第2章 ERIS-林檎
1
時矢君は、塾講師――
住所も知っているので(向こうから連絡があった)迎えに行こうと思えば行けるが。
あんな写真を見てしまってショックを受けた。
でもあれは普通に考えなくても対策課の出番だ。
相久霧由に接触する必要が出てきた。
夏休みに入った。
赤火ちゃんは、時矢君の家(集合ポスト)に行ける大義名分を失って悲しそうだった。
白光君は、ちょっとずつ女の子に別れを告げているらしい。
青水君は、全国模試の結果がまずますだったので安堵してる。
黒土君は、暑い日にアイスクリームを持って来てくれた。
「なるほど。塾講師のところに転がり込んだ中学生か」
瀬勿関先生が事務所に来たので、ここまでの経緯を説明した。
「その中学生がどんなに自分の意志だと主張しても、親が反対している限りは誘拐が成立するな」
「でも親は連れ戻しに行かないんですよ。この行動はどうなります?」
「どうもこうも、私は弁護士じゃない。心配なのは性被害だが」
あの写真は間違いなく、裸の付き合いや相撲の状況じゃない。
「ショックを受けて親が動けないならそれこそ対策課の出番だろ」
「あの、それで、一緒に行ってもらえません?」
「私が行くことのメリットがそんなに浮かばないが」
実は久しぶりの出動なので心細い気持ちが大半で。
「お前の心細さに付き合ってやる余裕はない。まずはぶち当たってみたらどうだ?」
当たって砕けろってことか。
それだけの覚悟が俺にはなくなっている。
「わかりました。行ってみます」
住所によるとこの辺。
郊外のマンション。302号室。
オートロックはなく、直接ドアの真ん前まで行けた。
ピンポン。
10時。
「こんにちは。警察です。ちょっとお話伺えますか」
「あーはいはい」
出てくるまでのタイムラグなし。大きな物音もなし。
「少年が巻き込まれる犯罪を担当している部署の胡子栗と言います」手帳を見せた。「相久霧由さんですね? 暑いっすね。中入れてもらえますか」
相久は黒いTシャツにジーンズ。ラフな格好だった。年齢30代後半。身長170センチ前半。少し長めの前髪が特徴の、どこにでもいる普通の好青年ぽかった。
靴は一人分。シューズケースに隠していたらわからない。
間取りは1DK。ダイニングテーブルも、キッチンも特に二人以上の人物形跡なし。
「あの、僕が何か」
カーペットの上に丸いちゃぶ台。相久が座ってから、俺はその正面に座った。
「実は未成年誘拐の容疑がかかってまして。詳しいお話を伺えますか」
直接過ぎただろうか。
相久がプ、と吹き出して笑った。
「何か可笑しいことでも?」
「ええ、可笑しすぎますよ。なんで僕が誘拐なんか」
写真のことを言おうかと思ったが、それは最後の手段だ。
「してないなら、部屋を見ても問題ないですね?」
「ええ、どうぞ」
キッチンの戸棚。物置の中。
寝室のベッドの中と下。クローゼットの中。デスクの下。
物自体があまりないので、探すのも簡単だった。
「どうですか?」相久が寝室にやってきた。心なしか笑いを堪えている。「誰もいなかったでしょう?」
寝室の窓際にはシングルサイズのベッド。遮光カーテンが引かれたまま。クローゼットとデスク以外目立った家具がない。
「他に家はないですか」
「あっても言いたくないと言ったら?」
「言ってください」
「じゃあ僕と寝てください」
「冗談」
「でも僕と寝たとしても、そのあるのかどうかもわからないセカンドハウスに駆けつける頃には、目当てのものはおらず、現場も押さえられないわけです」
と言った相久は、俺の足を引っかけ、ベッドに仰向けに倒した。
腕を頭の上で押さえられる。
他人のベッドの匂いが鼻腔をくすぐる。
「なんで一人で来たんですか。女性警察官が」相久が至近距離で俺を見つめる。
「生憎と部下も相棒もいないもので」
脚の間に脚を差し入れられる。
「え、あれ? 女の人じゃ」
「そう見えました? だったら見込み違いですね」
「でも僕はこっちのほうが好みなので」
「そうやって生徒も襲ってるんですか」
「なんのことですか?」
反応速度に遅れなし。嘘を吐き慣れている。
これは厄介かもしれない。
「早くどいてもらえませんか」
「寝るのはなしってことですか? 残念です」
手首を拘束する力が弱まったので、ベッドからずり落ちて距離を取った。
床の上。
「器用ですね」
「こっちには証拠があるんです。あなたと、行方不明の時矢君が一緒に映ってる写真が」
「そうなんですか」相久が余裕の笑みでベッドに腰掛けた。
母親から預かった写真を見せた。
充分な距離を保ちつつ。
「へえ、これは見つかったら大問題だ」
「言い逃れできませんよ」
「でもこれ、誰が撮ってます? 自撮りだったらアレだけど、どう見ても第三者がいません?」
「え」画面を確認しようと視線を外した瞬間。
床に押し倒された。
「なんでこんなに詰め甘いんですか。ホントに警察ですか?」
絨毯に細かいごみが散らかっている。物はないがマメに掃除はしていない。
「一発やったら全部話してくれます?」
「だから、さっきも言いましたけど、やられ損ですよ。それでもいいなら」
「いいですよ。別に」
「正気ですか?」
「正気も何も。別に気にしないって言ってるんですよ」
「頭おかしいんじゃないですか?」
相久が俺の髪を撫でる。
やばい。これバレたらこいつ八つ裂きじゃ済まないんじゃ。
「待って待って待って。やばい。やめましょう。やばい。バレたらマジやばいんで」
「え、ここまで期待させといてやらないんですか。つらくないですか?」
「つらいとかつらくないとかじゃないんで。あの、これ見えます?」指輪。「パートナーがちょっと異常なほど過保護で。俺と仕事以外で話すとまじで殺しにかかってくるんで」
「恐妻ってことですか?」
「あ、いや、その、旦那です」
「あ、え、はい」
虚を突くことで距離を取ることに成功した。
マジにヤバい。ヤバいを超えてヤバい。
未遂だ。何もしてない。大丈夫。大丈夫。
「すいませんでした?」相久が頭を掻きながら言う。「ちょっと調子乗りました。警察官相手に」
寝室を出てダイニングに戻る。
「とにかくですね」咳払いで誤魔化せ。「時矢君があなたと一緒にいた証拠はあるんですから」
「でもそれ以上の証拠はない、と。僕じゃなかったらどうしてくれるんです?」
「疑わしきは調べます」
仕方ない。今日は出直すか。
その日の夜。
中学生の遺体が見つかった。
公園の茂みの中。
レイプされた形跡があった。
2
翌日9時。
本部が騒がしい。
被害者は市内の中学3年生。男子。
死後数時間。
争いの形跡なし。
公園で殺害に及んだのではなく、別の場所で殺されて、程なくして公園に遺棄された。
第一発見者は、居酒屋帰りの会社員。
酔っ払ってトイレを探していたところ、発見した。
中学生の身元は、赤火ちゃんの行ってる公立の隣の学区だった。
夏休みなので学校側に非はないだろうが、もし部活なんかの練習があったら中止になる。
赤火ちゃんには昼だろうと一人で出掛けないように伝えた。
「肛門というより男根がひどい。というか、話聞くか。大丈夫か、こうゆう話」本部帰りの瀬勿関先生が言う。
「レイプ目的じゃないってことですか」
「冴えてるな。そうなんだ」
ということは、怨恨?
「男根に向けた怨みなら、そいつにレイプされたことがあるとかか」瀬勿関先生が言う。
その線は強い。
「先生、それ、本部で話してきた方がいいです」
「もう行ってきたさ。それに私が考えそうなことくらい、お前らにわからないわけがない」
被害者中学生の親。学校。友だちに聞き込みをしたところ、重い口は開かれた。
中学2年の春休み。3年に上がる直前にそれは起こった。
軽い気持ちだったのだろう。
男女の関係を持った同級生がいた。
軽い気持ちが裏目に出て、女の子は妊娠した。
男の子並びにその両親は知らぬ存ぜぬを通した。
女の子は中絶した。
女の子は部屋から出て来なくなった。
女の子の両親は決意した。
復讐を。
「早期解決したな」瀬勿関先生が対策課事務所に顔を出した。
「これで終わりでしょうか」
「どういう意味だ」
「時矢君はまだ行方不明なんですよ」
「ああ、お前が勝手に捜してる男子か」
8月。
夏休み後半。
時矢君の母親に会いに行ったが、相変わらず連れ戻しに行く気はないと。
帰ってきたら迎えないわけではない。
その言葉を信じて俺がなんとかするしかないか。
「ですから、僕じゃないって言ってるでしょう」相久も相変わらずこんな感じで。「それよりヤりませんか」
「やりません」左手の薬指を見せた。
相久の家。
10時。
夕方までなら相久は家にいる。夜には塾に出勤するから。
「調べればセカンドハウスがないことくらいわかったでしょうに」相久が言う。「なんでそんなに鎌掛け下手くそなんですか。大丈夫ですか?」
「あなたが本当に時矢君を誘拐してないなら捜すの手伝ってください」
「僕が? いいんですか。一般市民を使って」
「俺の部署はちょと特殊なんで、なんとでもなります」
もともと民間委託の外部機関だ。俺だけたまたま警察官なだけで。
「え、バイトってことすか」相久が言う。
「バイト代は出ません」
「じゃあ成功報酬でヤらせてくださいよ」
「なんでそんなに性欲強いんですか」
「そうなんですよ。お陰で彼氏が逃げる逃げる」
「教え子に手をかけないで下さいね」
「ほんとのタイプは年上なんで。だから胡子栗さん、タイプ」
なんか。
背筋にゾワっとするものを感じた。
「ねえねえ、どうすか? 僕は一発でも二発でも」
「やりません」
写真をもう一度見る。
ベッドの上に裸の時矢君、その上に裸の相久。
どう見ても襲ってる。
「これ、僕を陥れるための合成なんじゃ。よくできてますけど」相久が言う。
「合成だっていう証拠は?」
「やってないんで」相久が俺の耳に口を近づける。「ねえ、なんで女装してるんすか」
「仕事です」
「じゃあプライベートで会ったら元の姿が見れますか」
「プライベートで会いません」
なんか。
帰りたくなってきた。
丸いちゃぶ台越しで向かい合ってたはずが、いつの間にか隣に座ってる相久。
隣どころか俺の背中に前面を密着させている。
暑い。
「不倫でいいんで一発お願いしますよ」
「不倫でいいわけないでしょう」
冷房はガンガンに効いている。床が冷たいくらいだ。
「ああ、中でごりごりしてほしい」
「ネコ?」
「うん」
ちょっと待って。
これなら浮気にならないか。いやいや駄目だぞ。バレたら相久が殺される。
いや、ムダ君だって生きてたんだから。俺の立ち回り次第じゃないか。
「相久さん」
「はい」相久が言う。
「成功報酬で一回付き合います」
「マジ? やった~」
「だから吐いてください。時矢君がどこにいるのか」
相久が案内した。
さらに郊外に離れた狭い1Kのアパートの一室。
所河時矢君はそこにいた。
3
時矢君は眠っていた。怪我もしていない。
よかった。
「言い訳は?」
時矢君を起こさないように小声で言う。
「だから、僕じゃないんだって。僕はサオ役風の被写体に協力しただけで。言ったじゃん。僕はネコだって」
ネコを装っていたとしてもおかしくはないが。
不思議と性志向の部分は信じられた。
弁当の空とペットボトルの空容器。ゴミ袋にきちんと分別して入れてあった。
「もう一人は誰?」
「それは別料金」相久が言う。「月一でいいんで、あ、いや週一かな。セフレになってください」
駄目だ。
性欲が溜まりすぎて言動がおかしくなってる。
「いまんとこ未成年誘拐の容疑者で間違いないわけなんだけど?」
「写真撮っただけで実刑とかマジすか」
「お仲間を売った方があなたの罪は軽くなります」
「え、まじ。どうしようかな。このさき豚箱入ったら胡子栗さんにごりごりしてもらえないし」
相久が全部話した。
首謀者は、
同じ塾の数学講師。
本部に連絡して容疑者のほうは任せた。
俺がすべきはこっち。
「時矢君」
起こした。
狭い部屋の中央に薄い布団を敷いて眠っていた。
「あれ、先生?じゃない」
「君を迎えに来た。警察だ」手帳を見せた。
「え、なんで? 先生は」
「君をここに誘拐した罪でいま警察が行ってる」
「なんで? 俺、自分の意志で」
「君の意志はない。なぜなら君は未成年だから。親が心配してる。帰ろう」
「嫌だ」時矢君が布団を被って抵抗した。
「無理矢理連れ帰ることもできる」
そんなことをしたら彼はまたここに来てしまう。
「ねえ、なんで帰りたくないの?」口調を変えた。
「母さんはわかってくれない」
「話を聞いてくれないってこと?」
時矢君は数学が好きで、すでに中3の問題も解けている。
自分の才能を認めてくれた塾の数学の先生に好意を寄せるのは当然で。
でもそれをよくないと思った母親が、担当を外れるように言ってきた。
「先生は悪くないのに」
「時矢君の好意は先生として好きってこと?」
「どういうこと?」時矢君が布団から顔を出した。
「クラスの女の子が好き、とかと同じ感情かってこと」
「うーん」
まだわからないか。
「先生に感謝してる」
「うん」
「だから先生のことが好き」
「うん」
なるほど。
これはそこまで深くないかもしれない。
「時矢君。いまなら“お姉さん”が一緒にお母さんのところに行ってあげる。いまのお話一緒にしよう。お母さんがわかってくれるまで一緒に頑張ろう」
「え、でも」時矢君が俺の後ろに突っ立ってる相久を見た。「先生、どう思う?」
「僕も行こうか?
「お母さんと一緒に話そう。ね?」
時矢君と一緒に家に帰った。
母親に全部伝えたが理解には時間がかかりそうだった。
解決したと思った。
うまく行ったと思った。
夏休み明けになっても時矢君は学校に来なかった。
9月。
4
学校から帰ってきた赤火ちゃんに聞いた。
時矢君は数学が得意で。
数学が苦手な赤火ちゃんにわかりやすく教えてくれた。
そんな簡単に惚れられたら困るんだけど。
「マジな話」白光君が言う。「赤火、マジに男と付き合える?」
「なんでそんなこと言うの。まだそんな段階じゃ」
「そういうことじゃなくて」
今日の食事当番は俺。キッチンで麻婆豆腐を作ってる。
19時。
俺の背中の向こうで、ダイニングテーブルで勉強している赤火ちゃんに、リビングでケータイをいじっている白光君が話しかけている。
話に加わったほうがよいだろうか。
「前提の話」白光君が言う。「お前、男大丈夫?って話。俺が女とまともに付き合えないのとおんなじで」
赤火ちゃんが黙る。
「ほら、図星。惚れた腫れたなんか病気と同じなんだから。その男子のことは諦めなよ」
「諦めるも何も、まだ全然お話できてないもん」
「学校来てないんだっけ? じゃあ別にいいか。赤火、
「え」
俺もそれ知らない。
「なんだ。黒兄、俺にしか言ってないんだ」白光君が言う。
「黒兄、よかったね」赤火ちゃんが言う。
「マジ? マジのマジで言ってる?それ」
赤火ちゃんが黙る。
「俺は滅茶苦茶ムカついたよ。なんで黒兄だけ楽しくやってんだよ、て。俺はさ、お前らを食わせるために男でも女でも誰とでも寝たんだよ。そのお陰でお前ら生きてるってのに、俺はいまだに恋すらできない。女抱こうとすると男に滅茶苦茶に抱かれたこと思い出す。こないだ女に言われたこと教えてやろうか? 白光君、脱がしてくれないの?て。莫迦じゃねえの。なんで俺がお前の服まで面倒見なきゃいけねえんだよ。でもさ、俺がそのとき思ったのは違う。俺は男に脱がされてばっかだったから。女の服まで気が回らない。莫迦すぎる。莫迦だろ」
料理は中断。
「ごめん、夕ご飯ちょっと遅くなる」赤火ちゃんに言った。
「なに、説教タイム?」白光君は泣きそうな顔になっていた。
「俺の部屋来て。ちょっと話そう」
タイムラグはあったけど、白光君は俺に部屋に来てくれた。
「ごめん、そんなことになってるの、全然気づかなかった」
俺の部屋は、イコール俺と本部長の寝室。ダブルベッド。
ベッドに座るのは嫌そうだったので、入ってすぐの床にクッションを置いた。
「座って」
「女が嫌いなわけじゃないんすよ」白光君が言う。ゆっくり座りながら。「あの子可愛いな~。好みだな~って思うこともあるし。でもいざ付き合うとなると、女は俺の顔しか見てないし、いざセックスってときになると俺は勃たないし。あの、ほんとごめんなさい。赤火も初恋とかきゃっきゃしてやがるし、黒兄なんか彼女作ってデートの写真なんか送ってきやがったんです。青君だって受験終わって大学行ったら絶対恋とかする。俺だけ、俺だけなんでこんな」
白光君は泣いていた。
ぼろぼろと大粒の涙がクッションに落ちる。
ハンカチじゃ間に合いそうになかったので、タオルを渡した。もちろん洗濯済みの。
「つらかったね」白光君の背中をさする。
「俺のこと、軽蔑しませんか」
「なんで?」
「だって、兄貴に嫉妬して、妹に八つ当たりして」
「白光君、俺でよければ俺に当たってよ。白光君言ってくれたじゃん。美人すぎる近所のお姉さん、て。そんな距離感でいいからさ。ああ、専門的なのを希望するならいい精神科医を紹介できるよ」
「黒兄が前にバイト行ってたとこの先生でしょ? あの先生、下着姿で職場うろうろしてるって聞いたけど」
「うん、マジ」
「マジで?」
「俺は妖怪露出狂って呼んでる」
「なんすかそれ」白光君が笑った。
「妖怪みたいに老いないの、あの先生。わけわからない」
白光君が落ち着くまで傍にいた。
ダイニングに戻ると、赤火ちゃんが続きを完成させてくれていた。
麻婆豆腐。中華スープ。ミニサラダ。
「ごめん、赤火」白光君が開口一番謝った。
「いいよ、白兄が一番つらかったの、わかってるから」赤火ちゃんが笑顔で言う。「さ、いっぱい泣いた人はいっぱい食べてください!」
「美味しそう。いただきま~す」
三人で手を合わせた。
時間は20時を回っていた。
この時間に食べると明日に響くんだけど、みんなで食べたかったので今日くらいは、と思って食べた。
白光君が珍しくお代わりした。食欲があってよかった。
21時に青水君を塾に迎えに行った。
「青水君、なんか困ってることない?」車の中で話をする。
「来月の模試の結果が悪かったらどうしようか、てのと。もし、俺が希望のとこ
「浪人てこと?」
「うちにそんなお金ないのわかってます。白兄は頭いいから一発で
「勉強は俺も苦手だからな~。俺に出来るのはお金出すことだけだって言ったじゃん。だから塾も気にしなくていいし、そりゃ一発合格のほうが有難いけど、青水君が自分で決めた夢だから、俺は応援したいよ?」
「ありがとうございます。弱気になってちゃ駄目ですね。周りがみんな頭良すぎて。話聞いてもらってちょと楽になりました。あと、このことは誰にも言わないで下さい。特に白兄には」
「わかってるよ」
「白兄、人一倍優しいから。俺がそんなんだって知ったら絶対に勉強教えるって言ってくるんで。白兄には白兄のやりたいことをやってほしいんです。俺たちのこと、一番考えてくれてる人なんで」
みんなはそうやって支え合ってきたんだなあ、と。
胸がじんわり温かくなった。
22時を過ぎて。
寝ようとしたら(本部長は相変わらず帰って来ない)赤火ちゃんが俺の部屋を訪ねてきた。
「どうしたの?」
「私、人を好きになってもいいのかな」赤火ちゃんが小さい声で呟く。
「いいに決まってるよ」
「時矢君、大丈夫かな」
自宅にいるのは間違いない。
母親が家にいるから。
「大丈夫。俺に任せて」赤火ちゃんと目線を合わせて頭を撫でた。
「だよね。ママパパに任せたらなんでもぱーっと解決するもんね」
赤火ちゃんにそう言ってもらって自惚れていた。
翌日。
残暑の残る9月の2週目。
時矢君が、自宅で遺体となって発見された。
母親が自ら通報した。
私がやりました、と。
5
俺のせいだ。
俺が母親のところに帰ろうと言ったから。
俺が母親のところに無理矢理連れて帰ったから。
12時。
昼食を食べる気がしなかったので対策課事務所でうだうだしていた。
瀬勿関先生は母親の診察をしているからしばらくここには来れないと連絡が来た。
俺の主治医なのに。
俺が一番困ったときは話を聞いてくれない。
壁渡さんもつかまらないし。
本部長。
いやいや、本部に入るのは気が引ける。
家に帰って来てくれればいいのに。
帰って来ないと浮気しちゃうぞ。
浮気。
そうか。
ひとり、ヒマな奴がいる。
「やった~!! 成功報酬ですか?」相久は両手を挙げて喜んだ。「ゴムいっぱい用意しときましたよ~」
今なら戻れる。
でももうどうでもよかった。
「え?え?何時までいいんですか?」相久はさっさとシャワーを浴びてきた。
「昼休みだけね」
一発終わっても相久が俺に抱きついて離れなかったのを、無理矢理剥がしてシャワーに行った。
しつこい。
ねちっこい。
もっとさらっとした関係なら続けてやってもいいかとちょっとだけ脳裡を掠めたがこれでは。
だいたい俺がセフレに求める関係性は、やりたいときにやれて、やったらとっとと日常に戻る。
熱中するのはそのときだけ。それ以外の場面では関係を引きずらない。
そうゆうのがいいんだけど。
「ねえねえ、胡子栗さん」相久が浴室の戸の外に張り付いてる。「僕全然足りないんですけど」
「もうしぼんじゃったから無理だよ」
「ええ~~」
服を着て玄関に。
「行かないでくださいよ~~」相久が手を伸ばす。
「また来るから」
「ホント?」
「気が向けば」
「来ないじゃんそれ」相久が言う。「知ってますよ。時矢君、母親に殺されたの。だからむしゃくしゃして僕のとこ来たんじゃないんですか?」
図星。
玄関のドアを開けようとした手が止まる。
「ほら~。もっと発散してかなくていいんですかぁ?」
「別の方法にする」
「他に方法なんかないですよ。母親の取り調べとかできないんでしょ? 担当から外されちゃったとかですか?」
外されてはいないがもともと担当でもなんでもない。
自主的に勝手に始めたら終わり方が最悪だったってだけ。
「慰めてあげられるの僕だけですよ? ほら、ここ、こんなになってる」
「そっちがやりたいだけでしょうが」
「わかります~? 実はそう」
やれればほんとうになんでもいいらしい。
なんでこんなに性欲が強いんだ。
だから彼氏が逃げるのか。そうか。
わかる気がする。
「ちなみに彼氏と続いた最長記録は?」
「1週間?」
「最短は」
「半日」
頭が痛くなってきた。
「セフレでいいから。ね? セフレでお願いします。こんなに身体の相性いいの逃したくないんですよ~」
身体の相性に関しては向こうが勝手に思ってるだけだが。
ムダ君がいなくなってから、セフレに困ってたのも事実。
だって本部長だと俺がネコになるしかないから。
都合だけはいいかもしれない。
「わかった。俺が気が向いたときだけ連絡入れるから」
「わかりました。僕が役に立たないと思ってますね」相久が言う。「時矢君が通ってた塾ってことでうちにも警察来てましたよ。それに
つまり?
「僕を助手にしません?」
「なんの?」
「え?胡子栗さん専属の。下の世話から性のお相手までなんでもしますよ~」
「完全にそっちしか得してない気がするんだけど」
冗談だろう。
何かの冗談だと思った。
結論から言うと割と前向きに考えなきゃいけない状況に陥る。
このあと。
6
時矢君の葬儀に参列してきた。
赤火ちゃんは学校関係者として行ったので入れ違いだった。
喪主は父親。
帰って来なかった父親が帰ってきた。
「このたびは」父親に挨拶した。
時矢君とは額の形と眼元がよく似ていた。
「妻のところに来て下さっていた警察の方ですか」
まさかの。
向こうがこちらを認識していた。
「妻から聞いていました。親身に相談に乗ってくれた女性警察官がいたと」父親が言う。「私が留守の間、いろいろとお世話になったようで」
お前が女のところにいた間にとんでもないことになってたんだよ。
という反論を喉の辺りで飲み込んだ。
「いえ、私は仕事をしただけです」
「そうですか。本当に、ありがとうございました」父親が深く頭を下げた。
別の参列者が来たので話はそこまでになった。
父親が別の女のところに行っていた間に、息子は家出し、家に戻ったら、母親が息子を殺した。
ひどすぎる。
ひどすぎてやりきれない。
ここに瀬勿関先生がいたら、頭を切り替えろと言われるはず。
事前になんとかできたかもしれなかったからこそ後悔で頭がおかしくなりそうだ。
間違えなく、俺の選択が間違いだった。
誰かに相談すれば防げただろうか。
例えば、優秀な部下とか。
「あ、帰しちゃうんだ~って思いましたよ、僕は」
相久のマンション。
朝10時。
寝室に行かないように、ちゃぶ台を挟んで向かい合って座っている。
「だって、母親のところにいるのが一番で」
俺はそうじゃなかったけど、赤火ちゃんも、俺が育てた知り合いの子もそうだったから、てっきり俺以外はみんなそうなのかと思ってた。
ところで、なんで俺はまた相久のところに来ているんだろう。
他に行くところがなかった。
この悩みを話せそうな相手が。
「はい」相久が場面転換代わりに手を叩く。「じゃあ、行きますか」
「どこに?」
「ベッドしかないですけど? それとも今日はここのほうが燃えますか?」
押し倒されそうになったので後退した。
後頭部に壁が当たった。
「はい、観念して下さいね~」相久が俺のスカートの中に手を入れようとする。
「無理矢理はよくないからね?」
「そこは流されて下さいって」相久が俺の下着に手をかける。「ほら、準備万端」
「気のせい気のせい」スカートと下着を取り返して立ち上がった。
やばい。
本当にこの流れが自然すぎて。
「あんましつこいとセフレも逃げるよ」
「しつこいのが駄目なんでしょうか」相久がしょげたように言う。「彼氏募集してもなかなかいい物件がなくて」
「人間界にはいないんじゃない?」
「うわ、それ悪口ですからね」
自分で持ってきたペットボトルのお茶を飲む。相久が出した茶は何が入っているかわかったものじゃないから手を付けられない。
自分を大きくも小さくも見せなくていいのは楽かもしれないが。
なにせ会うたびにやらなきゃいけないのがやばい。
本部長とするときに演技しなきゃいけなくなったらどうしてくれる?
対策課の事務所に戻ると。
まさかの本部長が俺のデスクにいた。
「話がある」
やばい。
セフレの件がバレたか。
こうゆう勘だけはいいからこの人。
顔が凶悪すぎて事情の知らない子どもが見たらまず泣くか逃げる。いつものダークスーツ。まだ残暑の影響が強いので上着を脱いで腕まくりをしている。
なんか、すごく。
「久しぶりな気がするんですけど」
「今夜は帰れる。君の出方次第だが」本部長が言う。
「なんですか。改まって」
「対策課だが、ちょっとまずいことになってる。なぜかわかるね?」
「俺が勝手なことして失敗したから」
「失敗というのは印象がよくないが、対応を誤ったと言っておこうか。そのことで対策課の存続についての是非がだね」
「要はもともとあった存続を快く思ってない一派が、これを機会にやれ潰せと言ってきたわけですね?」
最悪だ。
本部長が守ってくれていたからなんとか崖っぷちでも続いていた部署。
それを守れないという最後通告に等しい。
「どうかね? この機会に少年課に戻っては」本部長が言葉を選んで言う。
「戻ったら壁渡さんと浮気しますよ」
「わかった。潰さない方向で頑張ってはみるが、次がラストチャンスだと思ってくれ」
「チャンスくれるんですね」
「あいつらだって鬼じゃない。まあ、黙らせることもできなくはないんだが」
「やりたくないわけですね。わかりました。次、ラストチャンスでいいですよ」
「驚いた。もっと抵抗してくるものだと」
「優秀な部下の使い勝手を試すのにいいかもしれませんね」
「見つかったのか? 誰だ」
「うちって民間委託の最前線でしたよね?」
対策課はそもそも少年の性犯罪の被害者側に対応する部署だ。
かつて被害者側のつらさを汲んで、復讐代行をしていた会社があった。
そこの二代目主人。
名を、
愛称スーザちゃん。
俺のご主人。
いまは、ここにいない。
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