第六章 霊亀討伐(2)

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 意味不明な言葉に弄ばれ、詩響は一つの結論に達した。


(あ、冗談か。信じた私をからかうつもりなんだわ。その手に乗るもんですか)


 ぶつけられたありえない言葉に動揺したが、詩響は思い直して笑った。


「殿下! 冗談はほどほどに! 騙すなら、もっと現実的な嘘にしないと」


 詩響は、ふふんっと自信いっぱいの笑みで返した。そんなに馬鹿じゃないぞ、といってやったつもりだが、陵漣は今までで一番、真剣な表情をしている。


「冗談じゃない。鳳凰陛下はお前を選んだ。お前が霊亀と話をするんだ」

「だから、そういう冗談は良くないですよ。鳳凰陛下だってお怒りになられます」

「鳳凰陛下のご決断だ。ご自身で笑うわけがない。笑ってるお前こそ、お叱りを受けるぞ」


 陵漣はぎろりと睨んできた。いい加減にしろ、とでも言いたげだ。


「……本当、なのですか? 冗談ではなく? 冗談なら、もうおやめください」

「冗談じゃないと言ってるだろう。俺も初めは冗談かと思ったが、本気のようだ」

「冗談じゃ……ない……?」


 とても信じられず、そろりと朱殷を見ると、目を大きく見開いて首を左右に振っている。真に受けるなと言っているのか、嘘じゃない、と言っているのかわからない。

 混乱を極めて、詩響は意味もなく小声になった。


「失礼を承知で申し上げますが……鳳凰陛下、お気は確かで……?」

「無礼とわかっているなら言うな。この無礼者」

「だって、おかしいじゃないですか! 代表は殿下でしょう。仮に、国民をお取立てくださる目的だとしても、適任は廉心です。私なんて、宮女ですらないのに」

「職業なんて関係ない。お前には、お前にしかできないことがあるだろう」


 陵漣は自信ありげな笑みを浮かべ、ぴんっと詩響の額をはじいた。

 あくどいけれど、笑えない嘘でからかい辱める人ではない。では、陵漣の言葉をそのまま信じるとすれば、詩響にできることは一つしかない。


「……異種族言語の歌?」


 もともと、妖鬼と対話を試みるために連れて来られた。これしかない。

 恐る恐る陵漣を見ると、少しだけ眉間に皺を寄せていて苦しそうだった。けれど口元は微笑んでいて、嬉しそうにも見える。


「これまでの調査、実によくやってくれた。鳳凰陛下はお前をお認めになられた」


 表情からは陵漣の意図がつかめなかった。そして、言葉の意味もわからなかった。

 認めたとは、なんだろうか。妖鬼の調査を経て、認めるにいたったのだろうか。

 少し考えると、詩響はようやく気がついた。


「妖鬼の正体も、霊亀侵略も知ったうえで調査させたのは、私を試していたのですか!?」

「そうだ。鳳凰陛下は、異種族と想いを通わせるお前の心を求めておられる」

「私の心?」


 抽象的な言葉の意味するところは、やはり、よくわからなかった。ひたすら混乱していると、ぶわっと、凄まじい熱気に襲われた。


「きゃっ!」


 突然の熱波に、詩響の体は堪えきれず転んだ。足は床から離れ、背を床に打ち付けそうになる。確実に転んだ。転んだけれど、不思議と背中は痛くなかった。

 詩響の体は、なにか柔らかい物に落ちたようだった。ふわりと体が揺れる。

 転んだ衝撃に備えて目を瞑っていたけれど、やってこない衝撃を確かめるため、そっと目を開ける。

 すると、詩響の体は浮いていた。身体を打たずにすんだのは、物理的に乗ることのできない物に乗っているからだった。

 自分の尻に敷いている物を見て、詩響の全身に電流が走る。


「鳳凰陛下!?」


 詩響を乗せているのは、炎の鳥だった。この世界に、炎を放つ鳥は鳳凰しかいない。

 大気の熱ではない熱さと恐れ多い状況に、詩響の全身から汗が噴き出た。

 この世でもっとも尊い存在に座るなど、とても許されることではない。慌てて降りようとするけれど、詩響が自分で降りる必要はなかった。

 詩響を燃やさない炎は、くるくると詩響の体に巻きついていく。炎に支えられ降り立つと、炎を放っていた鳥は詩響の胸から体内へと消えていった。


「え!? なに、なん、なんですか!? 殿下! いったいどういうことですか!」

「鳳凰陛下の加護だ。鳳凰陛下の力の一滴が宿った。もう引くことは許されんぞ」

「鳳凰陛下のお力が……私に……?」 


 瑞獣の力を身に宿せるのは天子だけだ。だから天子は特別な存在となる。

 現鳳凰天子は陵漣だけだ。替えのきかない陵漣と、小さくとも同じ力を授けられた。

 ふいに雀晦村の景色を思い出した。宮廷や発展した街に比べれば寂れた場所だ。潮風で、あらゆる物が傷む。詩響の髪も肌も、翠蘭と並べば恥るところばかりだった。

 詩響に特別な力はない。絶対音感なんて、特異に思われたけれど、妖鬼言語の解析には必要のないものだった。妖鬼の調査なんて、いうほどのことはしていない。

 活躍したのは廉心の頭脳と、朱殷の戦闘技術だ。詩響は守られていただけ。

 ――それでも、鳳凰に選ばれた。

 詩響の体は震えた。陵漣に出会ってから、震えることばかりだ。恐ろしさや喜びなど理由はいろいろだけれど、今は、経験したすべての感情が入り混じっていた。


(自信はない。犬の言語を解析したのは廉心だ。人語を介せない以上、本当に意味が通じてると立証はできない。私たちの思い込みかもしれない。でも……)


 陵漣を見ると、笑っていた。苦しそうでもあり、喜びもあり、悔しそうにも見える。天子に選ばれるほどの人物でも、詩響と同じように混乱しているのだろうか。

 陵漣は、すっと手を伸ばしてきた。握手を求めるように手を開いている。

 嬉しかった。なにもできなかった自分に役目を与えてもらえたことは嬉しかった。


「やります! やってみせます!」


 詩響は陵漣の手を握り返した。このために宮廷まで来たんだと、確信できる。

 喜びに満ちた詩響だったが、突然、握ってくれる陵漣の手の力が強くなった。陵漣は、にやぁ、と悪人としか思えない、あくどい笑いをする。


「良い気概だ。俺の手足として働いてもらうから、覚悟しろよ」

「……はい……」


 できれば、感動したまま終わらせてほしかった。

 いつも通りの陵漣に安心したような、がっかりしたような、複雑な気持ちになる。

 陵漣は、あくどい笑顔だった。あくどいくせに笑顔が美しくて、なんだか悔しかった。

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