第五章 奇才の親分

 この頃、家康と三成が東軍と西軍に分かれて雌雄を決する戦いに臨もうとして

いた。

 決戦の舞台は西の関ヶ原と決まった。

 そして、同時期に出羽国においては東の関ヶ原とも呼ばれた慶長出羽合戦が勃

発していた。

 当初は家康自らが出陣しての会津攻めであったが、徳川勢が三成征伐に転進し

たため、南部や秋田氏など奥羽諸軍は合力を取り止め陣を引き払った。

 結果、会津の上杉に対しては最上・伊達連合軍のみが残る事となった。

 最上氏に与する伊達政宗は、関ヶ原の戦のどさくさを利用して領地拡大を虎

視眈々と狙っていた。

 稗貫勢の重臣である根子兵庫頭は、籠城した松斎が救援を出すのは予期してい

た。

 城を廻る広い縄張りを、五百の兵で鼠一匹通さぬようにするのは無理があった

からだ。

 根子氏は、今夜中に決着を付けねば勝機を逸すると考えていた。


「さて、柿之木の親分さんなら次はどう出る」

 松斎は、策を促した。

「鉄砲の数を水増しするための偽装をしなければならぬ」

 親分は、答えた。

「二丁しかない種子島で、如何にするのだ」

 柏山明助が、その妙案を尋ねた。

「門前の狭間の全部に鉄砲があるように装うのだ」

 親分は、言った。

「方策は」

 柏山明助は、しつこく聞いた。

「銃眼に木刀でも据えるのだな」

 素っ気無く、親分が言った。

「なるほど。夜ならば鉄砲か否かの区別はつかぬか」

 的を射たりと、松斎は感じた。

「誰か。急ぎ道場に行き、あるだけの竹刀を持って参れ」

 その意を汲んで、柏山明助は配下の者に指図した。

 竹刀が鉄砲の代わりに据えられる間も、空砲が撃ち鳴らされた。

 熊公と八公、それに浦子の三人は即席の火薬作りに精を出していた。

 出来上がったそばから銃に詰められた。

 狭間から隣の狭間へと順繰りに鉄砲が回された。

 二丁の銃をまるで数銃丁あるが如く敵に思わせようと、竹と梅は狭間の間を走

り回って撃った。

 そして、半刻が経った。

「音はすれでも姿は見えず」

 戯れ歌を、親分は唱えた。

「ほんにあなたは」

 と、竹が囃すと。

「屁のような」

 梅は、引き取った。

 戦時に戯れ言とは不謹慎であると、柏山明助は内心思いながら苦虫を噛んだよ

うな顔付きをしていた。

「敵も馬鹿ではあるまい。ぼちぼち、音ばかりで一向に着弾しない事を不審に思

う頃だ」

 そう言いながら親分は、周辺の木々を物色し出した。

「ばれたら、どうなるべ」

 熊公は、何の気なしに聞いた。

「そりゃあ、おめえ。あれだ」

 右の掌で首を斬る仕草をしながら八公が言った。

「あれは、竹か」

 親分が、土塀沿いに遠巻きに突き立っている林を見ながら聞いた。

「さよう。矢が足りなくなった場合、切り倒して矢にするために植えておる」

 鉄砲の弾はともかくとして、不測の事態に備えて弓に番える矢の確保について

は、留守役を託された侍大将として至極当然であるというような態度で柏山明助

が語った。

「竹には用は無い」

 木で鼻を括るように、親分は言った。

「では、何ゆえに聞く」

 焦れたように、柏山明助は返答した。

「二股の枝を探している」

 相手の気を害した事など意に介さず、無頓着に親分は言った。

「生垣に柊があります」

 松が、名乗り出た。

「では、案内してもらおう」

 親分は、言った。

「灯りを」

 松は浦子から提燈を受け取ると、親分の先を歩いた。

 その間にも、竹と梅による散発的な発砲は続いていた。

「これが良いか」

 生垣の雑木林に着くと、親分は柊の二股になった所を脇差しで数本切り落とし

た。

「それを、どうするのですか」

 松が、聞いた。

「弾が無い事を悟られたら、この戦は負ける」

 親分は、冷徹に言った。

「それは分かりますが、それとその枝と何の因果が」

 松には、親分の考えている事が理解できずに混乱した。

 親分は、元来た道を駆け戻って行った。

「ちょっと」

 訳も分からずじまいの松だったが、必死で親分の後を追った。

「弓を」

 親分が、柏山明助に要求した。

「先祖伝来、柏山家に伝わるこの弓矢を貸そう」

 柏山明助は、恭しく弓矢を差し出した。

「薬煉が塗られて、良く手入れされている」

 弓を受け取り、麻をより合わせたものを白弦、さらに漆を塗ったものは塗弦と

される弦の手触りを感じて親分は言った。

 その弁に、自慢の武具で家格の違いを認めさせた柏山明助は得意気であった。

 仏頂面で人を食ったような物言いに対して、溜飲が下がった思いだった。

 薬煉を手で弓弦に引くように入念に塗り込んで、獲物を射る機会を今や遅しと

構える所作、手薬煉を引いて待つという由来はここから生まれた。

 親分は、その場に矢を捨てて脇差しで弓から弦の糸を切り離した。

「何をする。無礼者っ」

 親分の不遜な行為に、烈火の如く柏山明助は怒り刀の柄に手を掛けた。

 普段から沈着冷静であったが、家宝をないがしろにされたとあっては家名を汚

されたも同様、到底見過ごす訳にはいかなかった。

「犬死は御免蒙る」

 歴戦を掻い潜って来た者の言い分であった。

「それと、貴様が今した事とどう繋がる。返答次第では、即刻その首刎ねてやる

わっ」

 怒髪天を衝く柏山明助は、容赦せぬという形相だった。

「頭の固い定石通りに動いておれば、この戦、確実に負けると言う事よ」

 親分は、言い返した。

 百姓や子分、配下の者達が固唾を呑んで見ていた。

「軍師にでもなったつもりか」

 柏山明助は、今しも抜刀する勢いであった。

 聞けば、柿之木四十肩と名乗ったそうだが、ふざけるにもほどがある。

 どこの馬の骨とも知れぬ氏素性の怪しい輩の分際で、城主の引き立てがあるか

らとはいえ許せぬ。

 かねてより親分の傍若無人な振る舞いを、快くは思っていなかった。

 その藪睨みの斜視のためどこを見ているのか分からず、それゆえに考えている

事も不明であった。

 我関せずといった態度も気に入らなかった。

 一言で表せば、虫が好かない。

 数々の戦場を生き抜いて来た老練な野武士に対して、城勤めで戦経験の浅い若

武者の嫉妬でもあった。

 主君を持たぬ流れ者など侍に非ず、武士の風上にも置けない。

「ぬおお。やくざ者から虚仮にされて黙っておれぬ。刀の錆にしてくれる。抜け

っ」

 柏山明助の堪忍袋の緒が切れた瞬間であった。

「仲間割れか」

 松斎が、声をかけた。

「殿。止め立て無用に願います。こやつは仲間ではありませぬ」

 柏山明助は、言った。

 一方の親分は、何食わぬ顔で弓弦を束ねて柊の二股の枝に取り付けた。

「何をしておる。抜かぬなら、先にこちらが行くぞ」

 柏山明助は、迫った。

 しなりを確認すると、親分は懐からさいころを取り出して二股に繋いだ弦に乗

せた。

「参るっ」

 ついに、柏山明助は抜刀した。

 親分は、いったん弦を引いた後ですぐに放した。

 さいころが弾丸のように、柏山明助の脇を飛んで行った。

「なっ」

 柏山明助は、呆気に取られていた。

「空腹に耐えかねる時は、これで飛ぶ禽を落として食した事もある」

 ぼそりと、親分が呟いた。

 無愛想で、言葉足らずの所があった。

 それは、矢の代わりに石などを弦で弾いて射る弾弓と呼ばれる小型の弓であっ

た。

「それまでじゃ」

 松斎が、仲裁に入った。

「圧倒的に兵の数が劣る。弾無しでは勝負にならぬ」

 自嘲気味に、親分が言った。

「相手が賽の目の芯の片寄りのからくりを知らぬ内は負けぬ。要はいんちき博打

と同じじゃな」

 松斎は、言った。

「化けの皮が剥がれたらお終いだ。賭けは成立せぬ。知らぬが仏か」

 頭を掻きながら親分が呟いた。


「城方が多くの鉄砲を持ち合わせていたとは予想外であった」

 根子兵庫頭は、考えあぐねていた。

 城外に主力をおびき寄せて討ち取り、その間隙に城に攻め入る。

 ここまでは首尾よく運んだ。

 だが、今対峙している城内の者には、それまで城外で戦った輩とは違う印象を

根子氏は抱いていた。

 陽動策に引っ掛かった迂闊さとは裏腹に、動静を窺う姿勢と対処の仕方がまる

で異なる。

 深謀遠慮な差配を感じ取った。

「城方は的も定めず闇雲に撃っているだけだ。下手な鉄砲も数撃てば当たると思

っているのであろうが、距離も計らずに撃った所でこの闇夜では当たりはせぬ。

当たらなければどうと言う事もない」

 若い家来が、血気盛んに言った。

 帰城させるべきではなかったか。

 城代である和尚をあえて見逃した事に、根子氏は一抹の不安を感じていた。

 武士の情けをかけた件に後悔の念は無かったが、楽隠居然とした盲目の和尚と

高をくくり、その手並を少なく見積もった事に対しては猛省していた。

「いつまでも鉄砲を怖れていては、城取りなどできませぬ。城内にはもはや二十

名と残っていない筈。ここは強行突入を」

 急かすように、若い家来は言った。

「丸太方を前へ」

 家来衆に背中を押されるようにして、根子氏は右手を突き出した。

 横倒した巨木の丸太を、鎧をまとった十数人が抱えて運んで来た。

 丸太を持つ兵の間に、板では防ぎ切れない跳弾用の竹束をしつらえた盾を前面

に押し立てた兵を配置した。

「これならば、矢弾を防げますな」

 単なる数に任せた力攻めの策では無いと、年嵩の家来も得心していた。

「三の丸、二の丸同様に本丸の門も打ち壊してくれるわ」

 若い家来が、吼えた。


 三の丸、二の丸の門を打ち破った丸太が先導する兵の松明に照らされて見えた。

「あれをぶち込まれたら、本丸に突入される」

 柏山明助が、言った。

「今度は、そちの出番ぞ」

 松斎が、水を向けた。

「もとより承知」

 柏山明助は、答えた。

 相手が本丸前の堀に架けられた橋にさしかかる所まで迫っていた。

 敵との距離が百間を切った。

「丸太から兵を散らせ」

 柏山明助は、後ろにいる親分一派を見た。

 火縄銃の有効射程距離は、五十五間である。

 相手を射程まで引き付けなければならない。

 鉄砲隊を演じる竹と梅は各自、火薬である胴薬を銃口に入れた。

「石の準備は」

 親分の言葉に、熊公八公が頷いた。

 岩塊をぶつけて適度な大きさに砕いた石ころが揃えられていた。

 目印にした五十五間先にある椚の大木を稗貫勢が越えたのを、柏山明助が確認

した。

「今度は当てに行くぞ。撃ち方始め」

 親分の声に呼応して、竹と梅が焔硝を詰め直し火蓋を切った。

 雷鳴のような轟音と共に、二つの銃口が共に火を吹いた。

 と同時に、熊公八公それぞれがつぶてを弾弓で飛ばした。

 地面に、石が弾け飛んだ。

 弾が当たる距離まで接近したと、相手は錯覚した。

 空砲を放ち、同時に鋭い速さで弾弓で投石して、さも弾丸が着弾したかのよう

に擬装したのであった。

 丸太を取り囲んでいた稗貫の兵達が、思わず地に伏した。

 敵の動きが一瞬止まり、丸太が露になった。

「放てっ」

 柏山明助は、弓隊を指揮した。

 沓巻に巻いた綿に油を染み込ませた矢が丸太に向けて数十本放たれた。

 突き刺さった矢尻から油が垂れていた。


「怯むでない。矢など怖るるに足りぬ。進め」

 根子氏は、檄を飛ばして叱咤した。

 続いて、城から火の付いた矢が放たれた。

 火矢が刺さると、付着した油に引火して丸太が燃え出した。

「おのれ」

 城方の意外な策を目の当たりにして、根子氏は困惑した。

 檜の丸太は見る間に、紅蓮の炎に包まれた。

「ええい。堀に放り込め」

 仕方なく、根子氏が丸太を捨てさせた。

 堀に湛えられた水面に丸太が落下して、大きな水飛沫が上がった。

 城は無論の事、飛び火して橋が焼け落ちれば自分等が渡れなくなるからであっ

た。

 夜明け迄にはまだ時がある。

 別の攻め方を講じねばと、根子氏は策を練り直すため一旦後退せざるを得なか

った。


 御門東の菱櫓から松明が円を描くように回されているのが見て取れた。

 そこからは本丸に架かる橋の全てが見渡せ、寄せ手の動静を一望できたのであ

る。

 見張りの兵が、城外の様子を報せてきたのであった。

「敵方は、引いたようです」

 柏山明助の言に、隣にいた松斎が頷いた。

「炎が城門に燃え移り、敵が火攻めを用いる懸念は抱きませなんだか」

 柏山明助が、率直な思いを述べた。

「幸い、今宵は風も無い。門を焼く気はない。破るのが目的。城を燃やしたくな

いのは相手も同じ事。居抜きで城を使いたいのがきゃつ等の本音じゃ」

 松斎は、答えた。

「次なる出方に備えねばなりませぬ」

 確認するように、柏山明助は聞いた。

「儂等を無用には追い詰めぬらしい」

 松斎は、言った。

「窮鼠猫を噛むという事でございますか」

 柏山明助は、補足した。

「ふむ。巻狩りを存じておろう」

 松斎が、聞いた。

「鹿や猪を追い込む狩りの仕方と心得ます」

 的確に、柏山明助が答えた。

「十左衛門も、敵の網の目の緩い所から出て行った筈じゃ。包囲した敵は、儂等

が恐れをなして城中から遁走するように仕向けておる」

 松斎は、言った。

「竹、梅。行くぞ」

 親分が、子分達に声をかけた。

「へい」

 竹が、答えた。

「あいよ」

 梅も、同意した。

「いずこに向かう」

 柏山明助が、問い質した。

 今の話を聞いて、まさか逃亡する気ではないかと勘繰った。

「相手が攻めて来ぬなら、こちらはそれを逆手に取るまでよ」

 飄々と、親分が言った。

「何をするつもりか」

 柏山明助は、聞いた。

「夜襲を仕掛ける」

 親分は、不敵な面構えだった。

「馬鹿な。そのよう無謀な策に兵は出せぬ」

 柏山明助は、断じた。

「誰もお主に頼んではおらぬわ」

 親分は、言った。

「戦にはやる相手には、機先を制するが肝要。まさに奇襲じゃな。いや、奇策

か」

 松斎も、感嘆しているようであった。

「奇策どころか愚策では」

 柏山明助は、呆れていた。

「馬を九頭借りたい」

 親分は、松斎に所望した。

「好きに致せ」

 と松斎は言った後、柏山明助に頷いて見せた。

「付いて参れ」

 不承不承といった表情で、柏山明助は親分等を西御門の虎口の馬出に連れて行

った。

 子の刻を回った頃であった。

「本当に良いのですか」

 柏山明助は、言った。

「何がじゃ」

 松斎は、言った。

「あのまま敵陣に寝返られては、こちらが寡兵の上に鉄砲の弾の無い事等筒抜け

になります。さすれば、一気呵成に攻め立てられましょう」

 柏山明助は、言った。

「思うがままにさせよ」

 松斎は、言った。

「ですが」

 それを遮りかけて、柏山明助は言葉を濁した。

「これまであやつは厳しき世を、空を舞う禽のように自在に渡って参ったのじゃ。

つまらぬ決め事で縛らば、あやつを殺してしまうも同じ事」

 松斎は、言った。

 柏山明助は、不満であった。

「あやつの博才を試してみたくなったのじゃ」

 松斎は、言った。

「博才」

 柏山明助は、聞いた。

「博打の才覚の事じゃ。五百対十三では博打でも打たぬ限り、到底勝ち目は無い。

まさに、一か八か賭けてみたのよ」

 松斎は、言った。

「畏れながらそれでは余りに出たとこ勝負の運任せ」

 柏山明助は、抗議した。

「儂は、あやつを信じたのじゃ」

 松斎は、言った。

「あの唐変木のどこが信ずるに足るのですか」

 柏山明助は、食い下がった。

「まなこじゃ。あの濁った藪睨みの瞳の奥に、宿したもののふの澄みきった魂を

見た気がしての。上に立つ者は勇ましく先陣を切るよりも、人を見て活かすのが

役目と思うておる」

 心眼で見た松斎の印象であった。

「……」

 松斎の言に、柏山明助は沈黙した。

「裏切られれば、それは儂の目に狂いがあったまで。そのような者が束ねる城な

どどの道、落城ぞ」

 松斎は、呑気に言った。

 一方、親分と竹及び梅の三人はそれぞれ馬の背に乗りながら両横に一頭ずつ、

一人が計三頭の馬の手綱を各自で操っていた。

 親分等は、一頭の馬にそれぞれ四つの松明を背負わせていた。

 固く閉ざされていた城門が遂に開かれた。

 三十六個の明りを灯しながら九頭の馬群が一斉に走り出した。


「ご注進。西の虎口から騎馬が出て来ました」

 寄せ手の陣に、物見兵が伝えた。

「ようやく動き出したか。して、数は」

 待ってましたとばかりに、取り分けて若い家来が聞いた。

「四十騎ほどかと」

 物見兵は、答えた。

「まだ、それほど兵が残っていたのか。だが、城を取り囲む我等に恐れをなして

いよいよ逃げ出したのだな」

 若い家来が言った。

「城内にも動揺が生まれている証かと」

 年嵩の家来も同意した。

「これで、城内は空になったも同然」

 若い家来がそう言い放つと、まるで勝ち戦のような雰囲気に場が包まれた。

「だと、良いのだが」

 根子氏だけは、思案していた。

 意図して逃げ場を作っていたとはいえ、丸太攻めを封じるほどの相手がこちら

の策に易々と嵌まるとは疑問があった。

 親分等は、早々に馬を降りていた。

 人を乗せぬまま、馬の群れは二の丸内を勝手に駆け回った。

〝ぱん、ぱん〟

 馬群とは反対の方角から発砲音が響いた。

「敵襲っ」

 根子氏の兵が、怒鳴った。

「馬鹿な」

 唖然として、年嵩の家来が言った。

 根子氏の家来衆は我が目を疑った。

 驚く敵方の兵等を、その馬群は蹴散らすように駆け抜けて行った。

 城を囲んでいる根子氏が、逆に両横から挟撃されたのである。

 根子氏の陣営は、狼狽した。

 親分は、竹と梅を従えて根子氏の陣営を鉄砲を撃って急襲した。

「城攻めをしている側が襲われるなど、あり得んっ」

 不測の事態に、若い家来が怒気を込めて言った。

「城方は何を考えておるのか」

 思わぬ襲来に、困惑しながら根子氏は語った。

 本陣が囲まれるのを怖れた根子氏の兵達が、闇雲に弓矢を放った。

 陣営の本隊が動き出しそうになると、親分等は潮が引くように闇夜に姿をくら

ました。

 夜陰に乗じた親分等の遊撃に、寄せ手は暗闇の中で同士討ちを起こすほどの大

混乱に陥った。

 縦横無尽に小部隊で出没し奇襲され、攻めていた筈の稗貫勢は掻き乱されて逆

に良いようにやられてしまう。

「落ち着け。陣を立て直すのだっ」

 根子氏の眼は血走っていた。

 篝火を最小限にとどめ、四方に盾を構えた多数の兵を立たせて本隊を固めた。


 親分等が、帰城した。

「平山城の特性を存分に活かした策じゃな。一撃必殺で討っては返すと帰城する。

その気になれば、いつでも攻撃できる優位に立っていると知らしめるのが目的と

みた」

 松斎は、声をかけた。

「早雲の逆をやった真似事よ」

 親分が、言った。

 その夜、勢子に扮して背後の箱根山に伏せていた早雲の兵達が、千頭の牛角に

松明を灯し鬨の声を上げながら小田原城に迫った。

 数万の兵が攻め寄せて来たと脅えた小田原城は大混乱になり、城主は命からが

ら逃げ出して、早雲は易々と城を盗ったという。

 下克上の魁、北条早雲が小田原城を奪取するに際して、牛の背に松明を乗せて

味方の軍勢を多く装った策であった。

「あの策を、攻城戦でなく守城戦に用いるとは恐れ入った」

 松斎は、褒めた。

 側に控える柏山明助は、複雑な思いであった。

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