第四章 詩響と犬の災害救助(4)
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四霊の創世した世における『皇族』は、特定の血族ではなく『天子に選ばれた者の一族』を指す。そのため、皇族は入れ替わることもある。
だが、鳳凰国は歴代鳳氏の親から子へ、天子の座は継承されている。選定基準は鳳凰にしかわからないが、おそらく血統を重んじるのだろう――と思われていた。
だが今代、天子は嚆陵漣だ。血筋は鳳氏の流れだが直系ではないため、鳳凰国の歴史上、初の皇族交代となる。
皇族交代は、政治的に多々議論する問題はあるだろうが、詩響の問題は『弟が政治に巻き込まれる』という点だ。
(禁色なんて持ったら、危険なこともあるんじゃないの? 暗殺とか偉い人の身代わりに掴まるとか、そういうの、聞いたことある……)
陵漣から禁色を与えられたら『陵漣の右腕』と周知される。受け取れば後には引けないが、受け取りを拒否などできるわけもない。
ぶわっと全身から汗が噴き出た。火災の中を駆けた時よりも、はるかに熱い。
焦りと恐れで血の気が引いて、熱いのに手足の指先まで冷えていく。かたかたと指が震えて、陵漣を見ることができない。
禁色を検討するほど目をかけてもらえるのは名誉だろう。廉心は喜ぶかもしれない。けれど詩響は怒鳴りつけてやりたくて、だが殴り飛ばす勇気もない。
びゅうと風が吹いた。吹けば涼しいはずの風は、鳳凰国では熱を移動させるだけだ。村の潮風が懐かしい。
陵漣は、まだ始まってもいない未来に震える詩響の頬を撫でた。
「悪いと思ってる。だが、優秀な者は、力づくで手に入れるしかないのが現状だ。だから俺は教育に力を入れる。誰もが自由に学び、なりたい職に就ける自由な国にしたい。廉心の向上心と努力の成果は、若者の指標となるだろう。国のために未来を強要するのは、本当に申し訳なく思うが……」
「……わかります。廉心だって、もっと早くにきちんと学んでいたら、今ごろ官吏になっていたかもしれません。他にも同じような子は、きっといるでしょう」
「その通りだ。だが、どこにどれだけの子がいるかすら、宮廷は把握していない。だから鳳凰陛下に廟を壊した土地を聞いて回った。今に不満がある者こそ、未来への足掛かりだ」
「鳳凰陛下はお心が広いと思ってましたが、国と民を想ってのことだったんですね」
「ああ。天子に選ばれたというのに、陛下のお手を煩わせてばかりだ。情けないだろう」
「そんなことはありません。実際に廉心は、殿下のおかげで未来が開けました。それに、今の不満は、これまでの宮廷の責任でしょう。殿下のせいではありません」
「国民からすれば同じさ。俺は前任から引き継いだ。引き継いだ以上、前任の成功も失敗も、すべて俺の責任だ」
陵漣は遠くを見て、ふんっと笑った。自嘲なのか、皇族やこれまでの天子を馬鹿にしているのか。それとも、詩響には想像もつかないなにかを見ているのか。
(とても重い物を背負っておられるんだわ。態度も口も悪いし、考え方はあくどいけど、いつでも真っ直ぐだった。民のためなら危険も厭わない。でも廉心は……)
陵漣が優れた皇太子であるからといって、禁色を良しとできるかは別だ。だが、廉心の未来は廉心の物であって、詩響の決めることではない。
(やることは自分で選ばなくちゃ駄目だわ。なら私は、殿下のためになにかしたい。今回みたいに、役に立てることもあるわ)
とてもおぼろげな話だ。それでも、向き合えばできることもあった。
詩響は引っ手繰るように陵漣の腕を掴んだ。
「私も頑張ります! 廉心を取り立ててくださったのは殿下です。殿下のために、私も力を尽くします!」
「……そうか。で、具体的になにを?」
「具体的?」
「廉心は実務で俺を支えてくれるだろう。役職の道筋も定めた。妖鬼を掃討したあとこそ、廉心の真価が発揮される。で、お前は?」
「えーっと~……」
ぽんぽんっと詩響の頭に『?』が飛んだ。
(具体的……絶対音感って、なにに役立つんだろう……)
気合だけで話を進めてしまっただけに、具体例を求められるとは思っていなかった。
「絶対音感は稀だが、なんの役立つんだ? 歌は歌謡団がいるから必要ないぞ。つーか俺は傍で歌を聞きたいとは思わん。で、具体的には? ん?」
ついさっきまで真面目な話をしていたのに、陵漣はにやにやと笑って楽しそうだ。
具体的、具体的……と必死に頭を巡らすけれど、なにも思いつきはしない。自分に廉心のような考える力は備わっていないことなんて、わかっている。
なら、気合で乗り切るしかない。
「いろいろ頑張ります!」
陵漣は目を細めて、じとっと詩響を睨んできた。詩響は逃げるように目を逸らす。
「……いろいろですよ。ほら、なんか、愚痴を聞いたり。憂さ晴らしにつきあったり」
さすがにこれはないな――と自分でも思った。けれど陵漣は、声をあげて笑い出した。
「お前、愚痴って! 他に自分の売りどころねえの!? あははは!」
「だって! 私も絶対音感の使いどころなんてわかりませんよ!」
「あはは! はー……おもしろい。けど、まあ、息苦しい宮廷で愚痴聞きは、意味のある仕事だよ。俺は立場上、気分で文句を言える相手は少ないしな」
陵漣は涙を流すほど笑っていた。よくよく人を馬鹿にする人だ。
当然のように詩響の口は尖って、頬もぷうっと膨らんだ。もういいと顔を背けたけれど、陵漣の腕が詩響の顔の前を通った。左肩を抱くように引き寄せられる。
「頼りにしてるよ」
顔の真横に陵漣の顔が出てきて、血液が沸騰した。陵漣に頭を撫でられると、初めて出会った時のことを思い出す。
思い返せば、初めから陵漣に振り回されっぱなしだ。あっという間に、日常は陵漣ばかりになっている。廉心と二人で生きると思っていた頃からは考えられない。
そろりと陵漣の顔を見ると、今度はあくどい笑みではなく、柔らかく微笑んでいた。
「さっさと寝ろよ」
陵漣は、ぽんっと詩響の頭を軽く叩くと、ひらひらと手を振って去って行った。
顔も体も熱い。これは鳳凰による熱ではない。感じたことのない熱さに、詩響は陵漣の背を見つめていた。
――が、気がついた。詩響は今、迷子になっている。
「殿下! 待ってください! 私も戻ります! 連れて行ってください!」
去っていく陵漣を追いかけると、陵漣はにやりと笑い、凄まじい速度で走って行った。
詩響が部屋に戻れたのは、一刻して廉心が迎えに来てくれてからだった。
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