第三章 敵中突破
十三夜を過ぎたばかりの晩であった。
百姓と町人等が三々五々帰って行った。
三浪人と伝助を随伴した松斎一行は、二の丸方向に向かった。
三の丸搦手門近くの円城寺に連なる坂を下る道すがらの木に、柿が生っていた。
「儂は北松斎と申す。親分の名を聞いてなかったな」
改めて自らを名乗ると、浪人頭の名を訊ねた。
「柿之木…」
近くの柿ノ木を見上げると、思い付いたかのように親分が答えた。
「四十肩」
さらに、右肩をさすりながら取って付けたように言った。
「柿之木四十肩とな」
鸚鵡返しに、松斎は言った。
「もっとも、もうすぐ五十肩になりますが」
真面目な顔で、親分が話した。
「そうかの。それで刀を抜きそびれたか」
松斎は、笑った。
暗闇に溶け込むようにして、黒ずくめの松斎一行が先を急いだ。
「敵は思ったより動きが早い。三の丸は破られたも同じ。二の丸もいずれ突破さ
れよう」
松斎は、言った。
「では」
親分が、聞いた。
「先の戦で、敵方はこちらが少数であると知っておる。これ幸いと一気に攻めて
来よう。本丸で布陣する」
松斎は、答えた。
「先の戦とは」
親分は、疑問を口にした。
「恥ずかしながら当方に先走った者がおってな」
渋々といった風で、松斎が話した。
「止まれっ」
二の丸に繋がる馬場口御門を目指そうとする松斎一行を、暗がりから制止する
声がした。
「全て儂が話をつけるおって、お手前等は何も語らぬでないぞ」
小声で指示する松斎に、浪人達が頷いた。
松斎一行は正体不明の数十名に包囲された。
強盗提燈が照らされた。
手元を暗くして光が相手の正面一方だけを照らすように工夫され、強盗を捕ら
える目的でそう呼ばれた提燈の灯りが松斎の顔面を捉えた。
「何用で」
松斎は、聞き返した。
「何をしておる」
相手方が、詰問してきた。
「この先の円城寺の住職を見舞った帰りにございます」
松斎は、答えた。
「このような刻限に何処に行く」
さらに、相手方が聞き質した。
「なめとこ山に戻ろうと西の大手門を目指した筈が、目が不自由な上、慣れぬ城
の縄張りの広さと夜の暗さに道に迷ってしまいました」
しらっとして、松斎は言った。
「その成りは何ぞ」
皆一様に袈裟を着て頭巾を被っている様を訊ねられた。
「私共は、諸国を行脚する山伏にて」
松斎が、説明した。
「山伏が何ゆえ、里に下りて来た」
詰問は続いた。
「円城寺の住職には、以前大層世話になりまして。恩義ある住職が病に伏せって
おると聞き及び、熊の胆等妙薬を持参した次第」
松斎が、答えた。
「であるか」
相手方は、一部納得した様子を見せたのであった。
「それでは失礼させて頂きます」
松斎が、言った。
「おい、待て」
再び止めおかれた。
「何でございましょう」
松斎は、冷静に返答した。
「背中の物は」
浪人達の背負子から突き立っている棒が見咎めれた。
浪人達の顔色が変わった。
「鉾なり」
ぽつりと、松斎は呟いた。
「何っ」
松斎の返答を聞いて、相手方が身構えた。
浪人達も不測の事態に備えた。
「山歩きをしておれば、熊や狼に出くわす事もしばしば。身を守るための術にて」
淡々と、松斎は語った。
「ふむ」
相手方は、得心したかに見えた。
松斎は、歩き出した。
「おい」
しつこく、相手が呼び止めた。
「まだ何か」
松斎は、言った。
「山伏と言ったな」
相手が、聞き質した。
「はい」
松斎が、答えた。
「ならば、山に帰るのが筋であろう」
相手方が、衝いてきた。
「……」
松斎が、押し黙った。
「お主等が向かっているは、城の本丸ではないのか」
相手方は、追及してきた。
浪人達が、それぞれ身構えた。
松斎は、それを察知して抑えるように左の掌を浪人達に向けた。
相手は、数十人。
ここで下手に争って、斬り合いになる事を怖れた。
折角助太刀にと確保をした浪人達をここで失ったり、あるいは松斎当人が敵に
捕まりその正体が判明すれば、この戦は負けてしまう。
「お侍様方は、城下にお勤めの方ですか」
逆に、松斎が問い返した。
味方の可能性もあったからであった。
「我等は、城の危機に際し馳せ参じた者共」
相手方が、言った。
「お城に何かあったのですか」
松斎は、すっ呆けて聞いた。
本当に家中から来た者かも知れないからだ。
「城が取り囲まれていると聞く」
相手方は、言った。
「では、家中から来たと」
松斎は、聞いた。
猫の手も借りたい人手不足で、喉から手が出るほどに一人でも多くの兵を欲し
たがための今回の行動だった。
戦時の最中に危険を冒して津軽浪人を狩り出しに来た隠密裏の策だったため、
城下の者は知らないのが当然であった。
相手の正体が分からぬ内に、こちらの身分を明かすことなどできぬ。
自身の正体を明かさずに、相手の身分を問うのは至難の技であった。
「和尚様」
その時、声がした。
熊公であった。
「どうなさったんでがんす」
八公が、言った。
後ろには町人の与平等も控えていた。
三の丸が封鎖され、帰れなくなったため戻って来たのであった。
「おお、熊と八か」
大らかに、松斎は返事した。
「何、このお侍様方が城に助太刀に参ると伺っての」
松斎は、百姓達に経緯を説明した。
泥で汚れている相手方の足元を見た八公が、熊公に目で促した。
「泥まみれの足でがんす。きっと、昨日の雨でぬかるんだ川向こうからやって来
たのす」
熊公が、松斎に耳打ちした。
奥羽山脈から東側に延びた崖を背にした花巻城は、北・東・南の三方をそれぞ
れ瀬川、北上川、豊沢川に囲まれた平山城であった。
城外から来るには、渡河する必要があった。
月夜の晩に馳せ参じた城郭内の者ならば、沓が汚れる事はない。
熊公八公の機転により、夜間であったが敵味方を判別できた。
「ここで、百姓や町人に騒がれても困る」
相手方が、囁き合った。
「城が取り囲まれたと言いましたが、一体誰が」
松斎が、聞いた。
「それは存ぜぬ。我等は主命により、城への出入りを見張っている」
相手方は、答えた。
「畏れながらその主君とは、どなたの事で」
続けて、松斎は聞いた。
「無論、城主である」
当然であるが如く、相手方は答えた。
「はて、この花巻城には城代しかおらぬと聞き及びましたが」
素知らぬ顔で、松斎は言った。
「鳥谷ヶ崎城である」
相手方の古豪らしき者が、自信を持って城の名を言い直した。
鳥谷ヶ崎城、その名を聞くと、松斎は相手方の正体についてぴんときた。
南部氏所有となって花巻城と改名された。
その前は鳥谷ヶ崎城と呼ばれ、稗貫氏の本城であった。
相手はかつての城主の輩下らしかった。
相手が敵となれば、ぐずぐずしてはいられない。
早々にこの場を離れて、本丸に戻らなければならない。
「お侍様方は何やらお忙しいようですので、私共はこれにてお暇させて頂きます」
松斎は、退去を促した。
「待てっ」
相手方が、制止した。
「まだ、何か」
松斎は、落ち着いて振り向いた。
「その若僧」
伝助に、嫌疑が掛けられた。
「先ほど山から降りて来たとの事であったが」
相手方は、訝しげに言った。
「仰せの通りです」
松斎は、冷静に答えた。
「失礼ながら他の者達より、やけに小奇麗ではないか」
相手方は、言った。
薄汚れた浪人達に比べれば、城勤めの伝助の身なりの整った様が不審がられた
のであった。
「目に見える体裁ばかり整えおって。肝腎要の精神修養が足りぬゆえ、疑念を持
たれるのだ」
機先を制するように、松斎は伝助を叱咤した。
「申し訳ありませぬ」
その意を汲み取った伝助が額を土に擦り付けながら詫びた。
「この、未熟者めがっ」
松斎は、烈火の如く怒って見せた。
そして、伝助の背中を杖で打ち付けた。
一度ならず、二度、三度と叩いた。
伝助は頭を抱えながら黙って受け入れた。
「これ、もうその辺で」
相手方も、見かねて声をかけた。
聞えぬ振りで、松斎は伝助を打擲し続けた。
「ええい。いい加減にせい」
相手方が、大声で怒鳴った。
「はっ」
松斎の手が止まった。
「それ以上殴ったら、死んでしまう」
相手方は、言った。
「仏門に帰依する者として、李下の冠、瓜田の履の戒めにございます」
松斎は、語った。
すももの木の下で冠を直すと、人からその実を盗んでいる。
また、瓜畑でくつを履き直そうとすると、瓜を盗んでいるように疑われる。
疑われやすい行動を戒める故事を松斎は披露した。
「小僧と言えど、坊主の端くれを眼前で殺させては我等も寝覚めが悪い」
相手方が、言った。
「さようでございますな」
松斎も、同意した。
「そちらの疑いは晴れた」
相手方は、言った。
「それでは」
松斎は、言った。
「通って構わぬ」
相手方が、言った。
竹と梅が両脇を支えながら伝助を起こした。
「夜も遅い。道中気を付けるのだぞ」
相手方が、松斎を気遣った。
「有難うございます」
合掌しながら松斎は念仏を唱えるように言った。
こうして、危機を脱した松斎一行はそこを立ち去った。
「あれは、北松斎であろう」
相手方の古豪が、言った。
「えっ。では、今のは敵の城代と」
驚いた様子で、その家来は聞いた。
「うむ」
古豪は、頷いた。
「何ゆえ放免したのですか」
家来が、疑問に思った事を率直に尋ねた。
「互いに名乗った上での正々堂々とした城取りでなくば、後世の恥となろう」
昔気質の古豪は、武士道を重んじた。
「相済まぬな」
三の丸を検問を抜けると、松斎が優しく声をかけた。
「お役に立てて光栄です」
伝助が、気丈に答えた。
「安宅の関所における弁慶の勧進帳か」
親分が、言った。
「さすがは親分。よく存じておるな」
松斎は、博識の親分を褒めた。
「無駄には生きておらぬ」
煽てられた親分も、満更でもない様子だった。
「勧進帳」
子分の梅が、聞いた。
「敵の尋問を突破するため、弁慶の機転により難を逃れた逸話です」
伝助が、かいつまんで解説した。
とんだ借りを作ったかも知れぬ。
相手方の古豪は、最後まで頭巾を脱げとは言わなかった。
こちらの猿芝居に騙された振りをしたと、松斎は内心思っていた。
松斎一行は山に向かう振りで、勝手知ったる三の丸を抜けて行った。
二の丸正面の中御門が見えてきた。
門は閉じられていた。
「その方等は、何しに参った」
城門の上から見下ろすように、門番が詰問した。
三の丸にいる敵方を突破したが、今度は二の丸に陣取る兵を信用させなくては
ならなかった。
三の丸が落ちた今となっては、眼前の兵が味方である保証は無かった。
松斎は、どうしたものかと思案に暮れた。
万が一にも敵の場合、三の丸の敵方に挟まれてしまう。
この場は、松斎の正体を飽かす事無く入城する必要があった。
櫓上で、哨兵が弓弦を張って狙っていた。
「また、勧進帳か」
覚えたての知識を、梅が喋った。
「その傷では無理だろう」
竹が、伝助に同情するように言った。
「柳の下に泥鰌は二匹おらぬ」
親分も、皮肉った。
愚図愚図してはいられない。
ここは一刻も早く本丸に戻らねばならなかった。
「下がれっ」
門番は叫ぶと同時に、弓を放つように哨兵に指示した。
「危ない」
伝助が、松斎に注意を促した。
一行の足元に、矢が飛んできた。
松斎は、後ずさった。
「何人たりとも通すなとの厳命である」
門番は、言った。
「この山伏の御一行は、滅多に手に入らない妙薬を持参しました」
その時、町人が語り始めた。
「きさまは誰か」
門番が、聞いた。
「御用聞きの木津屋にございます」
町人は、名乗った。
「与平か」
見知った馴染みの名を、門番が言った。
「そうでございます。是非お通し願います」
そう、木津屋与平が答えた。
「このような刻限にか」
いかに顔見知りでも、夜更けの訪問に門番は訝しがった。
「北の和尚様より、入手次第火急に持参せよとの申し付けがございまして」
与平は、言った。
「殿が」
主命であればと、哨兵は納得したようだった。
中御門の通用門が開けられた。
与平の機転により、御用達の品を持って来たと伝えて味方であると思い込ませ、
二の丸の警固を納得させた。
「お役目ご苦労様でございます」
門を潜りながら松斎は、門番に声をかけた。
「っ」
門番は、聞き覚えのある声の主の後姿を凝視した。
「殿」
暗がりで頭巾を被ったその人相を確認できなかったが、立ち居振る舞いから判
別できた。
門番は、平身低頭した。
「鶏鳴狗盗。『史記』、孟嘗伝の倣いか」
親分は、呟いた。
中国、戦国時代に斉の賢人である孟嘗君が秦に捕らえられた時、狗のように盗
みの上手い食客に助けられ、また函谷関の関所では鶏の鳴き真似の上手い食客に
窮地を救われた。
一芸に秀でた者を集めていた孟嘗君の逸話である。
転じて、一見とるに足らない小人物でも使い方によっては役立つという故事で
あった。
ただの老いぼれた盲人では無いと、親分は悟った。
松斎一行は、一路本丸を目指した。
円城寺近くの馬場口御門の外には、屈強な兵達が参集していた。
「我は稗貫の家臣、根子兵庫頭なり」
ついに、相手方の古豪は名乗りを上げた。
古来より陸奥国稗貫郡を支配していた豪族である稗貫氏の重臣であった。
「門を開けよ」
根子氏が、言った。
「何用か」
門衛が、聞き質した。
「元は我等の主の縄張りである城を、取り戻しに参った」
根子氏は、口上を述べた。
門内から返答の変わりに、征矢が飛来した。
開門する様子が無いと見て取ると、根子氏は鞘から刀を抜いて前にかざして先
陣を切った。
稗貫勢は百姓一揆を装い花巻城に詰める主力をおびき寄せると、待ち伏せして
あらかた倒していた。
ゆえに、手薄になった城は組し易しと確信していた。
勢いに任せて、搦手門から本丸への最短距離を攻め上った。
差し渡し一尺五寸長さ六間余りの檜の大きな丸太が大勢で担ぎ込まれた。
「そおれっ」
かけ声と共に、門に丸太がぶつけられた。
〝どおおおん〟
夜のしじまを破る大きな音が辺りに響いた。
丸太は何度もぶつけられた。
その音は、城下に鳴り響いた。
「ついに始まったようだの」
何とか本丸前の西御門に辿り着いた松斎は呟いた。
「和尚様」
そこへ、武家の子女で談義所に勤める松が声をかけた。
城中の賄いを仕切っている浦子と仲居衆も集まって来ていた。
「松に浦までも、一体どうしたのだ」
松斎が、質した。
「何だか胸騒ぎがして。馳せ参じました」
松が、言った。
「女の勘は侮れぬな」
にやりとしながら松斎は言った。
控えていた三浪人達は、美しい松の容姿に思わず目を奪われていた。
「大しためげぇごと」
大層な美人であると、思わず竹が呟いた。
「掃き溜めに鶴だな」
梅も、同意した。
〝ごほん〟
親分は、咳払いをした。
「無礼だぞ」
と、威厳を保つように子分達をたしなめた。
〝どおん〟
鈍い音が轟いた。
「あのおっがね音はなんでございますか」
怪音に身をすくめながら浦子が尋ねた。
「戦が始まったのですね」
松が、言った。
「何ゆえ、家に帰らなんだ」
松斎は、責めるように聞いた。
「和尚様は言いました。兵站を担えと」
夕方の茶の席で松斎に頼まれた事を、浦子が答えた。
「今からでは城外に出るのは却って危うい。そちらも本丸に同行せよ」
松斎は、女等を促した。
「はい」
一様に女達が返事をして、城内に入って行った。
「おらだづもすけるべ」
女達に負けまいと、百姓の熊公八公も助力を申し出た。
「私達も」
木津屋与平ら町人も意気に感じていた。
「伝助」
松斎は、伝助を呼んだ。
「ここに」
負傷した体を引きずるようにして、伝助が前に出て来た。
「焔硝と弾がいる」
手短に、松斎は言った。
鉄砲火薬である焔硝は爆発炎上する恐れがあり、危険なので本丸には置かれて
いなかった。
「都合します」
急の要求に特に慌てた様子も無く、伝助は答えた。
「よっこらせっと」
と言って、百姓の熊公が伝助を背負い込んだ。
「このほうが早いべ」
熊公は、言った。
「かたじけない」
伝助が、詫びた。
「頭と足が揃いましたな。私共は手になりやしょう」
与平が、隣で頷く八公を見ながら言った。
「城を焼く気ならば、とうに火矢で火攻めにしておろう。そうせぬのは城取りが
目的。居抜きで城を用いる気ならば蔵も焼かぬ。ましてや、火薬庫を攻撃せぬ筈
じゃて。途中止め立てされたら、疫病の者を運んでいるとでも言ってやり過ごす
のだ。まさに怪我の功名ぞ」
敵の戦術を見抜いた上で、松斎は伝助に対して智恵を授けた。
「はい」
伝助が、気丈に答えた。
こうして、巨体の熊公に背負われた伝助は、与平と八公を連れて再び二の丸に
向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます