第七章 和尚の鬼謀

 夜空を見上げると、満天の星々が降るようであった。

 身一つで城を出立した十左衛門は、敵の目を掻い潜るようにして野を越え山を

越え、十里ほど離れた盛岡を目指していた。

 途中、寝静まった農家を訪ねた。

〝どんどんどんどん〟

 壊れるのではないかと思うぐらい、激しく戸が叩かれた。

「南部の者である。急を要する。馬を借りたい。ここを開けろっ」

 十左衛門が、怒鳴った。

 夜の夜中に叩き起こされた農民は、夜盗かと不審に思いながらも木戸の閂を外

した。

 十左衛門は、曲屋に繋がれた馬の手綱を無理やり引いて外に出た。

 だが、人を乗せる事に慣れていない農耕馬を操るのは難しく、走らせたとして

も脚が遅かった。

 これでは役に立たないと観念した十左衛門は馬を近くの木に繋いで、駆け出し

た。

 城から抜け出て、敵の目を盗んで野を横切り森をくぐり抜け、隣村に着いた頃

には疲労困憊であった。

 辛かった。

 幾度か立ち止まりそうになった。

 えい、えいと大声を上げて自身を叱りながら走った。

 二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、振って湧いた災難に

見舞われた。

 渡るべき橋が無くなっていたのだった。

 秋の長雨により山の水源地は氾濫していた。

 濁流滔々と下流に水が集まった前方の川では、どうどうと響きをあげる激流が

木端微塵に橋桁を破壊していた。

 繋舟は残らず流されて、真夜中では渡し守の姿も見えなかった。

 流れはいよいよ膨れ上がり、海のようになっていた。

 濁流は十左衛門の叫びをせせら笑うかの如く、ますます激しく躍り狂った。

 川波は捲いて煽り立て、そうして時は刻一刻と過ぎていった。

 川を避けるには元来た道を戻り、大きく迂回しなければならなかった。

 そんな悠長な事をしている時は残ってはいない。

 ついに、十左衛門は覚悟した。

 泳ぎ切るより他に無い。

 ああ、照覧あれ。

 ざぶんと流れに飛び込むと、十左衛門は大蛇のようにのた打ち、荒れ狂う波を

相手に必死の闘争を開始した。

 満身の力を腕に込めて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを何のこれしきと、掻き

わけまた掻きわけた。

 獅子奮迅の人の子の姿には神仏も哀れと思ったか、ついに憐憫を垂れてくれた。

 押し流されつつも見事、対岸の樹木の幹にすがりつく事ができたのであった。

 馬のように大きな胴震いを一つして、十左衛門はすぐに先を急いだ。

 峠道を登った。

 登り切ってほっとした時、突然、一隊の山賊に闇討ちされた。

「見ての通り、俺は裸同然だ。金目の物など何も無い」

 十左衛門が、訴えた。

 有無を言わさず一斉に、山賊達は柄から刀身への部分で刃が逆に反った偃月刀

を振り挙げた。

「火急の用なのだ。路を開けろっ」

 そう言って、ひょいと身体を十左衛門が折り曲げると、猛獣の如く身近な一人

に襲い掛かった。

 そして、その刀を奪い取った。

 猛然一撃、たちまち三人を斬り捨て相手を睥睨した。

 蛇に睨まれた蛙のように、残った者が怯んだ。

 勝ち目が無いと踏んだ残党は、先を争うように一目散に雲散霧消した。

 無駄な時を食ってしまったと思った十左衛門は、それを取り戻すかのような勢

いで一気に峠を駆け降りた。

 濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も倒し、韋駄天走りでここまで突破して来た。

 疲労からか、眩暈を感じた。

 間もなく地に倒れ伏せた。

 黒い風が吹いた。

 義だの、愛だの、考えてみれば下らぬ。

 卑劣、裏切、悪徳、人を殺して己が生きる。

 それが戦国の世の定法ではなかったか。

 十左衛門の脳裏に悪鬼が現れ、ちょっと遅れれば良いと耳打ちした。

 援軍が遅れれば、花巻の城は落ちる。

 松斎も討ち死にしよう。

 その後、じっくりと大軍で囲めば城を取り戻せる。

 そうすれば、その恩賞として松斎の代わりに城代に座る事も可能かも知れぬ。

 叢雲の隙間から、北斗の七番目の星である破軍星が見えた。

 十左衛門は、呼吸もしていないではないかと思うくらいの深い眠りに、思わず

落ちてしまった。

 どれぐらい眠ったであろうか。

 潺々、水の流れる音が聞こえた。

 南無三。寝過ごしたか。

 目を覚まし、十左衛門ははっとした。

 そして、猛烈な喉の渇きを覚えた。

 周囲を見回し、水を探した。

 岩の裂目から滾々と、清水が湧き出ていた。

 湧き水を両手ですくって顔を洗い、ごくごくと鯨のように水を呑んだ。

 岩清水の横の祠に、地蔵尊があった。

 先刻のあの悪鬼の囁きはあれは夢だ。

 忘れてしまえ。

 五臓六腑が疲れている時は、ふとあんな悪い夢を見るものだ。

 魔が差した所を、きっと地蔵様が悪鬼を追い払ってくれたのだ。

「?訶訶訶尾娑摩曳娑婆訶」

 と、唱えながら十左衛門は合掌した。

 おんは自己犠牲的な信念で、かかかはかっかっかと嗤いながら、びさんまえい

は稀有なほどに素晴らしい、そわかは成就を願うという梵語で、類稀な尊い地蔵

様をお呼びする真言であった。

 こうして、迷いを払拭した十左衛門は吼えたける山犬を怒鳴りつけ小川を飛び

越えた。

 少しずつ沈んでゆく月の、十倍も早く走った。

 暴虎馮河の末、夜霧に盛岡城の天守の影が見えたように思った。


 松斎は、点てた茶をそれぞれの客に差し出した。

「結構なお点前で」

 味など感じる余裕も無く三口半で呑み干すと、根子兵庫頭が通り一遍の礼を述

べた。

「右に同じく」

 木で鼻を括るが如く、年嵩の家来は言った。

 ぎすぎすした場の雰囲気であった。

「沸かす時のくすんだ煙の芳香が、湯に風味を与える状態をふすべと呼びまして

な」

 茶碗を下げながら松斎が言った。

「単刀直入に申す。当方は無血開城を望んでおる。御坊から降伏するようにお伝

え願いたい。さすれば、城内の全ての者の命は保障する。無論、城代も」

 体躯を二つに折るように深く頭を下げて、根子兵庫頭は和議の申し出をした。

「それで点てたのをふすべ茶と申します」

 相手の問いには答えず、松斎は茶道を語った。

「どうやら耳がお遠いようで。城を開け渡さねば、皆殺しにすると言っておるの

ですぞ」

 わざとらしく声を張り上げて、年嵩の家来はあからさまな表現で開城を強要し

た。

「茶席には似つかわしくない怖ろしい物言いですな」

 松斎が、言った。

「返答は如何に」

 業を煮やし、ずいと前に出て年嵩の家来は迫った。

「坊主殺さば末代祟ると申します。もう一服如何かな」

 馬耳東風と聞き流すふてぶてしい態度を、松斎はとっていた。

「要らぬ。そもそも茶を呑むのは建前。和議に応ずるか否かを問いに参った所存」

 年嵩の家来が、片膝を立てて凄んだ。

「互いに無益な血は流したくない筈」

 根子兵庫頭は、家来を制しながら穏やかに言った。

「根子様は稗貫の家臣と仰せでしたが、その稗貫の殿様は何と申される方ですか

な」

 松斎は、問い掛けた。

「今は言えぬ」

 根子兵庫頭が、口を閉ざした。

「ほう。戦にあって名乗り合うは武士の習いと思われますが」

 相手の非礼を、松斎が突いた。

「主自らが名乗るのが筋。我の口からは言えぬ」

 根子兵庫頭は、逃げ口上だった。

「降伏が恥と言うなら、城を捨てれば良い事。逃げる者を我等は執拗には追わぬ」

 年嵩の家来は、告げた。

「取り囲んでも必ず逃げ道を開けて、進退窮まった敵をあまり追い詰めず。孫子

の囲師必闕でございますな」

 松斎は、兵法を語った。

「当方の意図が通じているならそれで良し」

 根子兵庫頭は、言った。

「野山の禽獣は、天敵から身を守りながら空腹を満たすためだけに全力でその日

を生き抜き、その番いは子孫を遺すと死んでしまいます。一体、人と獣と何が違

いますやら」

 別の話を、松斎が持ち出した。

「家名でござろう。それなくして、人いや武士とは申せぬ」

 きっぱりと、根子兵庫頭は言い切った。

「いつまでも冷飯を食ってはおれませぬゆえ」

 続けて、年嵩の家来が言った。

「お家復興でございますな」

 話の流れで、松斎は聞いた。

「我等の悲願が達成される日も近い」

 年嵩の家来は、知らずに調子に乗らされていた。

 根子氏のご意見番を務めるほどであったが、こと戦場に至っては戦巧者で一枚

も二枚も上手な松斎の言動に、つい普段の落ち着きを忘れてしまっていた。

「決して小さくは無い花巻の城。城の周りには多くの方々が加勢に参っておるの

でしょうな」

 松斎は、鎌を掛けた。

「袋の鼠ぞ」

 年嵩の家来が、強気で言った。

「南部の支城と知って攻めるのですから、お味方はさぞ名のある方かと」

 謎かけのように、松斎は問い質した。

「西方の戦次第で、ここの勢力図も代わろうぞ」

 ほだされて、つい年嵩の家来が口を滑らした。

「無用な詮索は、それまでにして頂きたい」

 まずいと思い、根子兵庫頭が話に割って入った。

「はっ。出過ぎた物言いをしました。相済みませぬ」

 失言に気付いて、年嵩の家来が謝った。

 やはりそうであったか。

 背後に何者かの手蔓がある事は疑うべくもないと、松斎は思った。

 それは南の伊達とは限らなかった。

 漁夫の利を得るため、南部と伊達を争わせる勢力の可能性もあった。

 上杉かも知れないし、最上かも知れない。

 弾は前から飛んで来るとは限らない。

 あるいは、想像したくはないが内通した味方が仕組むいう事も有り得る。

 松斎の脳裏に、十左衛門の姿がよぎった。

「それはそうと、城攻めには籠城する兵の十倍の数で討たねば十分と言えぬと申

します」

 思い出したかのように、松斎が言った。

「それが何か」

 根子兵庫頭は、聞いた。

「老婆心とは存ずるが、そちらの手勢で果たして足りるかと思いましてな」

 松斎は、岡目八目のように助言した。

「何がでござる」

 根子兵庫頭が、聞き直した。

「儂の見立てでは、城には大層な数の兵が居るようで、米が足りぬと聞き及びま

したが」

 しれっとして、松斎が言った。

 兵糧の話を言っておるのか。

 根子兵庫頭は、あえて城の蓄えを語る松斎の意図が分からなかった。

 わざわざ、城内の米の量を敵に話すのは遠回しに降伏する意思があると言う事

か。

 和尚を騙っている手前、城代として自ら落城を手引きする背信行為の後ろめた

さを誤魔化しているのやも知れぬ。

「稲の刈入れはとうに終えておるようですが、昨今の秋の長雨により脱穀した年

貢米が城の蔵に運びきれておらぬようで。台所事情は火の車と」

 兵糧の様子を、さも他人事のように淡々と松斎は話した。

「城内では日に如何ほど入用と思われるか」

 根子兵庫頭は、城中の兵数を量るため探りを入れた。

 この一戦に際して、五百の兵で臨んでいた。

 だが、その内九割の兵は借り物であった。

 根子氏が率いていたのは、実際の所は十分の一の五十名足らずだった。

 花巻の城兵を外におびき寄せて一網打尽に討ち取った後、大半である四百五十

の兵力はすぐに本来の陣に取って返していた。

 籠城する兵の数が寡少であると踏んだがゆえの策だった。

 限りある兵数を遣り繰りしていたのは、城方と同様であった。

「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半。信長公が言っておったそうじゃ

が」

 人はどんなに偉かろうとも起きている時は半畳、寝そべっても精々一畳分の存

在でしかなく、たとえ天下人になっても一食は二合半が限度である。

 あくせくと富貴ばかりを求めても虚しいだけであると、松斎は為政者の心得を

説いた。

「拙者のような朴念仁には、馬の耳に念仏ですな」

 今まさに城取りの最中の根子氏に取っては、達観したかのような松斎の説法は

聞く耳持たずであった。

「そう謙遜したものでもあるまいて」

 松斎が、言った。

「要はいくら食うのです」

 年嵩の家来は、答えをはぐらかそうとする松斎を牽制した。

「中には大喰らいもおるでのう」

 勿体つけたように、松斎が言った。

「千里眼を持つ御坊のような方なら、城の費えを見通すぐらい造作もないかと」

 相手をおだてながら根子兵庫頭は尋ねた。

 ここで下手に焦って問い詰めた結果、逆に攻める側であるこちらの兵数を悟ら

れたのでは藪蛇になるからであった。

「まあ、一人四合といったところかの」

 松斎は、言った。

「都合、いくばくであろう」

 根子兵庫頭は、核心に迫った。

「約十俵ほどになるか」

 いけしゃあしゃあと、松斎が答えた。

 十俵とな。

 朝夕、一日二食という食習慣のこの時代にあって、日に一人四合を食すとすれ

ば千食分の量であった。

 馬鹿な、千人が城に詰めていると申すか。

 そんな筈は無い。

 とんだ三味線だ。

 だが、あの松斎の余裕は油断ならぬ。

 城兵の数が分からぬでは、攻める我等が不利となる。

 松斎との問答は暖簾に腕押し、糠に釘で手応えに欠けた。

 いっその事、首をへし折ってやろうかとも思った。

 桶狭間の戦のように敵の大将首を掻けば、残された将兵は総崩れし烏合の衆と

なって戦は終わるかと。

 それでは和議を口実にした騙し討ちになり、武士の本懐を遂げたとは言えぬ。

 だが、生き馬の目を抜く戦国の世にあってはそれも有りか。

 根子兵庫頭は、逡巡した。

 そして、間を置き冷静に考えをまとめた。

 城代の首を獲った事によって弔い合戦の様相を呈し、結束が固まり逆に厄介に

なるかも知れぬ。

 どこからか、烏の声が聞こえてきた。

「月落烏啼霜満天」

 月は西に傾き、烏が啼き渡って、霜の気配が空一面に満ち満ちている。

 今の眼前の景色を、松斎が張継の詩で楓橋夜泊の一節を諳んじて言い当てた。

「欠けていく月を見ると、この世の儚さを感じますな」

 感慨深げに、松斎は呟いた。

 聞いてもいない詩を聞かされて、根子兵庫頭はすっかり松斎の土俵で相撲を取

らされていると感じた。

「茶の道とは一生に一度だけの出会いを悔いの無いように誠心誠意もてなすのが、

その真髄とお聞きします」

 待ったを掛けて仕切り直す意味合いで、根子兵庫頭が話を振った。

「時は決して戻らぬ。今宵の野点は一度限り。亭主も客も共に思いやりを持って

取り組むは一期一会」

 松斎が、答えた。

「であれば、その誠意を是非見せて頂きたいものですな」

 年嵩の家来は、皮肉った。

「お口直しに、南部煎餅は如何か。縁起物と評判の煎餅でして。その昔、前九年

・後三年の役の際、坂東太郎と名を馳せた源義家の弟の義光を始祖とする甲斐源

氏に、南部光行という者がおりましてな。甲斐の南部郷にいたため」

 松斎は、南部の由来を再び語り出した。

 竹と梅が大あくびをしていた。

 時を稼ぐためとはいえ、よくもまあ酢の蒟蒻のと話を蒸し返せるものだと、親

分は感心していた。

「そのお話は先ほど伺っております」

 堂々巡りのくどい話に、これにはさすがにうんざりといった顔で根子兵庫頭は

呆れた。

「はて、そうでしたかの。近頃、物忘れがひどくて。寄る年波には勝てませぬな」

 あっけらかんと、松斎は言った。

 いい加減潮時と考えた根子兵庫頭は、年嵩の家来の目を見て頷いてみせた。

「要するに、降伏はせぬという事でよろしいか」

 年嵩の家来が、最後通牒を促した。

 雲間に、月が隠れた。

「風が出てきましたな。明日は雨かの」

 空を見上げて、はぐらかすかのように夜風に吹かれながら松斎は言った。

 その時、一頭の馬が現れた。

 とっさに、親分が行燈を吹き消した。

 竹は、炭火に水を掛けた。

 梅も、場を片付けた。

 真っ暗になり、七輪から濛々と湯気が立ち上った。

 人影もぼんやりと水蒸気に紛れた。

「今宵の野点もこれにて御免」

 と呑気に喋る松斎を囲むようにして、親分等が警戒した。

「残心か」

 根子兵庫頭が、呟いた。

「茶道においては単なる客人の見送りですが、戦場では敵が再び襲ってきても止

めを刺せるように身構える所作にございますな」

 年嵩の家来が、茶道とは異なる戦時の構えを語った。

 若い家来が、流鏑馬の如く騎射した。

「一寸先は闇。こっちじゃ」

 点前座に隠れるように、松斎は皆を促した。

 矢は屏風に突き刺さらずに、逆に跳ね返されて落ちた。

 親分が、屏風の裏を見た。

 中には、鉄板が仕込んであった。

「焔硝を拵える時に使った十左衛門の鎧の鉄板を再び使ったまで」

 松斎は、言った。

「なるほど」

 親分が、頷いた。

「亭主と招かれた客の心が通じ合い、気持ちの良い状態が生まれるは一座建立。

願わくば、そういう茶席にしたいものでしたが」

 去り際に、松斎は言った。

「残念至極。我もそれを望んでおりました」

 声を張り上げて、根子兵庫頭が返した。

「走るのじゃ」

 松斎は、暗闇の中を脱兎の如く走った。

 親分等も付いて行った。

 その速さは、とても齢八十近い老人のものではなかった。

 物の怪が乗り移っておるのか。

 親分は、思った。

「昨日の茶会で熊が言うとったわい。城など早々に捨てて逃げれば良いとな」

 松斎は、言った。

「命有っての物種」

 親分も、同意した。

「武士とは悲しいの。命と引き換えにしても城を護ろうする。城を失うは、命を

失うも同じと考える」

 駆けながら松斎は言った。

 第二射のために、騎馬が戻って来た。

「止めよっ」

 根子兵庫頭は、両手を水平に挙げて制した。

「危のうございます」

 年嵩の家来が、言った。

「茶席での闇討ちなど卑怯者と謗りを受けるは末代の恥ぞ」

 根子兵庫頭は、義経を守る弁慶の如く立ち塞がった。

 やむなく、若い家来は弓を収めた。


「飯を焚け」

 這々の体で城に戻るなり、松斎が言った。

「どれぐれいでがすか」

 浦子が、飯の量を聞いた。

「千人分じゃ」

 松斎は、言い放った。

「十人の間違いではながすか」

 その数に、驚いたように浦子が聞き返した。

「間違いではない」

 松斎が、答えた。

「百人でも多いのに、本当に千食で良がんすな」

 確認するように、浦子は言った。

「さよう」

 当然の如く、松斎が答えた。

「そっだに沢山の米はねえ。蕎麦ならあるべも」

 浦子は、心配した。

「構わぬ」

 松斎が、言った。

「せっかく作っても余るなす」

 尚もしつこく、浦子は食い下がった。

「その時は、敵方に馳走してやれば良い」

 呑気に、松斎は言った。

「それでは、鴨が葱しょって来るようなもんだもの」

 無念そうに、浦子が話した。

「うまい事を言う」

 松斎は、笑った。

「真面目な話だす」

 真剣な表情で、浦子は抗議した。

「許せ。今のは戯れだ。盛岡から来る援軍のために用意しておくのだ」

 松斎が、説明した。

「そうであんしたか」

 ようやく、浦子が納得した。

「竃の煙と匂いをさせれば、城内にどれぐらいの数の兵が残っているかを察する

筈」

 松斎は、言った。

「ううむ。朝飯の数で欺くか」

 親分は、唸った。

「苦肉の策だが、虎視眈々と攻め込む時機を窺う敵を、我がほうの援軍が来るま

で踏み留めねばならぬ」

 松斎が、説いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る