第二章 妖鬼に隠された真相(2-1)
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夜になり、詩響は廉心を連れて家を出た。廉心は、水の樽を小型の手押し車に乗せ、詩響は手持ちの灯籠で夜道を照らす。
向かう先は、陵漣たちの宿泊所になっている団練だ。広場に陣を張り拠点にしている。
「急にどうしたのさ、殿下たちへ水を持って行こうなんて。食料くらい持って来てるよ」
「けど、尽きたら困るわ。宮廷へ帰る道中に、水と食料は多く残しておきたいはずよ」
「そりゃそうだろうけど、あとは寝るだけの夜に行く必要ある? 明日で良くない?」
「それは、だって、殿下は熱が下がったばかりよ。水はあるに越したことはないわ」
廉心は不思議そうに首を傾げた。詩響は廉心の視線を躱すように、ずんずんと進む。
(そうよ! あとから『配慮が足りない』とか、馬鹿にされたくないだけ! べつに、会いたいわけじゃないわ!)
詩響は自分へ言い訳をして、必死に胸中を誤魔化した。歩くたびに赤い髪が揺れ、陵漣に口づけされたことを思い出す。なんとはなしに髪を握ると、じっと廉心に見つめられていることに気がついた。姉としての矜持を崩すまいと、詩響はきりりと表情を作る。
「過保護なくらいでいいのよ。鳳凰陛下を身に宿すことが、どれだけ大変かわからないし」
「だとしても、川の水で十分だと思うけどね。せっかく備蓄してたのに。もったいない」
「そんなこと言わないの。他の人にも廉心を気に入ってもらえれば、太学に入った後も良くしてもらえる。多少の媚は売っておいたほうがいいわよ!」
縁を強めておきたいのは本心だ。廉心の太学入学は確定だろうけれど、入ったあとも良い待遇を得られるかは別の話になる。
詩響は書院も太学も知らない。村の私塾すら遊び半分で、呑気なものだった。
しかし太学ともなれば、楽しく遊びながら、とはいかないだろう。時には誰かの助けが必要になることもあるかもしれない。困った時に、縁を築けているかで大きく変わる。
「太学ね……」
廉心はぽつりとこぼした。表情は暗くて晴れない。太学に通える喜びしかないと思っていたから、不思議になり廉心の顔を覗き込んだ。
「どうしたのよ。勉強できるのよ。本だって、きっといぱいあるわ。嬉しくないの?」
「……嬉しいよ。けど、いいの? 村を離れたら、父さんと母さんの遺体は探せなくなる」
廉心の低い声に、詩響の足はぴたりと止まった。
――両親の遺体の捜索は、考えないようにしていたことだ。
詩響と廉心の両親は、山の土砂崩れに巻き込まれ亡くなった。幼かった詩響は泣きじゃくり、もっと幼かった当時の廉心は、親の死を理解すらできていなかった。
「俺はいいよ。ぜんぜん覚えてないから、悲しくもない。でも姉ちゃんは違うだろう?」
「……もう十年以上も前のことよ。見つけるのは無理だわ」
詩響は俯き、声を絞り出した。
詩響よりも賢くてしっかり者の廉心が『弟』でいてくれるのは、詩響が両親の死を思い出し、時折泣いている姿を見てきたせいもあるだろう。
(吹っ切れたと言えば嘘になる。せめて遺体だけでも見つけたい。けど……)
詩響は山を見上げた。山は危険だ。あちこち掘り返したら、土砂崩れを引き起こすかもしれない。また誰か死ぬかもしれない。だから、山中の捜索は困難だ。
それでも村の大人たちは総出で探してくれた。三日三晩走り回ってくれたけれど、見つからなかった。仕方ないんだ――そう思えるようになったのは、朱殷が移住してきて、一年は過ぎた頃ようやくだ。
「それより朱殷に会えなくなるほうが寂しいわ。朱殷がいなかったら今はないもの」
「そうだね。兄ちゃんが移住してきたことは、俺たちの生活の転機だった」
朱殷は村には存在しない情報を知っていて、知らない世界の賑わう話は、暗闇に落ち込んだ詩響を光の中へ引き上げてくれた。
詩響に余裕ができると、廉心も学ぶ余裕を持てた。未知の世界へ強い関心を持ち、飛躍的に賢くなったのも朱殷に出会ってからだ。
(廉心が目を輝かせて、活き活きと学ぶ姿は私の支えになった。すべて朱殷のおかげだ)
その廉心が、世界最高峰ともいえる場所で学ぶ機会を手にした。朱殷から離れることは、詩響の引きずっている過去を、完全に吹っ切るきっかけになる。
詩響はぐっと拳を握りしめ、闇夜を照らす月へ向けて振り上げた。
「それに! 廉心の将来のほうが大事よ! 皇太子殿下が後援になってくださる好機は二度とないわ! つかんでおかなくちゃ! ね!」
詩響は最上の笑顔を廉心に向けた。廉心は申し訳なさそうに眉をひそめていたけれど、なにも言わず、こくりと小さく頷いた。
過去の話は終わりにしよう、という空気が流れる。詩響は廉心の肩を抱いて、並んで団練へ向かった。
「朱殷、いるかしら。夕飯まだなら一緒に――……あら?」
団練には給養員もいるので食事に困ることはない。けれど、詩響は頻繁に朱殷を招いて食事をする。ついでに泊まっていってくれないか、などと思っていると、朱殷の声が、暗がりから聞こえてきた。
団練の宿舎はすぐ目の前なのに、隠れてなにをしているのかと声のする方向へ目を凝らす。
朱殷は誰かと話をしている。向き合っているのは、陵漣と魏懍だ。三人は険しい表情をしていて、緊迫した雰囲気を感じる。
「なに話してるのかしら。そういえば、殿下は朱殷を気にしてるようだったけど」
「兄ちゃんを? なんで?」
「朱殷っていうか、外から来た移住者を気にしてるふうだったわ。なにかしらね」
「……聞いてみよう。暗いし、手前にある背の高い茂みなら、向こうからは見えない」
「盗み聞きするの? 普通に声をかければいいじゃない」
「皆は寝る時間に人の来ない場所で話すなんて、秘密ってことだ。誤魔化されるだけだよ。静かにしててね」
廉心は、音を立てないよう静かに手押し車を置いて、そろそろと朱殷たちのほうへ忍び足で近寄った。詩響も同じようにして廉心へ付いて、二人でこっそりと聞き耳を立てた。
「魏懍。朱殷の戦いぶりはどうだった。俺には、最初から妖鬼に慣れていたように見えた」
「ええ。対妖鬼戦は初めてではないでしょう。有利な戦法や弱点を理解していた」
「当然です。もう何度も出てますからね。俺以外も、団練は何度も妖鬼を退治しています」
朱殷から飛び出た突然の告白に、詩響の指先が揺れた。
(何度も!? あんなのが、ずっと近くにいたの!? 知らないわ、そんなの!)
慌てて廉心を見ると、廉心は首を左右に振った。知らなかったようだけれど、詩響と違い冷静だ。眉一つ動かしていない。
陵漣は腕を組み、指先でとんとん、と自分の二の腕を叩いている。
「だが詩響と廉心は知らないようだったぞ。まさか、教えてないのか」
「ほとんどの村民は知りませんよ。知っているのは長老を含めた高齢者と、団練だけです」
「なぜだ。人を襲うかもしれない妖鬼がいるなんて、それこそ移住して逃げるべきだろう」
「俺も忠告しましたよ。けど長老と高齢者は村へ執着します。廃村が嫌なんでしょうね」
「……馬鹿なことを。危険を周知して、残りたい奴だけ残ればいい。子どもまで巻き添えにするなんて、やはり村の長は辞するべきだ。宮廷へ戻り次第、自治は国へ返還させる」
魏懍は頷いていたけれど、朱殷は苦笑いをしている。
「せめて対策をと思い、村を囲うように堀を作りました。連中は目が悪いのか、堀に気づきません。足腰も弱いんで、落ちれば登ってこられない。上から刺せば、安全に殺せます」
「だが村の中まで出てきたぞ。極めて稀ということか?」
「初めてですね。奴ら、何匹も積み重なって、数匹だけを堀から這い上がらせたんです。よほど会いたい相手がいたんでしょう」
「……鳳凰陛下だろうな。初めて妖鬼を確認したのはいつだ? どうやって確認した」
「俺は雇われなんで、最初のことは知らないですね。又聞きになりますが、二名の村民が殺され、発覚したそうです。それで団練を作ることになり、腕利きに移住を頼んだとか」
「随分といい加減だな。お前、それでよく移住したな。普通に考えて断るだろ。詩響の言うとおり、どこぞで目をかけてもらえる」
陵漣は真剣な表情だが、朱殷は肩をすくめて軽く笑った。
「俺はもともと腕試しで旅をしていたんですが、静かに定住もいいかと思ってね。けど職探しは面倒だ。そこにきて雀晦村は、戦えば衣食住を保証してくれるという。都合良かったんですよ。女に騒がれるのは、想定外でしたけど」
「ふうん。出身はどこだ? 朱殷の剣術は鳳凰国のものとは違うんだろう、魏懍」
「違います。いろいろ交ざっているので我流でしょうが、基本は応竜国に似ていました。なにより、黒髪に陽の色の瞳は応竜国民の特徴です」
魏懍は自分の髪をつんっと引っ張った。気にしていなかったが、魏懍は朱殷と同じ、黒髪に金の瞳だ。おそらく、応竜国の出身なのだろう。だが朱殷は、やはり肩をすくめた。
「自分でもわかりません。捨て子だったらしくて、物心の付いた時には商隊で旅生活をしてました。でもまあ、鳳凰国ではないでしょうね。鳳凰国民は赤毛ですから」
赤毛と聞いて、詩響は自分と廉心の髪を見た。廉心のほうが色は濃いけれど、どちらも赤毛だ。雀晦村の村民は、赤毛か、赤に寄った色しかいない。
国民は瑞獣の影響を受けるというから、鳳凰の色を継承しているのだろう。
「俺のことはいいんですよ。それより、妖鬼に殺された村民がいることは、詩響と廉心には言わないでください。絶対に」
「なぜだ? あいつらには、この先も協力してもらう。正しい情報を与えるのが筋だ」
朱殷は、んー、と唸りながら頭を掻いた。言いにくいことなのだろうことは、表情から察せられる。詩響と廉心は、ぐっと身を乗り出して耳を澄ました。
「襲われて死んだ村民は、詩響と廉心の両親です。二人は土砂崩れだと知らされています」
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