第六章 霊亀討伐(8)


 天祥宮の中は、外から見るよりも、さらに凄惨だった。

 竜巻が暴れたかに思える崩れかたで、壁も床もえぐれている。家具は一つも原形をとどめておらず、なにを目的とした部屋だったかもわからない。

 階段はなにかに押しつぶされたのか、穴になっている。上へ行くことはできなそうだ。


(ここも水圧で崩れたのかしら。水を司る霊亀の国が、よもや水害で滅びるなんて……)


 滅びたと断言していいかわからないが、人の気配はまったくない。ここまでに見た人間は、遺体だけだ。

 誰も言葉を発することはなく歩いていると、一枚の絵が目に入った。

 絵には陵漣と同じくらいの年齢に見える男性と、男性によく似た顔立ちの美しい少女が並んで座る姿が描かれている。少女は詩響よりも少しばかり幼く見える。

 だが、妙だった。あたりは廃墟同然なのに、絵だけが美しく保たれている。


「殿下。なんでしょうか、あの絵は。どうしてあれだけ綺麗なままなのかしら……」

「あの男が霊亀の天子だ。霊亀国皇帝、聖護せいご子玄しげん。懐かしいな」

「お知り合いなんですか? 同じくらいのお年のようですけど、ご友人でしょうか」

「数回、会っただけだがな。一緒に描いてあるのは、娘で第一皇女の月瑤げつようだ。上に皇子が三人いたが、絵は残ってないようだな」

「月瑤さまは、お父君に似ていらっしゃったんですね。お幸せそうな笑顔……」


 愛情に満ちた親子の絵を見て、ふと父を思い出した。死に別れた頃は幼かったので、記憶は朧気になっている。生きていたら、こんな風に並ぶこともあっただろう。

 それなのに、霊亀国は滅びようとしている。幸せな日々を送っていたはずなのに、一体なにがおきたのか。

 陵漣は祈るように目を閉じた。少しだけ足を止めていたけれど、すぐに歩き始める。

 だが、崩れているばかりで変化はなく、変化が訪れるとも思えなかった。

 するとその時、陵漣はぴたりと脚を止めた。いきなりのことで、詩響はどんっと陵漣にぶつかってしまう。


「わっ。す、すみません。どうしたんで――ひっ!」


 陵漣の背から前を覗くと、ごろごろと、大きな塊がいくつも転がっていた。

 塊がなんなのか、一目でわかった。大きな枯れ木のように見える塊は、霊亀国の服を着ている。地理と誇りにまみれたそれは、人間の骨格と同じ形をしていた。

 枯れ木に見えたそれは、遺体だった。遺体が乾いて、枯れ木のようになっている。


「なん、ですか、これ……干上がったみたいな……」

「水分を抜き取られたんだな。荒地のほうはまだ水気もあるが、ここは砂漠のようだ」

「……まさか、霊亀がやったのですか?」

「だろうな。人間が干物になる自然現象などない。創世の瑞獣が聞いてあきれる」


 瑞獣に殺されることがあるなんて、考えたこともなかった。

 ――帰りたい。鳳凰国へ、今すぐ帰りたい。

 暗がりは黄泉への入り口のように思えて、詩響は一歩も進めなくなってしまう。詩響以外もそうだろう。廉心も朱殷も、理人も青い顔をしている。

 静まり返り動けなくなっていると、どこからか、こつん、こつん、と足音が聞こえた。


「……そこにいるのは誰だ。誰も宮殿へ入るなと言ったはずだ」


 突然聴こえた男の声に、全員がびくりと震えた。

 朱殷は剣の柄を握り、廉心は詩響を抱き寄せる。詩響たちの緊張を他所に、こつこつと足音は近づいてくる。

 そして、足音のする方向を見つめると、ぬるりと男が姿を見せた。

 男はぼろぼろの服を着ていた。枯れ木とまではいわないが、げっそりと痩せほそり、生きる意欲など枯渇してしまったような体だ。顔は土気色で、歩くのもやっとなようだ。

 廉心と同じ年頃に見える気はするが、あまりにも生気がなくてわからない。

 朱殷は剣を抜いて構え、廉心は詩響を背に隠した。理人も詩響たちの後ろにさがったけれど、陵漣だけは前に出た。陵漣は驚いたように目を見開いている。


「お前、聖賢せいけんだな。第三皇子の聖賢だろう。俺を覚えているか。鳳凰国の陵漣だ。子玄の生誕祭で一度会ったことがある。お前が十一か二の頃だ」


 聖賢は後ずさり目を丸くした。すがるように手を伸ばし、肉の衰えた足でよろよろと陵漣に歩み寄る。


「鳳凰天子殿下……ああ、では……鳳凰陛下が……」


 床に膝をつき、聖賢は平伏した。他国の瑞獣へ縋る姿は、とても皇族とは思えない。


「よせ。お前が敬うべきは霊亀。他国の瑞獣に伏すのは礼儀に反する」

「敬えない奴に示す礼儀はない! 霊亀はもはや瑞獣ではなくなった! 奴は妖鬼だ!」


 聖賢は血を吐きそうなほどに叫んだ。今の今まで砂になりそうだったのに、突如、生気を爆発させた。勢いは陵漣をも驚かせ、陵漣はそっと聖賢の背を撫でた。

 詩響は廉心と目を見合わせたけれど、廉心も困ったような顔をしている。理人は聖賢から目を背け、悔しそうに唇を噛んでいた。

 けれど一人、飄々と朱殷は肩をすくめた。聖賢の荒ぶる姿に、首を傾げる。


「生きてる民もいるだろう。皇族なら、霊亀を支え、復興を考えるべきじゃないのか」


 朱殷が当然の疑問をけろりと言うと、聖賢に睨みつけられた。朱殷は不愉快に思ったのか、むっとした表情になる。

 詩響ははらはらしたが、陵漣が朱殷を制してさがらせた。


「よせ、朱殷。支えられない事情があるんだ。同じ瑞獣でも、霊亀と鳳凰陛下は違う」

「違うどころではない! あんな下劣な奴、鳳凰陛下と名を並べることは許されない!」

「下劣って、お前、それはちょっと……」


 これほど強く瑞獣を罵倒する人間を、詩響は初めて見た。雀晦村でも鳳凰を悪しざまに言う者はいたが、下劣などという罵倒はなかった。

 口を挟める雰囲気ではなくて、詩響は、聖賢が陵漣に縋る様子を見守るしかできない。


「殿下。霊亀を屠ってください。霊亀国は滅んだけれど、腐っても瑞獣の大陸。瑞獣に幕引きをいただかなければ、海の藻屑になることもできないのです!」


 聖賢は滅亡を求める言葉を叫び続けた。霊亀は民を救うために、危険を承知で鳳凰国へ逃がしていたと思っていた。だが聖賢の言葉は、すべての元凶は霊亀だと聴こえる。


(殿下は、原因は聖護さまだけれど、聖護さまのせいではないと言ってたわ。霊亀が聖護さまへなにかしたの? 聖賢さまが下劣と思うほどのことを?)


 ちらりと陵漣を見ると、陵漣は悲しそうな顔をしていた。同じ瑞獣を宿す立場にいて、聖賢の言葉は聞くに堪えないのかもしれない。

 それでも陵漣は聖賢を咎めず、ゆっくりと手を引いて立ち上がらせた。


「まずは様子を見てからだ。霊亀のもとへ案内してくれ。お前の身は俺が守ろう」

「……有難うございます」 


 聖賢は俯いたままだった。いざ悪鬼討伐へ行かん、とはならないようだ。

 足取りは重く、一歩がなかなか進まない。進むほど聖賢の顔色は悪くなり、ついには震えて動けなくなってしまった。動けなくなったところで、聖賢はゆっくり顔をあげる。

 聖賢の見た物は扉だった。古びて埃がこびりついているが、彫られた模様は繊細で、もとは豪華だったことがうかがえる。


「ここです。玉座のあった場所で、霊亀は何年もこもっています」

「ふうん。たしかにこれは――」


 陵漣は扉へ手を伸ばした。けれど手は扉に触れることはできず、ばちっと強い静電気がはじけた。


「殿下!」


 詩響は咄嗟に陵漣の傍へ駆け寄り、静電気の走った手を握る。怪我はないようで、ほっと胸をなでおろした。


「霊亀の結界だ。霊亀は世界最強の硬度を誇る。人間では手出しできないな。全員さがれ」


 陵漣は詩響の肩を押し、一歩さがった詩響を朱殷が受け止める。その場の全員が距離を取ったことを確認すると、陵漣はすうっと息を吸い声を張り上げた。


「我は鳳凰が天子! 今ならば救済に手を尽くす! 開錠せよ!」


 荒れ果てた宮殿に、陵漣の切り付けるような声が響き渡る。けれど応答する音はない。

 少し待ってみたけれど、やはり扉の開く気配はなかった。


「最後通告だ! 開錠せねば瑞獣の資格なしと判断し、宮廷ごと焼き払う! 問答無用で滅びたくなければ開錠せよ!」


 ちりっと火花の散る音がした。沈黙していた真っ暗な宮殿内に、ちかちかと光が降る。


(鳳凰陛下の火だ。本当に焼き払うおつもりなんだわ……)


 水気のない場所で火がついたら、焦土と化すのも速いだろう。霊亀に国を守る気がないのなら、輪をかけて速いかもしれない。

 対話に応じてほしいと願うと、ぎい、と玉座への扉が開かれた。開いたと言っても、とてもゆっくりとわずかな隙間だけだった。歓迎されていないことがよくわかる。

 陵漣も感じ取ったのだろう。ちっ、と舌打ちをして、扉を蹴り飛ばし全開にした。

 こんな時でも陵漣らしい振る舞いは、詩響の気持ちを落ち着かせてくれる。

 どかどかと部屋へ入る陵漣に続いて全員が入ると、室内もひどい状態だった。壁は崩れ窓も割れ、残っているのは塵と埃だけだ。

 今にも崩れそうな内装に目を細めたが、たった一人、生きているものがあった。

 玉座に誰かが座っている。座っているのは女性だった。小柄だが枯れ木のような肉体ではなく、丸みのある健康的な体だ。


「殿下! あそこ! 女の人です! まだ生きてる人がいたんですよ!」


 ようやく出会った聖賢以外の人間に喜び、駆け寄ろうと思ったけれど、ぐっと腕を掴まれた。掴んできたのは、聖賢だ。


「いけません! 絶対に近づかないで! 女性はとくに、絶対にいけません!」

「でも、あの人を助けないと。こんな場所では、生活もできないでしょう」

「違います! あれは民ではありません! あれは……!」


 聖賢は震えていた。詩響の腕を抱くように引いて、なんとか部屋を出ようとしているように見える。


(なにに怯えているの? 民じゃないなら一体なんだというの?)


 詩響は玉座に座る女性をじっと見つめた。見ると、違和感を覚えた。

 女性は、滅びゆく国とは思えないほど美しい身なりをしている。耳飾りに首飾り、指輪。艶のある髪に、傷一つない肌は真珠のようだ。

 崩壊した宮殿で整った身なりをすることは妙だったが、詩響は女性に見覚えがあった。

 女性は、埃ばかりの宮殿で唯一美しさを保っていた皇女、月瑤だった。


「皇女殿下ではありませんか! 聖賢さま! 皇女殿下です! ご無事だったんですよ!」

「違う! 違うんだ! あれはもう、妹ではない!」

「聖賢。大丈夫だ、わかっている。詩響、さがっていろ」


 陵漣は腰に下げていた刀を抜き、迷いのない足取りで玉座へ向かう。

 今まで、陵漣が剣を抜き振るう姿は見たことがない。皇太子であり天子でもある陵漣が、自ら武器を持って立つことなど、まずない。

 ――今からおきるのは、国をゆるがすほどのことだ。

 陵漣は玉座の前に立ち、剣先を月瑤と思われる女性に向けた。だが、陵漣の読んだ名は月瑤ではなかった。

「我は鳳凰が天子、嚆至陵漣。お前の命をもらいにきたぞ、瑞獣霊亀」

 月瑤の顔をしたそれは、ゆらりと顔をあげた。見えた顔は、闇夜を照らす月のように美しい。滅びゆく国の玉座にいるそれは、腹が立つほどに美しかった。

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