第三章 宮廷の妖鬼調査(1-2)
支度が完成して陵漣の前に立つと、詩響と廉心を眺める陵漣は満足気に頷いた。
「いいじゃないか。それなりに見える」
「いえ、そんな……翠蘭さまのお支度が素晴らしくて……」
翠蘭のしてくれた『支度』は、体を清める水浴びと、宮廷に相応しい服装一式だった。
詩響は白い絹の旗袍で、上には地模様のある桃色の馬甲だ。さらりとした着心地の良い生地で、施された黄金の刺繍だけでも技術品のようだった。
詩響は愛らしい装いとなったが、廉心は官吏を思わせる装いだった。滝のような流れを感じる水色の行袍と、上に着た行褂は夜空のようだ。煌めく黄金の刺繍はまるで星だ。
詩響は廉心を、廉心は詩響をじっと見つめた。
詩響は初めて着る高級な服に気後れして、とても似合っているとは思えなかった。
けれど廉心は着こなしていて、生来の利発さがありありと見える。詩響は、ようやく廉心は己に相応しい場所へ辿り着いたことを実感し、たまらず力いっぱい廉心を抱きしめる。
「ちょ、姉ちゃん! なに! どうしたの!」
「とっても似合ってるわ。本当に素敵よ。貴族と言ってもおかしくないくらいだわ」
「……姉ちゃんもだよ。髪、こんなに綺麗な赤だったんだね。びっくりしたよ」
髪は、翠蘭の呼んだ宮女が徹底的に洗ってくれた。体も隅々まで磨かれて、全身に沁み込んだ村の潮風と泥や砂は、すべてなくなったように感じられた。
つうっと髪を一束梳く。陵漣が口付けてくれた場所も、念入りに洗われてしまった。
くるくると髪を弄りながら陵漣を見ると、席を立ち、廊下へ出てしまっている。
「じゃれてないでお前たちの職場へ行くぞ。入り組んでいるから道を憶えろよ、廉心」
「はい!」
「廉心だけですか? 私の職場でもあるんですよね。私は憶えなくていいんですか?」
「憶えられないだろうから、廉心と一緒に歩け。翠蘭は入れない場所だから当てにするな」
「……はぁい」
なにを期待していたのか。そうだよな、と肩を落とし、重い足取りで歩いた。
それでも、憶えて見返してやろうと景色を凝視したけれど、早々に諦めてしまった。
(無理だわ。もう一人じゃ戻れない。なぜ、こんなにややこしいのかしら……)
ぐるぐると、何度も同じ場所を回っているとしか思えなかった。廉心は壁や空を見ながら、ぶつぶつとなにか呟いている。任せるのが正解という陵漣の判断は正しいのだろう。
諦めてなにも考えず、とてとて、と二人についていく。しばらく歩くと、薄汚れた石造りの小さな建物が見えてきた。周囲は堀になっていて、深さは詩響の身長よりある。
扉は鉄製で、錠前と閂の二重で閉じられている。まるでなにかを封印しているようだ。
「あの……ここは、なんでしょうか……?」
「だから、仕事場だよ。入れるのは俺と魏懍と理人。それと、お前たちだけだ」
「そうではなく。働く場所に見えません。それに、あの、廉心は書院か太学へ通わせていただけるんですよね」
「廉心の入学先は、本人の意向を聞いてから選ぶ。しばらく廉心はお前の道案内役で、ここで働くのはお前だけだよ」
「……え? 私だけ? ここで、私だけ?」
「そー。ほら、入るぞ。腰抜かそうが倒れようがかまわないが、備品は壊すなよ」
「えっ!? ちょっと待ってください! 腰を抜かすようなことがあるんですか!?」
陵漣は振り向くことすらなく、錠前を開錠して閂を外した。
扉を開くと、現れたのは地下へ向かう階段だった。暗くて五、六段先はもう見えない。傾斜は急で、気を付けなければ転げ落ちてしまうだろう。
「姉ちゃん。俺が先に行くから、ゆっくり降りて。殿下は最後にいらしてください」
「助かる。詩響。できた弟に感謝しろよ」
「毎回言われなくてもわかってます! そこにある手持ちの灯籠、使っていいんですか!?」
馬鹿にされたものの、おかげで暗闇へ誘う階段への恐れは吹き飛んだ。腹を立てながら手持ちの灯籠を奪い、火を灯して廉心へ渡すと階段を踏んだ。
廉心に手を引かれ、たった一つの灯りを頼りに地下へ下りていく。自分の足音にすらびくびくしながら踏みしめていく。三十段は降りたあたりで、ようやく階段が終わった。
「姉ちゃん、足元に気を付けて。階段は終わったけど、石がごろごろしてる。殿下。これは一本道でしょうか」
「ああ。すぐ曲がる。曲がった先はまともな部屋だ。燭台があるから灯せ」
「わかりました。姉ちゃん、部屋に入るまでは手を放さないで。転ぶといけないから」
「ええ。有難う」
「……できた弟で」
「感謝してます! さ、行きましょう廉心!」
言われる前に言って返し、詩響はがしっと廉心と腕を組んだ。陵漣が面白そうに小さく笑っているのが聴こえたけれど、聴こえないふりをして進む。
陵漣の言ったとおり、すぐに曲がり角があり、曲がると燭台があった。廉心は持っていた手持ちの灯篭から火を移す。陵漣はこの先が部屋だと言っていた。ようやく落ち着けると安堵して息ついたけれど、その時だった。
ぎゃああああ、と、錆びた金属を擦ったような鳴き声が響く。
「きゃあああ!」
体の芯を削られるような声に驚き、詩響は呼応するように悲鳴をあげた。廉心は守るように抱きしめてくれて、灯りを部屋の奥へ向ける。
照らされ現れたのは、鉄格子だった。鉄格子の向こう側には生き物の姿がある。
「あれは、妖鬼!?」
詩響は後ずさり、どんっと壁にぶつかる。鉄格子は檻で、檻に閉じ込められているのは妖鬼だった。叫び狂う妖鬼を見て、詩響は理解した。
(私の仕事は妖鬼の声を知ること。なら、当然)
そろりと陵漣を振り返る。表情はやはり、にたりと妖しい笑みを浮かべていた。
陵漣は妖鬼に近づくと、がんっと鉄格子を蹴りつける。がしゃんと大きな音がすると、驚いたのか、妖鬼も激しく鳴き声をあげた。
「わかったようだな。そうだ。お前には、ここで妖鬼言語を譜面にしてもらう」
「……ここで?」
妖鬼は絶えず叫んでいた。飛び交う音は、なにを訴えているのか解らない。解るために、詩響は暗く逃げ場のない地下で、妖鬼と過ごさなくてはいけなかった。
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