第四章 詩響と犬の災害救助(3-1)


 詩響は、朱殷と二人で宮廷を飛び出て、犬の案内で陵漣の元へ向かった。

 鳳凰の炎で死滅したのか、妖鬼にはまったく遭遇しない。けれど、熱気で汗が止まらない。植物や木造の建物も、耐え切れず発火しているところも多かった。

 大人は高齢者や子どもの救助に走り、兵は救助を交代して宮廷へ誘導する。

 火災や崩落で、隠れた場所から逃げられない者も多いようで、あちこちで兵が水を持って走り回っていた。


(私はなんて愚かだったんだろう。住まいと美しい服、妖鬼に対抗するお役目をいただいておきながら、自分だけ安全な場所に籠るなんて……!)


 だが今更、後悔しても遅かった。怪我は治らないし、亡くなった人がいたら戻らない。

 今できるのは、身を挺して民を守った陵漣を助けることだけだ。

 先行する犬を全力で追いかけると、ひときわ大きな建物で蹲る陵漣が見えてきた。

 皇太子という高貴な身分だというのに、顔も腕も、指先まで泥まみれで、あちこちから血も出ている。水を持って走る兵より、誰よりも汚れている。

 まだ綺麗な服を着ている詩響は、とにかく陵漣の元へ走った。


「殿下! ご無事ですか!」

「詩響!? なにしに来た!」

「話はあとです! とにかく、水を飲んでください。殿下が倒れては意味がありません!」


 詩響は、水の入った竹筒を陵漣の口へ押し込んだ。陵漣は詩響の強引なやりように驚いたようだったけれど、ほっとしたのが判る。

 陵漣は、顔も髪も、頭から水を被ったように濡れていた。顔は真っ赤で、体はふらふらと揺れている。測らずとも発熱していることは明らかだった。


(宮廷へ戻って欲しいけど、民を置いて隠れる人ではないわ。なら『殿下は宮廷に戻ったほうが救助は早く終わる』と思っていただくしかない)


 詩響はあたりをぐるりと見回した。最も大きな被害は目の前の建物だ。民の誘導は兵で事足りる。被害者の捜索は犬がいれば、あっという間だ。


「殿下。捜索は犬がやってくれるので下がりましょう。彼らには彼らの方法があるから、下手に手を出さないほうが早いです」

「それは助かるが、この犬たちはどうしたんだ。宮廷の犬ではないだろう」

「宮廷の犬に頼んで、野犬を呼んでもらいました。ご褒美にお肉を用意してくださいね」

「……すまない。助かる」


 陵漣は辛そうに微笑んだ。きっと、嫌がった詩響を現場へ来させてしまったと思っているのだろう。


(謝るのは私だわ。なにかしたいと思ったくせに、できることしかやろうとしなかった)


 詩響は口惜しさと恥ずかしさで、ぐっと拳を握りしめた。

 なにをすべきで、詩響になにができるのか。廉心なら、どうするだろうか。


(廉心は災害対策をいっぱいしてたわ。備蓄はあちこちに置く。山へ入らない、火災の時は海へ逃げる。備蓄なんて今からじゃ遅い。海はないから無理だわ)


 村では避難訓練をやっていた。山も海も近いので、非難は早すぎるくらいでなくては間に合わない。けれど、詩響は避難訓練に参加する側で、指示をしたことはなかった。

 詩響は、手を引いてくれる廉心を見て、成長したな、と感慨にふけっているだけだった。そんな詩響に、今すぐできることなんて思いつくはずもない。


(駄目だ。わからない。廉心なら的確に指示を出してくれるのに……!)


 弟に頼るのもほどほどにしろ、という陵漣の言葉が突き刺さる。けれど、焦るほど考えはまとまらない。指示を貰わないと動けないー―そう思ったとき、ふと気がついた。


(……でも、指示さえあれば、行動できるってことでもある。もっと早く救助を終える方法を知ってる人に、指示を出して回ってもらえれば……)


 情けない発想だ。でも、指示を求める人のほうが圧倒的に多いだろう。人々をまとめあげ指示を出せる人が、混乱した被災地には必要だ。


(そうよ! 指示よ! 各自の得意分野で動けるよう、殿下に采配してもらう!)


 そう考えると、宮廷の中はおおいに混乱していた。人は多いのに、焦ってばらばらと動き回っていた。


(力のない宮女が水を運んでたわ。兵は武器を出してたけど、妖鬼のいない今、必要ないはず。情報伝達が正しくないんだ)


 陵漣が現場で民を守りたいと考える人なのは、助けてもらった詩響はよくわかっている。でも、災害ともいえる状況下で、陵漣のすべきは現場で瓦礫を退けることではない。


「殿下! 殿下は宮廷へ戻って指示をしてください! 兵に武器ではなく、水を運んでもらうんです。宮女には、手当と備蓄品を配布する準備を!」


 陵漣は目を丸くした。怯えて部屋に籠っていた詩響の叫びに、驚いたのだろう。

 こんなことで驚かれるようじゃ、本当に廉心のお荷物で終わってしまう。詩響は陵漣の両腕を掴み、強く叫んだ。


「救助は私たちと動物でやります。殿下は人を動かしてください!」


 詩響にできるのは、言葉の通じない動物へ協力を頼むことだけだ。けれど、陵漣にはできないことだ。そして、人を動かすのは陵漣にしかできないことだ。

 陵漣は大きく息を吸い、吐きながら力強く頷いた。


「任せた。犬には最高級の肉を用意しておこう」

「はい! お任せください!」


 詩響が力いっぱい頷くと、陵漣は肩を握ってくれた。朱殷へ目配せすると朱殷も頷き、陵漣は宮廷へ向かって走って行った。

 詩響は遠ざかる陵漣に背を向けて、すうっと息を吸う。体内に鳳凰の熱した空気が広がる。熱くて体内から沸騰しそうだ。


(殿下はいつも、この熱を抱えているのね)


 きっと、陵漣はまた倒れるだろう。ならば、目が覚めた時に救助はすべて終わっているように尽くしたい。

 詩響は歌った。犬に、可能な限り広範囲の捜索を頼んだ。猫に、埋もれた人へ水の入った竹筒を運んでもらい、救助を待つ気力を保てるよう、傍に寄り添ってもらう。

 歌い続けると、犬は手分けするように方々へ駆け出した。猫もわらわらと姿を見せて、ぴょんぴょんと軽やかに瓦礫の中へ入っていく。

 危険もあるだろうに、動物たちが助けてくれることへ感謝しながら歌った。

 すると、一匹の犬と猫がやって来て、犬は大きな瓦礫を退けようとしている。


「誰かいるのね。有難う。あとはやるから、他にも埋もれてる人がいないか、探して」


 人間の言葉は、犬に通じない。それでも犬は、たったっと瓦礫の周りを駆け回ってくれた。通じているわけではないだろう。人間ではない彼らの、人間への思いやりだ。

 発見してくれた想いを無駄にしないよう、詩響は近くにいた兵へ大きく手を振った。


「ここです! この下に人がいるんです! 瓦礫をどけてください!」


 呼びかけると、兵はすぐに来てくれた。けれど数個が重なっていて、すぐには無理なようだった。けれど小さな穴ができて、見ると、五歳くらいの少女が横たわっていた。


「大丈夫!? 意識はある!?」


 少女は詩響の声に気づいたのか、そろりと頭だけ動かして詩響を見た。目には涙が浮かび、手を伸ばそうとしている。


「動かないで! 瓦礫が崩れたらいけないから、じっとしてるのよ! 兵士さんが瓦礫を退けてくれてるわ。すぐ出られるから!」


 水を飲んで待ってて――そう言う前に、猫が飛び込んでくれた。口には竹筒を加えていて、少女の口元へ置いてくれる。

 少女は不思議そうな顔をしたけれど、恐る恐る水を飲むと笑顔を取り戻す。

 猫は往復して竹筒を五本ほど持ち込むと、少女の傍にそっと座って頬を舐める。


「わあ……かわいい……!」


 心が通じ合っているような猫を、少女は傷ついた手で抱きしめた。猫は尻尾をぱたぱたと振ったが、その姿はまるで、大丈夫だよ、と言ってくれているようだった。

 鳴き声を出してくれないから意思疎通はできないけれど、言葉などなくてもわかる。

 詩響は猫の想いに胸が熱くなり、猫と同じように微笑んだ。 


「一緒にいてくれるって。水はその子が運んでくれるから、動かないで待っててね」

「うん! ありがとう!」


 少女は、瓦礫の下敷きになっているとは思えないほど、明るく微笑んだ。水を飲めたことと、愛らしい野生の猫が寄り添ってくれたからだろう。

 詩響は兵に少女を任せ、犬のいる場所へ行っては猫を呼んで水を渡して回った。

 宮廷から遠くなるほど人間による救助の手は少ない。けれど、犬と猫の協力もあり、じゅうぶんな人数の兵が来るころには、避難はほとんど完了していた。

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