第四章 詩響と犬の災害救助(2)

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 部屋へ戻ると、鎧姿の男性が二名、扉の前に立っていた。武器がどうの避難経路がどうのと朱殷に話していたけれど、詩響の頭には入ってこない。

 廉心は話し始めた朱殷から詩響を抱きよせ、手を引いて牀へ座らせてくれた。


「大丈夫だよ。仮に奴らが人間並みに知能と武力があっても、数で宮廷に負ける。入ってきたとしても、兵が守ってくれるよ。その間に、殿下と一緒に逃げればいい」

「そうだけど……でも……」


 俯き震える拳を握りしめていると、子どものように朱殷から頭を撫でられる。


「落ち着けよ。妖鬼は見目が怖いだけだってお前も言ってたろ」

「それは檻に入ってるからよ! 大丈夫だと思えるなら、私は危険な目にあっていいの!?」

「違う。妖鬼討伐は兵で十分、お前は出る必要ないってこと。雀晦の団練ですら対処できたんだ。軍なら一瞬で終わる。殿下はお前の力を見たいだけなのさ。つき合う必要ないよ」


 朱殷は剣を構えもせず、牀へごろりと放り投げる。焦ることはなにもない――と言ってくれているようで、暇そうな朱殷の姿は安心できた。

 三人だけで話していると村に戻ったようで、苛立っていた気持ちが落ち着いていく。

 このまま終わってほしいと思ったけれど、やけに蒸し暑くて汗が浮いてきた。


「ねえ。なんだか暑くない? 火盆でも置いたみたいだわ」

「そうだね。なんでこんな――……!」


 途中で廉心はなにかに気づいたようで、勢いよく窓を開けた。ぶわっと熱気が室内に広がり、心なしか、肌がぴりぴりする。

 廉心に付いて外を見ようと窓へ寄ると、暑さの理由はすぐにわかった。

 空が赤く染まっている。陽炎が立ち昇る熱気を放つ、炎の如き羽は鳳凰の羽だった。


「鳳凰陛下! まさか、殿下が前線に出てるの!?」

「そういうことだろうな。なら勝利は確定だ。のんびりしてよう」


 牀に寝転がっていた朱殷は、机に常備されている団扇を手に取り扇いだ。宣言どおりのんびりしているが、詩響は鳳凰が大勢の前に姿を見せた事実に緊張を覚えた。


(兵で足りるんじゃないの? どうして鳳凰陛下のお力が必要なのかしら)


 急に事態の大きさを実感し、朱殷に駆け寄り腕を掴んだ。


「ねえ! 強い軍でも負けてしまうとしたら、どんな時!?」

「数だな。剣一本で一度に切れるのは、一体だけ。倍の数で後ろから襲われたら終わりだ。でも、鳳凰陛下の炎なら一瞬だろう。人間は焼かないんだから、やり放題だ」


 朱殷は団扇でひらひらと扇いでいる。問題ない――のだろう。けれど瑞獣の力の及ぶ先は、人間の把握しきれる規模ではない。


(村で殿下が倒れたのは、鳳凰陛下の二次被害だって理人さまは言ってたわ。なら、熱に耐え兼ね燃える物もあるはず。もし家が燃えたら? 燃えた場所に隠れてる人がいたら?)


 妖鬼は恐ろしい。たとえ殺されなかったとしても、立ち向かっていくなんてできない。

 けれど、死ぬ原因は妖鬼とは限らない。

 ばくばくと心臓が音を立てる。この部屋にいれば安全だ。でも今、安全じゃない人もいる。だから陵漣は詩響へ指示をした――そう思った時、廊下を走る人の姿が見えた。


「火災だ! 手の空いている者は来い! 水を持ってこい!」


 怒鳴られたのかと思い、体が震えた。宮女も水のたっぷり入った桶を持ち、右往左往していた。美しい衣は水に塗れ、裾は泥にまみれていた。

 汚れきった天女のような女性たちは、村で田畑の中にいた自分を思い出させた。


(殿下の指示は戦闘じゃなくて救助だった。わかってたんだ、こうなるって……!)


 妖鬼を倒せとは言っていなかった。対話して来いとも言われなかった。犬の力を借りる救助だけだ。

 暑さと焦りで汗も流れたが、その時、わん、と犬の鳴き声がした。見れば、数名の兵が犬を連れている。


(犬! そっか。捜索に犬を使うんだ。匂いを辿らせれば見つけられるわ! でも……)


 兵の犬へ話す姿を見て、詩響は眉をひそめた。ものを頼む態度ではなかったからだ。


「人を探すんだ。探せ。探せるな?」


 餌を与えることもなく、ただ目的を一方的に言っている。それも人間の言葉でだ。当然だが、伝わるはずもない。

 詩響は、ついさっき陵漣に危険へ飛び込んでくれと言われ、不愉快に思った自分を思い出した。一方的に危険を強要されては、協力などできるわけもない。


(そんな頼みかたじゃ駄目よ! 犬には危険を冒す必要なんてないんだから!)


 兵たちは、動き出さない犬に苛立っているようだった。詩響からすれば、想いを通わせる努力も褒美もなく、言うことを聞かせようとすることに腹が立つ。

 気がつけば、詩響は部屋を飛び出し犬へ駆け寄っていた。


「代わってください!」

「なんだ、君は! 誰――……っあ!?」


 兵は割って入ってきた詩響を睨んだ。けれど、詩響を見ると声を飲み込んだようだった。陵漣の連れてきた者だとわかったのだろう。

 男はおろおろしていたが、安全な人間にかまっている暇はない。詩響は村で身につけた、犬の旋律で歌った。


(怪我をした人を探して。お肉をあげる。だから人を探して!)


 いつもなら、これで力を貸してくれる。匂いを辿る失せもの探しは、犬の得意分野だ。

 けれど、兵に手綱を握られている犬たちは、じりじりと後ずさりをするだけだった。


(駄目だわ。怯えて動こうとしない。芸を仕込まれた飼い犬は、野生とはまったく違う)


 村でたくさんの犬と交流をした。経験上、詩響と対話をしてくれるのは野生の犬だった。飼い犬は人間の言葉や意思を学ばされていて、言語の規則が歪むようだ。

 兵は不思議そうな顔をしていたけれど、廉心と朱殷は詩響に寄り添ってくれる。


「詩響。どうだ。いけそうなのか?」

「駄目。危険に慣れてる野犬を探すから、朱殷、付いてきて。廉心はここにいて。朱殷一人で、私たち二人を同時に守るのは無理だわ」


 なぜか、不思議と怖くなかった。さっきまで恐ろしかったのに、今は一刻も早く街へ行きたい。


「姉ちゃん。猫にも頼んで。狭い場所で閉じ込められた人に、水を運び込んで傍にいてもらうんだ。閉じ込められていたら、恐怖で精神を病むこともあるから」

「わかったわ! 君たちも力を貸して。今だけでいいから」


 詩響は、怯えて動こうとしない宮廷の犬の前に跪いた。そっと手を差し伸べ、端的に、安全でできることだけを頼む。


(終わったらお肉をあげる。だから呼んで。呼んで。野生で生きる同胞を!)


 遠くまで聞こえるように、声を大きく歌った。声色を変えながら、高く低く、村で培った動物たちの言語の旋律を歌い続ける。

 するとすぐに犬が走り出し、しばらくすると、ぞろぞろと野犬が集まってきた。驚いた兵たちは剣を抜いた。


「なんだ急に! どこからこんなに!」

「武器をしまって! 救助を手伝ってくれるんです! 動けない人の居場所へ案内してくれるから、ついて行ってください。朱殷。私たちも」

「いや、俺たちは殿下を探そう。鳳凰陛下がいらっしゃる以上は大丈夫だろうけど」

「ああ、そうよね。発熱で倒れていらっしゃるかもしれないわ。廉心。翠蘭さまと理人さまに伝えて、手当の準備をしていただいて」

「うん。兄ちゃん、姉ちゃんを頼んだよ。守ってね」

「命に代えても」


 朱殷は剣を持ち、詩響は水の入った竹筒を携えて走り始めた。詩響は朱殷のあとを付いて走り、門をくぐって街へ出た。

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