下町の天の川

わたくし

今でも忘れない

 子供の頃、私は下町の工場街の一画に住んでいた。

 工場街は煙突から出る煤煙で頭上の空は灰色に煤けていた。紗にかかった陽の光がいつも私の家に降り注いでいた。

 夜になると、近くの繁華街の光が空を照らし月以外の星は殆ど見えなかった。



 ある日父が、

「これから星を見に行こうか」

 と言った。

「え? まだお昼だよ?」

「それに、何処へ行くの?」

「いいから、いいから!」

「ついてきなさい」

 父は私の手を引き歩き始める。

 電停で街鉄路面電車に乗り、街の中心部へ向かう。

 私は父との久しぶりの外出に嬉しくなっていた。

「この昼間に星って???」

 僅かな疑問を持ちながら……



「ここだよ」

 父がそう言ってある電停で降りる。

 十字路に新しい近代的モダンなビルディングが建っていた。ビルの屋上にはお椀を被せた様な構造物ドームがあった。

「すごく高い!」

「近所の煙突より高いや!」

 私が驚いて声を上げる。


 建物の入口には『機械舘』の文字が刻まれていた。

「ここは世界中の最新の機械や技術を集めて展示している所さ」

「父さんの親友が館長をしていて招待してくれたんだ」

「すごいや!父さん!」

 父は自慢げに解説する。


 入口に入り、昇降機エレベーターに乗る。洋服を着た美しい昇降嬢リフトガールが笑顔で話しかけてくる。

「お坊ちゃん、何階に御用ですか?」

「星を見る所!」

「分かりました、『天象舘てんしょうかん』のある六階ですね、かしこまりました」

 昇降機はゆっくりと動き出し、昇降嬢の

「六階、天象館入口でございます」

 の声と一緒に昇降機は止まった。



 降りた六階のフロアには、紅白の幕やたくさんの花輪で飾られいて、花に囲まれた看板には

『東洋初!天球投影機プラネタリウム公開!』の文字が踊っていた。



 分厚いドアを通り中に入ると中は広い円形状の空間で、照明で照らされた高い天井は球形になっていた。

 広い空間の真ん中に三メートル位の機械が据え付けられていた。機械を中心に円周状に座席が囲んでいた。

 父と私が座席に座ると、背もたれがゆっくりと倒れて自然と天井を眺める状態になった。


 時間になり、機械の乗っている台に一人の紳士が上り口上を述べる、

「この機械は欧州で製作された『天球投影機プラネタリウム』であります」

「地球上の如何なる地域や季節・時間の星空を自由に映し出す精密機械であります」

「それでは、星空の世界をお楽しみ下さい」


 口上が終わると空間は暗くなり、球形の天井に星々が映し出される。

「この星空は今夜のこのビルの屋上で見える空であります」

 スピーカーから解説員の声が流れる。

「実際の街の明かりを考慮して、本当に見える星だけを映しています」

「地上の光が全く無いと仮定すると、この場所でこれだけの星が見えます」

 天井いっぱいに沢山星が現れる。


「す、すごい!」

 私は息を呑んだ。

「天頂から南方向に見える光の帯は七夕伝説で有名な『天の川』であります」

「昔話の時代なら何処でも見えた天の川ですが、近代的な都市では殆ど見えなくなっています」

「現在、天の川を見るためには地方の山の上か、海の真ん中へ行かないと見れません……」


 以降様々な季節の星空を投影していたが、私は天の川の虜になってしまった。

「あの暗い夜空の向こうにあんな物があったのか!」

「何時かは本物の天の川を見てみたい!」

 その日から私は帰りに買ってもらった星座早見盤を手にして毎晩、家の庭から夜空を観察していた。

 天体や星座の本を手に入れて貪る様に読んでいた。



 三年後、学校の課外授業で再び天球投影機の天の川を見た。

「少国民の皆さん、今回は今兵隊さんが戦っている南方の空を見てみましょう」

「あの特長的な四つの星が『南十字星』です」

「兵隊さんはこれら星々を見ながら、皆さんの為に戦っているのです」

「少国民の皆さんも何時かは……」

 私は解説員の声を無視して、ひたすら天の川を眺めていた。



 戦争は長く続き都市に空襲が始まったので、私は田舎へ疎開した。

 そこで初めての天の川を見た。

 本当に光の帯が夜空の中を伸びていた。

 私は時間があれば外へ出て、天の川を眺めていた。





 疎開先に父が迎えに来たので、家に帰る事になった。

 駅に着き駅前に出ると、辺り一面焼け野原であった。街鉄に乗り家に向かう。

 荒野はいつまで経っても続いていた。

 機械舘のあった十字路を通る、そこには瓦礫の山しか無かった。


「泥棒に盗まれた様に、機械館も工場も家も無くなってしまった……」

 父が寂しく呟く。

 家の跡には父が建てたバラック小屋があり、そこで泊まった。


 夜中、私は外へ出た。

 頭上には沢山の星々が輝いていた!

 光の帯の天の川も伸びていた。田舎で見た夜空と同じ風景が拡がっていた。

「本当にここ下町の夜空にも天の川が広がっていたんだな」

「灯火管制と空襲で地上の光が無くなったからだ……」



 戦争が終わり、街に光が戻って来た。焼け野原だった場所にも建物が建ち始めた。

 瞬く間に天の川は見えなくなった。



 私は下町の家で見た天の川を一生忘れ無いだろう。

 そして、下町で天の川を見ない世の中になる為に、今努力している。

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下町の天の川 わたくし @watakushi-bun

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