第六章 霊亀討伐(11)
11
詩響が霊亀の前に立つと、陵漣に後ろから手を引かれた。
「詩響! 馬鹿を言うな! お前は対話すればいいだけだ! さがっていろ!」
陵漣は目を見開き驚いていた。心配になるほど必死だったけれど、詩響は一歩もさがらない。表情を変えないように気を強く持ち、霊亀だけを見つめた。
「鳳凰陛下のご決断は変わりません。ですが、消滅する前にお答えください。あなたを屠ると、この国と民はどうなりますか」
「……どうも。ただ滅びるだけ。いずれ大陸ごと沈むでしょう」
「妖鬼になった民は、自然と人間に戻るのですか?」
「戻りません。一人ずつ、処置をしてやる必要があります。鳳凰陛下の領内に私の力は届かないので、みなさまで助けてやってください」
「わかりました。ではもう結構です」
ごうっと音を立てて炎が湧きおこる。どこから出てきたのか、詩響は見えなかった。陵漣のように、体から出てきたのだろうか。
(これは加護じゃない。頼みだったんだ。共に殿下を守ってほしいという願い)
炎は巨大な竜巻のごとく渦になっていく。詩響と霊亀を中心に、ぐるぐると炎が壁を作る。熱は感じるし火の粉は降り注いでくるけれど、鳳凰の炎は民を焼かない。
ごうごうと炎の揺れる中、陵漣の叫ぶ声が聞こえてくる。
「詩響! よせ! お前がそんなことをする必要はない! 鳳凰! くそっ!」
陵漣は立ち尽くしていた。必死に身体を動かそうとしているのはわかったけれど、震えるだけで動きはしなかった。
(天子の体は瑞獣の意のまま、だったっけ。なにが創世の瑞獣よ。ふざけたことだわ)
天罰が怖くて、瑞獣を軽んじたり悪しざまにすることは避けていた。それでも流れるように悪態が出たのは、瑞獣も人間のように愛を持っていると知ったからかもしれない。
身動ぎしない霊亀を見下ろし、詩響は熱のこもった右手を掲げる。同時に、陵漣はさらに大きな声をあげた。
「やめろ! そんなことをさせるために、連れてきたんじゃない! 鳳凰! 天子ではない民の手を汚すのか! お前こそ瑞獣失格だ! 今すぐ詩響の中から出ていけ!」
陵漣は次々に罵倒する言葉を投げかけた。汚い言葉の飛び交う中でも、詩響がわずかに動くたび舞い散る火花は、ただ美しい。
(鳳凰陛下の炎は人を焼かないわ。月瑤さまの体はそのままで、霊亀だけ消滅するはず)
霊亀はまだ、腹を撫でていた。膨れているだけの腹に、なにが入っていると思っているのだろう。母のようにふるまうことで、なにか手に入るとでも思っているのだろうか。
とても滑稽だ。けれど、愚かな霊亀の死に逝くさまを陵漣に見せずに済むことは、とても嬉しかった。
「瑞獣と人間は想いを通わせないと、鳳凰陛下はおっしゃいました。でも、そうじゃない。だって、鳳凰陛下は殿下を大切に想っている。私にあなたを屠らせるくらいには」
ぽとりと霊亀の瞳から涙が落ちた。どんな意味を持つ涙なのかは、考えない。
「あなたは想いの通わせかたを間違えた。瑞獣の愛は、すべての民のものでなくてはいけない。たった一人を番にする人間と同じではいけないのよ!」
霊亀の涙の意味は考えない。詩響はなにも考えず、火花を潰すように拳を握った。
「……さようなら。
詩響と霊亀を囲んでいた炎が、一斉に迫ってきた。激しい熱気が通り過ぎたけれど、詩響にはなんの変化もなかった。変わったのは、霊亀の宿っていた月瑤の体だった。
月瑤はどさりとその場に倒れた。生死のわからない月瑤に聖賢が飛びつく。
「月瑤! 月瑤! しっかりしろ! 月瑤!」
聖賢は月瑤を抱き起し、ぺたぺたと軽く頬を叩く。
目を覚まさない月瑤に慌てる聖賢だったが、落ち着いて、と理人が背を撫でる。理人は月瑤の口元に手をかざし、手首に指先を当てた。
「うん。呼吸はしてるし、意外と脈も正常。腹も元に戻ったようだね」
霊亀が撫でていた膨れた腹は、ぺたんと平たくなっていた。まるで今までが夢だったかのように、身体は少女になっている。
聖賢はぼたぼたと涙を流し、強く月瑤を抱きしめていた。
(よかった。霊亀は健康に保ってたみたいだし、とりあえずは大丈夫なのかな)
鳳凰は月瑤を焼いたりしないと思っていたけれど、詩響が鳳凰の力を操れるわけではない。もしかすれば月瑤ごと――と、少しは脳裏によぎった。
けれど髪の一筋も焦げてはいないようだ。服の端々は焦げているのを見るに、きっと鳳凰は、注意してくれたのだろう。
鳳凰の優しさに安堵し肩を撫でおろすと、ぎゅっと後ろから勢いよく抱きしめられる。抱きしめてくる腕は陵漣だった。
陵漣の顔は詩響の肩に埋められ、どんな表情をしているか見えない。けれど、かちかちと細かく歯のぶつかる音は聞こえる。
「……すまない。俺のせいだ。俺の未熟さを、鳳凰陛下は知っておられた……」
「それは違います。殿下のお優しさを、知っておられたのです。だから私に、殿下を助ける役目をくださった。鳳凰陛下も、お優しいかたですから」
陵漣の腕に力がこもった。微かな震えと、隠しているであろう涙の音が聞こえる。
(廉心の小さい時みたいだわ。泣きたいのをこらえて、しがみついてきてたのよね)
最初に出会った時も、同じように後ろから抱きしめられ。常に悪人のような振る舞いをする皇太子に、詩響も廉心も驚いたのを覚えている。
けれど今は、まるで幼い子どものようだった。詩響は、抱きしめてくる陵漣の腕を抱き返した。
「帰りましょう、鳳凰国へ。妖鬼をどうにかしないといけません」
「……そうだな。霊亀の民も、見捨てるわけにいかない。大陸が沈む前に助けないと」
陵漣は、詩響の肩を抱いたまま歩き出した。異性に寄り添われ歩くのは恥ずかしいけれど、今はまだ、陵漣の手を握っていたかった。
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