終章 続く創世記
霊亀国から鳳凰国へ戻り、三か月が経った。
それぞれが自分の生活に戻り、詩響と廉心と朱殷は、陵漣の用意してくれた宮廷内の小さな家で生活を始めている。廉心は太学へ通い、朱殷は引き続き、詩響と廉心の護衛だ。
詩響はというと、これといった仕事はしていない。宮廷で仕事を許される礼儀作法が身についてないので、礼儀作法を習得するまで宮女業務は許してもらえなかった。
しばらくは翠蘭に礼儀作法の指導をしてもらい、仕上がり次第で仕事を考えよう――となった。つまりは無職で、やることは雀晦村と変わらない。虚しい気もしたけれど、一つだけ、誰にも知られていない任務がある。
夜になり、朱殷と廉心が寝ているのを確認すると、詩響は饅頭を二つ包んで家を出た。
こそこそと物陰に隠れながら向かったのは――
「遅いぞ、詩響」
「殿下が早いんですよ。また嫌なことでもあったんですか?」
詩響のやって来た場所は、陵漣の作った例の慰霊碑だ。
霊亀の一件は終わったものの、事情が事情だ。気持ち良く達成した、とは言いにくい。
特に陵漣は心配だったので、詩響は慰霊碑に足を運んでみた。やはり陵漣は一人で祈っていて、手を合わせたら隣に座らせてくれた。
それから詩響は、備える饅頭を持って来るようになった。陵漣と示し合わせたわけでも約束しているわけでもないけれど、いつの間にか待ち合わせのようになっている。
詩響は慰霊碑に饅頭をそなえて祈ると、椅子代わりの石に陵漣と並んで腰かけた。
「今日はどうだったんですか? また、皇女殿下と揉めてこじれて、会議は途中終了で?」
「奴らとは常にこじれてるよ。あんな性悪連中、仲良くできるわけないだろ」
陵漣は詩響の備えた饅頭を掴み、ばくりとかじった。陵漣は、そなえて放置しては食べ物を無駄にするだけ、という持論があるらしく、少し手を合わせるとすぐ食べてしまう。
悼む気持ちと行動は逆に見えたけれど、陵漣が元気なら、今はそれで良かった。
なにしろ、陵漣の疲弊は霊亀による一連だけではない。陵漣は今、大きな政治問題に直面している。今度は瑞獣ではなく、人間の中でだ。
「仲良くはできませんよね。天子に政治的権力を持たせるのをやめるって、殿下を皇族から追い出すってことですもの」
天子の身分をどうするかは、以前から議論されているという。
鳳凰に従い天子が政治を動かした結果、鳳凰国は水不足になった。鳳凰に言われるがままではいけないのでは、という主張が少なからずあるらしい。
天子は鳳凰の意志を伝えるだけに留め、政治は人の手でやるべきだ――という主張を率いるのが皇女一派だ。
陵漣は饅頭を飲み込むと、食べながら足を組み直す。膝に肘を付き、顎を掌に乗せた。
「ふん。国と民のためだと言ってるが、ようは権力が欲しいんだよ。妾腹の俺が皇帝になる前に、なんとしても叩き出したいんだ」
「殿下が皇帝になれば、皇族は鳳家から陵漣の嚆家になりますもんね。そうなれば、皇女殿下が追い出される側です。殿下をいじめてきた人は、必死にもなるでしょう」
皇女を筆頭に、鳳家の権力に守られている人々は、どうにかして陵漣を失脚させようとしている。陵漣は苛立ちを露わにして、足元の小石を蹴り飛ばした。
「皇族と宮廷が民のための政治をしてさえいれば、もっと早く霊亀に行けた。子玄の自害から五年もかけずにすんだんだ」
「そういえば、五年かかったのは何故ですか? 長いですよね、かなり」
「当時の鳳凰天子、鳳君衡の判断だ。鳳君衡は、行けるのに行かなかったんだよ」
「見て見ぬふりをしたんですか? 鳳凰陛下が許すとは思えません」
「鳳凰は鳳凰で立て込んでたんだよ。鳳君衡を見限るのは簡単だが、新しい天子を選ぶのは時間がかかる。『こいつは相応しいか?』って目を付けて、人間性を試すから」
「ああ、今回、私を試されたように。それでも、人を送るくらいはできたはずでは?」
「それはまた別の問題がある。今回俺たちは飛んで行ったが、鳳凰といえども、どこでも飛べるわけじゃないんだ。霊亀の開いた通用口を通らなければ、霊亀の結界に阻まれる」
霊亀の結界といえば、月瑤の体にいた霊亀が玉座の間へ入らせまいと張っていた物だ。
海は瑞獣霊亀の領域である以上、侵入を防ぐのは容易いだろう。
「なら、今回は、どうして飛べたのですか? 結界は解かれていたんでしょうか」
「いや。通用口を通った。妖鬼が上陸してる以上、通用口は確実にある。だが目に見えるわけじゃない。鳳凰を現地に連れて行って、見つけてもらうしかない。雀晦村とかな」
「あ! それで、殿下自ら雀晦村へいらしていたんですか! 殿下自らいらっしゃるのは妙だと思ってたんです。鳳凰陛下のご都合だったんですね」
「まあな。けど、俺も教育の状況を調べたかったから、ちょうどよかったよ。理人の薬も完成したところだったし、多少無理もできるようになってた」
「完成? あの薬は、薬師寺家の秘伝のような物ではないのですか?」
「違う。理人独自の研究で、完成したのは半年前くらいだよ。妖鬼が霊亀から来たと判明したのも、理人の薬が完成して、人間に戻せてようやくだ」
「それで五年もかかったんですね。でも、そう思えば早かったかもしれませんね」
「早いか……」
陵漣は、ぐっと拳を握った。ぎりぎりと強く握る拳は震えていて、爪が刺さったのか、つうっと掌から血が滴った。
「俺がもっと早くに天子になっていれば、子玄も月瑤も……こんなことには……!」
詩響は霊亀国を知らなかったし、知人もいない。不幸な事件だとは思うけれど、陵漣のように自分を責める気持ちにはなれなかった。
(……本当に、お優しいかただわ。私は無理。お父さんもお母さんも、霊亀のせいで死んだ。死んだのは、聖護様が天子として役目を果たさなかったせいだ――って、思っちゃう)
瑞獣に従わざるを得なかった苦悩はあっただろうが、詩響の悲しみとは別の話だ。対面して、廉心になにかされていたら、喜んで霊亀を屠ったに違いない。
(私は殿下のように、寛大にも優しくもなれない。真逆だわ。――……だから、鳳凰陛下は私に託されたのかしらね。殿下には、できないことをせよと)
けれど鳳凰は語らない。熱だけを残し、黙している。ならば詩響なりに考えるだけだ。
「殿下のせいではありません。できる限りの手を、尽くされたじゃないですか。それに、鳳凰陛下の守るべきは、霊亀の民ではない。仕方のないことです」
陵漣は少しだけ目を見開いた。けれど詩響にはなにも語らず、再び小石を蹴った。
「しかし、困ったな。聖賢と月瑤は皇族の生き残りだ。どこまで突かれるか……」
「やはり、問題になりそうなのですね。政治に利用されますよね、皇族ともなれば」
「そりゃあな。だが、月瑤の事情が事情なだけに説明もできない。どうしたものか」
三か月経った今も、月瑤は眠ったままだ。目を覚まさないのは、天子ではないのに霊亀を宿した後遺症か、それとも本人の意志か。
聖賢は付きっ切りで看病しているけれど、目を覚ます気配はない。やはり宮廷という場所が恐ろしいのではないかと思い、今は宮廷を出て、別の場所で静養している。
「ずっと雀晦村で暮らすのは無理なんでしょうか。霊亀の事情も、少しはわかってますし」
聖賢と月瑤の身を隠す先に選ばれたのは雀晦村だ。
霊亀国から戻ってきてすぐ、陵漣は雀晦村へ事情聴取をしに行った。詩響も共に行きたかったけれど、情に左右される者は口を挟ませるわけにいかない、と一刀両断された。
霊亀と関係していたから廃村になるかと思ったけれど、聖賢と月瑤を匿い静養させてくれれば現状維持で良し、としてくれた。
「決めるのは本人たちだ。皇族として責務を果たしたいと言うかもしれないだろう? それなら宮廷へ招く。もちろん雀晦村にいたいのなら、それもいい。だが、まずは療養だな」
「……そうですね。今は、月瑤さまがお目覚めになるのを待つしかないですよね」
だが、目覚めるのが月瑤にとって最良なのか、詩響は悩んでいた。
目覚めれば聖賢は喜ぶだろうけれど、月瑤は目覚めたくないかもしれない。だからといって、このまま死を待つように眠るのが良いとも思えない。
考えれば考えるほど、月瑤になにをしてやればいいのかわからなかった。
「雀晦は静かで穏やかな村です。きっと、聖賢さまと月瑤さまを癒してくれます」
生まれ育った雀晦村は、今でもありありと思い出せる。霊亀の文化が息づく穏やかな村を思い出していると、つんっと髪をつままれた。
「お前も帰りたいのか、村へ」
「え? いえ、違います。お二人が霊亀国を思い出したくないなら、雀晦村は良くないかもしれないなと思って。聖賢さまはなにもおっしゃってないんですよね」
「これといって報告は受けてないな。様子を見に行くか? その、なんだ。里帰りがてら」
「私の帰る里は廉心のいる場所です。あの子は太学へ行くことを選んだ。ならもう、雀晦村は私の里ではありません。それに――」
詩響は右手を胸に当てた。体の中へ意識を向けると、体温が上がったように感じた。
「まだ鳳凰陛下の加護はなくなっていません。宮廷を出るなということでしょう」
霊亀国で役目を果たしても、詩響の中から熱は消えなかった。陵漣が言うには、鳳凰の力はまだ残っている。けれど、なぜ残しているのか、鳳凰の目的はわからないそうだ。
陵漣は足元の小石を拾い、力いっぱい遠くへ投げた。
「鳳凰め。なにが加護だ。鎖の間違いだろ」
霊亀の一件を経て、陵漣は関係した全員の様子を気にしているようだった。
朱殷はさして動じていなかったけれど、廉心は生活を元に戻すまで少しかかった。精神的に受けた衝撃は大きかっただろうと、太学へ入るのも待ってくれた。
だが廉心以上に、詩響のことを気にかけてくれている。霊亀を屠らせたことを、すまない、と何度も謝り、涙を流している時もある。目を合わせるのも辛そうな時もあった。
詩響を見て暗い顔をしなくなったのは、まだ最近のことだ。けれど、鳳凰の加護が消えていないことに気づくと、またひどく落ち込んだ。
(そりゃ不安はあるけど、殿下の傍にいる理由があるのは有難い。だって、霊亀を一番引きずっているのは殿下だ。とても放っておくことはできない)
陵漣のことを考えると、詩響の体は熱くなった。詩響自信が心配している気持ちもあるけれど、まだ、鳳凰の頼みは続いているのだと感じた。
陵漣は鎖だと言うけれど、鳳凰の思いやりだと詩響は思っている。なにしろ、陵漣のやることは多い。残っている妖鬼を人間に戻し、霊亀国民を移住させ、皇女ともやりあう。皇女と争う中で、いかにして聖賢と月瑤を守るかにもなるだろう。
だが子どもの教育制度の確立も先送りにできない。詩響は一件落着した気分だったけれど、陵漣は始まったところなのかもしれない。
それなのに、詩響のことで気落ちさせたくなかった。気落ちさせるな――と、鳳凰は言っているに違いない。
詩響は立ち上がり、陵漣の両手を強く握りしめた。
「そんな、気にしないでください! 言ったでしょう? いろいろ頑張るって!」
いつだったか、陵漣と約束した。廉心のように頭脳で成果は出せないけれど、頑張る。いろいろ頑張る、と宣言した。宣言というにはお粗末だったが。
陵漣はきょとんと目を丸くしたけれど、ぷっと小さくふき出し笑った。
「そういや、そうだったな。愚痴を聞いてくれるんだったか」
「はい。しばらく言いたいこともあるだろうから、聞きますよ。なんでも」
詩響は、そっと陵漣の頬を包み込むように両手を添えた。鳳凰を身に宿す陵漣の体温は、少し高いらしい。けれど、同じく鳳凰の加護を得た詩響には、よくわからない。
同じ体温でいることは、鳳凰が『一緒にいろ』と言っているような気がした。
「大丈夫! 鳳凰陛下の無茶ぶりは、全部やってやります! 鳳凰国の民ですからね!」
詩響は陵漣の頬を撫でた。さらりと詩響の髪が落ち陵漣の顔触れると、陵漣は慈しむような微笑みで、詩響の髪に口付ける。
「美しい赤だ。まさしく鳳凰国の民」
「自慢の髪です。鳳凰陛下の赤ですから!」
これからしばらく、穏やかな日々ではないだろう。妖鬼と霊亀のことで、なにかしら問われることはあるはずだ。面倒なことも多いはずだ。村が恋しくなるかもしれない。
それでも陵漣の傍にいようと、詩響は胸の中で蠢く熱にそっと誓った。
四霊創世譚 鳳凰天子と鳴音の華 蒼衣ユイ @sahen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます