第六章 薪能と深夜の野点

 根子兵庫頭は稗貫氏に仕えていた。

 稗貫氏は花巻城、元の鳥谷ヶ崎城の主であった。

 鎌倉時代より陸奥国のこの地方に根付いていた国人領主の稗貫氏は、戦国の世

を生き残るため近隣の地を治める同じ国人領主である和賀氏と養子縁組をしてい

た。

 その和賀氏は秀吉による小田原攻めに参陣しなかったため、奥州仕置によって

領地没収の憂き目を見ていた。

 それに与した稗貫氏もまた一蓮托生であった。

 そんな和賀氏を陰から支援したのが、伊達政宗だった。

 こうして没落した和賀氏は政宗の庇護下に置かれた。

 出羽に出陣するに際して、政宗は言葉巧みに和賀忠親に挙兵を促がした。

「己が才覚で領地を切り取るがよい」

 政宗は、和賀氏に白羽の矢を立て、その領袖である忠親をけしかけた。

 家康と三成との大戦に決着が付く前に領地を切り取っておけば、新しいお上に

認めて頂けるように取り計うと密約した。

 北の梟雄である政宗自身少しでも北上して、三日月の円くなるまで南部領と言

われ、四国に匹敵するほどの広大な陸奥を奪取したかったからであろう。

 巧言令色な政宗の策に、まんまと和賀氏は乗せられたのだった。

 和賀忠親が兵を挙げた時、南部氏の主力は出羽国に出兵していた。

 先端を切ったのは、和賀氏の縁戚である稗貫氏であった。

 稗貫勢は元の居城であった花巻城を南部から取り戻す好機と捉えていた。

 伊達政宗の後ろ盾を得て、和賀勢と元の城主である稗貫氏が攻めて来たのであ

った。

 上杉討ちに際して、最上義光救援のため花巻城の兵のほとんどが出兵していた。

 先に外におびき寄せた城兵を討ち取り、手薄になった城内に居残る数十名に対

して、五百の和賀勢は十分な兵力で攻城戦に臨んだ。

 その筈であった。

 しかし、その実は城を攻めている側が、逆に追い詰められているような錯覚に

囚われていた。


「御苦労様にございます」

 松は、敵と一戦交えて城に戻った八面六臂の親分に言葉をかけた。

 城に縁もゆかりも無い者が、命を賭して戦う姿に胸を打たれていた。

 と同時に、これまで親分の人となりを誤解していた自分を恥じた。

 人を外見で判断していた己の思慮の浅さを思い知ったのであった。

「遅ればせながら改めまして、私は南部の守将、田中藤四郎が娘の松と申します。

名をお聞かせ下さい」

 松が、正式な挨拶をした。

「名乗るほどの者ではない」

 ぶっきらぼうに、親分は言った。

「是非、お名を」

 名乗られて、答えぬは非礼であるという風で松が食い下がった。

 困惑している親分の目に、桃ノ木が見えた。

「桃之木です」

 思いついたように、親分が答えた。

「木に生る桃でございますか」

 松は、意外であるといった表情をした。

「はい。桃之木四十肩です。じき五十肩ですが」

 頭を掻きながら親分は煙に巻いた。

「まあ」

 思わぬ親分の冗談で、松の表情に笑みがこぼれた。

 時代は戦国の世。

 命のやりとりをする場においては、容易に本音を明かさぬ処世術は必定の事で

ある。

 談義所で兵法を学ぶ松にしてみれば、数々の修羅場をくぐってきたであろう親

分のそういう性分が今にして理解できた。

「何か、私に御手伝いできる事はないでしょうか」

 神妙な心持ちで、松が申し出た。

「楽をたしなわれるか」

 親分が、聞いた。

「笙を少しばかり」

 控え目に、松は答えた。

「なれば、即興をお願いしよう」

 親分は、言った。

「今にございますか」

 如何にも急であると感じながらも何か深い考えあっての事と思い、松は楽器を

取りに行った。

「能とな」

 親分からの申し出に、松斎は聞き質した。

「何のためか」

 柏山明助が、被せるように質した。

「今宵、薪能を催したい。場は菱櫓が良かろう」

 柏山明助の言を、無視するかの如く親分は言った。

「戯れにもほどがある。今は戦の最中ぞ」

 柏山明助は、気色ばんでいた。

「なるほど。余興を演じ、敵の戦意を削ぐか。で、何が要る」

 面白がるように、松斎は聞いた。

「そのような事を聞き入れるのですか」

 驚いたように、柏山明助は言った。

「囃子方に一人加勢を頼んだ」

 親分は、言った。

「私でございます」

 松が、前に出て来た。

「戦場に女子は無用。それに能は女人禁制の筈」

 当て付けるように、柏山明助は言った。

「能と言うほどの物ではござらん。猿楽の真似事ゆえ、女人でも構わぬ」

 親分が、答えた。

「承知した」

 松斎は、言った。

「殿」

 不服申し立てをするつもりで、柏山明助が言いかけた。

「何か」

 低い調子で答える松斎の眼は鋭い物であった。

「いえ、何も」

 柏山明助は、どすの利いた声とその眼光に気圧されて二の句を呑み込んだ。

 竹と梅は、おのおの仕度に取り掛かっていた。

「もういいぞ。そのくらいで十分だ」

 親分が、百姓等に言った。

「鉄砲はもうよがんすか」

 熊公が、精を出している焔硝作りの手を止めて聞いた。

「良くやってくれた。とても助かる」

 親分が、熊公八公を労った。

「次は何すべ」

 八公は、興味津々だった。

「松明を菱櫓の四隅にしつらえてくれ」

 親分は、言った。

「分がりあんした」

 八公は返事をして、熊公と共に親分の指図に従った。

 遠くで梟が鳴く、草木も眠る丑三つ時であった。

 晧晧と光っていた月が叢雲に隠れた。

 花巻城を囲んだ川縁に、薄の穂が風にそよいでいた。

 城の方から、甘い香の匂いがほのかに漂ってきた。

 香木が焚かれていた。

 柏山明助が進呈した、先祖伝来の家宝の白檀であった。

 百姓の熊公八公の手によって、菱櫓の四方に薪が燃やされた。

 舞台は整った。

「演習もせず、私にこのような大役が務まりましょうか」

 松が、心配気に言った。

「即興が、能の神髄」

 と、親分は答えた。

 松は、笙の音の具合を見ていた。

「銭が無い時は猿楽の座興で稼いでいたものよ」

 やにわに、親分が言った。

 松には、親分が緊張をしているのが分かった。

 竹と梅は、それぞれ分解して所持していた大鼓・小鼓を慣れた手捌きで組み立

てた。

「能管を吹いていた者は、白皙で品のある奴だった。竹と梅、それに俺もそいつ

に手解きを受けた。たぶん相応の名家の出だったんだろうが、体が弱くてな。放

浪の果に、病を患いおっちんじまった」

 武者震いを和らげるためか、口数の少ない親分が珍しく多弁に身の上話を喋り

出した。

 親分は、垢染みた袷を裏返して着た。

 それは猿楽用の柄に染められた装束であった。

「その後、興行の代わりにいんちき博打で食って来た。舞うのは、久しぶりだ」

 そう話すと、親分は小面を被り櫓に上った。

 優雅な笙の音色が響いてきた。

 瓢箪の一種のふくべを切り、吹き口を付けて壺とした笙は雅楽に用いられる楽

器である。

 能楽においての囃子は、本来は能管と言われる笛であるが笙で代用された。

 松は、環状に立て並べた十七本の竹管から美しい音色を奏でた。

 囃子方は櫓の下に座っていた。

〝かん〟

 乾いた甲高い音が鳴った。

 和紙で固めた指皮を付けた右の指先を駆使して、竹が大鼓を打った。

 おおかわとも呼ばれ、左膝の上に置いて手で皮を打ちながら拍子を取るもので

あった。

〝ぽん〟

 そして、軽快な音が続いた。

 梅の右肩に乗せた小鼓が鳴った。

 胴下の方を左指で調べの緒を調節しつつ、右手で打った。

 鼓の両面の皮を胴に当てるために、皮のふちにかけて連結する紐を、打つ時に

左で締めたり緩めたりする事で微妙な音律を奏でる仕組みであった。

 江戸時代までは猿楽、後に能と呼ばれる舞を披露するため親分は舞台に立った。


 雲間に、満月から少し欠けた月が出て来た。

 中国・唐の時代から日本に伝えられた風習で、仲秋の名月と言われる十五夜は

有名である。

 当時貴重であった里芋の収穫を祝う行事で芋名月とも呼ばれていた。

 その後、天の恵みに感謝して、この時期の収穫全般を供えるようになっていっ

た。

 芋・野菜・米等を月の形に似せて団子にし、その年の月数である十二個(閏年

は十三個)と薄を供えた。

 薄は生命力が強い事から、健康祈願の意味が込められていて、軒先に吊るすと

一年の間病気にならないとされている。

 また、十五夜と十三夜の両方を祝わないのは片月見で縁起が悪いとされ、日本

独自の文化として翌月の少し欠けた十三夜に粟や豆を供える所もある。

 完全に満ち足りた瞬間から凋落が始まるので、頂点に達する途上であるモノを

愛でる独特の美意識でもある。

 この思想は徳川家康を祀る事になる日光東照宮において、廓の柱の一つを逆さ

に作り、故意に不完全にして魔を祓う建築技法にも垣間見える。

 明治になるまで日本で太陰暦が用いられたのは、朝廷に及ぶ陰陽思想から太陽

よりも月の動きを基準にしていたためであった。

 月は欠けてもまた満ちる。

 つまり、一度姿を消しても再び現れる事から不老長寿の象徴でもあり、天に耀

くモノとして畏敬の対象とされた。

 欠けた月明かりと薪の炎に照らされて、能舞台が乾闥婆城のように現出した。

 そして、城塀の一番高い櫓に能楽師が現われた。

 装束を身に纏い、能面姿でたおやかな女形を演じる様は、普段の武骨な親分と

はまるで別人のようであった。

 笙、大鼓と小鼓の伴奏に合わせて、薪能が始まった。

 稗貫の兵達は、何事かと思い舞台を注視した。

 それはまるで、帝釈天に仕えて音楽を司り、武装し獅子冠をかぶって、香のみ

を食すと言う乾闥婆神が幻術によって空中に作り出した楼城のようであった。

「ふざけた真似を。誰か、射殺せ」

 若い家来が、怒鳴った。

 しかし、矢も鉄砲の弾も届かぬ距離だった。

 無論、親分はその事を承知しての振る舞いであった。

「無粋な事を申すでない」

 根子兵庫頭が、諌めた。

 静かに、そして厳かに序の舞が始まった。

 藪睨みの悪相が隠された能面を被った親分の姿は、異彩を放っていた。

 中頃を過ぎて破の段になると、囃子方の調子が変わり速くなっていった。

 速い拍子のまま、舞が最高潮に達して急となった。

 笙、大鼓と小鼓の囃子方は、絶妙な韻律を奏でた。

 そして、能楽師もそれに応じた。

 それは、ただの座興ではなく即興芸術としての幽玄さを表現していた。

 四半刻ほどの舞いが終わると、城方のみならず稗貫兵からも万来の拍手が巻き

起こった。

「おのれ、我等を愚弄する所業なり。こうなれば、一気に攻め立てましょうぞ」

 憤懣やるかたない勢いで、若い家来が上申した。

「戦にあっても能を催し、風流を解する余裕があるという事だ」

 根子兵庫頭は、やんわりとそれを制止した。

「それだけ戦力を保持しているという証かと」

 年嵩の家来も、同意した。

 若い家来は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「眼前の城に籠もる者共、ただならぬ」

 この戦、一筋縄ではいかぬと根子兵庫頭は思った。

「眼下に見える旅人の上着を剥ぎ取る事を競い合った、北風とお日様の昔話を御

存知か」

 と、唐突に年嵩の家来が切り出した。

「知らぬ」

 こんな時に何だと言うように怒気を含んで、若い家来は声を荒げた。

「昔々にあっだずも。初めに、北風が力任せの強風で旅人の上着を吹き飛ばそう

としたんだ。んだども、旅人は寒さから身を守るため、決して上着を手放そうと

はしなかったんだど」

 年嵩の家来は、おもむろに語り出した。

「何だ」

 焦れたように、若い家来が言った。

「次にお日様の番になると、その陽射しから暑さのため旅人は自分から上着を脱

いだとさ。どんどはれ」

 語りは終わった。

「何が言いたいのだ」

 若い家来は、急かすように促した。

「力ずくで城から出そうとせず、自分から城を出るように仕向けさせる法を探れ

というのだな」

 年嵩の家来からの献策を、根子兵庫頭は了解した。

 寄せ手側から一人の兵が、御台所御門前に近付いて来た。

 狭間に、柏山明助の配下の者が弓を構えた。

「撃つなっ。使者である」

 使者の兵は、門上の櫓に向けて数個の穴があけられて飛ぶ時に風切り音をさせ

る鏑矢を放った。

〝ぴゅううううう〟

 暗がりに、高い音が響いた。

 突き刺さった矢には書状が巻きつけられていた。

 矢文であった。

「いや、見事な舞であった。今宵は、良い物を見せて貰った」

 松斎は、破顔しながら親分に声をかけた。

「冥土の土産になったか」

 親分は、褒められた照れ隠しに軽口を叩いた。

「殿に何たる無礼」

 主君に対する暴言に、柏山明助は血相を変えた。

 そこへ、伝令兵が走って来た。

 兵から文を受け取った柏山明助は、それを松斎に手渡した。

「見てみよ」

 松斎が、促した。

「和議の申し出です」

 柏山明助は、言った。

「きたか」

 待ち人来たるかのように、親分は言った。

「能は効いたようだの」

 松斎も、ほくそ笑んだ。

「受けるのでございますか」

 柏山明助が、聞いた。

「まさかな。相手とて端から結ぶ気などありますまいて」

 松斎は、答えた。

「さりとて、このまま申し出に対して、無しのつぶてという訳にもいかぬかと」

 力攻めの敵襲を警戒する柏山明助は困惑していた。

「夜明けまで、何としても時を稼がねばならぬ。それに、背後で手引きしている

本当の相手を探っておかねばな。虎穴に入らずんば、虎子を得ず。次は儂の出番

かの」

 松斎は、呟いた。

 相手と直接相対する事で松斎は敵を牽制し、その正体を窺おうとしていた。

 だがそれは、敵とて同じ事で諸刃の剣であった。

「敵は和議を口実に城内の兵数を計るためかと」

 柏山明助が、進言した。

「城内に入れねば良いのだ」

 松斎は、言った。

「では、どこで」

 柏山明助は、訝しげに聞いた。

「話合いの場は御門前の橋の上。時は寅の二つ刻」

 松斎は、言った。

「お供つかまつります」

 ずいと、柏山明助が進み出た。

「先のある若い者のために、老い先短い者が盾となるのが老人の務め。お主は残

るのじゃ」

 松斎は、厳に制した。

「そうはいきませぬ」

 柏山明助が、抗弁した。

「南部としての正統な武士が残らねば、誰がこの城を守る」

 松斎は、諭した。

 死地に赴く松斎の覚悟を、柏山明助は見てとった。

「悲観して戦立てをし、楽観して動け。それが儂の流儀じゃ。では、お手前等。

手伝いを頼まれてくれるかの」

 松斎は、随伴として親分一派を指名した。

「死んでも惜しくは無い者を選んだという訳か」

 親分が、皮肉った。

「まあ、そう気を悪くするな」

 松斎は、言った。

 親分は、茶道具一式を収納した持ち運び用の箱である提籃を持たされた。

 竹と梅はそれぞれ、涼炉としての七輪、水、敷物、そして茶を点てる際の屏風

の点前座を任された。

「お茶の点前なら、私も御伴させて下さりませ」

 松が、名乗り出た。

「力仕事になるでな。せっかくじゃが、ご遠慮願おう」

 その申し出を、松斎は辞退した。

「お役に立ちとうございます」

 松は、食い下がった。

「鈍いな」

 ぼそりと、親分が呟いた。

「何と」

 きっとした目で、勝ち気な松が質した。

「足手まといになると言っているのだ」

 親分は、木で鼻を括るように言い放った。

「能の囃子方として、姫様は既に十分お働きでございます」

 竹が、いたわるように話しかけた。

「ここは、我等に譲って下さい」

 梅も、機嫌を損ねた松に対して、まるで腫れ物に触るかのように言った。

「殿を頼む」

 柏山明助は、親分に頭を下げた。

 親分は、柏山明助の肩をぽんと叩いてそれに応じた。

 返答の矢文が、城外に放たれた。

「猿楽の次は、真夜中に野点だと」

 城からの文を見て、呆れたように若い家来が言った。

「城の中へは入れず、まさか城外の橋の真ん中とは」

 年嵩の家来は、言った。

「陽動策により、先に城の主力は大方討ち取った。こちらの計算では城内には多

く見積もっても、三十名を越える兵が残っているとは思えぬ。唯一の計算外は、

意外な数の鉄砲を持っていたという事か」

 反芻するように、根子兵庫頭は言った。

「鉄砲の有る無しで、城攻めを止めた由には非ず」

 出陣自体が必要不可欠であり、攻城戦そのものには落ち度が無い旨を年嵩の家

来は評した。

「城兵の数が正しく読めねば、攻めた所でいたずらに預かった兵を失うばかり。

事態を打開するためには致し方ない」

 根子兵庫頭は、腰紐から大小を抜いて置いた。

「何をしているのです」

 若い家来は、信じられないという風だった。

「茶席であれば、刀は不要であろう」

 根子兵庫頭は、言った。

「お供致します」

 年嵩の家来も、刀を置いて言った。

「無謀とはこの事。むざむざ殺されに参るようなもの」

 若い家来は、その自滅行為に驚いた。

 深夜の橋の上に、行燈のともし火が揺らめいていた。

 橋に向けて、敵味方双方弓が構えられた。

 矢の届く範囲ではあったが、行燈一つの暗がりで放つ事は敵味方の誰に当たる

とも知れず狙撃するのは不可能であった。

 敷物が敷かれた橋の上に、松斎が鎮座していた。

 点前座が置かれて、茶の即席が準備された。

 松斎は、炭手前がなされた七輪で火を熾した。

 そして、水を入れた鉄瓶を置いた。

 丸腰の親分等は側に控えていた。

 頃合いを見計って、根子氏と家来がやって来た。

 目の前の和尚の正体を知っていた根子兵庫頭は驚いた。

 まさか大した供も連れずに、しかも武装もしないでこの場に来るとは思いもし

なかったからである。

「稗貫の家臣、根子兵庫頭と申します」

 正客である古豪が名乗った。

「通りすがりの仏僧でございます」

 松斎は、和尚の振りで会見に臨んだ。

「そのお声に聞き覚えがあります。円城寺からの道すがら三の丸に居られた御坊

ではありませぬか」

 ずばりと、根子兵庫頭は言った。

「さよう。こうして再び相まみえるは奇遇ですな」

 松斎は、しらっと答えた。

 両者、腹の探りあいが始まった。

「確か、なめとこ山に帰ったのでは」

 根子兵庫頭が、聞いた。

「急の戦で城に留め置かれましてな。使者に立てとの命がございまして。家中の

大事な将兵よりも、死んでも惜しくない部外者の拙僧に白羽の矢が立ったようで

す。かっかっか」

 松斎和尚は、闊達に嗤った。

 まるでそれは釈迦如来入滅後、仏の出現までの世界において六道の民衆を教化

するという地蔵菩薩の如き嗤いっぷりであった。

 隅に控えた親分は、松斎の言を聞いて苦笑していた。

 見え透いた嘘を付くのは、城代本人と稗貫当主の名代としての立場の差を慮っ

ての振る舞いか。

 飽くまでも城代である事を隠し通すとあらば、それも良かろう。

 ならば、当方も知らぬ振りで応対するまでの事である。

 そのほうが話し易いかも知れぬと、根子兵庫頭は思った。

 それは、根子狐と松斎狸の化かし合いのようであった。

「昔から、腹が減っては戦は出来ぬと申しますな」

 と言って、松斎は茶のお菓子として煎餅を振舞った。

 それは、早朝に作り置きしていた南部煎餅であった。

 元は松や浦子、百姓の熊公八公等との茶会のためだったが、日持ちもするので

多めに拵えていたのであった。

「御免。先に頂戴致します」

 次客にもかかわらず、毒見のため年嵩の家来が先んじて煎餅をかじった。

「毒など盛ってはおりませぬゆえ、ご安心なされ」

 松斎は、言った。

 席順を無視した家来の無用な振る舞いに、根子兵庫頭はばつが悪そうな表情を

した。

「縁起物と評判の煎餅でして」

 ふくさ捌きで茶の道具類を清めながら松斎は言った。

「それは南部にとってのお話でござろう」

 戦勝祈願の南部煎餅の由来を知る根子兵庫頭は、松斎の揚げ足を取った。

〝しゅうっ〟

 鉄瓶から湯気が出る音がした。

 湯を汲むと、松斎は茶碗に注いだ。

 そして、蓋置に柄杓を立てかけた。

「その南部でございますが、前九年・後三年の役の際、坂東太郎と名を馳せた源

義家の弟の義光を始祖とする甲斐源氏に、南部光行という者がおりましてな。甲

斐の南部郷にいたため、南部氏と名乗っていたそうな。頼朝公が石橋山で挙兵し

た際、南部光行はそれに従った。奥州藤原氏征伐の折、南部光行は阿津賀志山の

戦で藤原国衡を破った功から糠部五郡を賜り、陸奥国の三戸平に城を築いた由に

ございます」

 南部の歴史を松斎は一息に話すと、茶碗を漱いだ湯を建水に移した。

「我が仕える稗貫氏は、その頼朝公の遠祖ぞ」

 根子兵庫頭は、頼朝家臣として元は稗貫と南部は対等であるかのように言った。

「それが今やこうして対立するは、まこと因果なものですな」

 しみじみと、松斎は言った。

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