第六章 霊亀討伐(4)

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 あまりにも恐ろしくて、なにを質問すればいいのか、詩響にはわからなかった。

 瑞獣を相手取り、屠るだの滅びるだの、信じられることではない。創世の瑞獣が滅びるなんて、もう、霊亀国は大陸ごと沈むしかないだろう。

 霊亀国なんて、詩響はまったく知らない。興味を持ったことすらもない。親族や友人のいる国でもない。鳳凰国の民である以上、霊亀の生死は詩響に関係ない。

 もしなにかしら問題があるとしても、鳳凰陛下のなさることなら、民は守られる。

 それでも怖い。見知らぬ国が海の藻屑となる光景を想像してしまった。

 ――世界の一角を消失させる一行に加わるのは、とても怖い。

 真っ白になった頭ではろくに考え事もできなかった。だが、言葉を失った詩響とは逆に、廉心と朱殷は表情ひとつ変えていない。

 朱殷は腕を組んで地図を見て、こんっと霊亀国の大陸を小突いた。


「滅びゆくというのは、死を目前にしているのですか? 瑞獣は死ぬんですか?」

「普通なら死なないよ。でも、生かしてはおけない事情が出てきてしまったんだ。理由を見せてあげるよから、ついておいで。廉心、そこの長袍を持ってきておいて」


 おいでと言われても、鉛のように重くなった体は動いてくれない。霊亀を屠る理由なんて、知りたくない。目を背けたかったけれど、背けることはできなかった。

 廉心は詩響と朱殷を率いるように前に立ち、迷いのない足取りで理人について行く。

 朱殷の言っていた、手柄を立てて将来安泰――という言葉が頭に浮かんだ。

 手柄は魅力だ。廉心の踏み出した理由が手柄なのかはわからないけれど、廉心が進むのなら一緒に行くだけだ。詩響は決意して廉心の背を追った。

 理人と廉心の向かった先は、勝手知ったる、妖鬼のいる地下だった。理人は懐から鍵を取り出すと開錠し、とんとんっと軽やかに降りて行く。


(慣れていらっしゃる。よく出入りなさってるんだわ……)


 ようやく慣れた妖鬼の元へ、当然のように案内されるのは少しだけ口惜しかった。

 妖鬼の檻に到着すると、理人は腰から下げている拳くらいの荷包から、小さな瓶を取り出す。瓶は鳳凰が描かれている陶器製だった。詩響も一度、雀晦村で見た小瓶だ。

 理人は小瓶から黒い丸薬を取り出し、一粒だけ掌に乗せると、詩響の前に差し出した。


「これ、なんだか覚えてる?」

「殿下の解熱に使った薬ですよね。鳳凰陛下にお力を借りたあと、発熱なさった時の」

「そうそう。それを踏まえて、見ててね」


 理人は丸薬を握り、恐れず妖鬼へ近づいた。妖鬼はぎゃあぎゃあと叫んだ。だが叫び声は詩響に違和感を覚えさせた。


(音が明るいわ。今までより音程が高いし拍も速い。節奏なんて、とても軽やかだわ。これは……犬が肉をもらって喜ぶ時と、同じような変化……)


 喜んでいる。妖鬼は明らかに喜んでいた。手足は理人を急かすように前後に動かしている。まるで、待っていたかのように見える。

 理人は丸薬を妖鬼に渡すと、妖鬼は勢いよく口に放り込んだ。がりがりと激しく音を立てて飲み込むと、ぎゃあぎゃあと叫びながら身体を丸くした。

 うずくまっているように見えて、心配に思い近づくと、妖鬼は異変を来していた。

 妖鬼のどろどろに黒ずんでいた皮膚が、ぼろぼろと剥がれていく。剥がれた下から現れたのは、人間と同じ肌だった。

 頭から顔、首、体、手足――全身の黒ずんだ皮膚が落ちる。すべて落ち切った時、妖鬼は倒れた。妖鬼と名付けられていた生き物は、人間の青年になっていた。

 青年は、痩せ細った手で懸命に身体を支え、震える手をぐぐっと理人に伸ばす。


「薬師寺の、ご当主……」


 絞り出すように一言だけこぼすと、青年はばたりと倒れた。

 一瞬前まで妖鬼だった青年の言葉は、たしかに人間だった。


「妖鬼が……人間になった……」

「少し違うね。人間に『なった』んじゃない。人間に『戻った』んだ。君だって、気づいてたんじゃないの?」

「……そうかもしれない、とは」


 倒れた青年は、妖鬼だった時に人間の言語を理解していた。ならば妖鬼は、人間と同じ種族だ。そして、同じ種族だった。

 愕然と立ち尽くしていると、廉心は持って来た長袍を青年に掛けた。当然のように動くあたり、知っていたのだろう。おそらく、訛りと比較をしろと言われた時から。

 理人は、どかっと椅子に座った。丸薬を毬のように掌で弄び、ふふんと笑う。


「彼、雀晦村とは違う音を繰り返してたんだってね。それはきっと、僕を呼んでるんだ。僕はここで何人も人間に戻した。自分も人間に戻せって言ってたんだよ」


 確証はないけれど、繰り返された言葉が『薬師寺』であることは納得がいった。 


(音の数が『鳳凰』と『薬師寺』は同じだわ。でも音程も音階も違う。だから共通語と訛りのようだと思ってしまった)


 まったく違うけれど、一人を求めていた。ようやく判明しすっきりしたけれど、同時に苦しくも感じる。詩響たちの思い込みで解析は長引き、痩せ細った青年を長く苦しめた。

 詩響は妖鬼だった青年の傍に膝をつき、人間に戻った青年の手を握りしめた。


「遅くなって、ごめんなさい……」


 青年は常に叫んでいた。痛烈な叫びは、薬師寺の者を求める、切なる願いだった。

 気付けなかったことを悔やんでいると、理人が軽く笑う。


「ははっ。君の謝ることじゃないよ。戻せるのに戻してなかったのは、僕と殿下だし」

「……どういうことですか。なぜ、なんのために、そんな苦行を強いたのですか!」

「医療研究だよ。もちろん、陵漣のためにね。だって、天子と妖鬼は同じなんだから」


 理人は丸薬を摘まみ、自分の目の前でくるくると回して遊んだ。笑って言った言葉の意味がわからず、詩響は首を傾げた。


「同じでは、ないでしょう。殿下は人間です。鳳凰陛下のお力を拝借した時も人間でした」

「見た目じゃなくて中身の話。瑞獣は人間じゃないけど、宿主は人間だ。体調不良は人間の医療で処置をできるんだよ。不良の原因が瑞獣でもね」


 理人は丸薬を小瓶に戻すと、机に肘をついた。


「僕の薬師寺家は、家名のとおり薬師の一族だ。主な研究は、瑞獣と人体の繋がりについて。人間に戻す丸薬は薬師寺の秘伝さ。瑞獣霊亀の力を押さえる効能を持っているんだ」

「はあ。そんなことが可能なのですね……」

「そ。じゃあここで問題。なぜ僕は実演して見せたのでしょーか」

「え? なぜ?」

「なぜ。ここになにしに来たか、もう忘れたの? 彼を人間に戻すためじゃないよ」

「……あ、霊亀を屠る理由がなんなのか、ですよね。ええと……」


 妖鬼が人間に戻った衝撃で、当初の目的が頭から飛んで行ってしまっていた。指摘を受けて、詩響は慌てて考える。


(なにかしら。今わかったのは、妖鬼は人間で、天子と妖鬼の中身は同じってことよね。同じってどういう意味なんだろう)


 理人は外見ではなく中身だと言った。

 天子は瑞獣の力を身に宿す。陵漣は鳳凰の影響で発熱したが、理人の丸薬で回復した。

 今、目の前で起きたことは、そっくりな出来事だ。妖鬼は同じ丸薬で人間に戻った。丸薬は、瑞獣の力を押さえる。

 いくつかの情報が繋がり、詩響は高揚し、思わず声を大きく叫んだ。


「妖鬼の力は瑞獣の力ですね! 瑞獣の力による体調不良が、発熱ではなく異形へ化すことだった。天子ではない只人は、体が耐えられなかったんだわ!」

「正解。天子に選ばれる理由は、人間性や考え方を認められたからだ。天子に選ばれたあと、瑞獣を身に宿せるよう、瑞獣が特別な作用を施して『特別な肉体』になる。では次の問題。なぜこれが霊亀を屠る理由になるのでしょーか」


 理人は、これ、と言いながら人間に戻った青年を見た。経過や目的はどうあれ、彼としては救われた状況だ。

 けれど陵漣と理人は、治療のために部屋を用意することはしなかった。それどころか檻に入れた。檻に入れられるのは罪人か、もしくは敵国の捕虜くらいだ。


(そうだ! 彼らは無断で上陸し、鳳凰国の民を傷つけた! これは明確に――)


 鳳凰が天子を動かし、自ら立ち上がった。すなわち、瑞獣の力で国を守らなければならない状況になっているということだ。


「瑞獣霊亀は、敵意を持って侵略してきてる……!」

「そういうこと。霊亀は妖鬼という兵隊を侵入させた。なら、許してはおけないね」

「ですが、なぜ霊亀は侵略を? 民を妖鬼に変えてまで攻め入るなんて……」

「それが今回問題になってる、霊亀の『わけ』だね。加えて、鳳凰陛下が天子を危険にさらしてまで赴かなくてはいけない。ここまで言えば、廉心はわかったかな」


 話題を振られた廉心を見ると、廉心はわずかに俯いた。気分の良い話ではなさそうだ。


「廉心には鳳凰国の歴史を教えたところなんだ。さ、おさらいだ。説明しておあげ」

「わかりました」


 どうして廉心が説明できるのか、詩響にはわからなかった。けれど、廉心の目に焦りも苦しみもない。初めて見る曇のない顔つきは、とても心強かった。

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