第7話 扶桑型はほんとうにダメ戦艦だったのか?(4)

 近代的な戦艦という艦種(たんに「戦う艦」ではなく、その海軍の主力を担う最強力艦としての戦艦)が確立したころ、その主砲は三〇・五センチ(一二インチ)砲で、前部に連装砲塔一基、後部にも連装砲塔一基という配置が普通でした。主砲は四門で、他の砲力は、副砲や、「中間砲」と呼ばれる主砲より少し小さいめの砲(口径が二五・四センチ=一〇インチや二〇・三センチ=八インチの砲など)で補っていました。

 日本海海戦の日本艦隊の旗艦三笠みかさも、ロシア艦隊の旗艦スワロフも、主砲は三〇・五センチ連装二基四門でした。

 ところが、一九〇六年、イギリス海軍が、一挙に主砲を三〇・五センチ砲連装五基一〇門に増強したドレッドノートを就役させました。

 また、ドレッドノートは、それまでの戦艦の速力がだいたいどの国でもせいぜい一八ノットだったところ、二一ノットまで高速化に成功しました。

 一九〇六年というと、前年の日本海海戦で、数的に必ずしも優位ではなかった日本海軍がロシア艦隊に対してほぼ「パーフェクトゲーム」での勝利を収め、海軍どうしの戦いは「艦隊決戦」で勝敗がつくことを印象づけた、その翌年です。

 より砲力が強く、より速くより機敏に動ける艦隊が勝利する。

 ということは、中間砲や副砲で砲力を補うのではなく、有力な主砲をできるだけ多く揃えたほうが優位に立てる。それで高速ならば言うことがない。

 ドレッドノートはその条件を満たしていました。

 以後、有力国の海軍は、このドレッドノートを標準にして、ドレッドノートと同等のクラスの戦力を持つ戦艦の建造に動き始めます。

 戦艦ドレッドノートはいまでいう「ゲームチェンジャー」になったわけです。

 この、「ドレッドノートと同等の戦力を持つ戦艦」をまとめてド級艦(漢字では「級艦」)といいます。


 ところが、イギリス海軍は、各国がド級艦の建造を進めているなか、一九一二年に、主砲を三四・三センチ(一三・五インチ)に強化し、それを連装五基一〇門搭載した戦艦オライオン(オリオン)を完成させました。同時に、同年、同じ三四・三センチ砲連装四基八門、速力二七ノットという「巡洋戦艦」ライオンを完成させました。

 これによって、同時期に建造されていた各国(イギリス自身も含む)のド級艦を一挙に旧式にしてしまったのです。

 今度は、諸国はこのオライオン、ライオンと同等の戦力を持つ戦艦や巡洋戦艦を建造しようとします。このクラスの戦艦をまとめて超ド級艦(漢字では「超弩級艦」)といいます。


 問題の扶桑ふそう型戦艦は、日本が国産で最初に造った超ド級艦でした。

 その前に日本は超ド級巡洋戦艦として金剛型(金剛、比叡、榛名、霧島)を建造していますが、金剛はイギリスで設計され、それに倣って他の三隻が建造されたので、自前の技術ではありません。

 しかも、じつは、日本は正統のド級戦艦は造ったことがありませんでした。

 国産でド級艦に分類される戦艦としては河内かわち型(河内、摂津せっつ)があります。しかし、河内型は、三〇・五センチ砲連装六基一二門を搭載しているにもかかわらず、前部と後部の砲塔二基は従来より砲身の長い砲を、中央部の右舷二基と左舷二基は従来と同じ砲身の砲を搭載していました。砲身は長いほうが性能がよいので、前後の砲塔二基と中央部の砲塔四基で性能が違うことになります。

 発想としては、前後の砲塔二基により優勢な砲力を持たせ、それより性能の落ちる中央部の四基で補う、ということになっていて、「でっかい中間砲を持つ従来型戦艦」という性格もありました。

 実際には、前後の砲の優位を封印して、従来型の砲の性能に合わせて一斉射撃できるようにしていたので、ド級戦艦としての運用に支障はなかったようです。

 ふだんは前後の優勢な砲も中間部の従来型の砲に合わせて減力射撃をしつつ、長砲身砲の威力が必要なときには、前後の四門の性能をフルに発揮させて相手を圧倒する、というプランだったのかも知れません。


 十分なド級艦建造経験を持たないまま、または、ド級戦艦の設計・運用のプランをどうするかという基本思想に「揺れ」がある状態で、日本海軍は超ド級戦艦として扶桑型を造ることになりました。

 「十分な経験がなくても、他の国がやったことのない高度な性能をいくつも持たせた最新鋭の機械を造って成功させる」というのは、宇宙機はやぶさ・はやぶさ2に至る日本の「おいえげい」なので、それはこのころからそうだった、といえばそうなんですけど。

 それでも、経験不足や技術の制約で、主砲配置の問題だけでなく、防禦ぼうぎょ面などいろいろと問題を抱えた戦艦として仕上がった、という面はあります。

 当時からそれらの問題点は指摘されていたので、最初から「ダメ戦艦」と思われていたところもあることはあるのですが。

 何度も言うように、現在から見て、そんなにダメなものを造った、というわけでもないと私は思います。


 ただ、イギリスもアメリカも、「最初の超ド級戦艦(または巡洋戦艦)」を造ってから、第一次世界大戦の時期にかけていくつものタイプの戦艦・巡洋戦艦を建造して、問題点を克服していきました。

 イギリスでは、オライオン型とライオン型につづいて、高速戦艦クイーン・エリザベス型と、その通常(低速)戦艦ヴァージョンのリヴェンジ型(R級)、さらに高速の巡洋戦艦のレナウン、レパルス、フッドを建造し、その後の一六インチ砲戦艦につなげました。

 アメリカでも、大型ド級戦艦(主砲が三〇・五センチ)のワイオミング型から最初の超ド級戦艦ニューヨーク型、初めて三連装主砲を採用した(ただし連装二基、三連装二基)ネヴァダ型、主砲を三連装で統一したペンシルヴェニア型、主砲の砲身を長くして性能を改良したニューメキシコ型、テネシー型と、少しずつ改良を加えていきました。

 しかし、工業力の弱い「貧国」日本ではその余裕がありませんでした。最初に造った超ド級艦の扶桑型と、それをもとにして改良した伊勢いせ型を、第二次世界大戦まで、さまざまな改良を施しながら使うしかありませんでした。


 そのぶん、近代化改装には注力して、できるだけ最先端の戦艦の性能に追随できるように改良はしました。近代化改装にかける熱意は、もともと超ド級戦艦を多数保有している米英よりもはるかに上だったと思います。

 しかし、やはり、「連装砲塔六基で砲塔直下の重点防禦がじゅうぶんにできない」などの限界は解消のしようがありませんでした。

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