第6話 扶桑型はほんとうにダメ戦艦だったのか?(3)

 テネシー級のように三連装砲塔を使えば、砲塔数も減らせるし、艦の前方にも六門、後方にも六門の砲を向けることができたのですが。

 扶桑ふそう型(にかぎらず、日本の大型艦)が三連装を避けたのには理由がありました。

 砲弾は音の速さを超えて飛ぶので衝撃波を発生させます。すぐ近くに別の砲弾が飛んでいると、その衝撃波がぶつかり合うことで砲弾の軌道が乱れ、まっすぐ飛ばないという問題が生じます。三連装だと、一斉射撃したばあい、三つの砲弾がわりと近いところをまとまって飛んで行くことになるので、砲弾の軌道の乱れの問題が大きくなり、命中率が下がってしまうのです。

 アメリカのばあいは、その問題には目をつぶって三連装砲塔の効率性を選んだわけですが、扶桑型のばあいは、命中率が下がるのだったら連装砲塔多数にしたほうがいいという思想で造ったわけですね。


 戦闘に勝つためならばある程度の「ハズレ弾」が出るのはしかたがないと考えるアメリカと、砲弾は、発射した以上、できるだけ命中させるべき、「ハズレ」はできるだけ避けるべきと考える日本との発想の違いということもできます。

 ただし、帝国海軍も「砲弾は確率的にしか命中しないもの」ということはわかっていました。ただ、その確率をさらに下げるようなことはしたくなかったのですね。

 もともと、日本は「貧国」意識が強かった。私が子どものころは、日本はもう相当に豊かな国になっていたはずですが、上の世代の人からは「日本は貧しい国だから」とよく言われました(その意識がなくなるのがたぶんバブル期です)。それで「ものをたいせつにする」意識が強かった。

 とくに、兵器のばあいは、ムダにすると「だい元帥げんすい陛下」である天皇の財産を粗末に扱うことになります。だから、「ハズレ」や「ムダ」を引き受けても別のところで効率を上げる、というような発想がやりにくかったということがあるのでしょう。


 その後、巡洋艦最上もがみ型の一五・五センチ(五・一インチ)三連装主砲(後に戦艦大和やまと型の副砲に転用)で経験を積んだ後、戦艦では大和型の巨砲四六センチ砲で初めて三連装主砲を採用します。

 現在、日本の戦艦というと大和がいちばん有名で、ビジュアルで見かけることも多いので、「戦艦というと三連装主砲」というイメージが定着しているかも知れませんが、三連装主砲を装備した日本戦艦は大和型だけでした。


 扶桑型を改良した伊勢いせ型戦艦(伊勢、日向ひゅうが)では、砲塔の配置が多少効率的になりました。やはり主砲は連装六基で、第三・第四砲塔が艦の中央部にまとまっているには違いないのですが、中央部後方にまとめて後ろ向きに配置したので、さまざまな余裕ができました。そのためその後の改装で性能を上げる余地も大きくなったのです。

 ただ、伊勢型も、扶桑型の改良型ではあったものの、四一センチ(実際には一六インチなので四〇・六センチほど)主砲を持つ長門ながと型が登場してからは二線級の戦艦になってしまったことは扶桑型と同じです。

 伊勢型戦艦は、主砲を残したまま後部を航空母艦の飛行甲板にする「航空戦艦」への改造という、「苦肉の策」でありおきて破りの大改装を行った結果、その艦型だけで有名になりました。また、伊勢と日向は、戦艦だけで優勢な敵のもとへ突入せざるを得なかった扶桑、山城と違い、同じ一連の海戦で空母機動部隊の一部として活躍し、生還して名を挙げています。

 戦時下に伊勢型を航空戦艦に大改装している余裕なんかほんとうにあったのか、とか、伊勢型も速力二五ノット台で、最低でも速力二八ノット台の航空母艦に随伴させてほんとうによかったのか、とか、いろいろ「つっこみどころ」はあるのですが、ともかく「航空戦艦になった」というだけで、扶桑型とはぜんぜん評判が違う。

 その面でも、扶桑型は割を食っている、という感じはあります。

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