第五章 妖鬼の言語(1)
1
『いろいろ』と宣言したものの、皇太子は遠い存在だ。陵漣から会いに来てくれない限り、会うことはできなかった。
(傍にいられないから愚痴すら聞けない。愚痴をおっしゃりたいか、わからないけど……)
直接なにもできないなら、今できることを増やしたい。ならば、と気合を入れて、一番身近で相談できる相手に突撃した。
「翠蘭さま! 家事をお手伝いしたいのですが!」
詩響にできることといえば、今までやり続けてきた家事くらいのものだ。廉心のような頭脳労働はできなくても、家事なら負けない――そう思い声をあげた。
翠蘭は一瞬驚いたような顔をしたけれど、すぐに微笑んでくれる。やらせてもらえるのだと喜んだけれど、翠蘭の返答は真逆だった。
「必要ありません」
「えっ」
考える間もなく一刀両断された。
「宮廷内の家事業務は、宮女でやります。詩響は宮女の資格を持っていないので、できることはありませんね」
「資格!? じゃあ資格を取ります! どうしたら取れるんですか!?」
「取れません」
「えっ」
またも一瞬で切り捨てられた。けれど諦めず、詩響は翠蘭へ食ってかかる。
「どうしてですか! そりゃ、翠蘭さまみたいに綺麗でもないけど……」
それでも、私だって――と思ってしまう。自分は他の人よりも陵漣に近い存在だと、どこかで思ってしまっているのかもしれない。
陵漣に触れられた髪にそっと触れる。美しい赤だと言ってくれた。
真に受けてなんてないと思っていたけれど、やはり、真に受けていたのかもしれない。
情けなくて肩を落とすと、翠蘭は、慰めるように背を撫でてくれた。
「そうじゃないわ。詩響は妖鬼調査の特務を受けた身。やるべきことがあるでしょう」
「やるべきこと……」
言われて思いだした。火災を治めてすべて終わった気になっているけれど、すべての妖鬼を掃討したわけではない。
「そうだった。妖鬼言語の解析をするんでした。でも……」
それも廉心頼みで、詩響は音を書き出すだけだ。そのうえ、捕まえている妖鬼は同じことしか叫ばないから、書き出しも進まない。
詩響が、ううんと考えこむと、翠蘭は帳面を一冊渡してくれた。詩響が、妖鬼言語の書き出しに使っている帳面だ。
「手詰まりなら、理人へ相談してごらんなさい。理人も、以前から妖鬼について調べているから、助言をもらえるかもしれないわ」
「あ、そっか! 妖鬼を調べてるのは、私だけじゃないですよね! そっかそっか」
「理人の執務室の場所は――朱殷殿、わかりますね。詩響を案内してあげなさい」
「わかりました。行くか」
「うん! 有難うございます、翠蘭さま!」
新たな光明を見出して、詩響は理人の部屋へ向かった。
理人といえば、陵漣の相談役であり専属の医師だ。雑務もこなす人物と聞いている。
だが、詩響にとっては、廉心の指導をしてくれている人物としての認識が強い。おそらく、今も廉心の勉強をみてくれているはずだ。
「そういえば、廉心ってなんの勉強してるのかしら。朱殷、知ってる?」
「一般常識と国の歴史だってさ。太学へ入る以前の問題を解消しておくとか言ってたよ」
「ああ、そうよね。雀晦村と宮廷じゃ『当たり前』が違いすぎるもの」
宮廷に来てまず困ったのは、服だった。職業や地位によって形も色も異なり、髪型にも規定がある。逸脱することは良しとされない。
挨拶にも決まりがあった。共通する挨拶はあるものの、相手の地位により角度だの膝の付きかたに違いがある。
他にも、食事の作法や言葉遣いなど、ありとあらゆる指導をされた。廉心は早々に身につけていたけれど、詩響は未だに覚えきれていない。
きっと太学へ通えば規則は増え、常識や礼儀のなってないことは馬鹿にされるだろう。
(そう思うと、廉心には時間が足りないのかもしれない。妖鬼言語の解読なんて、終わったら役に立たないことを続けるのは、良くないんじゃ……)
しかも、廉心を指導する理人に質問をすれば、廉心の勉強時間は減る。廉心の足枷になってることに気付き、詩響の脚はぴたりと止まった。
「……朱殷。私やっぱり、聞くのやめる。自分でどうにかできないか、考えてみるわ」
「なんで? どうにもできないから聞きたいんだろ? なら考えても仕方ないじゃないか」
「そうなんだけど、そんなはっきり言わなくても……」
真っ直ぐな朱殷の言葉は、ぐさりと詩響を突き刺した。それでも足は進まなくて、立ち止まってしまう。後ろ向きにうじうじしていたら、どんっとなにかが突撃してきた。
「きゃあ!」
「詩響!」
突撃された衝撃で、詩響は前のめりに転びかける。朱殷が抱きとめてくれたおかげで、どこも打たずにすんだが、一人だったら顔面を床にぶつけていた。
一体なにが現れたのかと振り向くと、面白そうに笑っているのは、目的の人物だった。
「理人さま!」
「やあ。廉心が心配で来たの? 大丈夫だよ。君よりしっかりしてるから!」
どすっと詩響の頭に重りが落ちた。
(殿下はともかく、私のことを知らない人に、言われたくないんですけど)
自分の不出来は自覚しているけれど、さすがに不服だ。廉心の先生じゃなかったら、大声で言い返していただろう。
詩響の苛立ちをわかっているのか、理人はきゃらきゃらと笑い手を振っている。
「悪いけど、君と話はしないよ。殿下から、詩響が来たら追い返せって言われてるんだ」
「は!? どうしてですか!」
「そりゃ、君は廉心の独り立ちを邪魔したいんでしょ? 駄目だね、それは」
「そんなことしません! 私は――……いえ、そう、ですね……」
ついさっき気付いたばかりのことを指摘され、噛みつきたかった気持ちはしぼんだ。
やはり甘えだったんだとわかり、引き返そうとした。けれど、詩響の代わりにというかのように、朱殷が前に出てくれる。
「いじめないでくださいよ。妖鬼言語の解析に助言をいただけないかと思って来たんです」
「は~!? そんなの知らないよ! 助言できるほど僕に解析できるなら、とっくにやってるっての! できないから君らを呼んだんだ! 助言なんて僕こそほしいよ! さっさと助言できるくらいになってよね!」
「あ……はい……すみません……」
怒涛の如く攻め立てられ、詩響も朱殷も勢いに負けて引き下がった。言っていることはもっともだが、口の悪さのせいで、素直に聞き入れられないものがある。
「はい、じゃあ頑張ってね! 廉心はまだ勉強時間だから!」
理人は詩響にぐるんと背を向け、どすどすと足音を鳴らして去っていった。
翠蘭にも思ったが、あの皇太子にしてこの部下ありだ。詩響は愕然としていると、とんと朱殷に肩を叩かれる。
「試しに、違うことやってみたらどうだ? 書き出したものを歌ってみるとか。妖鬼は会話してくれたと思って、違うことを叫ぶかもしれない」
「あ、それいい! そうよね。違う言葉を引き出すことはできるんだ。うん、そうする! なんだ。最初から朱殷と二人で、地下へ行ってればよかった」
「理人さまを知れて良かったじゃないか。それに、お前じゃなきゃ駄目ってわかったろ」
朱殷は、ふわりと優しく微笑んだ。詩響に自信をつけさせるために、理人へ話を聞こうと思ってくれたのだろうか。
思いがけない励ましに、詩響は嬉しくなった。もう少し自分で頑張ろうと、息まいて妖鬼のいる地下へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます