第八章 総攻め

 朝靄に混じって、城の中から濛々と煮炊きの煙が昇るのが見えた。

「大した量ですな」

 煙を見て、年嵩の家来が言った。

「千人分というのも、あながち嘘では無いのか」

 信じられないといった風で、根子兵庫頭は答えた。

「伊達方より、使いの者が参っております」

 伝令兵が、言った。

「うむ」

 根子兵庫頭は、頷いた。

「二子城、大迫城ともに陥落の由」

 使いが、言った。

 それは、まさに忍びの風体であった。

 忍びを使って、しかも口頭でのみ伝えたのには訳があった。

 内密の行動のため、後に謀叛を疑われないように、書状など証拠となる物を残

さない処置だった。

「承知した」

 根子兵庫頭が、答えた。

「花巻の攻めは如何様になっているか言付かっています」

 忍びは、聞いた。

 根子兵庫頭は、黙った。

「籠城兵の数がいまだ不明で、攻めあぐんでおる」

 返答に窮する主の代わりに、年嵩の家来が答えた。

「しからば、身共が様子を窺いに行きましょう」

 忍びは、言った。

「単身でか」

 年嵩の家来は、聞いた。

「そのほうが目立たぬかと」

 そう、忍びは答えた。

「なるほど」

 年嵩の家来が、頷いた。

「寄せ手より守り手の兵数が少ないと分かれば、城内より密かに開門を手引きし

ます」

 忍びは、提案した。

「して、合図は」

 興味深げに、年嵩の家来が尋ねた。

「騒動になるので、すぐ知れると」

 当然のように、忍びは答えた。

「あい、分かった」

 根子兵庫頭は、承服した。


 かわたれ時であった。

 城内で火の手が上がった。

 鐘搗堂の鐘がけたたましく鳴った。

 密かに壁を乗り越えた忍びにより、火付けがされたのであった。

 その忍びは風向きを考え遮蔽して、城を焼くほど延焼せず消火し易いように細

工を施した。

「火を消せっ」

 柏山明助が、怒鳴った。

 手桶の水を用いて、家臣団は火消しに当たった。

「火攻めは無いと断言していたな。男心と秋の空の如く気が変わったか」

 敵の戦法がこの時季の天候と同様に変化した事を、親分は指摘した。

「うむ」

 松斎も、首をかしげた。

「古傷が疼く。雨が近いぞ」

 右肩をさするようにして、親分が言った。

「雨を読んでの仕業か」

 曇天の空を見上げて、松斎は得心した。

 闇夜のみならず、人知れず敵中に入り込む必要から忍びは天候を読む能力に長

けていたのであった。

 火事騒ぎに乗じて、覆面をした忍びの者が通用門の閂を外した。

 猫の如く、音も立てずに薄明に紛れるように橋に向かった。

「おがしねのいだべ」

 門外に出た忍びに、熊公が目敏く気付いた。

 竹は、追い払うつもりで銃を撃った。

 それに合わせて、八公が弾弓で投石した。

「賊か」

 柏山明助が、聞いた。

 不審に思って、松斎も駆け付けていた。

「脚に黒い布を巻いていた」

 梅が、その風体を説明した。

「噂に聞く黒脛巾組か」

 柏山明助は、呟いた。

 伊達政宗麾下において諜報や暗殺等、隠密裏に行動する間者で黒革の脚絆を着

用していたためそう呼ばれた。

 背後に伊達の手引きがある事を、松斎は確信した。


「どうやら、籠城する兵は僅かばかりのようですな」

 燃え上がる火の手を見て、年嵩の家来は言った。

「前進せよ」

 根子兵庫頭が、言った。

 脱け出して来た忍びに、城から鉄砲が撃たれた。

 夜明けが近く、足元が見えるような明るさになっていた。

 鉄砲音の後に飛来してきた地面の小石を、根子兵庫頭が拾った。

「これは」

 そして、手中の石と城壁を見比べた。

「兵の中に、鉄砲傷を負った者がおるか」

 根子兵庫頭が、確かめた。

「矢傷はありますが、弾を受けた者は皆無かと」

 年嵩の家来は、答えた。

 そうであったか。

 城方に鉄砲の弾が無いのに、気付いたのであった。

「弾は尽きておるようだ。あるいは元から無かったのやも知れぬ」

 根子兵庫頭は、言った。

「空鉄砲に兵数の水増し。あれも嘘、これも嘘で全てはったり。良いように欺か

れていただけではないか。初めから力押しすれば良かったのだ」

 当てこするように、若い家来は吐き捨てた。

「どれも狸和尚の謀りであったという事。だが、ついに堪え切れずに馬脚を現わ

した」

 憎々しげに、年嵩の家来も言った。

「総攻めせよ」

 根子兵庫頭は、号令した。

 満を持して、稗貫勢が城に襲い掛かった。


「そうら、お出でなすった。今度は高みの見物とはいくまい」

 御台所前御門の櫓から見下ろしながら親分が言った。

 竹と梅、熊公と八公がそれぞれ銃と弾弓を構えた。

「もういいぞ。小細工は通用しなくなったようだ。そろそろ逃げたほうが良い」

 親分は、百姓等に声をかけた。

「最後までいるべ」

 熊公が、首を横に振って言った。

「んだ」

 八公も、それに頷いた。

「命知らずめが」

 親分は、言った。

「弓を放てっ」

 柏山明助は、配下に命じた。

 城方が放った矢尻を、戸板で防ぎながら稗貫勢が怯む事無く向かって来た。

「前に、三百の兵で百万の軍勢に立ち向かった話をしていたな」

 親分は、聞いた。

「テルモピュライの戦の事か」

 松斎が、答えた。

「で、少ないほうの兵はどうなったのだ」

 少数でも策を弄すれば、多数を倒せるという期待を持って親分は尋ねた。

「全員、戦死した」

 その期待を裏切るように、和尚が即答した。

「大方、そんなこったろうと思った」

 親分は、言った。

 一陣の風が吹いた。

 黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出してきた。

 鬨の声を上げながら寄せ手が突入して来た。

 決死の勢いで、あっという間に御台所前御門に迫った。

 銃の発砲音に臆せず、また弓にも動じぬ屈強な稗貫勢は開錠されている通用門

を次々に潜り抜けた。

 柏山明助は抜刀し、門内に進入した敵を迎え撃った。

 ついに、寄せ手と守り手との白兵戦となった。

 双方入り乱れての激しい戦闘が始まった。

 松も薙刀で応戦した。

 親分の手解き通りに、絞るように柄を握った。

 一閃で相手を倒した。

 少し離れた場所で、親分はつかみ取った砂を相手の目をめがけて投げ付けてい

た。

「汚い真似を」

 目を擦りながら相手が言った。

「事情があってな。まともにやっては勝ち目が無い。俺には俺のやり方がある」

 と言うと、親分は瞬時にして刀ごと相手の右腕を切断した。

 間、髪を入れずに二の太刀で容赦無く白刃一閃した。

 肉を切り裂く音と共に、抜き胴にされた相手の腸が飛び散った。

「体に障害がある者が、生き残る術だ」

 返り血を浴びて、顔面を鮮血に染めながら親分が呟いた。

 次に、手頃な岩塊を敵の脳天に向けて渾身の力を込めてぶつけた。

 すかさず、親分の刀の切っ先は頭を抱える相手の右眼を貫いた。

 静かに深呼吸をすると、親分が突き刺した相手の眼から刀を引き抜いた。

 刃を引き抜かれた眼光からは血がどろりと流れ出し、片方の眼はぎろりと親分

を見据えていた。

 四人の寄せ手が親分を取り囲んだ。

 親分は、刀を縦ではなく横に振り回して牽制した。

 刃が接触し、火花が散った。

 肩を痛めているため、刀を振り下ろす事ができなかったのである。

 しかし、動から静、静から動へと、それは無駄な所作の無い様式美のような能

の動きそのものであった。

 四方の相手を、その斜視で睨み付けて威嚇しながら後ずさった。

 まんまとそれに引っ掛かり、敵が追って来た。

 物陰に隠れていた熊公が、風雨をしのぐように覆いをした火打ち石で火を点け

た。

 八公によって、導火線状に敷かれた木炭と硫黄と硝石を配合して急造した焔硝

が、雨除けの竹管を走るように燃えていった。

 その先に積まれた多量の油を仕込んだ箱に引火した。

 辺りは火の海になった。

 業火のような灼熱に翻弄され、敵は右往左往した。

 すると、別の方角から弓矢が飛来した。

 竹と梅が放った矢だった。

 連携して鹿や猪を追い込む巻狩りの戦法であった。

 降りしきる雨で炎の勢いが弱まった。

 風下に待ち構えていた親分が、逃れて来た敵の心の臓をえぐった。

 これを見て怖気付き二の足を踏んで怯む相手の首を、すっぱりと刎ねた。

 削がれた生首が転がり、どっと血しぶきが噴いた。

 首を失った体は筋肉の条件反射が残っていて、まだ起き上がろうとぴくぴくと

動いていた。

 敵の放つ矢が飛来する気配を、親分は感じた。

 それを避けるため、俊敏に地に伏せ身体を一回転させた。

 血に飢えた野獣のような鬼気迫るその様は、鬼の土面を被って剣を自在に振り

回す鬼剣舞とこの地方で呼ばれる踊りのようであった。

 次々と倒される敵方の戦意はすっかり呑まれていた。

 薙刀を手に戦っている松の背後に斬りかかる賊兵の姿が、親分の藪睨みの目に

映った。

 射手の竹と梅は、気が付いていないようであった。

 駆け付けるには、到底間に合わない離れた場所である。

 親分が、雨除けに番傘を被せた今や無用の長物となった鉄砲を取り上げた。

 そして、器用に左肩で番傘を支えながら慣れた手付きで素早く火薬を仕込んだ。

 それから、首に下げたお守りの紐を歯で引き千切った。

 若い頃、戦場で弾丸が右の胸板を貫通し貝殻骨で止まった。

 あと少しずれていれば、首に当たって死んでいたかも知れない。

 傷口を消毒するため火で真っ赤に熱した脇差しで、親分は自身の胸にその刃を

突き刺した。

 腹を切る痛みとは、このようなものであろうか。

 そんな事を思いながら弾をえぐり出した。

 すんでの所で命拾いをしたが、その後遺症から右腕が上がらなくなっていた。

 その時に摘出した弾を、魔除けとして後生大事にお守りに入れて肌身離さず首

から提げていた。

 中に納めてあった弾を取り出すと、鉄砲に込めた。

 番傘が宙に舞った。

 銃眼で狙いを定めて、引き金をひいた。

〝どん〟

 それまでの空撃ちとは異なり、ずしりと下腹に響くような重い音が周囲にこだ

ました。

 松の後ろの敵が倒れた。

 命中であった。


「空鉄砲の筈では」

 若い家来は、驚いて言った。

 傍らの根子兵庫頭の表情にも動揺の色が隠せなかった。

 車軸を流すような土砂降りになり、体に打ち付ける雨粒は痛いほどであった。

「天運は我等に有り。たとえ実弾があろうとも、この雨では使えぬ」

 自身を納得させるように、年嵩の家来が言った。

 煙るような豪雨で、矢はおろか刀身が届く先も見えない視界の悪さだった。

 十三人の士卒と婦女子と百姓等が、迫り来る三倍以上の数の寄せ手に相対した。

 門を挟んで攻防が続いた。

 親分は、血に酔ったように斬殺しまくった。

 ふいに、親分が痛みを感じた。

 筵を纏って地べたに身を隠し、低い姿勢で相手が構えていた。

 見ると、脇腹に長柄槍が刺されていた。

 不意打ちだった。

 偶然にも斜視の死角から突かれたため、敵の横槍をかわせなかったのだ。

 鉾先は内臓深くまで達していた。

 致命傷であった。

「かかって来いやっ」

 そう叫ぶと、親分は刀で槍の柄を切り落とした。

〝おおおぉっ〟

 仁王立ちで雄叫びを上げるその阿修羅の如き形相に、敵は気圧された。

 深手を負いながらもそのまま前のめりに親分は倒れた。

 地面に切っ先を突き立てて起き上がろうとしたが、力尽きて突っ伏した。

 数多の血を吸い、漆碗のように厚く血糊が上塗りされた刀が親分の手元からこ

ぼれて地に落ちた。


 夜中に叩き起こされた盛岡城の兵達は、押っ取り刀で一路花巻を目指した。

 十左衛門は、鎧兜や弓などの武具を先に舟に載せ、陸奥の大地を北から南に流

れる大河である日高見川を下らせて運ばせた。

 それから、早馬で通る村々に飲み水を手配させた。

 盛岡からの援軍は時を待てぬように、立ち飲みで行軍した。

 それはまるで、本能寺の変直後の秀吉による中国大返しのようであった。

 敵による夜討ちで、壊滅的な打撃を受けた。

 その責は自身にあると、十左衛門は心していた。

 今度は朝駆けで敵を追い払わねばならない。

 出来るだけ早く辿り着きたい十左衛門は、少しでも馬の負担を軽減するためそ

の身を軽く、裸一貫で駿馬として名高い陸奥の軍馬を駆った。

 そんな十左衛門の勢いに負けてか、豪雨は小降りになっていた。

 払暁の刻限であった。

 雨雲も既に去っていた。

 地平線に月が没し、まさに最後の一片の残光も消えようとしていた。

 ゆらゆらと、東の空から陽が射してきた。

 早池峰山の稜線がうっすらと望まれた。

 やがて、曙光の如く前方に花巻城の菱櫓が見えた。

「果たして、間に合ったのか」

 十左衛門は、落城を心配した。

 半刻前までの凄まじい大雨の勢いが嘘のように収まった。

 汚泥にまみれて突っ伏している親分の周りに、松斎や竹と梅、そして松が集ま

っていた。

「傷は浅い。気を確かに」

 竹が、声を掛けた。

「気休めを言うな。五十にして天命を知るか…」

 瀕死の状態のさなかに、気丈にも親分が孔子を論じた。

〝げぼっ〟

 親分は咳き込むと、血反吐を吐いた。

「和尚は」

 松斎を、親分が探した。

「松斎様っ」

 梅が、叫んだ。

 柏山明助は配下の者と共に松斎を囲んで、盾となっていた。

 呼ばれた松斎は、親分の側のぬかるみに座った。

「最後に武士の情けと思って、頼みを聞いては下さらぬか」

 青息吐息で、親分が言った。

「何じゃ」

 松斎が、耳を近付けて聞いた。

「恒産無くして恒心無し。眇で片輪者のしがない俺に付いて来たばかりに、糸の

切れた凧の如く流され、貧乏籤を引かされた竹蔵と梅之助を仕官させて下さい」

 親分は、断末魔を吐くように松斎の手を握りながら言った。

「しかと約定した」

 親分の手を握り返して、松斎は答えた。

「これまで世話になったな。それで帳尻を合わせてくれ」

 そう、竹と梅に親分は言い残した。

「親分…」

 鼻をすすりながら竹が呟いた。

「水臭い事を」

 死に際に、己より子分の身の上を案じる親分を梅は誇りに思った。

 松は、親分の顔に付着した血と泥を丁寧に懐紙で拭った。

 それはまさに、死化粧であった。

「今はの際にこのような美人と巡り逢え、看取られるは男冥利に尽きる」

 決して大仰に笑う事の無かった親分の口元が緩み、笑みがこぼれた。

 松の瞳は、涙に潤んでいた。

 安心しきったように、親分の表情は穏やかになった。

 そして、静かに眼を閉じた。

 松斎、松、竹、梅に見守られながら親分は逝った。

「弔い合戦だ」

 遠巻きに見ていた熊公が言った。

「んだな」

 八公は、返事した。

 意気に感じて、その場にいる全ての者も頷いた。

「ここから先、御本丸には一歩も入れぬっ」

 背水の陣で、柏山明助が言った。


 法螺貝の野太い音が一帯に響いた。

 十左衛門こと北信景が要請した盛岡からの援軍が花巻城を囲った。

「城外を囲まれています」

 稗貫の物見兵が伝えた。

「まさか…」

 余りの早い援軍の到着に、年嵩の家来は絶句した。

 攻めていた稗貫勢は、城の内と外から挟撃される事になった。

 ここに、寄せ手と守り手の形勢は逆転した。

「煮炊きの間の策謀、まさに一炊の夢であったか。なれば致し方無し。撤退する」

 根子兵庫頭は、潔く命じた。

 蜘蛛の子を散らすように、稗貫勢は敗走した。


「果報を寝ずに待っておったぞ。こたびの籠城戦。差し詰め、朝飯前といった所

かの」

 松斎は、上機嫌で十左衛門を出迎えた。

 女中達を連れた浦子が、山盛りにした蕎麦を運んで来た。

「遠路、御苦労であった。千人力の本家の方々に振舞ってくれ」

 松斎が、援軍を労った。

「はい、どんどん」

「はい、じゃんじゃん」

 女中達の掛け声と共に、沢山のお椀に小分けして蕎麦が援軍の兵等に配られた。

 わんこそばであった。

 十左衛門は、神妙な面持ちで近付いて来た。

「悪心を抱きました。人の心を疑うは、最も恥ずべき悪徳です」

 十左衛門が、懺悔した。

「援軍が遅れれば、花巻の城は落ちる。その後に城を取り戻し、儂の代わりに城

代に座る事を考え及んだのであろう」

 松斎は、喝破した。

 真意をつかれて、十左衛門は下を向いた。

「だが、そうはしなかった」

 松斎は、優しく微笑んだ。

「我を殴って下さい。力一杯に頬を殴って下さい。我は途中で一度、悪い夢を見

ました。殿がもし我を殴って下さらねば、ここにいる資格さえ無い。是非に殴っ

て下さい」

 自身の疑念を、竹を割ったような性分の十左衛門は心から恥じた。

 口を真一文字にして、松斎は聞いていた。

 それから、全てを察した様子で頷くと、城内一杯に鳴り響くような音高く十左

衛門の左頬を殴った。

「十左衛門よ。儂を殴れ。同じくらい音高く儂の頬を殴れ。儂はこの一晩の間、

たった一度だけ、ちらっとお前を疑った。初めてお前を疑った。お前が儂を殴っ

てくれねば、儂はお前に合わす顔が無い」

 今度は、松斎が真情を吐露した。

 心得たとばかりに、十左衛門は腕に唸りをつけて松斎の頬を殴った。

「年寄りに遠慮が無いな」

 よろけながらも、松斎は笑っていた。

「はっ。我の誠意の力具合をお見せしました」

 十左衛門は、真面目な顔で言った。

「誠意を尽くした上で、なお生き延びるためには、疑うのも正当な心構えだ」

 相反するこの世の不条理を、松斎は語った。

 浦子が、褌一つの十左衛門に着物を捧げた。

 十左衛門こと北信景は、まごついた。

「信景殿、貴殿は真っ裸ではないか。早くその召し物を羽織るが良い。浦子は貴

殿の裸体を皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」

 気を利かせて、柏山明助が教えてやった。

 城を救った勇者は、ひどく赤面した。


 秀吉の奥州仕置に反発後、没落した和賀忠親は旧領奪還を企んだ。

 手始めに北上し、南部の南の拠点である花巻城を急襲した。

 これは岩崎一揆における最初の戦いで、南部盛岡藩のその後の領土の位置付け

を左右する事となった。

 南部の兵力を花巻城の守りに集中させた隙に、和賀氏は二子城、稗貫氏は大迫

城をそれぞれ襲った。

 根子氏の本来の目的は城取りではなく、南部勢を花巻城に釘付けする事にあっ

た。

 あわよくば、落城させられれば儲けものという陣立てだった。

 その間に、和賀・稗貫連合軍は各支城を陥落させた。

 よって、根子氏の敗走はあらかじめ計算の上での行動であった。

 上杉討ちを取り止め、出羽から戻った南部本家の主力軍は瞬く間に奪われた支

城を争奪した。

 南部軍の激しい追撃の末、和賀・稗貫連合軍は岩崎城を最後の砦にして籠城し

た。

 が、軍配を司った松斎の献策の前に程無く一揆は封じられた。

 最上義光からの報告で、家康は和賀を焚き付けて一揆を煽動した政宗の所業を

知った。

 憤怒した家康は、政宗を呼び付けた。

 そして、和賀氏に出した政宗の花押が記された密書を元に謀反を追及した。

 それに対して、政宗は偽物であると主張した。

 自身の書状には、透かして見なければ分からない程の極小の穴が空けてあると

弁明した。

 家康が入手していた密書には、穴は空いてなかった。

 前もってこのような事態を想定し、政宗は偽の書状を和賀に渡していたのであ

った。

 政宗は、その口を封じるため和賀忠親を黒脛巾組を用いて暗殺した。

 野望を抱く政宗の口車に乗って、和賀忠親は良いように利用された末に捨て去

られたのであった。

 しかし、政宗の嘘を家康は見破っていた。

 同じ手を、秀吉にも使っていたからであった。

 家康は、関ヶ原の戦における論功行賞として交わされていた伊達家百万石の御

墨付きを反故にした。

 和賀・稗貫連合軍は伊達の後ろ盾を失い、援軍無き籠城を強いられた。

 一冬が過ぎた。

 敵城の兵糧が尽きる頃合いを見計って、信愛が動いた。

 南部軍は岩崎城を鼠一匹抜けだせないほど包囲していた。

 南からの風が守り手に有利に働いていた。

 城側のほうは、接近する寄せ手を矢の応戦によって牽制していた。

 軍配を司る信愛は、風を読んでいた。

 柔らかに吹いていた南風がやみ、北風の突風が吹き荒れた。

 岩崎城に立て籠もる敵に対して、厨川の柵の戦で安倍氏を追い詰めた源氏のよ

うに火攻めにした。

 寄せ手の放った火矢は風に煽られて一気に燃え上がった。

 紅蓮の炎は業火の如く城を焼き尽くした。

 逃げ出して来る敵に容赦無く鉄砲が放たれ、雨の如く銃弾が降り注いだ。

 それはまるで、春の嵐で風向きが変わったため平将門が敗れた戦を想起させた。

 信愛の献策の前に程無く一揆は封じられた。

 夜討ちされ落城寸前の花巻城であったが、救援が来る間、傭兵による獅子奮迅

の奮戦により死守された。

 松斎の片腕となって活躍した柏山明助は、その功により千石の知行を得て岩崎

城の城代になった。

 縁の下の黒子の如く身を挺して調整役に徹する新渡戸伝助の姿勢は、代々受け

継がれていった。

〝願わくは、われ太平洋の橋とならん〟

 と唱えて、諸外国との和平を提唱した子孫の新渡戸稲造は海外に武士道を紹介

する事になる。

 松は、親分の生き様を目の当たりにし、武士の妻としての心得を肝に銘じて他

家に嫁いだ。

 十左衛門に淡い恋心を抱いていた浦子ではあったが、身分の違いにその想いを

封じ込めて百姓の熊公と夫婦となり、八公もまた身を固めた。

 親分の子分であった竹蔵と梅之助は、約定通りに松斎に召抱えられた。

 花巻城を救援した十左衛門は、主君南部利直より諱の一字を拝領して直吉と名

乗った。

 だが、その一本気な性格から本家筋との折合いが付かなかったのか、松斎亡き

後に出奔してしまった。

 そして、大坂の陣で豊臣方に味方した責により捕縛され盛岡城で処刑となった。

 御台所前御門近くの二の丸内に、鐘搗堂が置かれた四角山と呼ばれる小高い丘

があった。

 城代本人によって手厚く弔われた後で、見晴らしの良いその丘にひっそりと墓

が立てられた。

 墓石には無名武士親分居士と刻まれていた。

 生前、親分は子分にさえ本名を明かさなかった。

 また、子分等と出会う以前は何処で何をしていたものか、全く不明の謎多き人

物であった。

 結局、何者であったかその氏素性は誰も知る由も無かった。

 岩崎一揆を治め、伊達の侵攻を阻止した松斎は静かに眠るようにその生涯を閉

じた。

 信愛こと松斎が荼毘に付した。

 枕元には父から貰った懐刀と合戦の際、髻に忍ばせた若き頃巡り逢った女の形

見の観音像が置かれたあった。

 戦国時代を生き抜いた末、享年九十一の大往生であった。

 花巻開町の祖と言われる北信愛の命日は、城下の民に親しまれて花巻祭り、別

名その法名から松斎祭りとして今も続いている。


                            ─おしまい。


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座頭軍師ー花巻城の夜討ちー 不来方久遠 @shoronpou

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