第六章 霊亀討伐(10)

10


 鳳凰から体を戻された陵漣は、がんっと自分の足を殴りつけた。


「詩響に任せるだと!? どういうつもりだ、鳳凰め! なにを考えている……!」


 陵漣は全身で怒りを訴えていた。いつも鳳凰への敬意を示しているのに、不快感どころではない、敵意を爆発させている。

 廉心も朱殷も、付き合いの長いであろう理人までもが驚いている。この世の誰も、天子が瑞獣を罵倒するなんて思っていないだろう。

 けれど、叫びたい気持ちは詩響にも、少しはわかる。こんな丸投げは考えられない。


(本当に、どういうおつもりなの? 私なんて、異種族の言語を歌えるだけ。それも廉心がいなければ意味はわからない。私は歌うだけよ。鳳凰陛下は私になにを求めて――)


 鳳凰の求めるもの、と考えて、陵漣の言葉を思いだした。霊亀国へ来る前、陵漣は鳳凰の要求を明言していた。

『異種族と想いを通わせる心を、鳳凰陛下は求めておられる』

 初めから、霊亀と対話しろとは言われていない。霊亀の気持ちを察しろということだ。


(……けど、心を知ってどうするの? 屠ることは決定なのよね。もし対話の末に改心しても、民は受け入れないわ。少なくとも聖賢さまは)


 聖賢は、なにかを期待するような顔で詩響を見ていた。初めに陵漣へ望んだように、霊亀を屠ってくれ、と言いたいのだろう。父と妹を苦しめ、国を滅ぼしたのだから当然だ。

 けれど、露骨に殺意を押し付けられると、只人でのんびりと田舎暮らしをしていた詩響は尻込みをした。いっそ冷静さを取り戻し、そっと霊亀を覗き見る。


(そういえば、民を逃がしているのよね。妖鬼になってしまったけれど、自ら力を分け与えた。すべてどうでもよかったわけじゃないのよ。でもあちこちに遺体はあったし……)


 ううんと考えこんだけれど、筋の通る説は思いつかなかった。

 接したくないと思うくらいには、霊亀には嫌悪を覚えているが、鳳凰の命には逆らえない。詩響は、少しだけ霊亀に近づいた。


「いくつか教えてください。民を国外へ逃がしたのは、なぜですか? 妖鬼になるとわかっていましたよね」

「人も好きに生きればいい。鳳凰国には薬師寺の者がいるから、どうとでもなるでしょう」

「ふざけるな! 薬師寺の医療は民のためにある! お前の尻拭いをするためじゃない!」


 叫んだのは、ずっと聖賢を支えている理人だ。いつもは軽い調子なのに、重い声に押しつぶされそうだった。

 廉心が激怒した理人に寄り添い、とんとんと、なだめるように背を叩いている。理人は申し訳ないような顔をして、ふいと目を逸らした。

 理人の大声にすくんでいた詩響も、ふう、と息を整え霊亀へ向き直る。


「では、枯れた遺体はなんですか? あなたが殺したのでしょう」

「女だけです。男は国外へ渡しました」

「……は? まさか、女を聖護さまに近づけたくないから、なんて言いませんよね……?」


 霊亀は口を一文字に結んでいた。もう、呆れて言葉も出ない。


「それならば、なぜ宮殿に留まっているんですか。滅びてもかまわないとお考えなら、聖護さまを追えばよかったではないですか」

「瑞獣は他国へ入れない。それに……聖護さまがお戻りになるかもしれないから……」

「馬鹿か。下劣なお前の元に戻る人間なんて、いるわけないだろう」


 罵倒する言葉を吐きすてたのは陵漣だ。積もった埃を霊亀へ向けて蹴り飛ばす。


「聖護の遺体は俺が火葬し、遺灰は土に埋めた。お前の力の及ぶ海から、最も遠い陸地にしてくれと言っていたよ。お前はもちろん、子の心配などは一度も聞かなかった」


 ひゅうっと空気を吸い込む音が、霊亀から聞こえてきた。静かに揺れて響く音は、鳴き声の旋律だ。霊亀は膨れた腹を撫でるばかりだった。

 腹を撫でる様子を見て、詩響はふと気になった。月瑤は、いつ妊娠したのだろうか。


(変ね。朱殷が妖鬼退治のために雀晦村へ来たのは、五年前。霊亀出身の妖鬼出現が五年前なら、霊亀と聖護さまの決別も五年は前だ。五年も妊娠なんて、できるはずない。それに、外見が実年齢に沿うなら、五年前は妊娠できる年じゃないわよね……)


 月瑤の今の容姿は、詩響とそう変わらないように見える。霊亀を宿すことで成長に影響があるかは不明だが、それでも五年も妊娠し続けることはありえない。


「妊娠、していないですね?」


 全員が詩響を振り返った。微動だにしないのは霊亀だけだ。


「瑞獣が宿っても肉体は人間なのですよね。なら、五年も妊娠しているのはおかしいです。お子がいるというのは偽りではないのですか?」


 そっと、音もなく霊亀は頷いた。


「やはり。なぜそんなに大きくなっているのです? 別の異変がおありなのですか?」


 瑞獣と人間の医療を知る理人に尋ねると、理人は嫌悪を露わに口を尖らせていた。


「体の作りを変えたんじゃないの? なにしろ創世の瑞獣だ。玩具を作るようなものさ。瑞獣の力を利用し、人間を辱め陥れるとは卑劣極まりない」


 理人の冷静な拒絶に、聖賢も大きく頷いた。正直、詩響も同じ気持ちだ。話をしたところで、理解できるとは思えない。


(わからないわ。鳳凰陛下は断罪を迷ってるご様子ではなかった。最初から、殿下とお二人で焼き払ってしまえばよかったのに。殿下は、お嫌だろうけれど)


 悪人のように見えても、根底には愛情のある人だ。国のためだけではない。国民一人ひとりの将来を想い、人生を充実させ、豊かにしたいと考えている。

 たとえ他国であっても、罪のない国民の生まれ育った大地を焼き払うことは、抵抗を覚えるだろう。そうでなかったら、一人で慰霊碑に祈り、涙することなどないだろう。

 鳳凰へ怒りを向けた陵漣を見上げると、ぎりぎりと唇を噛んでいた。硬く結んだ拳からは、伸びていた爪が刺さったようで、血が滴っている。

 詩響は、血を拭おうと陵漣の手を握った。するとその時、頭のてっぺんから手足の指先まで、余すところなく熱が走った。同時に、脳内に誰かの言葉が浮かんでくる。

 ――お前は選んでいる。選んだから宮廷へ来たはずだ。

 聴こえてきた言葉は、誰の声でもなかった。だが、憶えている。

 雀晦村で陵漣に『力を貸せ』と言われて、迷わず手を握った。陵漣に尽くすと言葉にした時に『選んだな』と、言われた。

 気合を入れたが故の妄想かと思ったけれど、きっと違う。


(……ああ、そうか。わかった。鳳凰陛下は守りたいんだ。霊亀ではなく、殿下を)


 ゆらりと、詩響の内の熱が凪いだ。

 鳳凰は自らの役目に忠実で迷わなくても、陵漣は迷い苦しむだろう。顔には出さず、何事もないかのように。あくどい言葉で誤魔化してしまう。


(殿下はお優しいかただわ。下劣と罵っても、霊亀を屠ればお心を痛める。それも、一人で、ひっそりと)


 迷い込んで、見てしまった慰霊碑を思いだす。

 泣いて祈りを捧げていた碑は、鳳凰の殺したすべての者の碑だと言っていた。陵漣の言葉を鳳凰が聞いていないわけがない。


(鳳凰陛下は、霊亀のしたことを知っておられた。知っていて、殿下に同行する者を選定した。妖鬼調査なんていう名目に時間をかけて、私を試したのはきっと――)


 詩響は、鳳凰の考えていることがわかった。役目は、非常に単純だった。

 とんっと一歩、足を進めた。不思議なくらい足取りは軽い。重いのは、身体の中を駆けまわる鳳凰の炎だ。

 詩響は陵漣を通り過ぎ、霊亀の眼前に掌をかざす。


「鳳凰天子の手を煩わせるまでもない。あなたは私の手で屠りましょう」


 なにもしていないのに、掌から火花が散った。陵漣の放つ火花によく似ている。

 霊亀はようやく顔をあげる。唇は震え怯えているけれど、鳳凰の火花は静まらない。

 只人に断罪されることを恥じるのは、もう遅かった。

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