

「運び屋のタクオ。馬がなくても動くこの魔道具で、私を運んでくれてるのよ」

「魔道具だと。これがか。どこで手に入れた」

「ダイシャ村だよ。僕の親……サキからだ」

「サキがその村にいるのか。彼女なら魔道具を持ってても不思議はないな」

「サキを知ってるの?」

「有名な魔法使いだからな。国の中枢……政(まつりごと)にかかわる者なら知ってるのさ」

 そう言って兜を脱ぐナナカ。ほかの兵たちも武器を下ろす。

「案内するぜ。ドワーフの地下国にな。地上の国のことも説明してやるよ」

 ナナカがそう言い、城内の大通りを進んでいく。彼女は軍のトップらしい。

 城内には人が多かった。大通りだ、露店などが立ち並んで活気に満ちている。

 だが裏路地はスラムのようだった。人がそこらに座り、寝ていたりするのだ。

「地上からの避難民さ。宿が足りなくてね。幸いここには雨がない」

 そう淡々と説明するナナカ。だがその声音には、なにか感情がにじみ出ていた。


 案内されたのは、質素な屋敷だった。

 ナナカの家らしい。

 ドワーフたちは質実剛健な建物などを好み、派手な装飾はないとのことだった。

「金とか宝石とかのイメージがあったけど」

「全部輸出してるのよ。それでそういうイメージがつくけど、持ってはいないってわけ。街に溜めこんでいるものも、全部輸出用なのよ」

 小さな庭にジープも停めさせてもらった。すぐに出発できるように、荷物などは荷台に乗せたままだ。

「さて。なにから話そうかな」

 酒を出されたが固辞した。タクオは飲めない。リリィは心を許していない。だからだ。

「ひとまず俺たちの国の状況を。数日前、地上の国にドラゴンが降り立った。そして宝をひとり占めにした。山頂に宝物庫があり、それを一直線に狙ってきやがったんだ」

「ドワーフの宝は有名だものね。それに惹かれてやってきたんだわ」

「だがドラゴンは、宝を奪うとそれ以上なにもしなかった。だからその時点では犠牲者は出ていない。はじめは魔王軍の差し金かと思ったが、そうではなかったようだな」

「魔王軍がドラゴンを操ってるなら、同時に地下にも攻撃してると思うわ」

「だが、このままってわけにはいかねえぞ。地下には地上の民のすべてを収容するキャパなどないんだからな。このままだと病も蔓延するだろう。なによりも食糧が得られん」

「そっか。畑は外にあるのだものね」

「ああ。怖がって農民が外に出られん。商人が近寄らんから輸入にも頼れん」

「厄介ね。ドラゴンは倒せないの?」

「軍隊が何度も攻めこんでは敗けてるんだ。宝玉も使ったが、俺たちの持っている宝玉は〝土の宝玉〟だ。空を飛ぶドラゴンには攻撃が届かん」

「その宝玉……私たちがドラゴンを倒したらいただけないかしら」

「なんだ、取引すんのかよ」

「いけない? 貴女たちは外敵を退けられる。私たちは宝玉を得られる。いいことよ」

「だがドラゴンは強力だぞ。魔法使い……サキを呼んだほうがいいんじゃねえか?」

「私たちも持ってるわ。雷と風をね」

「宝玉か……その力をもってすれば」

「ドラゴンに勝てるかもしれない。やってみる価値はあるわよ」

 じっとナナカを見据えるリリィ。わかった。ナナカは力なくそう言った。


 大通りを歩いていた。

 露店などで夜めしを購う。

 人がそこかしこにいた。店の裏。すぐわきの路地。どこにでもだ。

 その人たちは避難民なのだろう。力なく項垂れ、あるいは寝そべっている。

「ドワーフは排他的な種族よ。客は歓迎するけど、ほかの種族の移民は受け入れてないわ」

「そういう人たちが僕らの力を借りる……思ってたより追いつめられてるんだね」

「そういうことよ。宝玉を手に入れるため、という理由じゃない。必ず勝たなきゃね」

 広場には攻城兵器が置かれている。投石機(カタパルト)や巨大弩(バリスタ)だ。

 どれもドラゴンと戦うためのものだろう。新品のものと焼け焦げたものがある。

 そして焼け焦げているのは、すでに使われ、ドラゴンの火を浴びたものなのだ。

「攻城兵器が火を浴びた……」

「近くの兵も焼かれたはずよ。攻城兵器は、人が操作しないと動かないもの」

「どれだけの兵がやられたのか」

「ドラゴンは空を飛んで火炎を吐くわ。何万人いても勝てないでしょうね」

「でも、僕らには戦うすべがある」

「サキにも教わったしね。どうにかなると思うわ」

「銃やナイフでどうにかなる相手じゃない。宝玉が頼りだな」

 食物の値段が高かった。

 先の見えない不安から、あらゆる商品が値上がりしているのだ。

 ナナカにかなりの金額を渡されてなければ、買うのを諦めていたかもしれない。

 タクオはリリィと話しあい、ドワーフらしいめしを買った。それを喰う。

「でもおいしいわね。高いだけあるわ」

 脂滴る骨付き肉。揚げた芋。そして大量の麦粥。

 腹に溜まるものばかりだった。これで酒を飲むのだから、ごつい人が多いわけだ。

「一宿一飯という言葉もあるわ。明日は命を懸けて戦うのよ」

「僕は君に従うよ」

「そう。じゃあ逆立ちして走って」

「できないことはあるし、やりたくないことだってあるよ?」

「そうね、ごめんなさい」

 くすくすと笑うリリィ。

 ――ほんとうは、よく笑う子なのかもしれない。タクオはそう思った。


 屋敷に戻る。

 すると、ナナカが水晶の玉を持ち出してきた。

 映像を残す魔道具なのだという。

「ドラゴンとの戦闘だ。はっきり言って勝てないと思ってる。客人を無駄死にさせたくはないが……」

「やってみなくちゃわからないわよ」

「……とにかく見てみろ」

 ナナカが水晶に手をかざす。するとそこから光が放たれ、壁に照射された。

 壁に映し出されたのは、ドラゴンとドワーフたちの戦いの様子だった。

「俺たちドワーフは、ドツキ合いなら強いんだが、相手が空中にいるとなっちゃな」

「でも飛び道具はあるんでしょう?」

「弓や弩弓などでは効きもしない。鱗が硬すぎるんだ。そもそもドラゴンはでかいしな。そして、投石機や巨大弩の弾はかわされる。標的が空中にいるんじゃ、狙いを定めるのも難しいしな。打つ手がねえんだ」

「その上で空から火を吐くと……厄介ね」

 建物の屋根。広い通り。広場。そんな場所で弓や弩弓、攻城兵器を使うドワーフたち。

 だが意味さえない。

 ドラゴンは弓や弩弓の矢は無視し、攻城兵器の攻撃はたやすくかわしている。

「攻城兵器は場所を取る。設置できる場所も限られる」

「だから弾幕は張れないし、狙いもあまり定まらないのね」

「建物の間から撃つわけだから、よく狙う、ということができねえんだ」

 あらゆる飛び道具が通じない。

 それでいて、ドラゴンの濁流のような炎はドワーフたちには防ぎようがないのだ。

 ドワーフの盾と鎧は頑強なものだが、それも効果はないようだった。

「こういうとき、さすらい人はどうするんだ?」

「周囲の畑や森を焼くわ。井戸は埋めたり毒を投じたりする」

「なるほどな。だがドラゴンを監視していても、めしを食ってる様子はねえぜ」

「魔物でもなにかを食べるのに……なにか根本的な違いがありそうね」

 仲間の死体を担ぎ、撤退していくドワーフたち。

 彼らが攻撃をやめると、ドラゴンはそれ以上攻撃してこないようだ。

「だからといって、黙って見てるわけにもいかんがな。どうにか退治するしかねえんだ」

「ドワーフ族に、騎兵はいないのかしら」

「斥候程度だ。戦闘用の騎兵はいねえ」

「そう。動きながら戦えればとも思ったのだけど」

「ドワーフは足が短いから騎乗するのが苦手だ。自在に乗れる奴は数が限られる」

「馬車もかしら」

「そもそも牧が少ないしな。この辺りは荒れ地ばかりなんだ」

「そうみたいね。使える地はすべて畑にしたい。そんな感じかしら」

「そういうことだ……ドワーフがよそへ行くことは、ほとんどない。防衛戦なら、騎兵がいなくてもどうにかなってたしな。攻城兵器は地上の国が奪われたときのために創られたものだ」

「それだけドラゴンが強力かつ厄介ということね」

「ドラゴンと対話も試みたが無駄だった。ドラゴンがどこかに行ってくれるなら、地下の宝をすべて差し出してもいいんだが」

 話している間も、映像の中で戦闘は続いていた。

 ドラゴンの炎に呑まれるドワーフたち。建物の崩落に巻きこまれる場合もある。

 ドラゴンが大きな建物を蹴り崩す。彼らはその下敷きになってしまう。

 ドワーフたちの中には斧や槍を投じる者がいるが、それもドラゴンには通じてない。

 だが同じことばかりをくり返しているわけではなかった。

 あるときは町中に火を放っていた。その煙でドラゴンをかく乱するつもりか。

 だがそれも効果はなかった。

 ドラゴンは火の上で大きく羽ばたき、その暴風で燃え盛る炎を消してしまうのだ。

「火をつけるも消すも自由自在ってわけだ。全くやんなるね」

 今度は夜襲だった。

 ドワーフたちは夜闇に紛れ、黒装束を着こんでドラゴンを襲撃したのだった。

 ドラゴンは王宮内の正門前広場でうずくまり、翼を畳んで眠りについていた。

 だが奇襲は察知したようだ。すぐさま上空へ飛び上がる。

 そして空から方々へ火を放った。王宮の中や周囲を、執拗なまでに焼きつくす。

「俺たちの中にも暗殺部隊ってのはいたんだがな。これでほとんど全滅した……」

 やることはやっている。手は尽くしている。

 映像を見ているとそう思えた。他人が思いつくようなことは、すでにやった後なのだ。

「これが最後の戦いだ。三日前だ。この戦いで大勢が殺され、負傷した」

 夕闇の中だった。

 ドワーフたちは町中に攻城兵器、主に投石機を設置している。

「放て!」

 ナナカの声が響き渡る。国中に轟くような怒声だった。

 それと同時に投石機が放たれる。地上の国のそこかしこでだ。

 狙いがつけられないのなら雨あられと浴びせかける。そういった戦術のようだ。

「俺たちはひと晩じゅう撃ちつづけた。焼かれても焼かれても交代しつづけてな。幸いなことなのかな、焼かれても投石機は無事なことが多い。兵が交代すればたいがいは使えた」

「でも、ドラゴンは倒せなかった」

「ああ。大きな弾など当たりはしない。小さな弾をまとめて飛ばしても、ドラゴンにはまるで効いちゃいない。これまで通りだった。弾の数を増やしても同じことだった」

 それからナナカは、疲れきった様子のまま真剣な顔つきになる。

「もうお前らだけが頼りだ……頼んだ。リリィ、タクオ。救ってくれ。俺たちの国を――」

 そう言って、タクオたちの肩に手を置くナナカ。

 リリィもタクオも、その手をぐっとしっかりと握った。


   5.


 雷の宝玉。

 それはリリィが使う。ドラゴンに攻撃するためだ。

 風の宝玉。

 それはタクオが使う。ドラゴンの攻撃を防ぎつつ、逃げまわるためだ。

「ひらけた場所では、私たちに勝ち目はないわ」

「そうだね。広範囲の炎で焼かれて終わりだ」

「だから国の中で戦うの。大きな建物を利用するのよ」

 リリィは雷の宝玉を握っている。それを使い、上空のドラゴンに浴びせかけるのだ。

 タクオは風の宝玉を握らされた。それを袋に入れ、懐に入れて運転席に座る。

「行くよ」

「ええ」

 タクオはリリィをとなりに乗せてジープを走らせる。

 門を通り、地下の国からその外へ。それからまた門を通り、今度は地上の国へ入った。

 王宮は山の頂上、国のど真ん中にある。正門から大きな通りをまっすぐだった。

 王宮の門をくぐる。そこからふわりと上昇するもの。

 ドラゴンだ。ドラゴンが地から飛び立ったのだ。

「そこ!」

 そこに落雷。リリィが空から雷を落とした。ドラゴンの頭部に命中する。

 ドラゴンは悲鳴を上げている。初撃で効かせられた。これは大きい。初撃だったので、力を溜めに溜めて攻撃することもできた。ダメージは、かなり大きいはずだ。

 ドラゴンが怒り、濁流のような炎を吐く。

 とっさにタクオは宝玉を使った。風の宝玉で、球形の力場を創る。

 その力場で炎を防いだ。風の結界だ。村を出る前に、サキから創り方を聞いていたのだ。

「下がるよ!」

 車をバックさせる。王宮から出た。もう一度炎が襲来する。

 タクオはそれをハンドルさばきでかわした。王宮の壁に沿って走っていく。

 その壁を、ドラゴンが飛び越えてきた。火炎を吐く。風の宝玉の力で防ぐ。

 そのままタクオは、路地に駆けこんだ。

 狭くて曲がりくねった裏路地だが、車の周囲にまとわせた風の結界がクッションになることで、車体が壁に衝突することはない。

「それっ!」

 リリィが雷の宝玉を使った。またドラゴンの頭部に雷を浴びせる。

 ドラゴンが火炎を浴びせかけてくるが、路地を何度も曲がり、その奔流から逃れる。

「炎が弱いわ。映像で見たほど動きも速くない」

「というと?」

「ドラゴンも疲れているのよ。弱っているといってもいいかも」

「ドワーフたちが弱らせたのか」

「その献身と健闘に応えましょう。必ず奴を倒すのよ」

 いつまでも路地は走れない。大通りに出た。

 それを待ちかまえていたように、真正面に現れるドラゴン。

 この国の地理も、ある程度は理解しているようだ。

「やあっ!」

 だがリリィのほうが素早かった。ドラゴンの背中に雷をぶっつける。

 ドラゴンがかん高い悲鳴を上げた。大きなダメージを与えられたらしい。

「背中が弱点だったのね」

「ふつうに戦ってたらわかんなかったね」

「ええ。上空を飛んでるんだもの、背中側には攻撃できないのがふつうよ」

 だがリリィなら背中を攻撃できる。ドラゴンのさらに上空から雷を落とすからだ。

 ドラゴンはひるんでいる。大ダメージを受け、こちらに反撃できずにいるようだ。

 その間にタクオは走り抜けた。ドラゴンの真下だ。

 そこを素早く駆け抜けて、ドラゴンの真正面という危険地帯を脱する。

 ドラゴンの火炎。大通りを鉄砲水のように差し迫ってくる。

 タクオはすぐさま横道に駆けこんだ。風の力場で壁にはぶつからない。

 そのまま炎に呑まれることから逃れる。


 同じことのくり返しだった。

 追ってくるドラゴンから逃れつつ、雷を浴びせかける。

 万が一炎を浴びても、風の結界で防ぐことができるのだ。何度も浴びればヤバいだろう。が、何度も道を曲がって逃げまくることで、連続で喰らうようなことはなかった。

「キアアッ!」

 ドラゴンがかん高い声を上げる。怒りに任せて建物を蹴り崩しはじめた。

 だが瓦礫の雨も結界で防げた。大きな鐘が落ちてくるが、それも結界で跳ね除けられる。

「そこ!」

 また雷を落とす。もう数十回に及んでいた。急所の背中に、雷を喰らわせる。

 ドラゴンが悲鳴を上げながら落下し、地に叩きつけられた。

「それっそれっそれっそれっ!」

 リリィが連続でドラゴンに浴びせていく。背中に何度も叩きつけた。雷だ。

 ドラゴンが羽ばたき、空に浮き上がって逃げようとする。

 だがさせなかった。風を吸い取り、ドラゴンの周囲の空気を薄くした。

 これではドラゴンの巨体は飛べない。反撃の炎も吐けないようだ。

「やあっ!」

 リリィがひときわ大きな雷を落とした。

 大きな力を使えば、それを制御するのが難しくなるという。

 だがリリィはそれを見事に使いこなし、その大きな雷をドラゴンに命中させた。

 ドラゴンは長い長い悲鳴を上げて、その瞳をふっと閉じた。

 ドラゴンが――死んだのだ。


   6.


 タクオたちは歓待された。

 ドラゴンを倒し、国を救った勇者としてだ。

 あちこちから、黄金や宝石などが運びこまれる。ドワーフ産の、とても質がいいものだ。馬車で何台も、という量で、ジープにはとても積みきれない。どのみち、それが目的ではなかったということで、宝物はすべて遠慮した。

「じゃあめしを食ってけ。酒はダメだったな。だったら肉だ!」

 とナナカが嬉しそうに言う。

 それからタクオたちは王宮に招かれ、そこで王に面会してから食事をすることになった。

 案内はナナカだった。タクオたちの護衛も兼ねているようだ。

 そこでドラゴンの肉が振る舞われた。これ以上ないほどうまかった。

 噛むと表面はパリパリしていて、中はとろけるような肉汁で満ちているのだ。

 それをタクオは腹が敗れそうになるほど食わされた。リリィは何も食べていない。

 翌朝になると、地上の国の再建作業がはじまっていた。

 ナナカも軍務に追われていて、見送りには来れないとのことだった。

「ナナカから〝土〟の宝玉は頂いたわ。これで目的は果たしたわね」

 あっさりとした口調でそう言うリリィ。

 だが地上の国を離れるときは、名残惜しそうに後ろを見ているのだった。


 夜明けとともに出発した。

 次の宝玉のもとへ急ぐためだ。

 だからタクオは、まだ朝めしを食っていない。運転しながらパンを食んだ。

「私にもちょうだい」

 そう言って、タクオのひざの上の袋からパンを抜き取るリリィ。

 すこしずつちぎりながらちまちまと食う。その食べ方は、パンでも同じようだった。

「おいしいわね」

「サキの手づくりだ。フルーツの味と香りがするんだ」

 周囲を警戒し、自分で作った干し肉か、屋台などで無造作に選んだものしか口にしない。

 そんなリリィが――タクオのパンを口にした。

 それがタクオはうれしくて、ついつい笑みがこぼれるのだった。


   7.


 山のふもとに展開していた。

 ドワーフの兵たちだ。おそらく訓練だろう。

 ドラゴンとの戦いから生き残ったその兵たち。彼らは負傷者が多いものの、その動きはキビキビとしている。

 サキはそれを眺めていた。すると取り囲まれた。ドワーフの斥候部隊。

 わりと長身のドワーフたちが騎乗していて、斧と弩弓を手にしている。

「何者だ」

『僕はサキ。魔法使いのサキだ。ナナカに取り次いでくれるかな』

「ナナカさまに?」

『大事な話があってね。それで来たのさ』

 兵たちの負傷を治していった。それで魔法使いということは信じてもらえたようだ。

 敵ではないということも分かってもらえた。

 それからすぐにナナカに会うことができた。

 屋敷に招くと言われたが、それは辞退した。

「大事な話とは?」

『魔王軍が集結してる。その数は三十万。王都を守る兵は、二万に満たない』

「それで?」

『魔王軍が勝ったら次はここにも押し寄せるだろう。ここの防備は? どうなんだい?』

「ドラゴンに半数近くがやられた。およそ六千。それが最大兵力だ」

『三十万どころか、その十分の一の三万にも勝てそうにないね』

「それが、どうしたってんだ」

『君たちは、ずっと閉じこもってきた。よそのことなど知らないとね。でも、もういいと思うんだ。そもそもタクオたちに、君たちは恩があるはずだろう?』

「なんで知ってやがる」

『僕は魔法使いだからね。それでいいのかい? 自分たちの帰趨を人間に任せて。自分たちの運命は、自分たちで決める……いや勝ち取るべきじゃないのかい?』

「なにが言いたい」

『ふふ、それはね――』

 サキの話に、彼らはあまり乗り気ではなかった。

 だが彼らのプライドをくすぐると、そうも言っていられなくなったようだ。

 慌ただしくなる彼らの王国。地上と地下の国が、双方とも動きはじめていた。



第三章 光の民と古森の守護者





   1.


 タクオたちが次に訪れたのは、大陸の中央に位置する森だった。

 古森と呼ばれるエントの森。その北側に、エルフ族の森が広がっている。

 タクオはその森へ入った。北からだ。

 エルフの森に国境などないはずだが、草原と森はくっきりと分かれている。

 森に入ると、街道の路面が石畳になった。それは顔が映りそうなほどに磨かれていた。

「すごいわね。全然揺れないわ」

「ゴミもない。周りは巨木ばかりなのに、その根っこも全然ないんだ」

 道は曲がりくねっている。そして道の外は、木々で迷路のようになっているという。

 長い長い道。視線も感じる。

 外敵がここを攻めれば、道の左右から奇襲されるらしい。何度も何度もだ。

 そして森に入ってしまえば命はない。迷いやすいというだけではない。

 エルフの伏兵だらけ、罠だらけだからだ。

 だから道から外れるなと、リリィに強く言われていた。

 やがて広いところに出た。エルフの兵たちがいる。長身で美形、金髪だらけだ。

 その中央には、冠をつけたエルフがいた。偉い人なのかもしれない。

「おまえは……」

「私はリリィ。こっちはタクオ」

「そうか。俺はレイリ。ここの王だ」

 レイリ王の名はタクオでも知っていた。

 エルフにしてはかなり若く、国民からは不安の声もあるとのことだ。

 しかしほかのエルフも若く見える。見た目では違いなどわからなかった。

「おまえら、宝玉を持ってるな?」

 唐突に言われた。珍しくリリィがたじろいでいる。

「わかるんだよ。俺も魔法使いのひとりでね」

「そうだったの。魔法使いに会うのはこれで二人目」

「宝玉の力はとてつもないからな。かなり前から察知していた」

「……ここを訪れたのは」

「〝光の宝玉〟を手に入れるためだろ? 俺たちが守ってるものだ」

「その通りよ」

「だが簡単には渡せないな。おまえらのことは、何も知らねえんだ」

 じゃあどうすればいいの、と問うリリィ。

 それには答えず、来な、とタクオたちをいざなうレイリ王。

「ついていきましょう」

 リリィに言われ、タクオはジープを発進させる。

 ほかにも大勢いる、タクオたちを取り囲んでいたエルフ族は騎兵だったようで、大きな角を持つ鹿に乗り、レイリ王に続いて駆けていく。


   2.


 広場があり、そこから道が枝分かれしている。

 そんな場所を何度も通り、エルフの居住区へたどり着いた。

 まるで、迷路だった。一度迷ってしまえば、生きて出ることはもうできないのだろう。エルフの兵が、そこらじゅうに潜んでいるからだ。

 エルフの居住区は、ほとんど森に溶けこんでいた。まさに森と一体になっていた。

 巨大な木々の間に橋が渡され、枝の上やうろの中にソファやベッドが置かれている。

 木には干した果物なども吊るされている。彼らにとって木は防壁で、家で、食糧庫でもあるのだ。

「ここに宮殿などはない。寝て起きるだけの場所だ」

 とレイリ王。ここにも広場はあり、その隅っこにジープは停めさせてもらった。

「さて……話を聞こうか」

 巨大な樹の根っこに腰かけるレイリ王。

 彼に促され、タクオたちはその真正面の根の上に座った。

「おまえらの正体……それを聞こうか」

 笑っているが、とても笑顔には見えないレイリ王の表情。

 タクオは後ずさりしそうになったが、リリィは身を乗り出していた。

「私はユーリーの配下。さすらい人よ」

「ほう。レンジャーか」

「誰も私に賛同しなかったから、ひとりで旅をしてたのだけどね」

「その少年は?」

「彼は運び屋よ。天の遺跡にむかうため雇ったのだけど、仲間になってもらったわ」

「少年自身に訊いている」

「リリィの言うとおりです。僕は彼女を手助けしたい。そう思って旅してるんです」

「その魔道具は?」

「僕の育ての親が、サキという魔法使いで」

「サキか。名前は聞いたことがある。先代の王ともつきあいがあった」

「魔法使いは影響力が大きく、国家の中枢の人も無視できなかったとか……」

「その通りだ。俺も王になる前からそうだった……」

 レイリ王の態度が砕けてきた。彼の信用。タクオたちはそれを勝ち取れたのか。

「宝玉は渡せん。だがおまえらは客人として歓迎する」

「あら、どうしたら渡してもらえるのかしら」

「エルフ族を救うとかだな。まあそんな機会はないだろうから、諦めたほうがいいぜ」

 彼の態度は親しげだったが、それ以上の譲歩は勝ち取れそうにない。そう思わされた。

「仕方ないわ。ひとまず躰を休めましょう。長旅で疲れちゃったわ」

 リリィはそう言い、客用の寝床に案内してもらうのだった。


 エルフの兵に案内され、古森のほうにも顔を出した。

 木の公爵。そう呼ばれるエントの首領に、タクオたちは会わせてもらう。

「ふむ……誰かに似とるのう。誰だったかのう……」

 リリィを覗きこむ木の公爵。彼の姿は、エント族はほんとうの木にしか見えなかった。

 そういった姿の彼らが、古い巨木の中に紛れているのだ。

 彼らも森という地形を存分に生かし、森と溶けあうようにして暮らしているのだ。

「誰でもいいわよ。それで公爵さん。私たちは、光の宝玉がほしいのだけど」

「それはエルフが持っとる。わしらの与り知らんことじゃわ」

「貴方なら説得できないかと思って」

「わしらとエルフは交流することもほとんどない。まして王の方針に口など出せぬわ」

「そう。残念ね……」

 エルフたちには寿命がない。病も老いもないのだ。

 だが古森に住まう動く木――エント族はエルフたちよりさらに年上なのだとか。

「でも彼らは、年齢を武器にして上からものを見るようなことはないみたいね」

「そうだね。王や公爵という身分もあるのに」

「木の公爵は自称らしいわよ」

「そうなの?」

「でも何百年も前からだから、本物より歴史はあるのだけれど」

「本物以上に本物なのか」

 タクオたちは、何度もレイリ王に会いに行った。だがあまり会ってはくれない。

「だからといって、諦めるわけにもいかないわよ」

 リリィはそう言い、何度も木の公爵に会いに行った。

 植物である彼らは暇を持て余していて、面会を求めるとすぐに会うことができた。

「この森はずっと平和じゃった。大きな戦などなかったんじゃわ」

「まあ、そうでしょうね。守りは固く、奪う価値はほとんどないのだもの」

「しかし最近はゴブリンを見かけるんじゃわ。迷いこんだ様子でもないしのう」

「斥候かも……備えはしておいたほうがいいんじゃない?」

「来たら、迎え撃つ。それだけじゃよ。この森でわしらは無敵じゃしのう」

「ほんとうに無敵かしら? 魔王が来てもそう言える?」

「むう……」

「少なくとも、エルフとは連携したほうがいいと思うわ」

「わしらがそう思っていても、むこうがそれを拒否するじゃろう」

 エルフは友好的に見えて、ドワーフ以上に閉鎖的なのだという。

 人間とドワーフの間では貿易が盛んだが、エルフとはそれもなかったとか。

「まあ、人間やドワーフはわしらは好かん。木を薪にして、火を使うからの」

「それは否定しないわ。料理に鍛冶、灯りに暖。私たちの生活に必須だもの」

「じゃがエルフはそうではない。料理もせぬし。じゃから対立せずにいられたのよ」

「対立してはいないけど、援(たす)けあってもいないわよね」

「必要がないしのう」

 木の公爵に、エルフのことを教えてもらった。彼らの文化。習性。それに歴史など。

 タクオはすこし退屈だったが、リリィは熱心に聞き入っていた。

「じゃあほんとうに、危機と呼べることはなかったのね」

「ああ。この森に、大きな戦は一度もなかった。わしらが出ていくこともないしのう」

「だったらまずいんじゃないの。魔王軍はどんどん精強になってるのよ」

「忠告としては聞いておこうかのう。じゃがわしがそれを言って回ったとして、誰も聞く耳を持たんじゃろうの」

「エントってどれぐらいいるの?」

「把握しきれん。じゃが五百はいると思う。そして歩きまわることはできずとも動ける。その場で枝や根を動かせる。そういった〝フォルン〟はもっとたくさんいるじゃろうの」

「最低で五百ね。いくらエントが強力でも、魔王軍には抗しえないわ」

「魔王軍は、どれぐらいいるんじゃ?」

「東の地に集結していた軍だけで三十万。まだまだ集まってるでしょうけど」

「大軍じゃの。わしらには斧も火も効かぬが、それだけの数は相手取れぬかもしれぬの」

「王都が陥落したら、約半数がこちらに来るでしょうね。もう半数はドワーフの国よ」

「わしらはこの森を出たことがない。ほとんどのエルフもそうじゃ」

「いままでは閉じこもっていたらよかったけど、今回はそうはいかないと思うわ」

「そうかもしれんのう。黙って嵐が過ぎ去るのを待つ。それではいかんかもしれんのう」

 タクオたちに背をむけ、歩き出す公爵。

「エントムート……エントの会合を執り行うわ。それで危機を呼びかけてみよう……」

 そう言って去る彼の背中は、すこし小さく、か細く見えた。


「そりゃ公爵が間違ってるね」

 そう断言したのは、ようやく会ってくれたレイリ王だ。

「戦は起きなかったんじゃない。起こさなかったのさ」

「エルフが敵を退治してた。そういうことかしら」

「ご名答。森の中で迷わせ、ひとりずつ狩る。それで対処してきたんだよ」

「エルフの兵は、どれぐらいいるのかしら」

「一万以上、と言っておこう。だが三百の兵で、三千の敵を追い返したこともある。この森に限っちゃ、俺たちに勝てる敵はいない」

「それが魔王でも? 魔王軍は、いまいるだけでも三十万よ」

「それが百万でも倒してやるさ。魔王も、魔法使い数人で封じてみせよう」

 自信を持ちすぎている。タクオはそう思った。

 レイリ王は若いという。七百年前の戦など、きっと知らないはずなのだ。

 それなのに、魔王を倒せる気でいる。

 七百年前の魔法使いたち。七つの宝玉の力を操る、七人の聖騎士。

 そういった力のある者たちでも、魔王は封じるのが精いっぱいだった。それをレイリが倒せるのか。いくら魔法使いとはいえ。いくら強力な魔法使いであっても。タクオはそう思うのだ。

「いまは放っておきましょう。彼らには、私たちの声なんて届かないもの」

 リリィは淡々とそう言い、木のうろの中で目を閉じる。

 だがほんとうには眠っていなくて、誰かが通りすぎるだけで武器をかまえるのだった。


   3.


 エルフの角笛が鳴り響いたのは、まだ夜も明けていない時間帯だった。

 魔物が蠢く時間帯だ。魔王軍はこの時間での襲撃を得意とする。

「エルフだって夜目は利くさ。魔王軍が数万……はたして我々に勝てるかな?」

 レイリ王は愉しそうにしていた。タクオはいきなり起こされ、心臓がバクバクだ。

「エルフの戦を見ていけよ。俺たちは敗けないってわかるはずさ」

 レイリ王が見せてくれた。映像を映す水晶玉だ。ドワーフのと同じものだろう。

 敵はゴブリンだった。まずは騎兵が石畳の道に突入してくる。

 それを迎え撃つエルフたち。木々の間に隠れ、次々と矢を放つ。

 道の左右から攻撃されつづけ、敵はその数をすり減らしている。

 かといって騎兵では森に入れない。魔物の馬でも同じようだった。

 騎兵が撤退していく。それと入れ替わりに、歩兵がずらりと並んで押し寄せてくる。

 大勢で横並びになり、大きなひとつの線を作っていた。

 これなら横から攻撃されない。それに方角がわかるので、森で迷わないのだろう。

 それを待ち受けるエルフたち。矢を放ち、罠にかけて、奇襲して斬り刻む。

 そのくり返しで、犠牲を出すことなく敵を狩り殺していった。

 レイリの言う通り、一方的な展開だった。そして、それはオークが来ても同じようだ。

 オークは躰が頑丈だ。通常の刃物や鈍器は全く効かない。

 だがそれは、人の腕力の範疇では、という話だ。

 巨石や巨木が落ちてくる。そういった罠はオークにも有効だった。

 おそらくは、数十人がかりで運び上げるのだろう。その力が一気に落下してくるのだ。

 ここらの木は高いので、相当な高さから落ちてくる。それもあってオークは罠に潰され、這いつくばらされていた。

 それでも生きている個体はいる。やはりオークは、恐ろしく頑丈だ。

 だが生きているだけだ。動くことはできない。戦闘どころか逃走もできない。

 オークは順に絞められ、とどめを刺されていく。

 動けないのだ、眼の穴や口など、オークでも頑丈ではない場所を刺し貫かれていく。

「おいおい、この程度かよ」

 笑うレイリ王。しかしその表情が即座にゆがんだ。

 タクオはそれを見て唖然とする。リリィも少なからず驚いていた。

 何度も魔王領で戦っている彼女でさえも、それを見たことはなかったようだ。

「伝説の魔物〝トロル〟……ほんとうにいるなんてね」

 岩のような体表の魔物だ。躰つきは猿のようで、背たけは二階の屋根より高い。

 それがエルフたちを踏み越えてくる。矢も罠も通じない。

 巨石や巨木を落としても、ほとんど効いていないようだった。

「こいつは計算外だ……どうやっても止められねえ」

 そのトロルを盾にして、オークやゴブリンも続いてくる。その濁流を、止められない。トロルの数は少ないが、それをオークやゴブリンが補っている。取り囲んで袋叩きにする。それを、オークやゴブリンが防いでいるのだ。

「森の奥、南方に退け。民を守ることを第一とせよ。敵は、進みにくい森から来る。一方我々は進みやすい街道を行く。それで時間が稼げるはずだ」

 とレイリ王が怒声を放っている。誰もかれも必死だ。王は特にそうなのだろう。

 タクオたちは撤退の手助けもした。

 ジープに無理やり何人も乗せた。女子どもや負傷兵だ。赤子を抱えた人もいる。

 スピードは出せないのでゆっくりと走る。リリィは軽く駆けてついてきていた。

 そこに押し寄せてくる敵の騎兵。左右からの攻撃がなくなり、簡単に進んできたようだ。

 来たのはごく少数だったが、戦えない人たちにとっては脅威だった。

「剣を抜け!」

 レイリ王の声。王とその側近がしんがりとなり、敵を防いでいた。

「タクオ。風の宝玉を使いなさい」

「結界だね」

 敵が飛ばす矢や投石。それを風の結界で防いだ。

 それが届く距離まで、敵に近づかれてしまっていたのだ。

 タクオとリリィは避難民の最後尾を走り、宝玉を使って盾となる。

「落ちろ!」

 そしてリリィが雷を落とす。怒ったのではない。ほんとうに落雷を起こしている。

 雷の宝玉。その力だ。

「民が渡りきったら橋を落とせ! それで時間が稼げるはずだ!」

 最後尾のタクオとリリィ。それが通りすぎたところで橋を斬り落とした。

 そこは谷川になっていた。

 かなり深い。流れも速いので、容易には踏み越えられないだろう。

 エルフの兵たちは、ツタを使って飛び移っている。敵は、同じことはできないようだ。

 とてつもない身軽さ。それもエルフの強みのようだ。敵はそれ以上進むことができずにいて、そこで進撃を中止している。谷川には入らず、その前で立ち止まっている。

「あまり時間は稼げねえな」

 そうつぶやくレイリ王は、敵の様子を眺めていた。

 こん棒や斧。鉈や剣。トロルたちがそういった武器を使い、近くの木々を伐りはじめていた。橋を作るためだろう。この森には巨木も多く、それを架けるだけで橋になりそうだ。

「防ぎきれねえかな」

 谷川のきわに立ち、矢を放つエルフ兵たち。ひときわ強力な弓を使っているようだ。

 それでゴブリンは退いていったが、オークは盾でそれを防いでいる。

 そしてトロルは無視しているのだ。エルフの矢など、歯牙にもかけていないらしい。

「火を使え!」

 レイリ王の声。すぐさま火矢が放たれる。

 トロルたちがギョッとしていた。だが効いてはいない。嫌がらせ程度の効果しかない。

 リリィがレイリ王に、飛びかかるようにして言い募る。

「レイリ王。援軍を呼ぶべきよ。エルフだけでは勝ち目はないわ」

「誰が来てくれる」

「エントなら。彼らならトロルを止められるかもしれない。体躯は互角以上だもの」

「はっ。来てくれるわけがねえだろ。ほとんど交流もねえんだ」

「同じことを木の公爵も言ってたわね。でもそんな場合ではないんじゃない?」

「だったら呼んでみろ。できもしねえことを言うんじゃねえ」

「許可は得た、とみていいわね? じゃあ行きましょう」

「僕も行くよ」

「当たり前でしょう。運転手は貴方以外にいないわ」

 そう言ってドカッと助手席に座るリリィ。すこし怒っているようだ。

 その気持ちはわからないでもなかった。

 王ならば、民のために手を尽くすべきだ。

 それなのに援軍を呼ぼうともしない。やれることをやろうともしないのだ。

 民を危険にさらしていいのか。

 リリィはそれを言っているのに、レイリ王には通じていない。だから怒っている。

「全くもう。信じられない」

「ホントにね」

 タクオは怒りの収まらない様子のリリィの相手をしつつ、木の公爵のもとへむかった。


   4.


 一方、古森では。

 エントたちも襲撃を受けていたらしい。

 ゴブリンなど相手にならないが、厄介な魔物がいるのだという。

 トレントという魔物。奴らは人間サイズだが、木のような体表だ。

 それが森の中では見つけられない。森の中に点在するエントでもだ。

 そしてエントが動いていると、ふいに飛びかかり、噛みついてくる。

 奴らの牙には毒があり、それがエントの巨躯であっても侵すのだとか。

 そういった攻撃をエントが受けて、森を守りきれなくなってきているようだった。

「奴らのほうはわしらが見えておるようじゃ。木のフリをしていても噛みついてくるでな」

 そう語る公爵の躰。枝の数が減っていた。

 敵に噛みつかれ、毒が躰をめぐる前に伐り落としたとのことだった。

「エントはものを食べたりせん。地に根を張り、葉を拡げて養分を得るのじゃ」

「ふつうの木と同じね。じゃあずっと動いていたら餓死するの?」

「何ヶ月もそのままならの。いますぐに危ないということもないが」

「いずれそうなると。トレントを排除しないと、どうにもならないのかしら」

「そのようじゃの。わしらは無敵と思っておったが、天敵がいたとはの」

「その天敵だけど、敵が創りだしたのかもしれないわ。トレントに毒があるなんて聞いたことないもの。堕落したエルフからオークが創られたように、魔物を創る力を、魔王軍の誰かが持っているのかも」

「なるほどのう。ありえる話じゃ……」

 がっくりとしている公爵。とても小さく見える。

「木の位置は憶えとる。じゃが、枝の数までは気を払わなんだ。奴らは木の枝に擬態する。どうにも見分けがつかんのじゃ……」

「――エルフなら」

 タクオは思わず口をはさんでいた。リリィと公爵がこちらを見る。

「エルフなら見えるかもしれない。彼らの眼なら」

「そうかもしれん。じゃが彼らがわしらに力を貸すかのう」

「むこうもそう言っていたわ。どちらかから手を握る。その必要があるんじゃない?」

「そうかもしれんがな。じゃが多くのエントは、その助力を拒むじゃろう」

 落ちていた枯れ枝をこすり、火をつけようとしている公爵。

 火を近づければギョッとする。一応は、そういったトレントの弱点を見つけたらしい。

「わしらは火が苦手じゃがの。じゃがそうも言ってられん……」

「生木は水分があるから、たやすくは燃えたりしないわよ」

「恐ろしいのじゃ。こればっかりは理屈ではないの」

 長く火を持ち歩いたりしていると、躰の水分が乾いてなくなり、燃え移ってしまう。

 エントにもそういった弱点があるとのことだ。

「火を扱い慣れてはおらんが、火事には気をつけねばの」

 そうつぶやきながら、公爵は点火したたいまつを手に持つのだった。


   5.


 魔王軍が、王都の東に陣を張っていた。

 リックはそれを遠くから眺める。

 堀を巡らせ、土を高く盛って、その上に木の柵を創る。

 魔王軍は、そういった防御陣地を築いている。影騎兵の度重なる奇襲に備えてのことだ。

 だがユーリーは、彼が率いる影騎兵はその防御をたやすく突破してしまう。

 必ずもろい場所を見つけて、そこに突入してしまうのだ。

 そして敵を狩りまくる。リックを含む全員が敵の首を持ち帰ったことさえあった。

 大軍で動きが鈍い。その大軍を守る陣は大きく、どこかに隙ができてしまう。

 そういった敵の弱点を、ユーリーはうまく衝いていた。

「では勝てるのですか?」

「そうたやすくはないな」

 そう答えてやるリック。ミーナにいまの状況を教えてやる。

「こっちは六十人しかいないんだ。ひとりが十人殺したとても、与えられる被害はわずか六百。三十万に取っちゃ、蚊に刺されたようなもんさ」

「士気などに影響しないのですか」

「影響はするだろうが、それも大した影響じゃないな。そもそも敵は、まだまだ集まってきてる。こっちの与えた被害より、増えた敵のほうが多いしな」

「……ままならない、といった状況でしょうか」

「そうだな。そんな感じだ」

 魔王軍が増えつづけていた。約三十三万。当初より三万も増えている。

 こちらはやっと二万を越えたところだ。一応五万を号してはいる。

 だが魔王軍は七十万を号していて、数の差は、その劣勢さは明らかだった。

「ここに着いたとき、魔王軍の将をひとり、ユーリーさまが討ったはずですが」

「これだけの大軍なんだ、指揮官の代わりだっているさ」

「どれぐらいいるんでしょうか」

「さあな。マスではかり、馬車で運ぶほどにいるかもしれねえ」

「そんなの倒しきれないじゃないですか」

「だから言ったろ。敵は大軍だって」

 攻撃対象は、敵の本隊だけではなかった。

 食糧や武具を運ぶ輸送隊。いわゆる補給部隊も影騎兵たちは攻撃した。

 補給部隊には精鋭が護衛についている。さすらい人が何度も奇襲したからだ。

 だが広い平原では、影騎兵は無敵だった。

 護衛についている精鋭も、たやすく蹴散らして逃げ散らしてしまう。

 そして次の攻撃対象は攻城兵器だった。

 岩を飛ばす投石機や、巨大な矢を飛ばす巨大弩。

 壁や門を衝き壊す衝車や、城壁を駆け登るためのはしご車。

 そういったものに油を浴びせかけ、火矢を放って放火するのだ。

 軽く焼いた程度では崩れないが、焼きつづければ炭になって攻城兵器は瓦解する。

 しかし、ある時からそれが通じなくなった。

 ウルク=ハイという新たな魔物が、補給部隊や攻城兵器の護衛に着くようになったのだ。

 ウルク=ハイは強力だった。

 オーク並みの巨躯と怪力。ゴブリン並みの俊敏さ。それを併せ持つのだ。

 厄介なのは、知能も高いということだった。

 統率も取れていて、数百体がひと塊になって動ける。

 どうやら数は少ないようだ。それだけが救いだった。

 こんなものが何千もいたら、それだけで勝敗が決してしまう。それだけの力がある。

「ずいぶんと嫌がらせをした。時間も稼いだ。だがそれも、ここまでだな」

 ユーリーがつぶやく。その直後だった。太鼓の音が鳴り響く。何度も何度も鳴っていた。

 そしてそれに呼応する声。魔物たちが吠えている。三十万もの咆哮だ。

「敵の全軍が動きはじめたな。いよいよ総攻撃が開始されるってわけだ。もうすぐ王都が包囲される……」

 だがユーリーは、王都に入る気はないようだ。

 そればかりか、王都から騎兵を呼びよせ、こちらの戦力を増強している。

「ウルク=ハイを引きつける。そうしなければ王都が落ちる」

 奴らはそれだけの大戦力のようだ。

 ユーリーは勝つではなく引きつけると言った。それが精いっぱい、ということなのか。

 何度も何度も敵を攻めた。影騎兵だけではない。

 およそ二千騎。いまいる騎兵のすべてを使い、数の力で圧倒しようともした。

 だがそれさえも通じない。ウルク=ハイは六百程度なのに。三倍の騎兵でそうなのだ。

 騎兵の戦力は、歩兵の十倍以上だという。

 その騎兵二千で勝てないウルク=ハイの六百は、歩兵の何倍換算だ?

 リックは何もできない悔しさから、地面を殴りつけるのだった。


   6.


 エントの同意は、やはり得られなかったらしい。

 エントの会合から戻ってきた木の公爵。彼が落ちこんでいた。

「エルフと組むべき。それはわかっておる。じゃがわかっておるのはわしだけじゃ」

「ほかのエントは説得できなかったのね」

「エントは長生きな分、非常に頑固じゃ。それはエルフやドワーフの比ではないの」

「そういうことがあるんですね」

 すっかり意気消沈している公爵。

 タクオは声をかけて元気づけたかったが、いったいなにを言えばいいのかわからない。

 一方で、レイリ王は非常に猛っていた。こんなに荒々しいのかと思うほどに。

 敵の攻勢が増している。巨木の葉を落とし、枝と根を払って橋にするトロルたち。

 その橋を、数人がかりで押して谷に墜とす。そのくり返しだった。激戦だった。

 矢や投石が飛び交うなかでそれをするのは危険だった。多くの犠牲が出ているようだ。

 タクオたちも、はじめはそれに加わろうとした。

 だがレイリ王に断られた。客人にケガはさせられない。彼はそう言うのだ。

「全く、頑固なんだから」

 またしてもリリィが怒っている。彼とはどうにも相いれないらしい。


 光の宝玉。

 それが目的でここに来た。七つの宝玉をそろえるためだ。

 だがレイリ王は耳を貸さない。助力さえも断るのだ。

 彼らを助けて、その見返りに宝玉をいただく。

 そんな算段を立てていたのだが、どうやらご破算のようだ。

 仕方がないので、タクオとリリィはできることを探していた。

 負傷兵たちの手当て。武具の修理。新たな矢を作り、それを兵に手渡すこと。

 そういったことは、タクオたちでなくてもできた。

 エルフ族には、老いも病もない。だから老人も病人もいないのだ。

 だから避難民は女性か子どもで、兄や夫の手助けをすることは手馴れているようだ。

 しかし、そうも言っていられなくなってきたようだ。

 戦いが激化し、ひとりでも兵がほしいといったありさまになってきているらしい。

「よそ者の力を借りたくはなかったが、そうも言ってられねえ」

 とレイリ王。

 その言いように腹を立てているリリィだったが、なにか言い返したりはしていなかった。

「タクオ、行くわよ」

「わかってる。彼らを助けなきゃだ」

 タクオたちは最前線に行った。谷川のすぐふちだ。

 風の力をまとわせた銃弾。それを敵に浴びせかける。

 木の幹に隠れ、敵の攻撃を避けながらも撃ち返し、すこしでも優位に戦闘を進める。

 トロルを倒すのが大変だった。

 エルフたちの矢も効かない。そして投石機のような投石を行ってくる。

 タクオは風の銃弾を浴びせていった。リリィは直接雷を落とす。

 それをくり返すと、トロルを倒すことができた。朝から夕方までかけてようやくだ。

「これでようやく一体……それも何百といるなかの一体」

「やんなるわね。一体倒すだけでも一日がかりだなんて」

 トロルたちは、巨木を丸太にして倒してくる。そうして橋を架けようというのだ。

 その丸太は谷川に落とす。大勢で横に押して落とすのだ。

 タクオは力がない。だから落とそうとする人たちを援護する。

 風の銃弾を連発し、敵の頭を引っ込めさせる。そうして敵に撃たせないのだ。

 敵の矢や投石が中断している間なら、全力で丸太を押し落とすことができる。

 タクオができるのは、その援護だった。敵に攻撃させないのだ。


   7.


 早朝。

 敵が退いていった。

 不眠不休で三日間。激しい戦いだった。エルフの兵たちの疲労はピークに達している。

 だがそれは、魔王軍の兵とて同じだったのだ。魔王軍の兵たちも、長期間不眠不休とはいかないらしい。

「これでひと休みできるわね」

 そう言いながらも、疲れた様子を見せないリリィ。

 だがほかの兵たちは違う。ボロボロで、まるで敗戦の後だった。

「損害は」

「約一千。一割近い兵がやられました」

「ずいぶん死んだな……やはりトロルが計算外か」

 悔しさをにじませるレイリ王。

 その彼にまだ怒っているリリィは、彼をキッと睨み据えている。

「…………」

 その視線に気づき、しかし目をそらすレイリ王。

 だがなにかを決意したように、リリィのほうへむきなおった。

「……俺が間違ってた。使者を出そう。エントに助力を申し出る」

「そう。ようやくね」

「僕らが使者になります。王は手紙を書いてください」

「そうだな。おまえらは何度も会いに行ってた。おまえら以外に適任はいねえ」

 羊皮紙の束を受け取り、駆けだすタクオ。

 後からリリィも追ってくる。

 ジープのエンジンをかけてアクセルを踏むと、任せた、という声が追いかけてきた。


「そうか。エルフの王がのう」

 その手紙を何度も読み返す木の公爵。

「その手紙があれば、ほかのエントは動きませんか」

「難しいのう。よそから手紙が来ることも、助力を求められたこともはじめてじゃし」

「だったら」

「ひとまず会合にかけてみよう。エントの会合じゃ……」

 そう言って会合に行ってしまう公爵。

 その会合のときには近寄るなと言われていて、タクオたちは待つしかない。

 だが日が暮れてしまい、待ちきれずにタクオは公爵を探した。

 リリィは止める姿勢は示していたが、あまり強くは引き止めなかった。

 木の公爵は、けもの道の先の広場にいた。ほかのエントたちも並んでいる。

「やれやれ、来てしもうたか……」

「その様子じゃ、誰も賛同しなかったみたいですね」

 タクオは怒っていた。今度はタクオが怒っていたのだ。

 すべての種族が一丸となり、魔王軍に立ち向かう。

 それが必要なときになにもしない。そんなエントたちに怒りを抱いていたのだ。

「ほかの種族がみんな戦ってる。魔王軍といま戦ってる! それなのに貴方たちはなにもしない……それでいいのですか! 人間やエルフは戦ってる。それで死んでるんです!」

 エントたちは、なにも言わない。

 タクオに言い返せない、というわけでもないだろう。

 タクオが彼らになにを言っても、全く届いていないだけだ。

「ただ黙って過ぎ去るのを待つ。それがあなたたちの結論ですか!」

「タクオ君。それはわしらも重々承知じゃ」

「だったら――」

「わしらは誰かに助けられたことはない。材木や薪にされたことはあってもの」

「それでも貴方たちも、この世界に住んでるはずだ!」

「それがすべてじゃ。わしらはこの戦いには加わらん。それが、会合の結論じゃ」

 タクオはそれ以上、なにも言い返せなかった。

 彼自身も木を利用するからだ。毎朝薪割りをするし、椅子を作ったこともある。

「わかってくれタクオ君。あらゆる木々が、わしらには友達なんじゃよ」

 そう語る木の公爵は、先ほど渡した羊皮紙の束を、大事そうに持っているのだった。


 夕刻。

 その日のうちに、敵はまた攻めかけてきた。

 最前線で木を伐りはじめる。今朝までと同じだった。

 森が入り組んでいて、ほかの場所から持ってこられない。それだけが救いだった。

 だがトロルを止められない。

 エルフたちは弓を束ね、数人がかりでそれを引いて矢を放った。

 それは盾をも貫いている。オークの皮も貫通している。

 そして、岩のようなトロルの躰にも突き立っている。それだけの威力があるのだ。

 だがトロルは止まらない。ゴブリンは臆病でよく逃げる。オークにこの矢は効いている。

 だがトロルが止められない。岩などを投げて、こちらに攻撃してくるトロル。斧などを用い、樹木を伐り倒そうとするトロル。そいつらを止めるすべがない。宝玉での攻撃も、あまり効かないのだ。

「そうだ、土の宝玉……」

 リリィがそれを使ってみた。

「トロルを攻撃してみるわ」

 とのことだった。

「やあっ!」

 叫び、リリィがナイフを投じる。

 彼女は反対側の手で宝玉を持ち、その力をナイフに込めて投げているのだ。

 それは見事にトロルに命中するが、岩のような体表に刺さることなく、跳ね返された。

 が、その地から噴き出してきた。溶岩だ。

 地面に穴など空いていない。おそらくその場で生まれたのだ。高温の溶岩がだ。

 それは敵兵を呑みこんだ。ゴブリンやオークが炭になっている。それほどの高温なのだ。

 だがトロルには効いていなかった。

 驚かせて動きを止めることはできるが、ダメージを与えられていない。

 まだ雷や風のほうが、奴らに効いているという気がする。

「あいつらも土の属性なのね……だから土の攻撃が効かないんだわ」

「それでか」

「まずいわね。サキが言ってたわ。魔法の攻撃がほとんど効かない。それが土属性だって」

「物理攻撃のほうがまだマシか」

「あの巨躯で岩のような体表。巨岩を割ろうとするようなものだけどね」

「厄介だな……どうにもならない」

 エルフたちのなかにも魔法使いがいる。レイリ王もそのひとりだ。

 だが彼らでもなかなかトロルは倒せない。倒せても一日がかりだ。

 そして魔法使いは四人しかいなくて、これまでにトロルは十体も倒せていないのだった。

「タクオ。さすらい人の戦いをするわよ」

 そう言って、むこう側へ渡ろうと言い出すリリィ。

 むこう岸で、トロルが木を倒した。枝や葉が払われ、丸太になった巨木だ。

 それが橋として架けられる。こちらとむこうがつながってしまった。

 その上を駆けるリリィ。同じく駆けてきたゴブリンは、すべて首を刎ねている。

 タクオもその後を追った。束の間、丸太の上が戦場になる。

 タクオは風の結界を身にまとい、数体のゴブリンに突っこんでいった。

 タクオが身にまとった風に飛ばされ、谷に落下していくゴブリンたち。

「やるじゃない」

 丸太を、橋を渡りきった。そのタイミングで雷を落とすリリィ。

 丸太が焼けこげ、さらに渡ろうとしたゴブリンたちの重量で真ん中から折れる。

「これで帰れなくなっちゃったわ」

 愉しそうにそう言い、駆けだしていくリリィ。

 タクオも彼女を見失わないよう、すぐさま後を追うのだった。


 石畳の道を行く馬車の群れ。敵の補給部隊だ。

 タクオとリリィは木の上に登って隠れ、そこから宝玉で攻撃した。

「落ちろ!」

 リリィが落雷を前方から浴びせかける。タクオは風だ。竜巻を後方からぶっつける。

 落雷と竜巻の挟み撃ちだ、敵は精鋭が護衛についていたようだが、それも蹴散らせた。

 馬車では森に入れない。道は複雑だったが、主要な道を何本か憶えればそれで事足りた。

 敵もすべての道を憶えているわけではない。だからいくつかを見張っていればよかった。

「タクオはよく道を憶えているわね。運び屋の技能かしら」

「そうかもしれない。街道が使えないときもあったから」

 雷と風で護衛を蹴散らす。そうしてから敵の武具や食糧を焼き払う。

 言うのはたやすい。だが数万規模の敵軍の補給部隊は、相当な数がいた。

 タクオたちが焼き払えたのは、そのほんの一部だけかもしれない。

 だが効果はあった。タクオたちを捜している敵兵がいたのだ。

 こちらのかく乱作戦が効いている証拠だった。

 そして敵兵をこちらに割いた以上、最前線の敵兵は減っているはず。

 エルフたちの負担も、すこしは減らすことができただろう。


 何日かすると、敵は輸送方法を変えてきた。

 大勢のゴブリンで食糧を背負い、森のなかを進んで運ぶ。

 そういったやり方に切り替えたのだ。

「やあっ!」

 リリィがナイフで切りかかる。タクオは銃だ。

 宝玉の力で強化した武器で、敵に襲いかかり、狩っていく。

 それも何日か続けた。ほとんど眠りもせずに狩りつづけた。

 敵は魔物だ。夜も蠢く。だから眠っている間などない。

 奇襲を続ける必要があった。

 幸いにして、タクオも目が慣れてきた。夜でも見えるようになった。

 リリィはずっとこうだったのだろう。腕が立つわけだった。

 影の戦い。リリィはさすらい人の戦いをそう評した。

 影になりきる。影のように静かに戦う。そのやり方を、タクオも身に着けていった。

 敵の大軍が動員されたのは、影の戦いを十日余りも続けた後だった。

 護衛を大量に配備し、一度に運びこもうというのだろう。

 これまではゴブリンばかりだったが、今回はオークもいた。敵が本気だということだ。

「オークとは戦わないわ。食糧だけを焼き払うのよ」

 こちらの奇襲を警戒し、護衛は森のなかも探っている。

 だからタクオたちは、離れたところから攻撃した。今度は土の宝玉を使った。

 地からいきなり溶岩が噴き出す。そんな攻撃から、食糧を守りきれるはずもなかった。

 敵は大軍だった。食糧も大量だった。そして道から外れることはなかった。

 だから大雑把な位置がわかれば、それで攻撃、撃破して撃退することができた。

 ウルク=ハイと呼ばれる魔物が現れたのは、大軍を退けてから十日後だった。

「完成していたのね……」

 とリリィ。さすらい人はその情報を入手していたようだ。

 敵側に寝返った魔法使い。

 四大魔将軍のひとりとなったそいつが、オークとゴブリンをかけ合わせて創ったらしい。

「オークの体格と力。ゴブリンの俊敏さ。そして人間の統率と知能を併せ持つらしいわ」

 そいつらが荷をしょって、森のなかを駆けてくる。

 ゴブリンよりも速く駆けるのだ。そして戦闘力は、オークよりも上なのだとか。

「止めようがないわね。谷川のところへ戻りましょう」

 そう語るリリィ。だが谷川のむこうへ戻る前に、すこし寄り道をした。

 敵の食糧の集積所。そこを襲って回ったのだ。

 食糧の補給がずっと前から滞っているからだろう。動物の死体がかなりあった。

 敵は森のなかの動物を狩り、食糧の足しにしていたようだ。

 そして、エルフの死体まであった。こちら側に斬りこんだ兵がいたのかもしれない。

 魔物は人肉までも喰らうのだ。相手がエルフでも、それは同じことだったようだ。

「エルフは土葬だけど、食べられるよりはいいわよね」

 リリィは悲しい声でそう言いつつ、エルフの死体を土の宝玉で焼いた。

 溶岩の温度で焼いたのだ、きちんと灰にすることができたと思う。

 タクオたちは彼らに手を合わせ、ツタを使って谷川のむこうへ戻っていった。


   8.


 敵の背後でずいぶんと戦った。

 かなり嫌がらせもしたし、時間も稼いだと思う。

 しかし、それだけだった。時間を稼いでも、援軍が来てくれるわけでもない。

 ウルク=ハイの登場により、補給を断つという目標も果たせなかった。

 食糧の集積所も何ヶ所か焼いたが、数万の軍の食糧すべてを焼き払えるはずもなかった。

「援軍を呼ぼう。何度でも呼びかける。それしかないんだ」

 タクオはそう言い、リリィを伴って、またエントの古森へむかった。

 木の公爵。彼がタクオを出迎えてくれる。

「戦いの火……その煙は見えておる。だが、戦おうというエントはおらんのだわ……」

 やはり同じ返答、ではなかった。彼だけは戦いに参じようというのだ。

「わしひとりだけでも戦場に行く。エントの戦いを見せてくれるわ」

 そう言ってずんずん歩いていく木の公爵。彼を追うのはなかなか大変だった。速いのだ。

「わしはエントの長老じゃ。戦っておれば、わしに続くエントが現れるやもしれん」

「そうかもね。いまはそれを期待しようか」

「なんにせよ、ありがとうね。貴方がいれば百人力だわ」

 タクオたちは木の公爵の肩に乗せられ、戦場のほうへむかうのだった。


 谷川のむこう。

 そこはかなり明るくなっていた。

 木々がないのだ。何度も橋を架けようとして、その度に谷に落とされる。

 それをくり返していた魔王軍は、次は谷を埋め尽くすことを考えたようだ。

 だから木の大きさなど関係なく、枝や葉を払う作業も省略し、木を伐り倒しては谷川に投じているようだ。そういった場所が、何ヶ所もある。

「ここの木々は生きていた。生きていたのじゃ! ぬうう……許せぬ!」

 そこで木の公爵が咆哮した。地を揺るがし、空に反響するほどの咆哮だった。

 やがてその咆哮が増える。ひとつ、またひとつと増えていく。

「これほどの怒り……長く生きてきたがはじめてじゃ!」

 森の伐採。それは彼らにとって、殺戮と同義なのだろう。

 タクオだって怒るかもしれない。村の人々が殺されたりしたのなら。

「来たれ同胞(はらから)……いざ、エントの戦いじゃ……!」

 森が――動いた。

 そう思うほど大量のエントが、谷川へ押し寄せてきたのだ。

 彼らは自分の躰を橋にして、こちらとむこうをつないでしまう。

 そしてそこをほかのエントが渡っていき、あっという間に谷を越えてしまった。

 橋になっていたエントも、谷を渡りきったエントが引っ張り上げている。

「魔王軍を殺しつくせ! 同胞の仇討ちじゃ!」

 公爵の咆哮。暴れるエントたち。行進するエントたち。

 彼らに踏みつぶされるゴブリンやオーク。

 そしてトロルでさえも組み伏せられ、躰を叩き割られていた。

「恐ろしい……敵じゃなくてよかったわ」

 リリィがそうこぼすほどに、エントの戦いぶりはすさまじかった。


 今度は古森での掃討戦だった。

 エルフの眼。千里眼とも称されるそれは、擬態したトレントをたやすく見抜いていた。

 通常の木の枝と違い、魔物であるトレントには魔力がある。

 その魔力がもやのようになって、トレントの躰にまとわりついているとのことだった。

「あれほど厄介だった連中がこうもたやすく……」

 うなる公爵。だが喜んでいるようだった。森のなかには、数万のトレントがいたようだ。

 だが擬態するために古森じゅうに散っていて、エルフに各個撃破されていった。

「レイリ王。わしらは同盟を組むべきではないかの」

「それは俺も思ってた。俺の一存では決められねえから、まずはエルフで話しあう」

「それはわしらもじゃ。エントの会合……エントムートで意思決定を成さねばならぬの」

 そう言って、彼らは別れた。

 だが再び会うことになる。それが決まっているうえでの別れだった。


 レイリ王の寝床へ戻る途中だった。

 レイリ王は敵の残党を警戒し、かなりの護衛はつけていた。

 しかし無意味だった。十名からなる護衛たちが、たった一体のウルク=ハイに殺されたのだ。

 タクオは王を助手席に乗せて逃げる。リリィは荷台だ。そこから敵を攻撃していた。

 しかしウルク=ハイは、リリィのナイフを剣で払いのける。

 そして大規模な落雷などは、その巨躯に見合わない素早さでかわすのだ。

「しまった……」

 タクオのミスだった。道を誤り、行き止まりへたどり着いてしまったのだ。

 剣をかまえるレイリ王。だがふるえていた。

 彼は魔法使いだが、戦闘むきの魔法は使えないという。

 つまり戦闘においては凡人だった。

「やあっ!」

 リリィがナイフを二本とも投じる。

 それをつかまえ、近くの木に突き立てるウルク=ハイ。

 ナイフが戻ってこない。木に突き立ったままだ。抜けなくなったのだろう。リリィは、武器がなくなった。ジープの荷台にあったシャベル。それを拾ってかまえている。

 だがそんなものではかなわないのは、火を見るよりも明らかだった。

「やめろォ!」

 タクオは運転席から飛び降りて駆けた。ウルク=ハイのいるほうだ。

 ウルク=ハイが剣を振るう。

 タクオも腰の剣を振るった。

 あの石像の騎士――風の聖騎士タクローが使っていた、聖なる剣。それを使った。

 風の宝玉。その力――風の刃を、タクオは剣にまとわせた。

 ウルク=ハイの剣。そして首。

 タクオの剣は、それらをまとめて両断していた。

 ウルク=ハイの剣の切っ先。それが落ちる。同時に首も落ちていた。

 同じ剣だった。

 天の遺跡でリリィを救ってくれた剣。

 それを今度はタクオが使った。その剣で、タクオがリリィを救ったのだ。

「リリィ、ケガは?」

「ないわ。腰が抜けちゃったけど。それよりタクオ、王を心配しなさいよ」

「俺は無事だ。無事だが……その様子じゃ、眼中になかったみたいだな」

 ニヤニヤと笑うレイリ王。怒ってはいないようだ。助かった。

 タクオもその安堵から力が抜け、その場に座りこんでしまった。


   9.


 リリィがいない。

 風の宝玉もない。

 翌朝、タクオはそれに気がついた。

 戦いが終わった安心からだろう、日が高く昇るまで眠りこんでしまったのだ。

 ほとんど寝ずに戦っていたのもその理由だと思う。

「リリィ……」

 彼女が手紙を残していた。貴重な紙まで使って、タクオにメッセージを残していたのだ。

 ――ひとりで行く。貴方は帰って。手紙に書かれていたのは、それだけだった。

「どうしたのじゃ」

 呆然としていると声をかけられた。木の公爵だった。

 エルフの領域に彼がいる。それに驚いている余裕もタクオにはなかった。

「リリィがひとりで行ってしまった。僕を置いて、たったひとりで……」

「そなたは運び屋じゃったの。金貨も置かれておる。それでよいのではないか?」

 やさしい口調だった。彼らしい、タクオを気遣うような口調だった。

 しかしタクオは、それに気がつくこともできない。

「でも……」

「運び屋ではなく、仲間のつもりだった。そういうことかの?」

「――ええ、そうです。僕と彼女は仲間だった。そのはずだ……」

「そうじゃの。わしもそうじゃと思っとった」

 タクオの前に立つ公爵。タクオは顔を上げられない。

「彼女に置いていかれたことがショックか。でもわしには彼女の想いがわからんでもない」

「彼女の気持ち?」

「あの子は王家の関係者じゃ。じゃから彼女は、宝玉を求めて旅をしとるんじゃろうの。じゃから宝玉を集める旅は、彼女の旅だとそう言える……」

「彼女の旅……」

「じゃが危険な旅ではある。特に今回は、数万規模の軍のぶつかり合いじゃった。わしらエントも多くが犠牲になったしの。その戦いに、大切な人を伴いたくはない。危険な目に遭わせたくはない。そう思うのも自然な感情じゃ……」

「そうか。リリィは僕の身を案じて」

「じゃから彼女の言葉通り、故郷に帰るのも手じゃ。じゃが彼女が大切なのなら」

「後を――追いかける! そうだ、僕だって彼女が心配なんだ」

「腹が決まったようじゃの。で、どこに行ったかはわかっとるのか」

「ええ。はじめに彼女に聞きました。次は〝海賊連邦〟だ。そこに彼女は行くはずだ」

「あの巨大なスラムか……案じるのも無理はないの」

 タクオは立ち上がった。置かれていた手紙と金貨はポケットに入れる。いずれリリィに突き返すためだ。

 タクオは運び屋として彼女を運んでいたのではない。だから料金など要らなかった。

「では、行ってきます」

「おう、元気でな、若人よ。旅の無事を祈っておるぞ……」

 公爵に見守られ、ジープを発進させる。念のためにレイリ王にも声をかけた。

 彼女は昨晩のうちに、光の宝玉を受け取っていたとのことだ。

「追いかけるんなら早くしな。スラムで女の子ひとり。危険だからよ」

「わかってます。では、急ぎますので」

 荒々しくジープを急発進。だが真南にはむかえない。

 エントの古森に、ジープで走れる道がないからだ。

 だからかなり迂回して進まなければならない。森全体を迂回する必要があった。

「まっすぐ南下したリリィとは差がついちゃうかな……でも彼女はエルフから騎乗できる鹿を借りていったという。徒歩で追いつける相手じゃない」

 それに、その先もジープが要る。リリィにとっても必要なはずだ。

 だからタクオは、海賊連邦への道を急いでいた。


     10.


 サキははじめにレイリ王に接触した。

 魔法使い同士だ、互いに相手の力量はわかる。だから彼はサキを見てとても驚いていた。

 無理もない。サキはこう見えて、絶大な力を有しているのだ。

『木の公爵にも会いたい。七百年ぶりだからね』

「まさかあんた……」

『七百年生きてるよ。エルフにもそんな長寿はいないか』

「戦や事故で死ぬからな……そんなにも長く生きているとは」

『僕は特別だからね』

「まさかあんた、七百年前の」

『聖騎士ではないよ。僕に戦闘力はない』

「そうか。そうかもと思ったのだが」

『ところでタクオは無事だったかい? ケガしてなきゃいいんだけど』

「無事だったが、女のほうに置いていかれてた。慌てて追ったようだが」

『そうかい。まあ、そういうこともあるか。また逢えるといいのだけれど』

 レイリ王に連れられ、木の公爵にも会いに行った。

 エルフの王。エントの長老。そしてサキ。

 その三者が、一堂に会することになった。

「懐かしいのう」

『そうだね。でも懐かしんでる場合じゃない。この森に危機が迫っている』

「なんじゃ? 魔王軍の話か?」

『そう。でも三十五万もの魔王軍の話じゃない。ある一万の軍の話だ』

「まさか、ウルク=ハイかの?」

『その通り。この森には五十名が投入された』

「それだけしかいなかったのか……かなり強力で厄介だったんだが」

 とレイリ王。少なからず驚愕しているようだ。

『それが、全体で一万もいる。結論から言おう。いま王国軍が敗ければ、王都が落ちればその一万がこの森に投じられる。その後には誰も残らない。残るのは魔物だけだ』

「わしらもかの? トロルでさえも粉砕したのじゃが」

『トロルの数はわずか五百。君らと同数だった。しかし、ウルク=ハイはもっと増える。いま王都を包囲しているゴブリンとオーク。それらも材料に使われるかもしれない』

「なるほど。守っておればよいと思っとったが、その間にウルク=ハイが増えると」

『残念ながら、僕ら魔法使いのひとりが敵側に寝返った。最も賢く、最も力を有していた魔法使いマシランだ。彼の得意な魔法は、生命をかけ合わせて新たな生物を創りだすことだった』

「それが魔物の創造に勤しんでおると。エントより強力な魔物ができるやもしれんの」

『トロルとなにかをかけ合わせるとかね。いま戦場に投じられているトロルは二千余り。その四分の一がこちらに来ていたが』

「今度はその三倍だというわけじゃな。それもより強くなってくるかもしれんと」

『そういうこと。僕の言いたいことはわかるかい?』

 無言で息を吸う公爵。

 レイリ王も同じ顔を、腹をくくった顔をしていた。



























第四章 君を捜して幾千夜





   1.


 海賊連邦への道は、困難を極めた。

 どこまでも続く乾燥した荒野。

 それを過ぎると、今度は湿った泥濘が続いた。

 馬車などの轍はあるが、タクオのジープとは幅が違う。轍を避けていく必要があった。

 かなり南へ来ていた。だから、強烈に暑かった。

 タクオは寒い地域に住んでいたので、暑さがこれほどきついとは想像もしなかった。

 でもリリィも、そこを進んだはずだった。

 彼女はエルフに鹿を借りたのだという。大きな角を持った鹿で、騎乗できる代物だ。

 エルフの騎兵は全員がその鹿に乗っていて、馬よりも荒れ地に強いという。

 そしてひとたびどこかで放てば、自分で森へ帰っていけるとのことだった。

 おそらくリリィは海賊連邦まで、その鹿でむかっているはずだ。

 そこから先は大河を北西にむかって遡上するはずだ。すなわち船を使うことになる。

 海賊連邦と呼ばれるほどだ、船など腐るほどあるだろう。船員も、どうにかして雇うに違いない。つまりは、海賊連邦には宝玉と船を手に入れるという、ふたつの目的があって入っていったと思われる。


 三日が経った。

 水も食糧も尽きた。

 タクオはそのころになってようやく海賊連邦にたどり着いた。

 海賊連邦は木の町だった。あらゆる建物が、町を囲む城壁でさえも木でできているのだ。

 ノル王国では、石で作られるものばかりだ。

 主要な道にも、木の板が敷かれていた。雨が降っても泥濘にならない。

 だがずっと濡れていると腐るので、水を拭きとり、表面を削る必要があるようだった。

 そして危険な町だった。

 そこらじゅうにスリや強盗がいる。タクオのジープも狙われているようだ。

 タクオはまず噂を集めた。信頼できる宿を探した。

 ジープはそこに預かってもらい、その宿を拠点にしてリリィを捜した。

 ジープは目立ち過ぎていたので、これでようやくリリィの捜索に専念できる。

 リリィの捜索は、困難を極めた。この辺りでは、赤髪の人が少なくないのだ。

 リリィと違って赤さびのような色なのだが、それでリリィが印象に残らない。

 だから目撃証言を得ることができず、彼女の手がかりが何も得られなかった。

 同時にタクオは、宝玉も捜した。噂によると、海の王と呼ばれるここの領主が、魔法の力を持つ宝物を所持しているのだという。きっとそれが宝玉なのだ。

 だが王に会うことはできなかった。門前払いされただけだった。

 いままでがおかしかったと言える。王どころか高位の貴族でも、タクオのような平民が会わせてもらえるはずがないのだ。

 王女とそっくりなリリィの容姿。それが偉い人に会えるカギだったのかもしれない。

 レイリ王は宝玉の力を感じ取り、それでリリィに会ったようだった。

 それで言うと、タクオはただの平民だ。それも、ずいぶん年下に見られているだろう。それに何の力もない。ジープという物珍しい魔道具があるが、それを手札にしたくはない。渡せなどと言われたら、これからの旅が続けられなくなるからだ。

 平民が王に会えるはずもない。だからそれは早々にあきらめた。

 リリィのことは足で捜すことにする。

 聞きこみは続けた。だがそのほとんどが空振りか勘違いだった。

 赤髪の少女など、この国にはいくらでもいるようなのだ。

 さすらい人というキーワードをつけ加えても、似たような人が多かった。

 海賊の町なのだ、戦闘用の格好をしている人は少なくない。

 それは、少女と呼べる歳の女の子であっても変わりないようだった。


 この町のことについても、かなり探った。

 この町には、三つの大きな勢力があり、その三すくみになっているのだという。

 まずは海軍。海の王と呼ばれる男を筆頭に、この町を支配している連中だ。しかしその支配も、ほかの国とは違って盤石ではないようだ。

 続いて海賊。提督と呼ばれる男が大艦隊を築き上げ、軍に抵抗しているとのことだ。

 そして商会。彼らは金の流れと卸を牛耳り、一大勢力になっているらしい。

 この町の人々は南方人と呼ばれていて、赤茶けた髪色の人が多く、のんびりした性格の人が大多数だとのことだった。肌も褐色の人が多い。

 だからタクオは頭に布を巻いた。灰色の髪は目立つからだ。

 肌は旅の間にけっこう日焼けしていて、それほど目立たないようだった。

 いったいリリィはどうだったのだろう。


   2.


 この町は広かった。そもそもいくつかのエリアに分かれている。

 小さな城塞都市だったのを建て増しにし、広がっていったらしい。

 いくつかのエリアに分かれているのは、はじめの都市に接するように都市を作り、また接するように都市を作ったかららしかった。

 だがどの都市も河口か海に面している。船がないと成り立たない町なのだ。

 そしてタクオは、この町の特色をもうひとつ見つけた。

 それは決闘だった。街のそこかしこで行われている。

 素手だったり、近接武器のみだったり、あるいはルール無用だったりする。

 タクオはそれで、資金を稼いだ。ならず者たちと決闘を行ったのだ。

 敗けたほうが金を払う。そのルールが多かった。

 タクオはひと目見れば、相手の実力をはかることができる。

 そしてそのほとんどが、威嚇と喧嘩によって生きてきた輩だった。

 ほんとうの勝負、命がけの戦いなど経験してはいないのだ。

 死すれすれの戦闘を行い、ウルク=ハイでさえも倒したタクオには相手にならなかった。タクオは数々のならず者に、剣一本で勝ちつづけたのだ。

 風の宝玉はリリィによって持ち去られていたが、それでもタクオは勝てた。

 その資金を人に支払い、タクオはリリィの捜索を続けた。

 資金が溜まっても決闘は続けた。名を上げて、リリィにまで届かせるためだ。

 ときにはどうしようもないほど強い相手もいた。

 だが、はじめからそういった相手との決闘は受けず、勝てる決闘にばかり挑んだ。

 そうしてタクオは、無敗というブランドを築き上げたのだ。


 商会のほうから接触があった。

 新進気鋭の無敗の男。それには商会に入ってほしいのだという。

 商会は資金力こそ三大勢力のなかでも最大だが、武力では最も劣るという。

 だから腕の立つ者には、片っ端から声をかけているとのことだった。

「こんなに小柄だとは思いませんでしたね。もっと武骨なものかと」

「そういう人のほうが強いよ? 激戦を経験してないだけで。だから見切りが甘い」

「なるほど、あなたは経験してると」

「いろいろね。さすらい人といっしょに戦ったこともあった」

「さすらい人……レンジャーですか。なるほど、強いわけだ」

 接触してきたのは、線の細い男だった。かなり饒舌な男だ。

 彼は商会の交渉役で窓口とのことだったが、もっと偉いのではないかとタクオは思った。

 ただの勘だが、信じていい直感だったと思う。

「そしてあなた……何者ですか?」

「僕は運び屋だよ。仲間が僕を置いてったから追いかけてきたんだ」

「ふむ、仲間とは」

「リリィって言う名の女の子だよ。彼女が件のさすらい人だ」

「ほう。さすらい人がこんな南に何の用で?」

「探し物。とにかく彼女を捜したい。どうにかならないかな」

「まずは絵の得意な者を連れて来ましょう。それから人を使います」

「ありがとう。代わりになにをすればいい?」

「なにも。あなたが商会に入ったと知れれば、腕の立つ人が集まってきますので」

「僕は広告塔か。でも僕、リリィが見つかったら商会は抜けるよ?」

「抜けるのであれば、我々が取り計らった数々の便宜の代金をいただかねば……」

「最初からそっちも狙いなんでしょ。わかった、払うよ」

「どうもありがとうございます」

 それからタクオは、海賊の偉い人に会いに行った。

 商会の者。そう名乗ることで、偉い人に面会することもできた。

 まず会ってから、タクオは商会の者といっても一時的な雇われだということを明かして謝る。だがそれから金貨を手渡し、本題に入るのだった。

「赤髪の女の子を捜してる。彼女はこの国で探し物を見つけて、大河を遡上するはずだ」

「それで、船と漕ぎ手が要ると……それなら俺たちに接触するかもな」

「この町で見慣れない肌の白い女の子。さすらい人で、傭兵のような格好をしてる」

「覚えがねえな。船を売った記録もねえ」

「商会にもないらしい。後は海軍かな」

「海軍も船を売ることはあるだろうが、人手を割くとは思えねえ。海軍にゃあ敵が多い。兵力を分散することは避けるはずだ」

「じゃあどうするんだろう?」

「さあな。とにかく俺たちでも探してみよう。貰った金の分の仕事はするさ」

「ありがとう。僕は唄う仔牛亭という宿にいるから」

「いいとこに泊まってやがんな……金はあるってか」

「後先考えてないだけだよ。それだけこの旅に懸けてるんだ」

「そうか。頑張れよ、坊主」

 タクオははじめに来たときとは打って変わって、笑顔で見送られて出ていくのだった。


 だが商会の名を使っても、海軍の偉い人には会えなかった。賄賂も突っぱねられた。

 海の王は腕も立つとのことだったが、決闘も受けてはもらえなかった。

 タクオはそこで完全に行きづまった。

 商会の絵のうまい人に、リリィの絵も描いてもらった。

 だがそれを使っても、目撃証言は全く得られなかったのだ。

 ほんとうにここに来ているのか。そう思うほど、リリィの手がかりはなかった。

 ここに来る途中の荒れ地でも、出会った人には片っ端から訊いた。

 しかし芳しい返事は得られず、タクオは徒労感に苛まれはじめていた。


   3.


 リリィ。

 タクオにとって大切な人。

 彼女の瞳。張りつめた弓の、ふるえる弦のようだった。

 タクオはそれを見て、彼女の力になろうと決めたのだ。

 そうして彼女と旅をして、彼女のことがどんどん大切になっていった。

 どこにいても。離れていても。

 それでも彼女を想っている。タクオは大切に想っている。

「でもどうすればいいのかな。サキなら教えてくれるかな……」

 サキに手渡されたお守り。首から提げていたそれをそっと握る。

 ――必ず返して。

 サキはそう言った。

 タクオはいまになって、その意味を完全に理解した。

「そうか。サキは僕の身を案じて……」

 ――必ず返して。

 それはタクオ自身が必ず返しにきて、と、つまりは無事に帰ってきて、とそういう意味だったのだ。

「このお守り、リリィに渡そうかな」

 サキも許してくれるだろう。同じことなのだ。

 また逢いたい。無事でいてほしい。そういった気持ち。それはサキもタクオも同じだ。

 サキが、タクオを大事に思ってくれているように。

 それと同じく、タクオもリリィを大事に思っている。


 決闘を続けた。半ば自棄だった。

 しかし、腕の立つ者にも勝てるようになってきた。

 日ごろの無茶な連戦で、腕が上がってきたのかもしれない。

 もし風の宝玉が手元にあれば、ウルク=ハイでも確実に勝てたと思う。

 溜まった金で、泊まっている宿にはかなり先までの料金を支払った。

 そしてそれ以外は、すべて商会に納めた。人手を割いて、リリィを捜してもらうためだ。

 そうしながらもタクオは歩いた。歩きまわり、港を片っ端からまわった。

 軍艦。哨戒艇。貨物船。漁船。観光用の客船なんかもある。

 そういった船を見つけては、誰が所有者なのか、どこへ行くのかを訊いた。

 赤髪の少女のもの。大河を遡上する船。それはひとつも見つけられなかった。

 海軍の船。海軍の港。そこには近づくこともできなかった。警備も尋常ではなかった。

 売る、買うといった交渉もできない。なにをしても突っぱねられる。

 だがそれは、リリィも同じはずだった。

 つまりリリィは海軍と交渉してはいないはず。

 だからタクオは海軍の港と知ると避け、商会と海賊の港のみを訪ねつづけた。


   4.


 王都レンタル。

 そこが包囲されている。

 魔王軍に王都レンタルが包囲された。およそ三十五万。七十万を号する大軍だ。

 完全包囲される直前に、リックたち影騎兵も王都の城内入った。人馬ともに休息を取るためだった。

 だが何度も出撃した。堀を埋め立てようとする。攻城兵器を持ちこもうとする。

 そういった動きがあるたびに城から出て、その作業を妨害するのだ。

 そんな戦いを何ヶ月もつづけた。ウルク=ハイの前に、犠牲を出しながらだったが。

 敵は堀も埋められず、攻城兵器も持ちこめず、力攻めを選択するしかなくなっていた。

 いかに大軍でも、最前線に出られるのは一部だけだ。

 それが壁を這い登れるゴブリンであっても、城を攻め滅ぼすのは容易ではない。

 三十五万対二万。だからそれほどの兵力差であっても、人間側はなんとか戦えていた。

「リックさま。出撃の準備を」

 などと言い、ミーナがリックの槍を抱えてくる。

 小柄な彼女がそういうことをしていると、親の手伝いをする子どものようだった。

「リックさま。なにか失礼なことを考えていませんか」

「いや、べちゅに」

 今度は攻城塔と呼ばれる攻城兵器を狙った。

 車に乗っていて、三方が壁に囲まれ、中が階段になっている動く塔だ。

 その塔が城壁の近くに迫れば、その中を通って城壁に乗り移られるのだ。

 急いで破壊する必要があった。

「開門!」

 門が開けられ、ユーリーが飛び出していく。影騎兵たちの一部が後を追う。

 残りは副将の女武将、ムチを持ったクロウに付き従って駆けた。

 リックはユーリーのほうだった。

「攻城塔を狙う……そう思いこんでる隙を衝くぜ!」

 ユーリーはそう言い、いきなり進路を変えた。敵の真っただなかへ突っこんでいく。

 敵が後ずさりしている。ぶつかったが、ほとんど抵抗らしい抵抗はなかった。

「リック! いまはおまえの速さが必要だ……俺の真後ろを駆けろ!」

 ユーリーの指示に従う。リックは必死になって彼の後を追った。

 ユーリーは並みいる敵を、軽々と矛でぶっ飛ばしている。そうしながらゴブリンの海をかき分けて進み、ウルク=ハイの列にまで突進した。

 彼はそのウルク=ハイの列すらブチ破っている。

 ウルク=ハイはオーク並みの巨躯だ。力も同じかそれ以上だろう。それでいて俊敏だ。

 だがオークに比べてやや打たれもろい。何ヶ月も戦いつづけて見つけた弱点だ。

 だからこうして防衛に回ると、オークにはやや劣るのだ。重装備であってもだ。

 それゆえにユーリーが大勢のウルク=ハイを突き破り、突進していけているのだ。

「おおおお!」

「来い!」

 そう叫ぶウルク=ハイの指揮官。

 四大魔将軍のひとり――ウルク=ハイの王ゲノム王。

 ユーリーとヤツの矛と矛がぶつかる。そして双方の矛が折れた。

「いまだリック!」

 彼に言われる前から距離を詰めていた。ゲノム王が眼前に迫っている。

 槍を突き出す。それはのどに吸いこまれていった。やがてその皮を突き破る。

 やはりそうだった。防御力だけは、ウルク=ハイはオークに劣る。

 オークならのどに槍という状態であっても、リックの力では皮を突き破れないのだ。

「敵将、討ち取ったぜ!」

 敵が逃げ散る。そう期待して、リックは声を張り上げた。だが逆効果だった。

 敵が怒っていた。ゲノム王の仇を取ろうというのだろう、非常に猛っていた。

 ユーリーが敵の旗を奪い、それを振りまわして蹴散らしている。

 だが四方八方に敵が、それもウルク=ハイがいて、とても脱出はできそうになかった。ユーリーとリックは、敵に完全に取り囲まれていた。

 そこに、衝撃が走った。

 味方だった。影騎兵だ。副将クロウの一団が、魔王軍の背後にまわっていたのだ。

 彼らが敵の軍を突き破り、なんとか進路を作ってくれる。リックとミーナ、ユーリーは彼らに連れられて、どうにか城内に逃げこむことができた。

「全く、無茶するんだから」

 と怒るクロウ。ユーリーはそれでも笑っている。

「仕方ねえだろ。ウルク=ハイは素早い。矢ではよけるか払いのけられる。だが矛ならばムキになって、迎え撃とうとするだろう。実際にそうなった」

「そうだけど……」

 影騎兵に、犠牲者が出ていた。かなりの数だ。

 やはり魔王軍の中核、それもウルク=ハイの一団は強力だということだろう。

 そしてその攻撃にまわっていたため、攻城塔は壊しきれなかった。

「水堀があるから渡ってはこれねえ。だが、塔の上から矢を射かけてきやがる」

 そして新たな敵が、魔物が出てきた。吸血鬼だ。

 連中は空を飛ぶ。その上そこから矢を射こむ。

 上空から攻撃されるので、こちらの攻撃はほぼ届かない。

 ユーリーのような強力で巨大な弓。それなら反撃できるが、数が限られた。

「攻城塔を壊すか……空中には反撃できねえが、それで攻城塔と空中からの総攻撃という事態は避けられるはずだ」

 そう言って大剣を抜くユーリー。ほかの影騎兵たちが無言で馬に乗る。

「帰ってきたばかりじゃない。体力的に無茶だけど、それしかないわねえ」

 そう言って兜をかぶるクロウ。

 リックもミーナと背中合わせになって騎乗した。

「吸血鬼は数が少ねえ。攻城塔との同時攻撃じゃなけりゃ、さほど脅威じゃねえんだ」

 ユーリーはそう言い、門を開かせて飛び出していく。

 だがそれを待ちかまえていたのか、上空から吸血鬼が殺到してきた。


   5.


 この海賊の国に来てひと月。

 もう秋になりかかっている。

 タクオはすべての港を回った。商会と海賊の港。そのすべてだ。

 後は、海軍の港しかない。そこだけは、捜しきれてはいないのだ。

 だからどうしても海軍に接触する必要があった。そこにリリィがいるかもしれないのだ。

 しかし、どうやっても海軍は応じない。金貨も手紙も何もかも突っぱねられる。

 海の王やほかの要人に決闘を申しこんだりもしたが、鼻で嗤われただけだった。

「時間が経つとリリィが旅立ってしまう……その前に見つけないと」

 商会の人に事情を話し、宝玉の行方も探ってもらった。それによると、決定的な証拠を得られたわけではないが、海の王が持っている可能性が高いという。

 目的がひとつに絞られた。どっちにしろ、海の王に会う必要がある。

 手段を選んではいられなかった。


 ――海の王は臆病者。

 タクオはそう挑発した。国じゅうにビラを配り、壁に貼り紙までしてまわった。

 それが人々の噂になり、挑発しているのが何者かという話題で盛り上がったようだ。

 ――臆病者。決闘を受けろ。

 今度はそういった貼り紙を貼ってまわると、王の配下が剥がしてまわっていた。

 決闘を受けてくれなかった腹いせ混じりだったが、想像以上に効果があったらしい。

 海の王は配下を使い、タクオのことを捜しまわっていた。

 だがタクオはその裏をかき、また貼り紙をしてまわった。

 影の戦い。それを経験していたタクオに、そんなことは造作もなかった。

 タクオは見つかることなく、ビラを撒いて、貼り紙をした。

 ――臆病者。腰抜け。

 そういった小馬鹿にする貼り紙もした。

 海の王は、次第に無視できなくなってきたようだ。

 王とて人々の支持は必要だ。放置すると、人心が離れる一因にもなるはずだ。

 だから立場のある者は、言われっぱなしというわけにはいかない。罠であってもだ。

 タクオはそれを理解し、そこを衝いていた。

 ――王として決闘を受ける。

 そういった貼り紙が貼られるのに、そう日数はかからなかった。

 それも人々の話題となって、挑発した何者かは姿を現すべきだと声が上がった。

 ――決闘は次の満月の夜。

 タクオがそういった貼り紙を掲示すると、それが国中の人々の口の端に上った。

 その話題で持ちきりになったのだ。

 タクオが探った範囲内でも、みんな熱に浮かされたようになっていた。

 ――場所は第一の広場。

 そういった貼り紙を王がした。第一の広場は、この国で一番人が多く集まる場所だ。

 何度も何度も挑発され、王はかなり怒っているのだろう。

 それで人前で戦って勝利し、どうだと言いたいのだ。

 ――その条件で決闘をする。

 タクオはその貼り紙を一枚だけ貼った。第一の広場にだ。

 そこには多くの人々が押しかけ、大きな歓声を上げていた。


 次の満月の夜。

 第一の広場には、人々がひしめき合っていた。一種の娯楽になっているのだろう。

 もともとこの国には決闘の文化があった。

 その一方が、王であること、あの貼り紙合戦が有名になったことで、これほどの人々が集まることになったのだろう。

 広場の入り口には、これまでの貼り紙が順に並べられている。

 そういうのが好きな人がいるのだろう、やり取りがわかるようになっていた。

 そして広場の中央に人だかりの隙間があり、そこに海の王はいた。

 相当な大男だ。オークよりも大きい。タクオより頭二つ分は背が高いだろう。

 それでいて、目まぐるしく刀を振っている。動きも俊敏なようだ。

「ルールは無用。それでいいか!」

 タクオは人だかりの空隙に入り、海の王の真正面で声を張り上げた。

 歓声の中でも声を届かせる。それだけが理由ではない。

 観衆のすべてに勝敗を納得させる。それが必要だったからだ。

 そうでなければ、海軍派の人たちに袋叩きにされる可能性もある。

 卑怯だ、姑息だと思われれば、そうなる可能性が高いのだ。

 戦って勝つ。それを、人々に納得させる。そのためにタクオは貼り紙をして、海の王を引っ張り出すと同時に、人々に知らしめたかったのだ。

 タクオが――実力で勝ったのだと。

「ルールなんて要らねえ。矢でもなんでも使いやがれ!」

 海の王も声を張り上げる。

 ルールがあったから勝てた。そう思われたくないのだろう。予想通りだった。

 あの巨躯であれほど俊敏なのだ、短期決戦で勝てる者などいないのかもしれない。

 タクオを除けばだ。

 鐘が鳴らされた。決闘のはじまりの合図だ。同時に斬りかかってくる。海の王。

 あれほどの巨躯で、これほどの速さ。自信を持つわけだ。喧嘩なら無敵かもしれない。

 だがタクオにとっては、的が大きいだけのことだった。

 腰の銃を抜き、撃ち放った。二連射だ。それで海の王の両腿を撃ち抜いた。

 銃で足を撃たれて、立っていられるはずもない。海の王が這いつくばる。タクオはそのこめかみに銃を突きつけた。海の王が持っている刀。それを踏みつけておくのも忘れない。

「参った……」

 静まり返った広場のなかに、その声が妙に大きく聞こえてきた。

 タクオは銃を収めて片手を上げる。広場は大きな歓声に包まれた。

 魔法か? ざわめきのなかにそんな声が聞こえる。

 海の王も同じことを考えたらしく、四つん這いのままでタクオを呆然と見上げていた。


   6.


「おまえは魔法使いなのか」

 海の王の居室。そこにタクオは招かれ、そう訊かれた。

 内密の話がしたい。タクオがそう申し出たからこの部屋に招き入れられたようだ。

 部屋は入り組んだ建物の奥にあり、容易には侵入できないようになっている。

「僕は魔法使いの子だ。言えるのは、それだけかな」

 海の王を含め、誰も銃を見たことがないようだ。それで魔法と思っている。

 銃を知らないのも無理はない。銃は異世界人が持ちこんだもので、複製には成功していない。あのドワーフたちですらもだ。それにこの海賊連邦は、魔王軍との戦からも、銃の持ちこまれたノル王国からも程遠い。銃を魔法と思ってしまうのも仕方がないのだろう。持ちこまれた二挺しか、銃の現物はないのだ。

「おまえは何が目的なんだ」

「女の子と宝玉を捜してる。女の子の名はリリィ。赤い髪の女の子だ」

「赤い髪などいくらでもいる。が、宝玉は確かに持っている」

 海の王が壁を叩く。すると何もないと思えた場所が開いた。

 中には小さな金庫があり、宝玉はそこにしまわれていた。

「これが〝炎〟の宝玉だ。しかし、軍艦を焼きつくすほどの炎が出せるぜ。俺にはとても扱えない。恐ろしくてな……」

 橙色の宝玉を手渡される。タクオはそれを握りしめた。

 これを持って、リリィに逢いにいく。それができるのだ。

 まるでこの世界をだしにしているようでもあるが、タクオはそれでもかまわなかった。

 彼女に逢えれば、タクオはそれでよかったのだ。

「海の王。撃って済まない」

「決闘だ。恨みっこなしさ」

「それでもだ。僕の都合なんだからね」

「なんだっていいが、人を捜すのなら情報屋を使え。俺たちの傘下だから、無料にしとく」

「助かるよ。商会の人に似顔絵をもらったから、それも渡したい」

「わかった、会わせよう。おまえの拠点はどこだ?」

「唄う子牛亭という宿だよ。そっちから来てくれるの?」

「ああ。そこに人をやろう」

 タクオは待つことにした。情報屋からの吉報をだ。専門家に任せ、自分は休息を取ろうと思ったのだ。

 誰にも見られないで立て札を建てる。ビラを撒く。それはかなり疲れることだったのだ。

 リリィはすごい。タクオは改めてそう思った。


   7.


 リリィ本人が見つかった、という情報ではなかった。

 だが赤髪で白い肌の女がいて、彼女が商会の隠し港に出入りしているのだという。

「商会にも協力してもらって、彼女を捜索してたんだけど」

「彼女のほうが先に口止め料を払っていたのでしょう。捜してるのも商会。隠してるのも商会。見つからないわけです」

「でもその子に接触できたわけじゃないんだね」

「相当用心深い相手でしたので。接近するのは不可能でした」

「わかった。僕が接触してみる。ありがとうね、教えてくれて」

 隠し港への地図をもらった。巧妙に港そのものが隠されている。

 教わらなければ、何年かけても見つけられなかっただろう。

「やっぱり貴方だったのね」

 隠し港への入り口。そこで背後から声をかけられた。

 ふりむく前から、タクオには、その声の主が誰なのかわかっていた。

「――私を捜してたのも、海の王と戦ったのも」

「リリィ……」

 口もとだけで笑んだ顔。張りつめた弦のような瞳。

 すこし伸びた真紅の髪が、潮風に靡いてはためいている。

「私、あなたを待ってたのかもしれない」

「今度置いてったら許さないよ。君の力になる。僕はそう誓ったんだ」

「そうね。私もあなたが必要だった。あなたの助けを求めてた――」

 ガバッと抱きついてくるリリィ。

 あんなに捜し求めていた彼女が、こんなに、こんなに近くにいる――。

 タクオは彼女の背中に手をまわした。そのままぎゅっと抱きしめる。

 そしてタクオの耳の近くから、嗚咽の声が聞こえてきた。

 彼女が泣いているところも、タクオははじめて見たのだった。


 炎の宝玉も、タクオはリリィに手渡した。

 リリィはそれを抱きしめ、また泣いていた。

 彼女のそれは目を閉じて、静かに嗚咽を漏らすような泣きかただった。

 が、彼女は強引に涙をぬぐい、立ち上がった。

「船は手に入れたわ。宝玉も手に入れた――これで大河を遡上できる」

「ジープが乗るかな」

「ええ。乗れるものを選んだわ。……そういうことよ」

 タクオがここに来たのは夏の終わりごろだった。もうすっかり秋になっている。

「いますぐ発ちましょ。魔王軍が王都を包囲して数ヶ月。いつ王都が敵の手に落ちるか。きっと激戦よ……こんな南方にまで情報が入ってくるぐらいだもの」

「急がないとね。僕も時間をかけちゃったし」

「時間がかかっても、できたのがすごいわ。私を見つけて、宝玉まで手に入れて」

「宝玉はコトのついでだった。君を捜すほうが目的になっちゃってたな」

「うれしいわ。ずっと寂しかったもの。もうあなたなしではいられないわ」

 そう言って、タクオの手を握るリリィ。

「あったかい手ね。しばらく握ってていいかしら」

「いいよ。僕も君をつかまえてたい」

「もう逃げないわよ。もうどこにも行かないわよ」

「そう言われても怖くてね。信じてないわけじゃないんだけど」

 宿にジープを取りにいった。いつでも発てるよう、荷物などは乗せたままだった。

 運転席にタクオは座った。助手席にはリリィだ。

 これだった。

 これが必要だった。

 欠けていたもの。それがようやく手に入ったとそう思えた。

 助手席にリリィがいないまま、ひとりで運転しても寂しいだけなのだ。

「船はあそこよ。板を渡せば、大型の馬車でも乗せられるわ」

 大きな船だった。

 石炭などを内陸に運ぶ船で、その船員たちは大河の遡上にも慣れているのだという。

 なぜ隠し港に入れられていたのかというと、それは塩の密売に使われていたからだとか。

 塩は海軍の独占のはずだが、海賊も商会も扱っているようだった。

「でも酒谷まで遡上するのははじめてだって。ずいぶんと足元を見られたわ」

「金ならあるんだ。げっへっへ」

「なにその棒読み。でもどうやって稼いだの?」

「決闘で。オークやウルク=ハイに比べれば雑魚ばっかりだったし」

「比べる相手がおかしいわよ。相手は魔物なんだから」

「だから君もすごいなって思ったよ。魔物と戦いつづけてきたんだ」

「ひとりじゃないわよ。皆の力。それに、オークと戦うのは避けてたわ」

「そうなの?」

「槍も矢も効かない相手よ。動きは鈍いから、逃げるのは難しくないし」

 その金で食糧を購入した。

 飲み水も手に入れる。酒ばかりが流通していて、すこし時間がかかった。

 それ以外に要る物はない。だからすぐに出発した。ジープを船の甲板に乗せて出港する。

 大勢の漕ぎ手がオールを使い、とても大きな船を動かしていた。


   8.


 乗せられているのは、タクオたちだけではなかった。

 石炭や魚油など、通常の商品も乗せられていたのだ。それが下の船室だけでは足らず、甲板にまで置かれていた。つまりはあふれ出ていたのだ。

 一度の航行で運べるだけ運ぶ。それが当たり前のようだった。

 タクオとリリィはむかいあって、それぞれ石炭の袋に座る。

 彼女はドカッと石炭に腰かけ、力強く足を開いて座っていた。

「あの海賊の町では、硬いパンばかり食べていたわ。あなたのパンがほしかった」

「サキのパンだよ。僕は何もしてない」

「あなたからもらったんだから、私にとってはあなたのパンだわ」

「そんなもんかね」

 夜になり、船が停泊した。錨を下ろし、船を留めている。

「ねえタクオ。私の話……聞いてくれるかしら」

「うん、聞かせて」

 リリィはすこしためらっていたが、それでもそっと口を開いた。

「私のこと、王女さまだと思ったんじゃない?」

「肖像画とそっくりだしね。違うの?」

「ええ。私は影武者よ」

「影武者だったのか! そっくりなわけだ……」

「――私は孤児として育ったわ。街の片隅にある工場(こうば)などに多数の孤児が集められていて、紙縒(こよ)りなどを作る仕事をさせられていたの。けれどある日、貴族の方に連れられて王宮へむかったわ。そして私はあの方と、王女さまと出会った……」

 彼女が足を閉じている。膝と膝を合わせた座り方だ。

「王女さまと私はそっくりだったわ。だから影武者に選ばれたのよ。それからの生活は、すこしきつかったと思うわ。礼儀作法も憶えなきゃだったし、影武者として武芸の鍛錬も積まされたから」

「そっか。護衛になることもあるんだ」

「そうよ。それでいて、裏切らないように監視もされたしね」

 そう言って笑うリリィは、とても寂しい瞳をしていた。

「でも私は、鍛錬は厳しかったけど頑張れたの。王女さまが、私には姉妹のように接してくださったから。妹のように扱われていたから。お菓子なんかも私に分けてくださったし、私に上等なドレスを着せてくれたこともあったわ……王さまたちもそれを受け入れ、私を家族の一員にしてくださったの。私は王さまのお膝で眠ったこともあったし、お妃さまに抱かれて泣いたこともあったわ。立場は影武者でも私はあの一家の、王さまとお妃さまの末っ子だったと思ってる……」

 リリィの瞳に涙が浮かんだ。彼女の瞳がうるんでいる。

 それは、タクオとはじめて出会った時のあの瞳ではなかった。

 あの時はもっと気丈にふるまっていたし、静かに燃えるものがあった。

 いまはそういった外面が剥がれ、弱々しさをあらわにしている。

 彼女が本心を見せているのだ。

「でも三年前、私はお役に立てなかったの。そればかりか王女さまに身を挺して庇われ、私は生き延びてしまったわ。私は影武者だったのに――その本懐を果たせなかった。私は偽物だったのに、本物を殺して生きながらえてしまった。あってはならないことよ……」

 タクオは立ち上がり、リリィの前で跪いた。

 リリィも床に膝をつき、タクオに寄りかかってくる。

「王女さまは最期に仰ったわ。宝玉を探せって。魔王をもう一度封じろって。ユーリーとその配下の力も借りろって。そうして私はさすらい人になったの。私はさすらい人として戦いつつ、宝玉のことも探ったわ。幸いにして、影騎兵にはクロウと言う名のエルフ族がいたの。彼女に古いエルフ語を教えてもらい、それを書き留めて宝玉のありかを探ったわ。それで私はあなたのもとへ訪れた。天の遺跡へむかう。そのためにね」

「きっと王女さまは、君に生きる目的を与えたんだね」

「そう思うわ。いつもいつも、王女さまは私を気にかけてくださったから……私が生きる希望を失わないようにと気を遣ってくださったのよ。それだけじゃなく、ほんとうに国を案じ、宝玉を探さなければと思ってたんでしょうけど」

「とっさのことだからね。そのふたつが結びついたのは。だから王女さまは、君に重荷を背負わせてしまった」

「そうね。だけど、そういった重荷なら耐えられる。孤独も寒さも平気よ。でもタクオ。貴方に出会って私はすこし弱くなっちゃった。ひとりがつらくなっちゃったの」

「それはつらい気持ちを押しこめて、感情を凍らせてただけだと思う」

「そうかもしれない。ずっとずっと泣いてなかったもの」

 だから泣かせて。そう言ってリリィは、タクオに寄りかかってきた。

 だからタクオは、彼女の細い躰を抱いた。そっと抱きしめ、彼女を支えた。

 彼女は声を上げず嗚咽も漏らさず、ただただ涙を流しつづけた。


 リリィが泣くところ。

 それをタクオははじめて目にした。

 彼女は笑うことも、その表情を動かすことさえほとんどない。

 きっと、慣れすぎたのだ。感情を押し殺すことに。気持ちを封じこめて、平気な自分を演じることに。彼女はつらすぎたのだろう。つらいことが、あまりに多すぎたのだろう。だから彼女はこんなにも、無感情を装っているのだ。

 それはタクオを警戒していたから、という理由もあったと思う。

 だが喪(うしな)ったものがあまりにも大きく、感情を凍りつかせてしまっていたのだ。

「リリィ。これを君に持っていてほしい」

 彼女が泣き止むのを待って。タクオは彼女に握らせた。サキから渡されたお守りだ。

「大事なものじゃないの?」

「だから君に持っててほしい。ようやくその意味がわかったんだ。必ず無事に帰ってきて返す。そのためにそれを持ってるんだ」

「そう。じゃああなたがサキに返す前に、私があなたに返さなきゃなのね」

「うん。君に無事でいてほしいから――」

「わかった。ちゃんとあなたに返す。きっとあなたに返すから」

 そう言って、リリィが笑った。ほほ笑んだ。

 タクオはようやくその顔を、彼女の笑顔を見られたのだった。


   9.


 サキはタクオの真似をしていた。

 ――海の王に会いたい。魔法使いより。

 そういった貼り紙をしたのだ。決闘があったという第一の広場にだ。

 すぐに配下がやってきた。海の王は足を撃たれて、出歩くことができないのだという。

『僕はサキ。僕の息子がケガをさせて済まない。そのケガはすぐに治そう』

 サキがそう言うと、すぐに海の王に会わされた。よほど足の傷が重傷だったようだ。

「ほんとうに魔法使いだったんだな」

 傷を治すと、海の王はそう言って感嘆していた。

『僕が魔法使いだとわかったようだね。その魔法使いから頼みがあるんだが……』

 この町については調べ上げていた。三大勢力のことも、その三すくみのことも。

『その前に手を貸そう。君がこの国を支配する。それが僕には必要でね』

「……どういうことだ」

『この国の軍勢を動かしてほしい。全軍をね。そういうことさ』

「つまり、海賊も商会も、ということか」

『そう。君ならできるはずだよ。僕も力を貸すからね』

「魔法使いが味方についた……それだけで均衡が崩れるかもしれねえな」

『そうかもね。息子が傷をつけたお詫び。そういった理由を広めてもいい』

「それは助かるが……なぜだ。なぜ俺たちの力が必要なんだ」

『魔王軍を倒すためさ。このままじゃ人間は敗ける。そうなれば魔王軍は各地に散り、侵略と殺戮をはじめるだろう。ここだって同じだ』

「北の人間と組めってか」

『嫌かい?』

「嫌というか、前例がないからどうなるかわからん」

『魔王軍を前にともに戦う。要るのはそれだけさ』

「戦争ってのはそう単純じゃねえ。補給をどうするか。分捕ったものはどう分けるのか。そういう難しい話があんだよ」

『なるほど。できないわけではないと』

「きっついことを言うね。しかし、魔王軍が気にかかってるのは俺も同じだ。というか、誰だってそうだろうよ。戦いたいって奴も少なからずいるはずだ」

『そうだね。決闘の文化があるぐらいだし、この町の人間には戦士の血が流れてるはずだ。それを突っつけば、戦地に駆り出すのは難しくないだろう』

「わかったよ。町の支配が完了すれば、すぐに軍をくり出そう。どのみち戦う場所が要る。血の気の多い連中の吐き出し口が必要だからな」

『頼んだ。その代わり、僕にできることは何でもするよ。戦闘はできないがね』

 海の王が手を差しだしてくる。サキもそうした。

 二人は意外に強い力で、がっちりと握手をした。






























第五章 雪原の試練と氷像の騎士





   1.


 大河を遡っていく船。

 タクオはその流れに目を奪われていた。

 悠久の流れ。この流れは人の世界の営みなど無関係に流れている。

 人の世界がどうなろうと、たとえ魔王軍に攻め滅ぼされようと、この河には関係ない。

 タクオはその壮大さに圧倒されていたのだ。

 自然は無情で雄大だ。その大きさは、きっと人には計り知れないのだろう。

「退屈ね」

 リリィは、そんなことは気にならないようだ。

 それよりも、胡椒の利いた腸詰肉のほうが気になるらしい。

 だがタクオはめしを食うのも忘れて、ただただ大きな流れに見入っていた。

「よく飽きないわね」

 夕刻になり、船が停泊する。錨が下ろされ、オールも引き揚げられた。

 船は止まっている。だが川は流れつづけている。

 だからだろう、船が動いているように錯覚することがある。

 タクオはその感覚がなんだか好きで、またその流れを見つめつづけていた。

「こっち見なさいよ」

 だがその邪魔をする人がいる。リリィだ。

 彼女は最初のほうこそ鍛錬や読書に勤しんでいたが、それも飽きてしまったようだ。

 それで暇な時間は甲板にいるタクオをつかまえ、ずっとしゃべりつづけている。

「ほんとうに暇だわ」

「僕はそうでもない」

「全く誰? 船で旅をしようだなんて言いだした人は」

「君だよ君」

「まあ、なんて人かしら」

「だから君だって」

 塩の製造が盛んだからだろう、あの国では塩漬けの保存食がよく作られているという。

 そして軽くてかさばらず、輸送しやすいという理由から、胡椒もよく取引されている。

「だから塩漬け肉とかが安いのね」

「これちょっとからいよ。ピリッとする」

「私は気に入ったわ。もっと欲しいくらい」

「北のほうで買ったらきっと高いんだろな」

 大河の周りはずっと平野だった。

 だがあるときから、いきなり山に囲まれるようになった。

 この流れが岩を穿ったのだろう、大河の北も南も切り立った岩壁に挟まれている。

「こうなってるから船で遡上したんだね。岩山だらけで進めないから」

「そうよ。でなければ〝酒谷〟にはむかえないの」

 この岩壁はあまりにも大きい。首が痛くなるほど見上げなければ空が見えない。

 そして真正面を見つめると、視界のすべてが岩壁なのだ。

「これ、どれだけ時間がかかったんだろう」

「なにが?」

「この流れが、岩を穿った時間だよ」

「そうね。それも急流ってわけじゃない。水が、ゆっくりゆっくり岩壁を削っていって、いまのかたちに。人の寿命なんて及ばない時間ね。人類の発祥前からなのかもしれないわ」

「この世界って、いつからこの形だったのかな……」

「おなかすいたわ」

「いまの流れをぶった切って言うこと?」

「夜ごはんがまだだもの」

「そうだけど」

 パンや塩漬け肉、腸詰肉などを口にするタクオたち。

 南方特有のピリからい味つけを、リリィはいたく気に入ったようだ。

「暇ね」

「僕はぼーっとしてるもの好き」

「私はダメね。なにかしてたい。こんなに暇なの、生まれてはじめてかもしれないわ」

「ずっと忙しかったの?」

「ええ。朝から晩まで紙縒りを作りつづけて、王都に来てからは鍛錬の毎日で。三年前のあの日からは、さすらい人として戦い漬けで」

「壮絶な人生だね……」

「そうね。それに戦いながらも宝玉のことを調べて、記録を取りつづけてもいたもの」

「どうやって調べたの?」

「いろいろな地域の人や旅人に伝承を訊くのよ。特にエルフ族のクロウが、私にいろいろ教えてくれたの。伝承は古いエルフ語ということも多いから、とても助けられたわ」

「君って行動力あるよね。なんだかエネルギッシュというか」

「そうかもね。でも立ち止まってられないのよ。私は王女さまに託されたんだもの」

「そうだけど……」

「だいじょうぶよ。無理はしてない。私はもうひとりじゃないもの」

 そう言って、タクオにほほ笑みかけてくるリリィ。

 いつからかタクオは、その笑顔を直視できなくなっていた。


   2.


 ようやくその船旅が終わった。

 目的地のひとつ――酒谷にたどり着いたのだ。

 港の跡が残っていた。そこに船をつけ、板を渡してジープを下ろす。

 それからリリィは船長に、運賃を金貨で支払っていた。

「彼らの信用を得るのは苦労したわ」

「そうなの?」

「ああいう船は、誰でも運んでくれるってわけじゃないもの。大勢が乗る客船も、こんなところには来ないし。だから私はあの船で働いて、彼らの信用を得たのよ」

「あの船って海賊?」

「海賊の傘下の運び屋ね。時にはご法にふれるようなものも運ぶ。そういう組織よ」

「なんだってそんな組織に」

「宝玉を盗もうと考えてたからよ。合法的に手に入れられると思ってなかったの。だからすぐ逃げられるよう、逃走に長けた船を捜していたの」

「そうだったんだ」

「その宝玉のありかも、私は噂でしか知らなかったんだけどね。三大勢力のトップの誰かひとりが持ってるだろう。おそらくは最大勢力の海軍。その程度ね」

「僕もその程度しか知らなかった。海の王がしらばっくれてたらわかんなかったよ」

「そう。手に入れられてよかったわ……」

 酒谷は廃墟になっている。天の遺跡と同じだ。とうに滅びてしまったのだ。

 酒好きの巨人族が住んでいた。だが数年前に流行り病で滅んだ。

 そうしてここも遺跡となったのだが、天の遺跡と違うのは、略奪に遭ったということだ。

 あの海賊連邦の連中に荒らされ、高価な物は軒並み奪われて運ばれていった。

 そのとき巨人族が守っていた宝玉も、海賊連邦に運びこまれたとのことだ。

 それが、炎の宝玉だったのだ。幸いだったのは、それが悪党の手に渡らなかったことか。

 海の王は宝玉の力を恐れ、使おうとはしなかった。

 あの町の勢力争いに使われていれば、甚大な被害をもたらしていただろう。

「タクオ。酒谷を通って北に行ってちょうだい。〝雪原〟へむかうのよ」

「小人や西方人が住んでたんだっけ」

「ええ。でも双方とも滅びたとされるわ。なんだか滅びた種族ばかりね」

「どれもここ数年の話なんだろ? やっぱりキナ臭い感じがするなあ」

「そうね。魔王軍の仕業かもしれない。特に巨人と小人は、宝玉を守ってたんだもの」

「じゃあいまは、小人が守ってた宝玉は」

「ほったらかしかも。かなり西の地だから、魔王軍に奪われたりはしてないでしょうけど」

 酒谷の道は広い。巨人が使うから、という理由だけではないようだ。

 家屋も道も大きいものばかり創るのが彼らの特徴だったらしい。

 巨人の家は、谷の壁面をくり抜いたものが多く、谷のあちこちにぽっかりと穴が空いている。

「酒谷は広くて長いわ。抜けるのに何十日もかかりそう」

「そんなに? 大きな国だったんだな」

「畑や牧も大きいものだったのよ。だから広大な土地に広がってたってわけ」

「谷っていうからもっと狭いものかと……僕の村みたいのを想像してたよ」

「あそこも谷のあいだだったわね。とても小さい村だったけど」

「畑も牧も狭かったしね。鉱山があったわけでもないし、交易もできなかった」

「巨人たちは、盛んに交易をしていたらしいわ。北はドワーフ、南は南方人とね」

「それこそ酒を輸出してたのかな」

「そうみたいね。酒造が盛んだから酒谷と呼ばれていたのよ」

 酒谷は荒れ果てていた。たった数年でここまでなるのか。そう思うほどだった。

 木の橋などは朽ち果てて落ちてしまっている。

 だから深い川に逢うと、丈夫な石の橋を探しまわる必要に迫られた。

 だが敵はいない。魔王軍も魔物もだ。それが非常にありがたかった。


「冷えてきたわね」

 ある日リリィがそう言った。

 旅の間に日数が経った。冬が近づいてきている。

 かなりの速度で北上しているのもあるのだろう。

 空からは雪がちらつき、吐き出す息は白く煙るようになっていた。

「タクオ。火を焚いてちょうだい」

「いいの?」

「寒いじゃない」

 眠るとき、リリィはタクオにそう言った。

 決してつけるなと言ったことを、とうに忘れているらしい。


   3.


 谷の北側まで一気に来た。

 ずっと整備された街道があり、とても走りやすかった。

 だがこの先はそうはいかない。ここからは天険の岩山が広がっているのだ。

「巨人たちも、ここを越えるのは苦労したらしいわ」

「そうなんだ」

「ここから先は、山を越える道しかないのよ」

 山の上のほうには雪が積もっていた。年中融けないのかもしれない。

 タクオたちはその山を走っていく。岩だらけでごつごつした山だ。

 パンクが心配だった。尖った石があるかもしれないからだ。

 だからタクオは慎重に進んでいった。

 だが急な坂も多く、そういう場所では一気に駆け登りたかった。

「この先に洞穴があるはずよ。巨人とドワーフが掘ったらしいわ」

 人の手によって掘られた洞穴。それを、タクオははじめて目にした。

 そしてそこを抜けると銀世界だった。

 だだっ広い平原。そこがすべて雪に覆われていたのだ。城塞都市などもここから見える。

 ここには小人や西方人の都市国家がいくつもあり、しかし巨人と同じ流行り病で滅んでいったとのことだった。

「この雪原のどこかに〝氷〟の宝玉があるはずよ。小人が守っていたはずのもの……」

「どっかに落ちてたりしたらどうしよう」

「そうなると見つけられないわね。生き残りがいればいいのだけれど」

「そうか、滅びたのは国であって」

「ひとり残らず滅んだと、確認したわけではないわ」

 まずはそれを捜しましょう。

 タクオはリリィにそう言われて、坂を降りはじめるのだった。


 雪原をうろついてひと月。

 主要な都市は、すべてまわった。

 その王宮などにも立ち入り、宝玉がありそうな場所はすべて確かめた。

 だが何の手がかりも得られず、宝玉の捜索は完全に行きづまっていた。

「小人の生き残りはいないのかしら」

「村にいたのがそうかも。いま思い出した。小柄な女の子で、戦場には駆り出されてた」

「そう。どんな武器だった?」

「とても大きな弓と刀だった。弓は上下が非対称な、不思議な弓だった」

「間違いなく小人の弓ね。彼女は何も知らないのかしら」

「彼女の主観では、村で生まれ育ったみたい。赤んぼの時に、領主さまが拾ったらしくて。武器は、無人の馬車に積まれていたらしい」

「それなら望みはないでしょうね。伝承なんかを受け継いでる可能性は低いわ」

「そっか。まあいまは、魔王軍との戦にかかりきりだろうけど」

「そうなの?」

「リックの従者だからね。騎乗射撃の弓を担当してた」

「そう。小柄で素早いのに弓の威力は強い。なかなか強そうじゃないの」

 その子のほかに、雪原に生き残りはいないのか。

 そう思ってうろうろしていたら、むこうのほうから接触してきた。

 はじめは馬群だと思った。立ち昇る雪煙。それがまず見えたからだ。

 だがそれは狼だった。研いだ刃のような銀色の狼だ。タクオはそいつらに取り囲まれた。

 だが戦おうとすると、待て待てと声をかけられたのだ。

「戦う気はねえ。魔物だと勘違いしてな」

 しゃべっているのは、狼に跨った少年だった。狼の毛皮を被っている。

「俺はカイ。カイ=ウルヴス。その名でピンと来ねえかな」

「氷の聖騎士デイモスの盟友……西方人だったデイモスの、小人族の相棒ね」

「そうだ。それがご先祖さまだ。ウチは代々その名を受け継いでいてね」

「そう。私たちは、その宝玉を捜しに来たのだけれど」

「そうだろうなと思ったよ。ほかの宝玉も持ってんだろ。うっすら感じるぜ」

「わかるものなの?」

「俺は特別さ。ご先祖さまが魔法使いでね」

「そうなの。――で、宝玉は?」

「俺が持ってるわけじゃねえ。宝玉は勇者に授けられる」

「勇者?」

「ああ。すべての試練を突破した勇者だ。あらゆる者が挑んだが、誰も突破しちゃいねえ」

「その試練は、いまでも受けられるの?」

「受けられるぜ。俺はその案内人でね」

 雪原のあちこちをめぐり、あるクリスタルを集める。

 それが〝氷〟の宝玉を手に入れるための試練らしい。

「時間が経てば、そのクリスタルは勝手にもとの位置に戻る。だから急いだほうがいい。しっかり持っていても消えるんだからな」

「もしかしたらだけど、そのクリスタルを手に入れた人はいたんじゃないの?」

「ひとつかふたつならな。若いころのユーリーは、五つまで手に入れたぜ」

「いくつ集めればいいの?」

「六つだな」

「あとひとつじゃないの……」

「だがそのユーリーでさえあきらめた。それほどの試練だぜ」

「私たちで集められるかしら」

「いくしかないよ、リリィ。やるしかないんだ」

「そうね。タクオの言うとおりだわ」

「じゃあついてきな。試練は雪原を囲む五つの砦で行われる……楽しみにしてな」

 そう言ってくるりと背をむけ、駆けだすカイ。ほかの狼たちがそれを追っていく。

 タクオも彼らに遅れまいと、グッとアクセルを踏みこんだ。


   4.


 ユーリーの躰。

 ハリネズミのようになっていた。

 真上に殺到してきた吸血鬼から、一斉射撃を受けたのだ。

 ユーリーは板金鎧を着ていた。だから矢のほとんどははじかれ、貫通した矢があっても傷が浅い。

 それで彼は、生きていて動けるのだろうが、それにしてもすさまじいありさまだった。全身に余すとこなく矢が突き立ち、そこから血も流れだしているのだ。その矢を矢じりが残らないよう抜いていくのは、非常に骨が折れる作業だった。

「はじめに討った四大魔将軍が、吸血鬼の王パラドイアだった……その仇討ちだな」

 さすがにユーリーの高笑いにも力がない。ダメージだけでなく疲労もあるのだろう。

 彼も四十歳を過ぎている。指揮官としてならともかく、ひとりの戦士としてはとっくにピークを過ぎているのだ。個人的な武勇は、少なからず落ちてしまっているだろう。

「ユーリー。魔法を使うわよ。四の五の言ってられないし」

 クロウがそう言い、ユーリーに魔法を使った。

 ぼんやり光る手のひらを近づけ、その光でユーリーの躰を撫ぜていく。

 すると矢が抜けた。血も止まっているようだ。傷は完治したらしい。

「あんた、魔法が使えたのか」

「そうよ。数少ない戦える魔法使い。それが私なの」

「魔法使い自体が少ないのに」

「そうね。戦えるのは、私だけかも。ほんとうは、四大魔将軍の魔法使いマシランを討つ時まで隠しとくつもりだったのだけど、ユーリーが倒れちゃ話にならないし」

「もう隠せないのか?」

「いま魔法を使ったから、マシランにも察知されたはずよ」

「そういうものか」

「治ったなら行こう。クロウ。状況はどうなってる」

「こうなったら、大っぴらに魔法を使うわよ……トロルは遅れていてまだ来てないわね。だけどオークが東門に集まってる。何かする気ね。オーク王ナルドもそこにいるみたいよ」

「それなら狙うはナルドの首だな」

「簡単に言うわね。何度戦っても、決着はついてないんでしょ?」

「エルフから変化したオークは年を取らない。俺は取る。いましかねえのさ」

「そうだけど……でも傷を治したばかりよ。体力はむしろ消耗したはず」

「言ってられねえよ。敵がなにかする前に蹴散らす。そうしなきゃ王都が落ちるぜ」

 クロウは止めたいようだった。だが止めることはできず、ユーリーに続いて騎乗した。

「東門へむかうぜ。オークどもは皆殺しだ」

 そう言って城内を駆けだすユーリー。影騎兵たちが後に続く。

 リックは最後尾を駆けていたが、ずっとユーリーの背中を追いつづけていた。


 開門、と叫ぶユーリー。門が開かれ、跳ね橋が降りる。

 影騎兵が一斉にそこを駆け抜けた。先頭は、相変わらずユーリーだった。

「突撃!」

 ユーリーは、オークの列にかまわず突撃した。これまではそれを避けてきた相手だった。

 だからかえって、真正面からの突撃など想定していなかったのだろう、オークの列に、ユーリーはたやすく分け入っていった。真正面からだが、ほとんど奇襲になったのだ。

 それも、ただ突っこんだだけでは奇襲であっても無意味だっただろう。

 だが突っこんだのは精鋭中の精鋭である影騎兵だ。そしてその戦闘は、人類側で最強といわれるユーリーなのだ。

 彼は影騎兵の先頭を走る。最も危険できつい役割。それをいつも引き受けている。

 矛で重いオークをぶっ飛ばしながら、ただひたすらにまっすぐ駆けていくユーリー。

 自身と同格の重さの相手でもぶっ飛ばせることにリックは驚いていた。

 リックの体重は、ユーリーやオークの半分もない。だがリックがどれだけ頑張っても、同じ重量の相手をぶっ飛ばすことなどできないだろう。

 とても人間のなせることとはお思えない、それほどのとてつもない力だった。

「来たなユーリー! 今日こそ貴様を殺してやる」

 そう吠えて待ち受けるのは、スキンヘッドのオークだった。

 あれがオーク王ナルドだろう。最も頑丈な魔物。そう呼ばれるほどの存在だ。

 ユーリーは雄たけびをあげ、矛の石突をつかんでまっすぐ前に突き出した。

 最長のリーチで矛を、オーク王ナルドの腹に突き立てる。

 ナルドの絶叫。今度こそ仕留めたと思った。

 矛の長さ。何度も戦ったのだ、それを通常通りにはかってしまったのだろう。

 が、ナルドはそこから反撃した。

 離れたところを駆け抜けようとしたユーリー。その彼にむかい、こん棒を投じた。

 こん棒はユーリーの側頭部に当たり、彼を馬から突き落としてしまう。

「拾い上げろォ!」

 クロウの悲痛な叫び。影騎兵がそこに殺到する。

 だが敵も集まってきていた。影騎兵とオークの騎兵。そのふたつで乱戦になる。

 乱戦や力勝負ならオークが有利だ。だがクロウが魔法を使った。

 朝陽のように鮮烈な光で、オークどもをひるませる。

 その間にリックがつかみ取った。ユーリーのマント。そこから馬上に引っ張り上げる。

「引き揚げろ!」

 クロウの叫び声。彼女はそう言いながらもまた魔法を使った。

 今度は青白い火炎放射を放ち、それでオークどもを足止めしている。

 が、それを踏み越えてくるオークの騎兵。オークは重いはずなのに足が速い。

「放て!」

 リックは独断で叫んだ。ミーナひとりに言ったつもりだったのだ。

 だが影騎兵の全員が矢を放った。それでオークの出足が鈍る。

 その間にクロウが追いついてきた。そのクロウに肉迫するオーク。

 ヤツの眼球に矢が突き立った。残った眼にももう一発。

 ミーナがそうしたようだ。彼女の長い矢が、オークの両眼に突き立っている。

「いけるか……?」

 リックはつぶやく。そうしながらも城内に駆けこむ。

 城内の兵にユーリーを預けた。彼はぐったりとしたまま動かない。声も発さない。

 あの一撃で動けなくなっているようだ。

「彼がいないいま、俺がやるしか――」

 独断行動だった。だがいましかなかった。

 ナルドが負傷したいましか、ヤツを討ち取るチャンスはないのだ。

「行くぞ、ミーナ」

 彼女の返事は待たない。馬腹を蹴って走り出す。

 そして城門が閉じられる前に、その隙間を縫うようにして飛び出していった。


 歩兵の列が突破された。

 その隙間を影騎兵とオークの騎兵が駆け抜けた。

 その連続で、敵陣は混乱しているようだ。大勢のオークたちが慌ただしく蠢き、砂塵もおさまる様子がない。

 だが大きな旗の影は見える。

 その真下に、ナルドはいるはずだ。

 軍の指揮官のもとには、斥候や伝令が駆けつける。

 そして彼らがどこへ行けばいいか迷わないよう、大きな目印が置かれているのだ。

 それがあの大きな旗だ。魔王軍のしるしが描かれた、数人がかりで支える旗だ。

 そこにリックは駆けこんでいく。単騎でだ。

「伝令、伝令!」

 リックはそう叫んだ。オークたちが道を空ける。旗のほうを指さすヤツまでいた。

 背すじがつめたくなる。恐怖でいまにも逃げ出したい。

 しかしリックはそれを抑え、旗のもとへと駆けこんだ。

 腹を押さえたスキンヘッドのオーク。そいつがこちらをむいている。

 リックはそいつに槍を投げつけた。それから剣を抜き払い、それを突き出す。

 槍は首を傾け、かわされた。だがかわした後の頭部に、剣は正確に突き立った。

 さすがのオークも眼球はやわらかかった。ゆえにリックの力でも貫けたのだ。

 だが深くは刺さらなかった。脳まで達しなかったのだ。

 怒り、追ってくるナルド。が、そいつの残った眼に矢が突き立った。ミーナだ。

 彼女が後方に矢を放った。それがナルドに命中したようだ。

 ナルドが落馬する。矢は深く入っていた。どうやらミーナが、ナルドを仕留めたらしい。

「くくく……」

 リックは笑いだしていた。

 自らを伝令と偽る。そんなしょうもない策略がうまくいったのだ。敵軍の中にたやすく分け入っていって、四大魔将軍のひとりを討ち取った。大戦果だ。

 敵は追ってこない。リックたちは余裕をもって城内に逃げこんだ。

 元から敵は混乱しきっていた。ユーリーたちが突撃したからだ。

 そこで指揮官を討ったので、体勢を立て直すのに時間を要したのだろう。

 それでリックたちは逃げきることができたのだ。

「独断専行で処刑。そう言いたいのだけれど」

「相談してる時間もなかった。あのタイミングしかなかったんだ」

 怒った顔のクロウが待っていた。だが本気で怒っているようには見えない。

「仕方ないわね。手柄と合わせて、トントンってことにしてあげるわ」

 やはりクロウはそう言って、ふっと笑みを浮かべたのだった。


   5.


 魔法使いマシランは、その様子を覗き見ていた。水晶玉でだ。

 これは映像を残すものではなく、遠くを見る魔道具だ。

 彼はかつて人間側だった。その中でも最も賢く、力を持っていた。

 それが魔族側に寝返ったのは、封印されたはずの魔王から直々に誘われたからだ。

 魔王は封印されていても、遠隔操作で義体を動かし、マシランに接触してきたのだ。

 魔王には勝てない。力が強すぎる。抗うよりは、早めに降伏して力を温存する。それが賢い選択と思えた。

 それからマシランは、四大魔将軍の筆頭という地位を与えられたのだ。

 寝返ってからの彼は、精力的に動いていた。

 まずは魔法の力を持つ微生物を創った。

 巨人や小人に感染し、ある時点で突然猛毒を持って皆殺しにする。

 そういった特性を持つ魔法生物だ。マシランはそれを作り上げた。

 そうして目的の地に、感染させた捕虜を送りこんだのだ。

 この世界の住人に、微生物の知識などない。

 異世界人が広めようとしたが、誰も受け入れはしなかった。

 だから対策などは全くなく、簡単に広めることができた。

 巨人と小人族は、そうしてたやすく滅ぼすことができた。

 そして巨人の血を引く西方人にもそれは広まり、そのほとんどを滅ぼすことができた。

 そのわずかな生き残りがさすらい人になったが、五百にも満たない数で、彼はそれ以上攻撃する価値などないと考えていた。

 それからドワーフには、ドラゴンを差しむけた。

 ドラゴンはマシランの配下ではないが、敵でもなかった。

 ゆえに怒らせなければ接触が可能で、マシランは宝のありかを伝えたのだ。

 ドワーフは地下に立てこもり、ドラゴンの攻撃を避けていたようだが、いずれ飢え殺すことができると思っていた。

 森のエルフとエントには、トロルやトレントをむかわせた。

 森にむかうトロルには一体ずつ魔法をかけた。土魔法で防護したのだ。

 これで魔法の攻撃は効かない。レイリ王の魔法でさえもだ。物理攻撃にも強くなった。

 ほとんど無敵のトロルがさらに強化された。それで敵などいなくなったはずだった。

 念入りにウルク=ハイまで送りこんだのだ、敗けることなどありえないと思っていた。

 しかしあろうことか、エルフとエントが結託した。

 何千年という歴史の中で、これまで起こっていないことだった。

 それによって土魔法で防護したトロルも、毒を持たせたトレントも撃退された。

 ありえないことだった。

 ドワーフたちも無事だった。宝玉の力を持つ者が、ドラゴンを討ち滅ぼしたようだった。無敵かと思うほど強い、何万もの軍勢でも勝てないドラゴンが討たれたのだ。

 魔法とは、神の力だ。そして魔法使いとは、それを行使できる選ばれた存在だ。

 だがそのなかで最も優れたマシランが、その策略を失敗させてばかりだった。

 ドワーフは病に強い。エルフは一切病にならない。

 普段は動かないエントに感染させるのも難しい。エントの捕虜などいないからだ。

 そして人間に病を拡げれば、同じ人間であるマシランにも感染してしまう。

 南方人は、三大勢力による三すくみの争いがずっと続いていたから放っておいた。

 だがいまは、サキという魔法使いによって急速に統一されつつある。

 同じように放っておいたさすらい人たちも、いまは行軍の遅いトロルをさらに遅延させ、王都の包囲戦に参加させないことである意味殺している。

 策略の半分以上がうまくいかない。マシランは悔しさから歯噛みしていた。


   6.


 雪原は山に囲まれている。

 その山のふもとに、試練をするための砦はあった。

 岩山を削った代物で、古びてはいても、朽ち果ててはいなかった。

「この砦の奥にクリスタルはある。それを取ってきな」

 カイが砦を指さして言う。だが砦は、動く像の兵隊によって守られていた。

 その像兵をいかにして突破するか。それが試練の内容のようだ。

『鉄の像兵、進めェ!』

 その声と同時に行進してくる。無数の鉄製の像だ。

 騎士の板金鎧にも似ているが、顔や指さきまで鉄のようだ。

「いきなり鉄? これじゃナイフも効かないじゃない!」

「リリィ、雷だ! 宝玉を使うんだよ!」

 ハッと気がついた様子のリリィ。宝玉を高く掲げ、頭上から雷を落としまくる。

「落ちろォ!」

 鉄の像兵は、横に列を作り、何列にも並んで行進していた。だが前から雷を浴びていき、次々と倒れていった。

 倒れた像兵はすぐに消える。だからどんどん消えていった。最後には、ひときわ大きな像兵だけが残った。それも鉄だ。だからそいつも何発か雷を浴びせ、消し飛ばした。

「これ……宝玉がなければ突破できないんじゃない?」

「ユーリーは五ヶ所も突破したらしい……化け物だな」

「彼みたいな例外を除けば、魔法の力を行使できるのが前提の試練というわけね」

「そうだね。鉄でできてる敵なんて、ふつうは倒しようがない」

「――っとあったわ。あれがクリスタルじゃないかしら」

 砦の最奥。

 そこに台座があり、その上に黒っぽいクリスタルが浮かんでいた。

 リリィが手を伸ばし、それをつかみ取る。

 するとクリスタルから不思議な光が失われ、ついでに重さも取り戻したようだ。

「よし、次に行きましょう」

「ああ」

 砦を出て、カイに案内されて次の砦へ。

 カイの乗る狼たちはとても速く、ジープでもかなり飛ばさないとついていけない。

 今度の砦は山頂にあった。なだらかな山で、ジープでもなんとか登っていけた。

 タクオたちは砦からすこし離れたところにジープを停め、徒歩で砦に近づいていった。

『雲の像兵、前に出よ!』

 今度も列をなして行進してきた。人型の雲。雲の像兵だ。

「やあっ!」

 リリィが雷を落とす。が、効かない。ナイフなどを投じても無駄だ。すり抜けている。

 連中はリリィの攻撃を喰らっても、速度を落とすことなく行進してくる。

「ほかの宝玉を!」

 そう言いながら、タクオは宝玉を使った。風の宝玉だ。雲の像兵をまとめて吹き飛ばす。

 だがただ吹き飛ばしただけではダメだった。さすが雲だ、また集まって復活してしまう。

 だからタクオは竜巻をいくつも作った。そしてそれをぶっつける。

 雲の像兵は躰がちぎれ飛んで散り散りになり、今度こそ霧散して消えていった。

『おのれェ!』

 最後に残った雲の像兵。塊のような雲で、紫電をまとい、ひときわ大きな躰の像兵だ。

 タクオはそいつにも竜巻を叩きつける。何度もだ。五度目でそいつは砕け散った。

「今度はタクオが手に取って」

 そう言われたので手にした。砦の最奥にあった白っぽいクリスタル。

 不思議な光を発していたが、それが消えると、ずしりと重く手にのしかかってきた。


 次の砦は、岩ばかりの地にあった。袋小路の谷のような場所だ。

 だがそこらにあった無数の岩が、降り積もった雪を振るい落としながら動き出す。

『岩の像兵、行進せよ!』

 雷は効かない。風も無意味だった。だが土の宝玉で地震を起こすと、岩の像兵は残らず崩れていった。これまでと違って消えはしないが、試練は攻略できたらしい。

「今度のはごつごつしたクリスタルね。これで三つ目……次に行くわよ」

 四つ目の砦は、荒れ果てた町の中央にあった。

 大きな町があった場所。しかしいまは、人っ子ひとりいやしない。

『闇の像兵、かかれェ!』

 起き上がった影のような像兵。あれが闇の像兵か。

「闇と来たら光ね!」

 そう言ってリリィが使う。エルフ王のレイリから譲り受けた、光の宝玉。

 光以外に炎も効いた。闇の像兵が次々と消えていく。

 ひときわ大きな像兵。それも現れたが、光と炎の灯りで打ち消した。

「なんだかドロドロしたクリスタルも手に入れた……最後の砦に行きましょう」

「ああ、行こう!」

「じゃあついてきな……置いてかれんなよ!」

 最後の砦は、雪原のド真ん中にあった。そしてそこに、新たな像兵が現れる。

『雪の像兵、蹂躙せよ!』

 これまでにない大軍だった。それに包囲されている。

「気をつけな。ユーリーはこの試練で重傷を負って、最後の試練を断念したんだからな」

 雪の像兵はどの宝玉も効いた。ひときわ効いたのは、炎と土だった。

 地震を起こす。そうして足止めしておき、炎と溶岩を浴びせかける。

 それが効果的だった。雪の像兵の躰。それが高熱で溶けるのだ。

 夜明けごろ、ひとつ目の試練に挑んだ。昼までには四つの試練を片づけた。

 そして昼すぎから最後の試練に挑戦したのだ。もう日が暮れかかっている。

 そうまでして、そこまで戦いつづけてようやくだった。雪の像兵をすべて消したのだ。

 巨大な像兵も、ほかの像兵といっしょに打ち砕いている。

「結晶のようなクリスタル……これで五つ目ね」

 リリィがそれを手に取ったときだった。震動とともに、そいつが姿を現した。

 精緻な氷像のようだった。だからタクオは、新たな像兵かと思ったのだ。

「そいつは像兵じゃねえよ。像兵には、魂がねえからな」

 海の王より高い背たけ。それでいて太っているから相当な体重だろう。そいつの右手は銃になっていた。銃が握られているのではない。肘のすこし先が銃になっているのだ。

『我が名はデイモス! 氷の宝玉を守りし者!』

 そいつは名乗った。七百年前に戦った、氷の聖騎士デイモスの名を。

 風の聖騎士タクローと同じか。タクローは石像だった。今度は氷像だ。

 彼らは自らの魂を封じて〝ヒトガタ〟となり、ずっと宝玉を守ってきたのだ。

 それも、七百年の長きに渡ってだ。

『我との勝負が最後の試練だ! さあ、宝玉を手に入れてみよ!』

 叫ぶデイモス。彼が笑っている。タクオはそれを感じ取っていた。

 戦士としての喜び。戦いという享楽。その感じは、タクオにもわかるようになっていた。

『いざ、来い! 水蒸気爆発によって撃ち飛ばす、氷の弾を喰らうがいい!』

 デイモスはそう吠えて、右手の銃を撃ち放った。


   7.


 馬蹄のような音がした。ドドド、という音だ。

 地面に大穴が空いている。いくつもだ。あの音。まさか、銃を連射できるというのか。

 まして一発当たりの威力も相当なものだ。地面の穴は、拳でも差しこめそうなほどだ。

「やあっ!」

 リリィが落雷を浴びせた。ぐうっ、という声。

 あれほどの巨躯だが、さすがに雷は効いたということか。

「タクオ、短期決戦で行くわよ!」

「お、おう!」

 リリィの判断は正しいと思えた。あの銃弾。かすめでもすれば、戦闘不能になるだろう。タクオの拳銃などとは比較にならない威力なのだ。それを連射できるのだから、いずれは当たってしまうだろう。

 その前に決着をつけなければ。そうしなければ敗けてしまう。

 だからリリィは短期決戦を選んだのだ。そこにしか勝ち目はないのだ。

「喰らえ!」

 竜巻をぶっつける。風の宝玉を持って銃を撃ち、風の弾丸を浴びせかけた。

「そこ!」

 そして溶岩。地から突然噴き出す溶岩は、動きつづけてなければ当たる。

 デイモスはその巨体からは想像できない素早さだったが、立ち止まっていることも多く、その隙に溶岩を叩きつけることは可能だった。

『ぬおお!』

 溶岩と炎。それが効果的なようだ。ヤツの躰は氷像だ。やはり高温に弱いらしい。

「それっ!」

 タクオはひときわ大きな竜巻を創った。そしてそれでデイモスを囲む。

 風圧と風力の壁で、デイモスの巨躯を閉じこめたのだ。

「やあっ!」

 足もとから溶岩。頭上から炎を浴びせかけた。

 風に閉じこめられ、上下から高熱の挟み撃ち。それで効かなければ打つ手はない。

『よくぞ我を討ち破った……』

 それが、最期の言葉だった。デイモスの巨躯が砕け散る。

 タクオはとっさに竜巻を止めた。炎と溶岩も止まっている。

 とす、と音がした。雪の上に水色の宝玉が落ちている。

「氷の宝玉は受け取ったわ……だから安らかにね、デイモス」

 手を合わせるリリィ。タクオもそうした。離れたところで、カイもそうしていた。

「ここに墓を作ろう。立派なヤツをな」

「そうね。デイモスも喜ぶわ」

「それでお前ら、これからどうするんだ?」

「王都にむかうわ。宝玉を六つ揃えた時、七つ目が現れる……その伝説を信じて待つわ。でもそれまでやることがないから、王都を守る戦いに尽力したいのよ」

「僕もリリィに賛成。七つ目の手がかりはなにもないからね」

「そうか……じゃあ元気でな!」

 そう言って、カイとは別れた。別れるべきではなかったと後になって思う。

 彼には、雪原を出るまで送っていってもらうべきだったのだ。

 大自然。その脅威。これからタクオとリリィは、その恐ろしさを思い知ることになる。


   8.


 天候。

 急激に荒れ果て、悪くなってきた。

 タクオはジープを止めないようにする。

 一度止まってしまえば、二度と動けなくなるような気がしていたからだ。

 だが吹雪で視界がまったく利かず、雪は深くてなかなか進めない。

 寒さからだろう、リリィが何だかぼんやりとしている。

 さっきから何も言おうとしないのだ。いつもはタクオが眠ったりしないよう、つらい時ほど声をかけてくれたものだが、いまはそれもない。

 火種も消えた。食べる物も残っていない。凍ってしまい、食べられなくなっているのだ。

 気温はどんどん下がり続けて、道もよくわからなくなってきた。

 いままでは、リリィに案内してもらっていたからだ。

 そのリリィに声をかけても、意味のある返事はなくなっている。

「リリィ、だいじょうぶ?」

 彼女の名を呼び、肩をゆする。ぐずる彼女の頬を叩くと、彼女はタクオの名前を呼んだ。

 うわごとだった。彼女はとても起きられそうにない。

 タクオは、銃を使って火を熾した。弾を抜いて、銃口を毛皮の塊に押しつけて引き金を引く。衝撃は奔ったが、油を染ませた紙に引火させることはできた。

「リリィ、火が――」

 だがその火はすぐ消えた。薪に火を移そうとしたが、湿っていて火がつかなかったのだ。

 火の熱と灯りが消え、車内が暗くつめたくなる。

 それからタクオは、当てもなく雪原をさまよった。

 白い霧と雪けむりの中で、純白の地獄をさまよいつづけた。

 パンをかじる。凍りついて、歯が立たない。飲み水も、薄氷が浮いているようだ。

 それから日が暮れ、荒ぶ吹雪と闇が、タクオの前に立ちはだかる。

 寒さも、さらに過酷になってきた。

 リリィの古地図を見る。しかしいったい何がどうなっているのか。

 タクオはこれまで、ほとんど地図を必要としてこなかった。

 道は一度行けば覚えられたし、聞きかじっただけの場所にも、あまり迷わずにたどり着けたからだ。

 リリィの声がした。

「最後の願いだったの」

「――何?」

「そのためなら私は何でもするわ、ユーリー。王女さまは私に願いを託したのよ。宝玉を集め、世界を平和にしてみせる」

「……リリィ?」

 リリィは答えない。会話にはならなかった。すでに意識もないのだ。

 それからもリリィは何ごとかを、ここにはいない誰かにつぶやき続けていた。

 大河を見つけた。

 ここに沿っていけばどこかに橋があるはずだ。そこを渡れば人の村に駆けこめるはず。凍りついた水面は、踏みこめば割れてしまうだろう。

 そのときだった。

 またリリィの声が嘆きのような吹雪に混じり、聞こえてきた。

「王女さまは、葡萄や焼き菓子の最後のひとつを、必ず私にゆずってくれたわ。自分より相手に。そういう御方だったの。だから、私は思っているの。宝玉を集め、世界を平和にする役割を私に託したのは、私を生かし、そして絶望させないためだったのではないかと」

 彼女のうわ言。聞いてはならないことを聞いたかもしれない。

 けどリリィは誰かに語り、伝えたがっていたようにも思えた。

 崖がある。進めなくなる。いつの間にか、大河から離れてしまった。自分の位置さえも見失い、完全に立ち往生してしまう。絶望と疲労で、思考も働かなくなってきた。

 引き返す。だがまた崖だ。進路を変え、ひたすら走る。

 指が絞めつけられるように痛む。意識がもうろうとしてきた。

 止まってはならない。だがいったいどこへ行けばいいのか。

 タクオはハッと自分を取り戻す。リリィが、また何かを言っていたのだ。

「ユーリーは、ほんとうは反対していたの。私を心配していたのよ。彼は私に女王となり、国を導くという道も教えてくれた。でも私には、それはできなかった。――宝玉を捜す。それを、王女さまに誓ったから。王女さまに託されたことだったから。――だから私は、宝玉のことを調べ上げて旅に出たの。この国を、王女さまが愛したこの国を守るためなの。そのためなら私は命を懸けられる。どんなに苛烈な道でも歩んでみせるわ……」

 リリィの手をにぎる。驚くほど、つめたい。自分の体が燃えるように熱い。しかし服を脱ぐと死ぬ。リリィに忠告された。眠たい。それも危ない。眠るなとリリィに言われた。リリィはずっとタクオの名前を呼んでいる。

 ジープが止まった。雪の上に乗り上げたようだ。

「あうう……」

 ジープから降り、そして押す。だが運転する人がいない。

 タクオひとりの力だけで、雪に座礁し、埋もれかかったジープが動くはずもなかった。

 雪を掘る。タイヤが地面に着いた。だがジープは動かない。

 アクセルを踏んでも、タイヤが滑って空回りしているのだ。

 もうリリィは何も言わない。苦しそうなうめき声すら、いまは聞こえなくなっている。

 ――リリィが危ない。彼女をどこか安全なところへ。あたたかいところへ。

「――リリィ!」

 叫んでいた。何度も何度も。

 その声が届いたのか。誰かがこっちに走ってきていた。騎士のようだ。

「助けて……!」

 タクオの悲痛な叫び。それが彼に届いたのか。

 やや大柄な、灰色の髪の騎士。彼がタクオの背を押し、ジープに乗せた。

 彼は自分のマントを引きちぎると、それをタイヤの下に敷き、それからジープを押してくれる。

 アクセルを踏む。ジープが動いた。動いている。

 今度こそ、止まらないようにしなければ。ジープがゆっくりと進んでいく。

 さっきの男が騎馬に跨り、並走してきた。

「あり、が……」

 礼を言いたい。だが声が出ない。寒さと疲労で、ろれつも回らなくなってきたのだ。

 男が手招きをしながら駆けていく。ついてこい。きっとそう言っているのだ。

 いまは何にでもすがりたかった。疑っている余裕などない。

 しばらく追っていくと、小屋が見つかった。リリィを抱きかかえ、中へ飛びこむ。

 火打ち石を使う。運転している時とは違い、両手で石を打ちつけ合える。

 暖炉の薪に火がついた。しばらくその火にリリィと当たる。

「タクオ……?」

 リリィが目を覚ました。意識ははっきりとしていて、朦朧としている風ではない。

「よかった、リリィ。もうダメかと……」

「――ごめんなさい。またあなたに、負担をかけたわ」

 そんなことは、どうでもいい。目を覚ましてくれた。それだけでいい。

 タクオはそう伝えたかったが、すでに言葉にならなかった。

 涙と嗚咽が止まらない。ただ、泣きわめくことしかできない。

 タクオは吠えるように、泣き声をあげた。壊れたように、ずっと涙を流しつづけた。

 そのタクオをあやすように、リリィの手が、タクオの背をなでている。


     *


 夜が明けて。

 タクオたちが小屋から去った後。

 その小屋の前に、ひとりの女性が現れた。

 男装した美女。名を、サキという。

『危なかったみたいだね。君の息子たちが凍死するところだった』

 小屋の裏。そこに小さな墓がある。朽ち果てて放置された、名も彫られていない墓。

 風の聖騎士タクローの子孫にして、タクオの実の父親、タクマ。

 その男の墓だった。

『僕はほかの宝玉に干渉できない。だから彼らに力は貸せなくてね。君が助力してくれてよかったよ』

 墓にはなにも供えない。

 ただ言葉だけをかけつづける。

『じゃあね。僕も彼らのもとへむかう。その〝時〟が来るからね――』

 現れた時と同じだった。

 サキはフッとその姿を消した。

 辺りには、誰もいない。ただ雪風だけが泣きつづけている。



















第六章 五軍の戦と時の宝玉





   1.


 タクオは山脈に沿って走っていた。

 雪原の北にあり、東西に長く伸びる山脈だ。

 それなら迷わない。またうろうろして凍死しかける、ということもないだろう。

 この山脈は、バイシクル町の辺りまで続いている。バイシクル町は王都の北東にある。

 つまりこの山脈に沿って行けば、王都の真北にまでたどり着けるということだ。

 同じような景色が続いていた。左には冠雪した山々。正面と右には荒野だ。

 平和な道のりだった。王都より西に魔物は少ない。いまはほとんどいないのだろう。

 魔王軍が王都を包囲している。その大戦に、ほとんどの魔物が参戦しているはずだ。

 日が暮れ、野営した。火を焚いて、パンや干し肉を炙る。

 タクオもリリィも毛布をかぶり、気がむいたら話しかけていた。

「あったかいわね。火も、毛布も」

「そのために持ってきたからね」

「ごめんなさい。最初はあなたを拒絶してた」

「気にしてないよ。君の過去も聞いたから。だからわかってるつもりだ」

 雪が降っていた。朝には積もっているかもしれない。

 雪解けのころに旅立った。雪解け水で、村の北の道が泥濘と化していたのだ。

 そのころから旅を続け、また雪が降るような季節に。

 長い旅だった。だが一瞬のようでもあった。

 一心不乱になにかに打ちこむ。

 すると一瞬のように感じるのだろう。

 それだけ夢中になって、この旅を続けてきたのだ。

「ほんとうに現れるのかしら」

「七つ目の宝玉?」

「ええ。〝時〟の宝玉よ。六つ揃えれば現れるというけど……」

「信じて待つしかないさ。もう僕らにはどうしようもないんだ」

 こうなると、考えてしまう。旅が終わった後のことを。タクオは村に帰るだけだ。またあの村で、あの宿でサキのもとで運び屋をして、それで一生を終えるのだろう。

 もしかしたらリリィは、王位につくのかもしれない。女王になるのかもしれない。

 そうなったらタクオは、彼女にとって邪魔になるのでは。タクオはそう考えてしまう。

 女王と孤児。あまりにも立場が違うからだ。

 ともに旅をした記憶さえ、彼女の邪魔になってしまうかもしれない。

「――どうしたの?」

「べつに。なんでもないよ、リリィ」

 訊けるわけがない。「僕をどう思ってるの?」などと。

 リリィと別れる。彼女に邪険にされる。

 それが頭に浮かぶだけで、タクオの胸は強烈に痛む。

 しかし彼女の邪魔になるのなら、タクオのほうから身を引くべきなのかもしれない。

 彼は、そう考えていた。


   2.


 トロルが近づいているという。千五百もの数だ。

 さすらい人たちが足止めを行っていたが、それも限界に達したようだ。

 真正面から戦って、トロルに勝ち得るはずもない。仕方がなかった。

 トロルに勝てる者はトロルしかいない。それが常識なのだ。

「トロルとともにマシランを討ち取る。それしかねえ」

 ふらふらになりながらもユーリーが言う。魔法で傷を治すと、直した人の体力をかなり消耗する。重傷であればあるほどだ。そうクレイは語っていた。死にかかったほどの重傷なのに、ユーリーはまだ戦おうとしている。止めようにも止めきれるものではなかった。

「でもどうするの。私の魔法はバレちゃったし、貴方はもうボロボロよ」

 とクロウ。いつもの彼女らしくない、弱気で泣きそうな声音だった。

「もう戻らない。一発死んでやる。その気で突撃するしかねえな」

「それじゃ自殺じゃない!」

「違うな。生き延びる道はある。魔王軍のむこう側まで突き抜けてしまうことだ」

「でも……」

「死にむかえと言ってるんだ、強制はしねえさ。だが来てくれるなら、地獄の底まで同行してもらうぜ」

 そう言ってユーリーは、影騎兵のひとりひとりに声をかけていった。

 だがリック含め、残ると言う者はひとりもいなかった。

「ったく、私も行くわよ。仕方ないわね。マシランに対抗する、という理由だけじゃない。私あなたで、さすらい人も影騎兵も結成したんだからね」

 そう言ってプリプリ怒りながらも、クロウはユーリーに同行することを告げた。


 出撃は翌朝。

 そう決まった。

 だがよりによって、その日の夜に魔王軍の大攻勢がはじまった。

 ウルク=ハイに守られ、破壊ができなかった攻城兵器も運びこまれている。

 城壁の上は、大混戦となった。

 はしご車が架けられ、そこをウルク=ハイが素早く駆けあがってくる。連中と、城壁の上の兵士たちが戦ったのだ。影騎兵たちも腕の立つ歩兵として、そこで戦うことになった。

 その間に衝車が使われ、城門がブチ破られたりもした。

 だが城門のあった場所に火を放つことで、味方の兵士が敵を足止めしていた。

 そしてその間に、クロウが魔法で城門を修復したのだ。

 そして、意外にもミーナが活躍した。

 小柄な躰で大きな弓を使い、空中にいる吸血鬼どもを撃ち落としていく。

 すると、吸血鬼がミーナめがけて殺到してきたりもした。

 が、リックは近くの兵士たちと即席のチームを組み、その襲撃を撃退した。

 リックの槍が折れ、剣もはじかれてどこかにいった。だが敵の刀を奪って斬り抜けた。

 それほどの乱戦だったが、リックもミーナも傷ひとつ負ってはいない。

 だがミーナも刀を失い、敵に噛みついて難を逃れたとのことだった。

 しかし。返り血で口の周りがべったりなミーナは、食事で口もとを汚した幼子のようにしか見えなかった。

「リックさま。またなにか失礼なことを」

「考えてないでちゅ」

 朝まで戦った。空が白み、山々が朝陽に照らされている。

 そのころになってようやく敵は退いていった。つかの間の平穏が訪れる。

「さて……こんなんで死んだヤツはいねえな?」

 影騎兵。激戦だったが、六十騎のすべてが揃っている。誰も死んではいなかった。

 クロウもウルク=ハイの刀を手にしていたが、傷は負っていないようだ。

 戦う準備はできている。こちら側の準備はとうに終えている。

 後は、敵の様子を探るだけだ。クロウが魔法を使い、マシランの位置を探っていた。

「かなり後方にいるわ。トロルの千五百と合流してる」

「ついにトロルが来たか……奴らは城門に殺到してくるだろうな。今度こそ止めきれねえ」

 ユーリーは、城内にいるすべての騎兵をかき集めた。およそ二千。それで最大だった。

「影騎兵が包囲軍を突破する! その後おまえたちはトロルに攻撃するのだ!」

 どよめきなどは起こらなかった。しんと静まり返っている。

 誰もがユーリーの言葉に聞き入っているのだ。彼の言葉には、その力がある。

「そのための武器は渡した! これならトロルも撃破できるはずだ!」

 出撃、とユーリーが咆哮する。二千騎の雄叫びがそれにつづいた。

 城門が開けられ、跳ね橋が下ろされる。

 そこを駆け抜ける影騎兵。リックはそのなかだ。二千騎がその後に続く。

 これまでは東門から出撃していた。だから虚を突き、北門から出撃していった。

 だから備えが甘かった。難なく包囲軍を突破、広い原野に出ることができる。

 そのままむきを変えて東へひた走る。すぐにトロルの軍が見えてきた。

 トロルが隊列を組んでいる。それもありえない光景だ。マシランがなにかしたのだろう。

 トロルは横一列に並んで、こちらを待ち受けている。

「二千騎、横に展開せよ!」

 二千騎が横一列になった。トロルの隊列に合わせ、こちらも横に大きく広がる。

「突撃!」

 まず影騎兵が突っこんだ。全力でトロルの間を駆けつつ、矢を射かけていく。

 そうして影騎兵はすれ違いざま、トロルの気を引くことに成功した。

 その後に続いた。二千の騎馬隊だ。影騎兵に続いて、彼らが本命の攻撃をする。

 二千騎が、左半分のトロルに激突した。彼らは丸太や巨石を引いている。

 彼らは二騎がかりで左右から縄を引き、それで丸太や巨石を引っ張っているのだ。

 それをトロルにぶっつける。すれ違いざま、重い丸太や巨石を叩きつけた。

 トロルは制御が難しいからだろう、密集隊形ではなかった。だから、隙間を駆け抜けることは可能だった。

 二千騎は、丸太や巨石をぶっつけた後は、全力でトロルとトロルの間を通り抜けていく。

 だから動きの鈍いトロルに反撃されることはなく、二千騎のほとんどが無事だった。

「倒れたトロルを殺せェ!」

 二千騎で丸太や巨石を引いた。それでおよそ左半分のトロルに攻撃できた。

 攻撃を喰らったトロルは、軒並み倒れるか逃げるかしている。

 丸太や巨石を、左右の騎馬で引いてぶっつける。その攻撃は、くり返すと城門でさえもブチ抜けるものだ。薄いものや石を積み上げだけで固めていないものなら、城壁でさえもぶっ壊せる。さすがのトロルも耐えきれなかったのだろう。

 そして仰向けに転倒したトロルに、二千騎と影騎兵が襲いかかる。

 眼や口内など、穴の開いているところを槍で突くのだ。

 そうすればオーク以上に頑丈なトロルも、突き殺すことが可能だった。

 相手が動けずにいるのなら、そういった精密攻撃もできるようになるのだ。

 トロルが立っていれば届かない位置にある急所も、寝ていればたやすく届くようになる。

 丸太や岩をぶっつけたところが割れ、中の肉が見えていることもある。そこを突けば、いくらトロルでも殺すことは不可能ではなかった。

「騎乗せよ!」

 そうして倒れたトロルを殺しつくしたころに、ユーリーの怒声がまた轟いた。

 見ると、残る右半分のトロルがむかってきていた。しかし、その足取りはひどく鈍い。もともとトロルはそうなのだろう。だから左半分のトロルを殺しつくして、丸太や巨石を拾い上げる時間はじゅうぶんにあった。逃げるトロルには、目もくれない。

「突撃の再興をはかる! クロウ、何騎いける?」

「千八百騎以上は行けるわ、ユーリー! でも丸太や巨石を引く縄がちぎれてる!」

「やれるだけやるしかない! では一度離れるぞ! 連中の後方から再度突撃する!」

「了解! みんな、ユーリーに続いて走れ!」

 右半分には三度突撃した。

 全力でぶっつけているのだ、そのたびに縄を落とすか縄がちぎれてしまう。

 それを拾いなおして突っこむのは危険が大きかったが、トロルは反転する動きも遅く、なんとか無事に拾い上げることができていた。

 そうして右半分のトロルの七割ほどを薙ぎ倒すか追い散らすかしたころに。

「集まれ、集まれェ!」

 ユーリーがまたすべての騎兵の集結を命じた。

 そのころになってようやく、リックは自分たちが包囲されていることに気づく。

 無数の歩兵。特に最前列にはウルク=ハイがいる。突破するのは、困難だろう。

「トロルに城門や城壁を破壊されるとまずい。でも、トロルを仕留めに行くと取り囲む。二重の策だったわけね」

 と他人事のように言い放つクロウ。それを聞いたユーリーが、怒りを露わにする。

「言ってる場合か。どうすんだ。トロルも殺しきれてねえのに」

「だいじょうぶよ。援軍が来てるもの」

「援軍だと? どこからだ?」

「いろんな外の国からよ」

 角笛が鳴り響いていた。トロルよりも巨大ななにかまで見える。

「エルフの角笛……あそこに見えているのはエントか」

「城の反対側には、ドワーフも駆けつけているはずよ」

「てめえクロウ、知ってやがったな」

「近づいてることはね。直前で引き返さないとは言えないわ」

「そうだけどよ」

 ユーリーたちを囲む包囲網。それを、外から突破してきた者たちがいた。

「レイリ王……エルフの騎馬隊だな」

 とても大きな角の鹿。彼らはそれに騎乗している。

 エルフといえば弓のイメージだったが、彼らは刀を手にしているようだ。

 やがてドワーフたちとも合流した。彼らは歩兵だが、騎馬隊並みの長駆を行うという。

 そして意外な連中も来た。南方人だ。すなわち海賊連邦の人たちだ。

 三勢力に分かれているとのことだったが、誰かがまとめ、援軍に来てくれたらしい。

 ユーリー率いる人間軍。エルフ軍。エント軍。ドワーフ軍。そして南方人の軍。

 五つもの軍がここに集結し、ユーリーたちを包囲する軍を蹴散らしてしまった。

 そして。

「いまなら孤立したマシランを殺れる。行くぞ!」

 ユーリーは、その全軍に号令を出すのだった。


   3.


 トロルをほとんど倒すか追い散らした。包囲軍もだ。

 それでマシランは孤立した。いまは、数十騎のウルク=ハイに囲まれているだけだった。

 およそ二千の騎兵。数千から数万の援軍たち。

 それらに抗しうるはずもなく、マシランはウルク=ハイとともに矢の餌食になった。

 四大魔将軍のすべてを討ち取った。それで、敵はいなくなるはずだった。

 だが東の空から、黒い雲が広がってきた。ドス黒い気配も染み出してきている。

 それはあっという間に空を覆いつくしてしまう。

「復活した……魔王クニトープスが!」

 クロウのつぶやき。それは静かな声だったのに、雷鳴のように轟いた。


   4.


 やがて見えてきた。

 復活した魔王の姿だ。

 エントの倍はある巨躯。髑髏のような顔。赤い鱗のような体表の躰。

 それが、魔王だった。

 伝承よりも凶悪な姿をしている。あるいは言葉では、その凶悪さを伝えきれなかったか。

 魔王は空を雲で覆った。天候さえも変えてしまったのだ。

 ケタ違いのパワー。圧倒的な力。人間では抗いようもないほどの強さ。

 それを目の前にして、リックはへたり込みそうになった。

「魔王クニトープス!」

 ユーリーが剣を抜き払い、斬りかかっていった。

 だが魔神は足を踏み鳴らしただけで大地震を起こし、ユーリーを転倒させてしまう。

「この……」

 馬から投げ出されても、まだ戦意を失わないユーリー。

 だが魔神が竜巻を生み出した。ユーリーがそれに巻きこまれ、浮き上がる。

 が、そのときだった。

 同じような竜巻。それがユーリーを巻きこんだ竜巻に衝突した。

 竜巻が消える。ユーリーが落ちていく。だがあわや、というところで彼は再度浮いた。

 クロウだ。

 彼女がなにか魔法を使い、彼を空中で受け止めたようだ。

 そして、そこに駆けこんでくる者。それは意外な人物だった。

「タクオ……」

 彼を雇った女もいっしょだった。赤い髪の、さすらい人らしき女。

 あのタクオが旅立った日に、ジープの助手席に座っていた女だ。

 ユーリーによれば、彼らは宝玉を集めていたはず。

「じゃあ――宝玉をすべて集めたのか? この数ヶ月の間に?」

「まだだよ。七つ目がまだ現われていない……」

 竜巻を作ったのも彼のようだ。〝風〟の宝玉の力だという。

「そんなもので、我に抗う気か?」

 嗤っている魔王。

 ヤツが両手を拡げる。

 するとヤツの背後に、巨大な竜巻がいくつも生まれた。都市を呑みこむような大きさだ。遠くに離れていなければ、それが竜巻だということもわからなかっただろう。それほどの巨大さなのだ。

「力の差を思い知れ!」

 叫ぶ魔王。その背後では、黒雲の下で竜巻と雷とが荒れ狂っている。


   5.


 タクオはふるえあがっていた。

 魔王とも戦えるのではないかと思っていた。

 宝玉の力は、神の力だからだ。神々がその存在ごと力に変え、封じこめた秘宝。それが宝玉だ。

 それほどの代物なら、七つ揃わなくても、魔王に抗えるのではないかと思っていた。

 しかし間違いだった。大きな間違いだった。

 タクオが生み出せる竜巻は、彼が両手を伸ばした程度の大きさだ。

 つまりはタクオの身長程度の直径しかない。

 だが魔王が生み出した竜巻は、都市ひとつを呑みこむほどの巨大さだ。

 力の差がありすぎる。

 とても勝負にならない。

 これでは七つ揃っても、どうにもならないのではないか。

 タクオはそう考え――膝を落としそうになった。

 が、そのときだった。

『だいじょうぶだよ』

 慣れ親しんだ声が響いた。戦場のすべてに響き渡っている。

 だがその声は、タクオに話しかけてきていた。

『タクオ。リリィ。よく六つ集めたね』


「――サキ?」


 彼女の声だった。間違いない。

 何ヶ月も離れていたが、その声を聞き間違えるはずがなかった。

『これでそろったよ。魔王を封じる、七つの宝玉だ――』

 サキがそう言い、タクオの背後に立っていた。

『宝玉の力は封印の力。風や雷はオマケみたいなものさ』

 とサキは言う。あの絶大な力を持つ魔王でさえも、封じることはできるというのだ。

「サキ――どうして」

『ここにいるのかって? その〝時〟が来たからさ』

 そう言って笑うサキ。どこか寂しそうな笑みだった。

「もしかしてサキは、七百年前の――」

『聖騎士ではない。僕はそもそも人間じゃないんだよ』

「人間じゃない?」


『僕は〝時〟の宝玉だ』


 彼女は、衝撃的な事実を告げるのだった。

「時の宝玉?」

『――そう。僕は、時の聖騎士に創られた人格だ。人格が与えられ、〝ヒトガタ〟という魔法で人間の体まで創ってもらったんだ。そうして七百年もの間、隠れ潜んできたんだよ。最後の宝玉――時の宝玉を守るためにね』

 あまりにも信じられない話だった。だがどこかで納得もしていた。

 小さいころは体が弱く、病がちだったタクオが生きて大きくなれたのは、サキが神秘の力を使ってくれたからなのかもしれない。神の力なら、それも納得できた。

『さよならだ、タクオ。僕は君を愛していた――』

 サキはそう言い、タクオの返事を待たず、ひとつの物言わぬ宝玉になった。

 宝玉は、七色に光りかがやいている。

 タクオはそれを手に取り、リリィに手渡す。

 すべての宝玉が、目を開けていられないほどの光を放ちはじめた。

「バカな! この我が、魔王たるこの我が……」

「これで終わりよ! お前をまた封印する!」

 リリィが時の宝玉を頭上に掲げる。

 魔王はその体が砂になり、宙に溶けるように消えていき、やがては足の先まで消滅した。


   6.


 魔王が潰え、辺りが静けさに包まれる。

 魔王軍は東の地へ逃げていった。マシランも魔王も倒されたためだろう。

 すると集まってきた。五軍の長たちだ。

 ノル王国のユーリー=リース大公。

 二階層王国のナナカ=ショベル軍団長。

 エルフの森のレイリ=フォーミュラ王。

 古森の木の公爵。

 そして海賊連邦の海の王だ。

「魔王は封じられたわ。宝玉は、また各地で守っていかなきゃいけない――」

 リリィは言う。また魔王が現れる時に備えなければならないと。

 そのために各国が力を合わせ、宝玉も守っていかなければならないのだと。

「そうだな。同盟や条約の話になる……」

 とユーリー。ほかの長たちもうなずいている。

「では、王都に凱旋しましょう。戦いの勝利を、みんなに伝えなきゃ」

 そう言って歩き出すリリィ。偉い人に囲まれながら、彼女は微塵も臆していない。

 彼女は歩いている。

 ユーリー=リース大公でさえも付き従えるように。

 それは――王のようだった。彼女は女王の道を行くのか。

 自分とは、あまりにも違う。その身分も。歩むべき道も。

 そう思ったタクオは、黙って立ち去った。

 リリィが知れば、自分を引きとめようとするだろう。

 だが世界に平和をもたらした偉大なる王女が、孤児と二人で旅をしたとなれば、あらぬ噂、疑いをかけられるに違いない。それは彼女のためにはならないはずだ。

 人波から離れ、しばらくしてから振り返る。

 王都には三年ぶりに王家の旗が掲げられ、歓声はいまだに鳴りやまないようだった。





エピローグ そして二人はとなりに並び




 タクオは涙を流していた。

 村に帰ってもサキはいない。

 助手席にもリリィがいない。

 タクオは一度に、二度の別れを経験したのだ。

 それも、欠けてはならない一部を喪失したと、そう思うほど大切な相手との別れだった。

 ――どこへ行こう。決まっていない。決める人ももういない。帰る場所すらないのだ。

 そう思っていた。

 何もない草原で、タクオはジープを停めたまま、何日もハンドルに突っ伏していた。

「何をしているのよ――」

 声がした。振りむく。ひっぱたかれた。

 顔を戻すと、泣きそうな顔をしたリリィがタクオの胸倉をつかんでいた。

「あなたひとりで、どこへ行くのよ……」

 なぜ彼女がここにいる。タクオは理解できず、黙っていることしかできない。

「ずっといっしょに行こう。そう言ったじゃない」

 その言葉でタクオは理解した。

 その約束は、宝玉をそろえるまでだということではなかったのだと。

 そして黙って離れて立ち去ったのも、彼女にためにはなり得なかったのだと。

「ごめん、勘違いしてた。約束も、リリィの気持ちとかも……」

「次は許さないわよ。お守りだって、まだ返してないんだから」

 リリィは王位につかなかったようだ。

 天下国家は私には重荷よ。

 彼女はそう言って照れ笑いを浮かべていた。

「新たな国王には、ユーリーがついたわ。彼なら、国を再建してくれる」

「そうだね。彼には協力してくれる人も多い」

 しばらくは、不穏な時代が続くだろう。

 三十万もの敵の大軍勢も、戦いに負けて散り散りになっただけで、消えたわけではない。散り散りになった魔物の兵士たちは、盗賊などになって人々を襲うだろう。大きな都市はともかく、小さな村や集落なども餌食になるに違いない。

 だが、ユーリーなら。

 いつかその時代を終わらせてくれるだろう。そう信じられるものが、彼にはある。

「ほかの人はどうなったんだろう」

「いろいろ聞いたわ。あのリックだけど、王都の軍を率いる将になっていたわよ」

「え、ほんと? なんで?」

「四大魔将軍のひとりを討ったらしくて、その時の機転が買われたらしいわ」

「腕の立つヤツだとは思ってたけど、ユーリーに認められるほどだったのか」

「なんだか驚くわよね」

「そっか。またいつか、会いにいこう。レイリ王や木の公爵にも」

「そうね。いろんな人に会いにいく。そんな旅も悪くないわ」

 しみじみとそう言いながら、大きな新しい表紙の本を取り出すリリィ。

「それでね、タクオ。私は本を書いたんだけど」

 リリィが描いたのはこの戦のことらしい。

 真実を歴史に残すため、彼女が書き記したと。

「でもあなたとの旅の話は、まだ描いていないの。私的なことは、歴史書ではなくなってしまうから」

「僕との旅?」

「ええ。表題はもう決めたわ。『タクオのノリモノ冒険記』。いいでしょ? このやり取りまで書いちゃうわ」

 リリィはそう言うと、舌をぺろりと出して笑った。それからまだ真っ白な本を開くと、うれしそうにペンを走らせはじめる。

「ところでリリィ――どこへ行こう?」

「まずはあなたの村ね。ダイシャ村。サキの墓が要ると思うの」

「そうだね。思いつかなかったよ。サキの好きだった花も手向けよう……」

「じゃあ出発しましょう。本は着いてから書くわ」

「うん、行こう」

 タクオはアクセルを踏みこむ。

 冬の空が、晴れ渡って綺麗だった。雲の形さえ美しく見える。

 そしてとなりの助手席では、リリィがうたた寝をしているのだった。



                                   (おしまい)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タクオのノリモノ冒険記 @aiyuh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ