第四章 裏方衆の活躍

 本丸に戻った松斎は、軍議を召集した。

「馬場口御門にいる敵は、稗貫の手の者と」

 留守役の柏山明助が言上した。

「早く、兵を差し向けねば」

 一揆討伐に際し、返り討ちにあって失地したばかりの北信景は血気にはやって

いた。

「帯刀する武士は十名ばかり。どこぞに兵がおる」

 床几に座して、目を閉じながら松斎は答えた。

「三の丸に続いて二の丸まで破られれば、次は本丸に攻め込まれる」

 信景が、血相を変えて訴えた。

「容易に動くでない」

 静かに、松斎は言った。

「臆するものぞ」

 信景は、勇んだ。

「動くなと言うのが分からぬかっ」

 松斎は、かっと見えぬ両眼を見開いて一喝した。

 信景が、退いた。

「十左衛門よ」

 信景の幼名であるその名を、松斎が親しみを込めて呼んだ。

「はっ」

 信景は、畏まった。

「蜚鳥尽きて良弓蔵れ、狡兎死して走狗烹らる」

 穏やかに、松斎は論じた。

 鳥がいなくなれば良い弓も捨てられ、兎がいなくなれば猟犬も煮て食われる。

 敵国が滅びると、戦に尽くした功臣ほど脅威となり邪魔者扱いされると、『史

記・越世家』にある。

 この花巻城の城代に松斎が任じられたのは、伊達に対する楔であるのは周知の

通りだった。

 と同時に、実力者ゆえに寝返りを警戒されていたのも事実であった。

 信景は、黙していた。

「儂の眼は節穴ではないぞ。本家から儂の目付け役を仰せつかっておろう」

 松斎は、信景の目を見据えた。

 信景は本家である南部氏家臣の桜庭光康の子で、松斎の養子となった身の上で

あった。

「それぐらい承知しておるわ」

 松斎が、言った。

〝ぱんぱん〟

「客人方をこれへ」

 松斎は、拍手を打って言った。

 親分、竹、梅の三浪人が、神妙な面持ちで座敷に入って来た。

「通常、攻城戦に必要な兵数は城方の三倍、万全を期すなら十倍と云われておる」

 攻城と籠城について、松斎が語り出した。

「我がほうは、お客人の三名を加えても十三名。相手方は五百とも伝えられる」

 冷静に、今置かれている状況を松斎は確認した。

「五百だと」

 浪人の親分は、相手方の数に驚いた。

「敵方の目的は明白である。この城だ。きゃつ等は根城が欲しいのだ」

 松斎の説明に、胸の内で皆が頷いた。

「勝敗の行方は、火を見るより明らかなり」

 親分が、口を挟んだ。

「さよう。儂の首一つ差し出した所で、城は奪われるであろうな」

 それには、松斎も同意した。

 やれやれ、それでは勝てる見込みが無いではないかと親分は思った。

「この花巻城から南部の本城である盛岡城まではたかだか十里。この城が落ちる

事あらば、南部そのものの危機となる。それは断じて阻止せねばならぬ」

 松斎は、力強く言った。

「策があるのですね」

 待ってましたとばかりに、柏山明助が聞いた。

「幸いな事に、この城の縄張りは広い。敵方は戦力を一つにして集め、数に頼ん

だ力攻めで一点集中突破に徹する筈。そして、夜明けまでには城を乗っ取るつも

りだ。その後はこの城を拠点にして、仲間を増やす算段であろう」

 軍略の概要を、松斎は語った。

「それは承知」

 その先の説明を急かすかのように、柏山明助は合の手を入れた。

「つまり、今宵一晩持ちこたえ援軍を呼べれば、逆に我がほうが敵を挟み撃ちに

できる」

 松斎は、事も無げに言った。

「一晩どころか、一刻ともつまい」

 親分が、茶々を入れた。

「これ、無礼であろう」

 柏山明助が、親分をたしなめた。

「五百もの数とは聞いてない」

 竹が、言った。

「いかさまだ」

 梅も、ほざいた。

「話が違う。悪いが、俺は降りさせてもらう」

 親分は、嘯いた。

「この期に及んで怖気付きよって。武士に二言は無いのではないか」

 松斎が、嫌味を言った。

「何とでも言ってくれ。間尺に合わん」

 そう、親分は返した。

「叩けば一つや二つ、埃が出る身じゃろう。ここらで武士の一分を貫いてみよ」

 松斎は、奮起を促した。

「命有っての物種だ」

 親分が、ぬかした。

「ほう。負ける博打はせぬという訳じゃな」

 嘲笑するように、松斎は言った。

「では、本当の事を言おう。俺の肩は使えぬ」

 親分は、告白した。

「四十肩、いや五十肩ゆえか」

 と、松斎が親分の右肩を指差した。

「あれは方便。寄る年波と戦の古傷が悪化して、刀を振りかざす事も矢を射るた

め弓弦を張る事さえかなわぬ片輪者だ」

 親分が、本音を吐いた。

「そのような事は手合せした時に存じておる」

 松斎は、言った。

「では、何ゆえ」

 親分は、聞いた。

「例え、体が思うように動かずとも頭は働こう。これまでの戦場での経験が必要

なのだ」

 松斎は、優しく言葉をかけた。

「五百の敵と渡り合う戦立てを教えてくれ。でなければ、助太刀できぬ」

 親分は、言った。

「彼を知りて己を知れば、百戦して危うからず」

 悠長に、松斎は答えた。

「孫子を諳んじても味方の兵は増えぬわ」

 その言い草に、親分が咎め立てた。

「小田原攻めでは、五倍の兵力で取り囲みながらも城を落とすのに時を要した」

 全く意に介さず、松斎が言った。

「知っている。俺もその場に居た」

 何気に、親分が参陣していた旨の事を口走った。

 心得顔で、松斎は淡々としていた。

「遥か昔、テルモピュライの戦において、ギリシャ軍は僅か三百の兵で百万のペ

ルシャ軍と戦った。百万という数が分かるか」

 まるで童に教えるかの如く、松斎は語った。

「ああ、分かる」

 親分は、素直に答えた。

「三百のギリシャ兵は三日の間に渡って奮戦し、敵が予想もしない奇襲によって

大打撃を与え押し止めた」

 博学の松斎は、海の向こうの古戦を解説した。

「ふむ」

 松斎の考えを探りながら親分は頷いた。

「寄せ手は、小細工などせず真っ向勝負で来る」

 松斎は、断言した。

「なぜ、そう言い切れる」

 親分が、その訳を聞いた。

「山伏姿の正体を知った上で、儂を逃がした」

 円城寺近くで詰問された一件を 松斎は持ち出した。

「あの茶番か」

 同じ場にいた、親分も思い出した。

「先陣を切るは稗貫の根子と申すそうだが、正々堂々とした横綱相撲を取ってく

る」

 見切ったように、松斎は言った。

 直に相対して、松斎はその剛胆で実直な相手の人となりを知ったのであった。

「真正面から来られたら、一溜まりもなかろうに」

 寄せ手より守り手のほうに分がある主客転倒した松斎の言い草に、親分は呆れ

た。

「じゃがな。小兵相手の力任せの押し相撲が、意外に梃子摺ったとしたらどうな

る」

 にやりと、松斎は口角を上げた。

「そうか」

 親分が、同意した。

「城方の兵数を見誤ったと考えるであろう」

 松斎は、続けた。

「うむ」

 親分は、頷いた。

「真の兵数を把握していない不安から、容易に攻められぬと警戒する筈」

 松斎は、言い切った。

「夜陰に乗じた相手を、逆手に取るか」

 顎を撫でながら親分は唸った。

「さよう」

 松斎は、答えた。

「それも、宵闇の間。夜が明ければ化けの皮も剥がれよう」

 そう、親分が指摘した。

「援軍無き籠城は座して死するを待つのみ。城に籠って戦うは、城外の味方が助

けに来るのが前提。それなくしては成り立たぬ策なり」

 松斎は、籠城戦の兵法を語った。

「本来ならば、すばしこい伝助が適任と思うておったが、今はそれも適わぬ。ゆ

えに、十左衛門」

 負傷させた伝助の代わりにと、松斎は北信景を名指しした。

「ははっ」

 十左衛門は、返事した。

「お主が盛岡に救援の伝令として参るのだ。街道は敵の監視があるため馬は使え

ず、暗闇の中での野駆けになろう。容易ではないぞ」

 松斎は、言った。

「しかと心得ました」

 名誉挽回の意味もあって、十左衛門は心した。


〝どおおん〟

 二の丸を封じる馬場口御門は、敵方の丸太で攻撃されていた。

 巨体の熊公に背負われた伝助は、与平と八公を連れて馬場口御門近くの焔硝御

蔵に向かっていた。

 その蔵にあるはずの弾薬を求めての事だった。

〝ばりばり〟

 十数回の末に、遂に閂が壊されてしまった。

「もう、門は持たない。逃げろっ」

 血相変えて、門衛が叫んだ。

「我等は、殿から焔硝と弾の手配を頼まれた。それを手にするまで、何とか門を

守れぬか」

 伝助は、訴えた。

「その殿から、身の安全を最優先にして無理はするなとのお達しである」

 門衛はそう言って、脱兎の如く走り去った。

 馬場口御門は突破された。

 我先にと、敵兵が乱入して来た。

 一足遅かった。

「戦の成否を左右する。是が非でも入用なのだ。蔵に向かえっ」

 構わず、伝助が熊公に命じた。

「ここは、危のうございます」

 土塀に身を隠しながら与平が声を潜めて言った。

「手ぶらでは帰れぬ。重い鉄砲の弾を運び出すのが無理でも、せめて焔硝だけは

持参せねば」

 伝助は、言った。

「なければ、作ればいいべ」

 ぼそりと、伝助を背にした熊公が言った。

「簡単に言うな」

 八公が、他愛も無い事を言う熊公をたしなめた。

 その軽口に、伝助ははっとした。

 米作りと同じく無から有を生むという発想にである。

 武士は、無い物は人から調達する事を考える。

 が、百姓は種を土に蒔き、水をやって芽吹かせ、その苗を育てて米を収穫する。

「確か、焔硝は木炭、硫黄、それに硝石を混ぜ合わせた物であったな」

 火薬の原料について、伝助が与平に確認した。

「そうでございます」

 伝助の知識に感心しながら与平は丁重に答えた。

「木炭はこれから冬に際して暖を取るために、城に貯えている。硫黄はどうだ」

 思い当たる節を、伝助が言った。

「湯治場にいっぺいあるべ」

 熊公が、当てずっぽうに答えた。

「城内にある物でなければ」

 困惑したように伝助が言った。

「お城にも、薬湯用に納めております」

 与平が、言った。

「硫黄をか」

 伝助は、驚いた。

「はい」

 与平は、頷いた。

「後は、硝石…こればかりは……」

 伝助は、落胆の表情を隠せなかった。

 種子島より伝来した鉄砲を、信長が大量使用して武田に勝利した。

 それ以来、鉄砲は戦に欠かせぬ武器となった。

 鍛冶職人により鉄砲と鉛の弾は模倣されたが、唯一火薬だけは自前で用意する

事は難しかった。

 なぜなら、その原料の一つである硝石が湿潤気候の国内では天然に産出しなか

ったためである。

 従って、硝石だけは南蛮貿易で輸入に頼らざるを得なかった。

 信長による鉄砲戦術以来、火薬は戦略物資として価値が高くなっていた。

 戦が起これば、堺などの商人によってその量と値を操作され、地方に位置する

大名にとっては安定的に入手するのは困難であった。

 が、戦国の世においてはその必要から硝石を生成する方法も密かに考案され、

各地に広まっていった。

「薬研堀にある厠の床下の地面から掘り出していると聞きます」

 与平が、御用聞き商人として見知った事を答えた。

 伝助の表情が色づいた。

「肥溜めにあるのすか」

 熊公が、興味津々に聞いた。

「何でも硝石は中々手に入り難いらしく、城中で拵えているとか」

 与平は、言った。

「では、行こう」

 伝助らは、本丸に近い御台所前御門に向かう敵方を背にして薬研堀に急いだ。

「この土が」

 厠前に到着するなり、伝助は聞いた。

「そうでがんす。それにしてもたまらぬ臭いですな」

 与平が、答えた。

「肥溜めだら、あだりめえだ」

 熊公は、平気な顔で言った。

「では、持っていこう」

 伝助は、言った。

「これをお使い下さい」

 与平が、袂から風呂敷を差し出した。

「済まぬ」

 伝助が、礼を述べた。

「八、頼む」

 伝助の指示で、八公が土を掘り起こした。

「もう少し深めが良いかと。そのほうが発酵しておりますので」

 与平の説明する通りに八公は掘って、土を風呂敷に入れた。

 その時だった。

 強盗提燈が照らされた。

「そのほう等、何をしておる」

 声がした。

「へい。病人がおるので薬師に参る途中で」

 と、伝助を指差しながら与平は言った。

「その包み物は何ぞ」

 相手が、八公の持つ風呂敷を不審がった。

「便でございます」

 その問いに、与平が答えた。

「糞か」

 いよいよもって、相手が疑惑の念を抱いた。

「はい。これなる病人のもので、疫病の疑いがあるかと思い、薬師に便を診ても

らうためでして」

 与平は、滔々と説いた。

「見るべか」

 と、八公は相手の鼻先に風呂敷を突き出した。

「う、臭い。もうよい。早く行け」

 まるで犬でも追い払うかのように、鼻をつまみながら相手は手の甲を振りなが

ら言った。

「それでは、失礼致します」

 そう、与平は言った。

 こうして、厄介払いされるように仕向けて辛くも難を逃れたのであった。


「この先、戦の趨勢がどうあろうとも、武士以外の女子供や百姓や町人等につい

ての身の保障は儂が一命を賭して約定する。この事、厳に心せよ」

 松斎は、柏山明助に言い含めた。

「承知仕りました」

 留守役で侍大将を託された柏山明助は、肝に銘じるように言った。

「こここから先へは、一歩も通さぬ」

 花巻城の本丸、御台所前御門には柏山明助が自らの命と引き換えにしてでも死

守する構えで背水の陣を敷いていた。

「えい、えい」

 城内では、松が薙刀を振るって敵襲に備えていた。

「振り下ろす時は、雑巾を絞るように柄を握るのがこつだ」

 親分は、それとなく松に剣術を指南した。

「絞る」

 松が、聞き返した。

「お姫様では雑巾がけも知らぬか」

 からかうように、親分は言った。

「私を世間知らずとお笑いか」

 きっと、松は親分を睨み付けた。

「いや、」

 親分は、口が過ぎたと後悔した。

 松は柄を絞るように握り直すと、親分の鼻面に薙刀を振り下ろした。

 これには、親分も体をのけ反らせた。

「これで、よろしいか」

 見返したように、松が言った。

「筋が良い」

 親分も、負けじと言い返した。

 そこへ、伝助一同が戻って来た。

 木炭と硫黄、そして硝石入りの土が並べられた。

「はて、ただ混ぜ合わせればできるものなのか」

 伝助が、言った。

 危急に際して、原料集めに奔走するのが精一杯で、その先までは考えが及ばな

かった。

「詳しい製法は、焔硝を生業とする者でないと…」

 困惑しながら与平が答えた。

 火薬を作る職工は、下町に居を構えていた。

 原料だけ集めて、火薬職人の手配を怠るは泥縄でしかなかった。

 ここに至って一同が壁にぶち当たった。

 三種類の混合比も、その後の処理も不明であった。

「木炭一割五分、硫黄一割、硝石七割五分の分量を調合するのだ」

 懐手をしながら親分が言った。

「焔硝を生成した事があるのですか」

 親分の意外な知識に、驚きをもって伝助が聞いた。

「戦が生業といっても過言ではないからな」

 しらっと、親分は呟いた。

 歴戦の修羅場をかいくぐって来た猛者は、戦うための数知れぬ術を心得ていた。

「是非に、ご教授願います」

 伝助は、藁にもすがる思いで懇願した。

「では、今から言う物を揃えろ。俺はくどいのが好かぬゆえ一度しか言わぬから

よく聞け」

 無駄な問答に釘を刺すように、親分が言った。

「はい」

 伝助は、耳をそばだてた。

「すり鉢、樫の木の棒、皮張りの器、綿の布、水と火熾しの道具、それと鉄板だ」

 立て板に水が流れるように、親分は言い放った。

「八。仲居の浦子の所に行って、胡麻すりの鉢とすりこぎと内側に皮を張った器

を」

 聞き取った事柄を、伝助は素早く八公に伝えた。

「へい」

 一声返事すると、八公が炊事場に走った。

「綿の布は、私が」

 松も、買って出た。

「水を入れた桶。火打ち石と燃やす藁と木はおらが」

 と、熊公が言って己ができるそれぞれの分担を申し出た。

「後は、鉄板か…」

 伝助には、心当たりが無かった。

「十左衛門の鎧を用いよ」

 松斎が、声をかけた。

「殿」

 伝助が松斎に気付くと、皆が畏まった。

 やがて、その場に盛岡に救援を請うため出払っている北信景の派手な緋縅の胴

が持ち込まれた。

 この時、十左衛門は西に位置する早坂御門の裏山の急斜面を泥だらけになりな

がら身一つで駆け降りていた。

 目指すは盛岡だが、敵方に見咎められずに城内を抜け出す事が先決であった。

「蝶番を外せば、中に鉄砲の弾除けが入っておる」

 松斎の言う通りに鎧の繋ぎを解くと、中から防弾用の五枚の鉄板が現われた。

「まずは、木炭をすり鉢で潰す事だ」

 親分は、言った。

 負傷した伝助の代わりに、熊公が暖を取るための炭を鉢に入れて樫の木の棒で

すり潰した。

「それに、先ほど言った分量の硫黄を加える」

 親分の言われた通りに、木炭と硫黄の混合物が皮張りの器に入れられた。

「最後に、硝石を含んだ土に五分の水を足して再びすり潰す」

 黙々と、畑仕事のように熊公は作業を続けた。

「この工程が味噌になる」

 親分は、言った。

「味噌とは」

 与平が、興味ありげに聞いた。

「丹念にすり潰すほどに密度が大きく燃焼性が均一になり、薬勢いがよくなる」

 当然の事のように、親分は答えた。

「なるほど」

 手を打って、与平は得心した。

「それを綿布で包んで鉄板で挟み圧搾して比重を高める」

 親分の指示通りに、熊公と八公が火薬の元となるように粒を破砕した。

「仕上げは、温風でゆるりと水気を飛ばせば良い」

 両腕を袖に入れて組みながら親分は言った。

「微妙な火加減は、飯炊きに通じますな」

 木津屋の与平が、思い付いた事を言った。

「んだば、それはおらが」

 飯を炊く要領で、浦子が火薬の元に火をかけた。

 水気を抜いた黒い粉末を一摘みすると、親分が火打ち石で着火した。

 ぱあっと、一瞬にして燃え上がった。

「本当は、じっくりと時をかけて乾燥させれば良いのだが。急場しのぎでは仕方

あるまい」

 親分は、出来に不満を持ちながらも納得している風であった。

 一見やさぐれた野伏りだが、親分の見識の深さを松は垣間見た。

〝おおおっ〟

 その時、野太い鯨波の声がした。

 寄せ手は、本丸である御台所前御門まで迫っていた。

 狭間の銃眼から、浪人達が外を覗き込んだ。

 数多の兵が、眼前の城に攻め込む時を今や遅しと待ち構えていた。

「敵を近付け過ぎた。押し戻さねば踏み込まれるぞ」

 親分が、言った。

「米沢出兵に伴ない、あるだけの鉄砲を持たせた。今あるのは儂の護身用の一丁

と」

 松斎が、火縄銃を親分に手渡した。

「それと、これのみ」

 柏山明助が、自身の所持する銃を見せた。

「五百相手に種子島がたったの二丁か。何とも、頼もしいな。弾をくれ」

 皮肉を言いながらも親分は二つの銃の具合を見ていた。

「それが、敵に囲まれ焔硝御蔵には近付けず」

 伝助が、言い淀んだ。

「焔硝はできたが、今度は弾無しときた。ますます面白くなってきた」

 呆れたように、親分は言った。

「仕方無い。音だけで追っ払うか」

 と言って、親分は発砲の準備を始めた。

 まず、火薬である胴薬を銃口に入れた。

 次いで、銃口下に収納されたかるかと呼ばれる朔杖を使い奥に押し込めた。

 火皿に口薬を盛ると、火打ち石を打った火花で火縄に着火した。

 この当時の先込め式の火縄銃は、口薬に火縄で点火する事によって、火薬の胴

薬と口薬が鉄砲の内部で合わさり、引火した胴薬の爆発の勢いで弾丸が発射され

る仕組みであった。

 親分は、狭間から巣口を当てずっぽうに門前に向けた。

 最後に、火蓋を切って引き金をひいた。

〝ごおおおおん〟

 雷鳴の如き轟音と共に、龍が口から火焔を吐くようであった。

 突然、闇夜に火を噴く銃口に寄せ手が動揺した。

 透かさずもう一つの銃に同じ手順で、親分は空砲を夜空に放った。

 この時点では、敵方は実包か空砲かの判別は不能だったため大いに狼狽した。

 闇雲とはいえ、鉄砲で応戦されたら迂闊に近付く事がためらわれた。

「後はお前達が適当にぶっ放しておけ」

 二人の子分達に、親分は命じた。

「おっと合点」

 竹が、二つ返事をした。

「承知之助」

 梅も、続けて答えた。

 呑み込みの早い梅に教わるように、竹が銃の扱い方を習った。

「これで、しばらくは牽制できよう」

 首を左右に振りながら親分は、左拳で凝りをほぐすように右肩をとんとんと叩

いた。

 そして、一仕事を終えたかのようにどっかりと地べたに座り込んだ。

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