第五章 妖鬼の言語(2)

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 妖鬼の檻へ行く道を憶えてくれていた朱殷について行き、詩響は妖鬼に向き合った。

 詩響も以前よりは妖鬼になれ、妖鬼も心なしか大人しくなったように感じられる。

 朱殷の提案してくれたとおり、これまで書き取った単語を歌ってみる。けれど、思っていたような成果は得られなかった。


「駄目ね。何度歌っても、帰ってくる言葉は同じだわ。付属する音は少し増えたけど、基本的には『鳳凰陛下』と思われる音だけ」

「なら、考える対象を変えてみるか? 俺、これ気になってるんだよな」


 朱殷は腰に巻いていた、掌と同じくらいの大きさがある長方形の荷包を開ける。中から取り出されたのは、四つ折りにされた数枚の紙だった。詩響は紙を受け取り広げ、紙に書いてある文字に首を傾げた。


「私の書いた訛りの譜面だわ。譜面がどうしたの?」

「それ、殿下が廉心に比較しろって渡した紙だよ。殿下は妖鬼の鳴き声と、村の訛りを比較させたんだ」

「へ? まったく関係ないと思うんだけど。なんで訛りと比較なの?」

「さあな。でも、訛りの譜面を作った時、変だと思った。訛りを知るというより、なにか調べてるように感じたよ。翠蘭さまは、訛りよりも、南の話に興味を持ってたろ」

「それは私も感じたわ。訛りの譜面なんて、私たちにやらせて待ってればいいのに、って」

「だよな。長老さまも怒ってたよ。馬鹿にするために呼んだんだって。けど、殿下は馬鹿にする理由ないだろ。自治を取り上げるって言ってた。即断行すればいい」

「そうね。せっかく馬鹿にしても、苦しむ姿を目の前で見なければ意味がないわ」

「いや、そういうことじゃなくてだな……」


 詩響は力いっぱい頷いたけれど、朱殷は肩透かしを食らったように、がくりと崩れた。

 朱殷は、気を取り直して、というふうに姿勢を正し、訛りの書いてある紙を突いた。


「だから、訛りに秘密があるんじゃないかって話。とりあえず、訛りを歌ってみれば?」

「訛りは歌う必要ないわよ。人間の言葉なんだから、そのまま言えばいいだけだわ。『普段はどこらへんで過ごしてはるん?』」


 詩響は、軽い気持ちで読み上げた。意味があるとは思えなかったけれど、妖鬼は鉄格子に飛びつき、がちゃん、と大きな音を立てた。


「きゃっ!」


 妖鬼の素早い動きに、詩響は驚いて腰を抜かした。朱殷は詩響を守るように、剣を構えて立ちはだかる。

 けれど、妖鬼は檻から出られない。がちゃがちゃと鉄格子を揺らすだけだ。だが、これほどの反応を見せたのは初めてのことだった。


「……え? なに? すごい反応してるけど、なんで?」

「やっぱり訛りになにかあるんだよ。次も読んでみろよ。『今住んでるとこって、もともと地元なん?』」


 朱殷は剣を鞘に納め、声に出して読んだ。すると、妖鬼はぎゃあぎゃあと破裂しそうな声で叫んだ。


「違う音だわ! 朱殷、しばらく質問を続けて! 書き留めるから!」


 まったく新しい声に、詩響は思わず立ち上がった。即座に筆を握り紙に書き留める。

 鳴き声で紙は埋め尽くされ、あっという間に五枚が音で埋め尽くされた。六枚目に突入すると、同じ音の繰り返しになり、詩響はここで終わりにした。

 意思疎通をできたわけではないけれど、新しい情報を得られたことに頬は緩む。


「すごい。いろいろ話してくれてるわ。外で動かせられたら、意味もわかるんだろうけど」

「話し手は詩響じゃなくてもいいみたいだな。まさか、村の訛りが妖鬼言語に近いのか?」

「違うでしょ。人語を使うなら今までも反応したはずよ。私たちは共通語だけど、喋ってたじゃない。訛りといっても共通語とさして違いはないわ」

「反応は最初からしてたろ。俺たちが来るたびに叫んでた。でも俺たちは取り合わなかったから、俺たちを『言葉の通じない相手』だと判断して、諦めたのかもしれない」

「取り合ってたわよ。ずっと歌で話しかけて――……そっか。歌詞のない旋律じゃ、わからなかったんだ。人間の言葉を使う生き物なら、旋律は言語にならない」

「きっとそうだ。訛りに反応したのは、同じ言語で会話をできる人間が来た、と思ったんだよ。『一番好きやった場所ってどこなん?』」


 朱殷は檻の傍へ膝を付き、今までにないほど、妖鬼と真っすぐ向き合って語りかけた。

 思い返せば、目を見て話そうと思ったことはなかった。怖いからと目をそらし、天井を見て歌うだけじゃ、対話が成立しなくて当然だ。


(想いを通わせるには、言葉じゃなくて、命そのものに向き合わなければいけないんだ)


 異形でも同じ生き物だと言ったのは詩響だ。自分の浅慮と無責任さを思い知る。

 今からでも信頼を得ようと、詩響も朱殷に並んで膝を付いた。共通語で育ったけれど、訛りを聞いて育ってもいる。正しくなくても、多少は伝わるはずだ。

 対話ができるかどうか、詩響は大きく深呼吸をし、訛りで話しかけることにした。


「考えが足らんでかんにんえ。あんたの言葉は、うちらには言語になってへんの。理解できるように調べるさかい、なるたけ動いて。体で表現してくれたら、意味を調べやすいわ」


 ぎゃあ、と妖鬼は短く叫んだ。座り込む体は小さく震えている。嬉しいのだろうか。


「あんたの目的は? なにをするために、宮廷近うまで来たん?」


 今度は長く、ぎゃあぎゃあ、と語った。詩響は一つずつ書き取り、どんな動きをしているかも書き留めていく。今までにはない音を、とても長く、たくさん教えてくれた。

 けれど意味を察することはできず、固有名詞の把握から始めた。紙を見せたり火を指さしたり、指定した物の名称を答えてもらう。しばらく続け、室内の固有名詞を書き終える。


「固有名詞は共通語と同じだわ! 音の数も、音階も。やっぱり人間と同じ言語なのよ!」


 詩響は達成感に酔いしれた。けれど、朱殷は眉間に皺をよせて考え込んでいる。


「……なあ。雀晦村の訛りって、どこの訛りなんだ?」

「どこ? どこって、雀晦村の訛りでしょ?」

「他にも使う集落がないかどうか、だよ。訛りは普通、広範囲の地域で使われる。でも雀晦村の近くですら共通語だ。なら、もっと他の土地の訛りなのかもしれない」

「そう言われると、そうね。けど雀晦村の周りは海だわ。他の土地なんて――……」


 雀晦村の周り、と言って、はたと詩響は思いだした。


「翠蘭さまは南を気にしてたわよね。雀晦村は鳳凰国の最南端よ。さらに南――海の向こうにも国はあるわ」 


 世界には、大きく四つの国がある。北東の鳳凰国と、鳳凰国の西に天馬国。天馬国の南にある応竜国。そして――


「鳳凰国の南は霊亀国」


 詩響が『霊亀国』と言った瞬間に、妖鬼は鉄格子に体当たりした。必死に手を伸ばす姿は、まるで助けを求めているように見える。

 あんなに恐ろしかった妖鬼なのに、詩響は躊躇わず妖鬼の手を握った。


「霊亀ね。霊亀国が気になるのね。行ったことがあるの?」

「行けないだろ。霊亀国は遠すぎて、船に積める食料じゃ、航海に必要な船員分が足りないんだ。こっちから行くには、鳳凰陛下に乗せてもらって飛行しない限り無理だ」

「……それは、瑞獣なら行き来できるってことよね。海は瑞獣霊亀の領域だわ」


 え、と朱殷は目を丸くした。詩響の言ったことは、瑞獣の定めに反するからだ。

 瑞獣が他の四霊の統べる国へ立ち入るのは侵入にあたる。

 人間は国境を定めているが、瑞獣同士にも盟約があるという。その一つが、他瑞獣の国への無断立ち入りは許さない、という盟約だ。

 だが、侵入を許さない盟約こそ、物理的に行き来できるという証明でもある。


(数名だけが着る南の服。妖鬼の理解する雀晦村の訛り。南に座する海の支配者霊亀)


 詩響は不安に駆られた。たった三つの情報だけれど、紐づいて考えられるもう一つの情報に気付いてしまった。


「長老さまたちが村に固執してのは、単に廃村が嫌なわけじゃなくて、村が霊亀の通用口だからなんじゃ……」


 詩響がこぼすと、朱殷は驚き立ち上がった。いつになく焦る表情は、瑞獣が盟約を破ることがどれほどの問題か、よくわかる。


「ありえないだろ。それでいくと、雀晦村は霊亀国の一部ってことになるんだぞ」

「そうとは限らないわ。だって、物理的に無断上陸はできるんだもの」


 しんと室内が静まり返った。音を立てるのは、霊亀に大きな反応を示した妖鬼だけだ。

 詩響はぐっと拳を握りしめた。予想したことは、あまりにも不遜なことだからだ。


「なぜ殿下が、雀晦村なんて辺鄙な土地へいらしたのか、不思議だったの。教育の視察なんて、部下にやらせればいいわ。津波の可能性がある土地へ、殿下自ら赴くのは変よ」

「まあな。殿下に万が一のことがあれば、鳳凰陛下は天子を失う。新たな適任者がいるかわからない以上、殿下には安全な場所にいてほしいはずだ」

「ええ。危険とわかっていても、鳳凰陛下が現地へ行く必要があったのよ。それって、人間ではなく、瑞獣にとって大きな問題が起きたからじゃないの?」


 ――たとえば、瑞獣霊亀が鳳凰国へ侵略しに来たとか。

 詩響は考えを口にできなかった。事実であろうがなかろうが、瑞獣を侮辱する言葉を発することなどできない。けれど朱殷も同じ考えだろう、整った顔を怒りとも困惑ともいえない感情で醜く歪めている。

 けれど、この部屋のたった一つの出入り口から、詩響の考えは音になり発せられた。


「その通りだ。妖鬼の出どころは霊亀。霊亀は鳳凰陛下の領域を侵した」


 現れたのは、鳳凰国の皇太子であり、鳳凰のたった一人の天子・陵漣だった。

 自分が巻き込まれていることの大きさに、詩響は声を出すことはできなくなった。かたかたと詩響の体は震え、脚から力が消えていく。

 それでも立っていられたのは、冷静さを取り戻していた朱殷が支えてくれていたおかげだ。 朱殷は毅然と陵漣を睨みつけている。


「最初から気付いてらしたんですね。訛りを調べたのは、確証を得るためですか」

「ああ。単体では確証には乏しいが、状況証拠が複数揃えば確証と見なす。あとは、まあ、鳳凰陛下のご意向だな。見極める時間が欲しかった」


 陵漣は妖鬼を見ていた。喜怒哀楽を感じられない陵漣の表情は、恐ろしかった。

 けれど陵漣は、怯えることすら許してくれない。詩響の腕を引っぱり抱きよせ、なぜか詩響を真っすぐに睨んだ。


「霊亀国へ行く。瑞獣霊亀を屠るぞ」

「「……は?」」


 詩響と朱殷は、同時に疑問の声をあげて棒立ちになる。

 詩響は恐ろしかった。絶対音感などと持ち上げられ、ここまで連れてこられた意味に気付くことが、とても恐ろしかった。

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