第三章 宮廷の妖鬼調査(2)

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 詩響は室内を見回した。とても狭くて、詩響と陵漣、廉心の三人でいっぱいだ。灯りは二つの燭台しかない。家具は書斎机が一つと三脚の椅子だけ。

 ここでやる仕事は、妖鬼言語の解析より、囚人の監視ではないかと思ってしまう。


(どうりで、翠蘭さまをお連れしないわけだ。こんな恐ろしい場所、普通の女性には無理よ。私ならいいって思われるのは腹立つけど)


 わかってはいたけれど、同じ女性なのに激しい扱いの差にがくりと肩を落とした。すると、陵漣にがつっと頭を掴まれる。


「翠蘭は槍を構えて手伝うと言ったんだが、この辺りは女官の歩く場所ではない。度胸は十分だが、怪しまれるから連れてくるわけにいかなかった。わかったか?」


 ぎくりとして、詩響は視線を逸らした。心の中では文句をつけたけれど、翠蘭のことなど口に出していない。


(殿下って、人の心が読めるのかしら……)


 それとも、詩響がわかりやすいだけか。いずれにせよ、常に心の底から微笑んでいなければならないなんて気が滅入る。だが陵漣は、詩響の頭を掴む手にいっそう力を込めた。


「わ・か・った・か」

「いたたたた! わかりました! 翠蘭さまのぶんまで、しっかり務めます!」

「わかればいい。だが、真に一人きりというわけじゃない。護衛をつけてやる。お前の護衛をしたいと希望があってな。入って来い」


 陵漣は来た道を振り返った。歩いているうちは暗闇で気づかなかったが、もう一人いたようだ。陵漣の合図で現れたのは、離別したはずの朱殷だった。


「朱殷!? どうして朱殷がここに! 村に残ったはずじゃないの?」

「ああ。でも――」

「俺が連れてきた。対妖鬼戦の経験者は貴重だからな。だが、お前の護衛でなければ請けないと譲らないから、任せることにした。まあ、お前が許せばの話だが」


 陵漣はうっすら笑った。してやったりとでも言いたげだが、普通に微笑むことはできないのだろうか。言えずにいた願いを叶えてくれたのだから。

 朱殷は真剣な表情で、真っすぐに詩響を見つめてくる。


「今度は長老さまの依頼でも、殿下の命令でもない。俺がお前を守りたいから来た。二度と嘘は吐かないと誓う。だからどうか、俺にお前を守らせてくれ」


 朱殷は唇を強く噛んだ。苦しみや苛立ちを堪える時、朱殷は唇を噛む癖がある。歪んだ唇と苦しそうな表情は、どれほど強く許しを請うているかわかった。

 廉心が、つんっと腕を小突いてきた。嬉しそうに笑っている。詩響はまだなにも言っていないのに、良かったね、と返してくれているようだった。


(……そうよ。始まりがどうあれ、朱殷はずっと傍にいてくれた。一番信じられる人だわ)


 詩響は迷っていた。だが、迷っていたのは、許すか許さないかではない。

 迷っていたのは、朱殷と仲直りをするために一度でいいから村へ戻りたい、と、陵漣へ頼んでもいいかどうかだ。

 けれど、行く必要はなくなった。詩響は朱殷の手を取り握った。


「ひどいこと言って、ごめんなさい。朱殷も長老さまも悪くないわ。朱殷がいてくれるなら、こんなに心強いことはない。来てくれて有難う!」


 ぱっと朱殷の表情が明るくなった。朱殷はいつも冷静で、あまり感情が表に出ない。それだけに、満開の笑顔は強く引き付けられる。朱殷は強く手を握り返してくれた。


「ずっと、お前に張り付いてる。妖鬼だろうが人間だろうが、俺がすべて退治しよう」

「有難う。これからもよろしくね、朱殷」


 朱殷の笑顔に、詩響はほっと安堵の息を吐いた。


(本当、朱殷がいてよかった。殿下はあくどいから、周りの人も信用できなかったのよね)


 廉心を取り立ててくれたことは感謝しているけれど、それと人間性は別だ。いつも悪人よろしく腹の立つ言動ばかりで、誠意をもって尽くす気になれない。

 だが陵漣は、またも詩響の頭を掴んだ。陵漣が心を読めると思うほど鋭いことを忘れていた詩響は、げ、と顔を歪めた。


「今、失礼なこと考えただろ」

「いえ、そんなことは……あの、頭を掴むの、やめてもらえませんか……」

「頭を守ってやってんだよ。危機感が増すだろ? 注意が足りない」

「……ご指導を有難うございます。精進します」

「期待できないから、物理的な防御策をやろう。これをつけておけ」


 はんっと鼻で笑われ苛立ったけれど、棘の立った気持ちはすぐに丸くなった。

 陵漣に手渡されたのは、頭頂部から耳の裏あたりに被せる装飾品だった。細長いきんで、表面は厚手の生地だが硬い。装着は結わくのではなく、頭にはめる。

 地は白だが、所狭しと施された金の刺繍のおかげで、金製の巾に見えた。

 硬いので、おそらく中に金属か、近しい物を入れているのだろう。兵の用いる防具ではないけれど、ないよりはいい。

 けれど詩響は、防具としての是非よりも、装飾品としての美しさに魅了された。


「素敵! 金糸の装飾なんて初めてです! すごい……!」

「ついでにこれもやる。頭と揃いだ」


 陵漣は珍しく柔らかな所作で、腰に下げていた小さな荷包からなにかを取り出した。

 現れたのは、起毛の生地で覆われた四角い箱だった。陵漣がそっと開けると、中に入っていたのは黄金の耳飾りだった。羽根を模る黄金の中心には、紅玉が嵌め込まれている。


「殿下……これも、私に……?」

「当たり前だ。女物だぞ。ここでお前以外の誰が使うんだ。ほら、つけてやるよ」


 陵漣は箱から耳飾りを取り出し詩響へ差し出した。けれど、詩響が受け取る前に、朱殷が焦ったように一歩踏み出してくる。


「殿下! お待ちください! それは」

「お前は護衛だ。俺のすることに口出しする権利は与えていない」


 ぎろりと陵漣に睨まれ、朱殷はぐっと押し黙る。けれど朱殷の瞳は焦りを隠せず、駄目だ、と訴えているのがわかる。


(そっか。こんな高級な品、いただいてはいけないわ。あくどい人でも皇太子なんだから)


 あまりにも図々しいことに気づき、詩響は受け取ろうとした手を引っ込めた。けれど陵漣は気にもせず、それどころか、自ら詩響の耳につけてしまう。


(え!? え、どうしよう! つけてくださった物を外すのは、もっと失礼よね!?)


 あわあわしながら朱殷と廉心を交互に見るけれど、二人も困ったような顔のまま動けずにいる。正解がわからず困惑していると、陵漣に、とんっと額を突かれた。


「周りの言うことなんざ気にするな。ほら、いいじゃないか。黄金が赤い髪に映える」


 陵漣の指に弾かれて、しゃらんと黄金の羽根が揺れた。金の触れ合う音は涼やかで、恐れ多いと震えていた心は、すうっと静まっていく。

 いつになく優しく微笑む陵漣を見て、詩響からも笑みがこぼれた。


「有難うございます。こんな素敵な装飾品、初めてです。大切にします」

「そうしてくれ。両方とも、どこへ行くにもつけていろよ。誰に頭を掴まれるかわからない」

「あはは。そうですね。はい」


 返さなければ、なんていう気持ちはあっさりと消え失せた。冗談すら嬉しくて、ぎゅっと耳飾りを握る。だが、ただ素敵な出来事として終わるわけもなく――


「とはいえ、お前の話し相手は妖鬼だけなんだがな」

「ぐっ……」


 陵漣はいつものように、にやりとしたり顔であくどい笑みを浮かべた。

 今くらい、夢見心地で終わらせてほしかい。そんな願いをあざ笑うのは、妖鬼の叫び声だった。

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