第三章 宮廷の妖鬼調査(3)
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装飾品を貰ったことは嬉しいけれど、今いる場所が地下の牢であることは変わらない。
陵漣は嬉しそうな笑顔で、妖鬼を紹介するように両手を広げた。
「今日は全員、ここで妖鬼に慣れろ。解析できるまで毎日通ってもらうからな」
「毎日ですか……」
まだなにもしていないのに、詩響は疲労に押しつぶされた。せっかくの耳飾りを披露する機会もないなんて、詩響は口を尖らせた。
けれど、またも陵漣に頭をがつっと掴まれる。
「妖鬼言語の解析が終わらないと、廉心はいつまでも太学へ入れないぞ」
「すぐに取り掛からせていただきます!」
「そうしろ。廉心、なにか方針はないか? 見てわかることは?」
「そうですね……」
廉心は妖鬼をじっと見つめた。最初こそ驚いていたけれど、もう慣れたのか、平然と妖鬼と見つめ合っている。
「姉ちゃん。こいつの音、村の妖鬼と同じ?」
「……似てるけど、違うわ。音の数は同じようだけど、音も音階も違――きゃあ!」
詩響が言い終わる前に、陵漣が妖鬼の目の前へ立って檻の鉄格子を蹴りつけた。
「人が話してる間くらい静かにできないのか。いつもいつも、うるさい奴だ」
妖鬼は陵漣を掴もうとしているのか、鉄格子の隙間から必死に手を伸ばしてくる。陵漣は見下して笑い、妖鬼の手も蹴とばした。
「俺を見るといつも暴れるんだよ、こいつ。笑えるだろ」
あくどい言動に詩響は呆れた。蹴る必要はあっただろうか。だが、廉心はなにかに気づいたのか、目を見開いて陵漣を見上げた。
「いつもとは、毎回ですか? 必ず?」
「ああ。たまには違う行動をしてほしいもんだよ。それがどうかしたか?」
「いつも反応するなら、殿下を固有の存在として認識してるんです。殿下特有の事象は鳳凰陛下と思われますが、殿下はこいつに、鳳凰陛下を呼ぶ姿を見せたのですか?」
はたと、陵漣は目を丸くした。腕を組み少しばかり考え込むと、眉間に皺を寄せた。
「見せてないな。兵が捕獲して、魏懍一人でここに収容した。俺はこの檻が初対面だった」
「なら、興奮した理由は鳳凰陛下以外。殿下が常に持っている物……服はいかがでしょう」
「いつも同じ服を着てるわけじゃないな。職員と違って、制服なんてない」
ううん、と、全員が考え込んだ。廉心は聞こえないくらいの小さな声で、ぶつぶつと音を漏らしている。詩響には検討もつかずにいたが、今度は朱殷が鉄格子を軽く叩いた。
「服じゃないが、外見なら、殿下よりも妖鬼のほうが気になる。村の妖鬼はもっと手足が短くて鈍かった。こいつは随分と足が長くて俊敏だ。まるで違う種のように見えるよ。殿下はいかがです。他にも妖鬼をご覧になっていますよね」
「……そう言われれば、そうだな。土地によって形状は違う。若干だが」
「それにこいつ、全身が柔らかそうだ。顔なんて、ぶよぶよしてるじゃないですか。村のは硬いから、堀に落としたあと殺すのに苦労します。刃物の刺さる場所を見つけられない時は、焼くしかありません。山火事に注意しながらの作業なんで、手がかかる」
男三人は、深い議論を始めた。これまでも妖鬼に接していた陵漣と朱殷はともかく、妖鬼に触れて日の浅い廉心もが語り合う光景には溝を感じてしまう。
装飾品に浮かれていた自分が恥ずかしくなり、詩響も叫ぶ妖鬼へ目を向けた。
(私だって、わかることはあるはずよ。音を聞き分けられるのは私だけなんだから)
妖鬼の金切声は耳と心へ突き刺さり、神経をすり減らされる。けれど詩響は、耐えて妖鬼の発する音に耳を傾けた。じっと聞き続けると、ふと妙に感じることがあった。
「殿下。この妖鬼は、村とはまったく違う場所で捕まえたのではないですか?」
「ああ。この近くだが、それがどうした」
「音の質が違うんです。同じ楽器でも、琴と太鼓の音は違うでしょう? そういう感じです。音の高さも響きも、まったく違うんです」
「俺にはそう違わないように感じるが、違うと問題なのか?」
「問題というか、違う理由はなんなんだろうなって。だって、同じ種族の言語で『鳳凰陛下』って言ってるなら、音質も音程も抑揚も違うのは――」
言って、ふと気がついた。同じ単語でも抑揚や印象の変わる現象は、人間にもある。
「……訛りみたいだわ」
はっと全員が息を呑んだ。
村の訛りは、共通語と大差ない。ただ、同じ単語でも抑揚の変わることはある。固有名詞でも、似たような単語が存在すると引っ張られるようで抑揚が違う人もいた。
静まり返った中で、廉心がぽつりと答えた。
「そうか。妖鬼は知性だけじゃない。文化があるんだ」
「どういうことだ」
「姿も言葉も違うなら、独自の文化を築いてるんです。なら当然、自分たちで『こういう生活をしよう』と考えたはず。だからこその差異。兄ちゃんの言う姿の違いは――」
「棲み処の地形と風土に適応して変形したんだな。沿岸の雀晦と宮廷はまったく違う」
廉心と朱殷は目を見合わせて頷き、陵漣は腕を組んだまま、またしばらく考え込んだ。
少しすると動き、耳飾りの入っていた荷包とは違う、少し大きな荷包からなにかを取り出した。長い指でつままれているのは、折りたたまれた数枚の紙だった。
「妖鬼言語の解析は方針を変える。廉心、これと比較してくれ」
取り出した紙をすべて廉心に渡し、廉心はすぐに開いて中を確認した。すると、一目見てなにかに驚き、陵漣を見上げる。
「意味はわかるな」
「……はい。ですが、なぜこれなんでしょうか。必ずしもこれだとは断定できません」
「それに至った理由はいずれ教える。今は成果を得るのが先だ。それが正しいものとして、俺は先手を打つ。急げよ」
「はっ」
廉心と陵漣は二人だけ、わかりあったようだった。詩響には予想もつかず、ぽかんと廉心を見つめていると、陵漣に頭を掴まれる。
「お前は考えなくていい。廉心の指示通りに音を聞き分け、妖鬼との対話に尽くせ」
「はあ……まあ、そうですね……」
頭を掴まれることには、もう慣れた。けれど、切り捨てられる言葉には慣れない。
(いかにも役立たずみたいに言わなくてもいいじゃない。自分が連れてきたくせに)
ぷうっと頬を膨らませて、詩響は陵漣の手から逃げた。少し動いただけなのに、しゃらりと耳飾りは涼やかな音を聞かせてくれる。
ちらりと見ると、陵漣は廉心と話し合いを始めていた。朱殷にも意見を貰っているようで、再び男三人で議論を始めてしまう。詩響はまるで除け者だ。
(……いいわよ、べつに。廉心の将来が約束されれば、それでいいもの。むしろ、廉心が活躍しなきゃいけないんだから、ちょうどいいわ。狙い通りだわ)
けれど、なにか虚しい。貰った高級な耳飾りは、妖鬼の叫ぶ地下には不釣り合いだ。そして、自分にも不釣り合いであることもわかっていた。
翠蘭が磨いて化粧を施してくれたから、宮廷内を歩ける程度に見目は整った。けれど作り物だ。内も外も美しい翠蘭とは違う。
(翠蘭さまのほうが似合うわね、きっと)
廉心は、このまま上へ上へ登っていくだろう。では廉心が登りつめた時、詩響はどこでなにをしているのだろうか。宮廷にいる意味は、あるのだろうか。
得も言われぬ喪失感と焦燥感に襲われ、すがるように耳飾りを握りしめていた。
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