第5話 扶桑型はほんとうにダメ戦艦だったのか?(2)

 結論から言えば、たしかに第二次世界大戦で第一線に立てる戦艦ではなかった、しかし、米英で同時期に建造された戦艦に対してそんなに見劣りする性能ではなかった、ということになるでしょう。


 まず、扶桑ふそう型戦艦で「役に立たなかった」と言われる点のひとつに、速力の遅さがあります。

 ですが、完成時で言えば、扶桑型の速力は二二・五ノットです(一ノットは時速一・八五二キロ)。同世代の戦艦でくらべると、イギリスの「高速戦艦」クイーン・エリザベス型の二五ノットには負けますが、同じイギリスのリヴェンジ型(「R級」)とほぼ同じ、アメリカのネヴァダ型やテネシー型は二一ノットなので、それよりは少しだけだけど速い。

 しかも、扶桑・山城やましろは第二次世界大戦時にはいちおうスペック上は二四・七ノットが発揮できる速力になっていました。米英の同世代の戦艦は、近代化の結果、速力が落ちているのが一般的なので、速力の面では扶桑型は優位だったということが言えます。

 もっとも、他の日本戦艦とくらべると、第二次世界大戦時に伊勢いせ型は二五ノット台、長門ながと型は二六ノット台、大和やまと型は二七ノット台が発揮できました。だから、編隊を組んで最大速力で戦闘するということになると、たしかに扶桑型はいちばん「足を引っぱる」存在ではあったわけです。

 他の戦艦といっしょに戦列を組んで敵戦艦相手に砲撃戦に参加する、という機会はなかったので、ほんとうにそれほど足を引っぱったのか、というとよくわかりません。米戦艦も、巡洋戦艦・高速戦艦を除く英艦も二〇ノットをちょっと超える程度の速力だったことを考えると、二四ノット出れば「おんの字」だったと思いますが。

 ただし、スペックとして記録された性能を常に発揮できるかというとそうとも限りません。スペックを計測するときにはコンディションを整えて艦を走らせます。ふだんもそのコンディションが維持できるとは限りませんので、実際にはもっと遅い最大速力しか発揮できなかった可能性もあります。


 当時の戦艦の攻撃力の中心だった主砲についてみると、イギリスのクイーン・エリザベス型とリヴェンジ型が三八・一センチ(一五インチ)砲連装(二本の砲を一基の砲塔にまとめること)四基八門、アメリカのテネシー型が三五・六センチ(一四インチ)砲三連装(三本の砲を一基の砲塔にまとめること)四基十二門だったのに対して、扶桑型は三五・六センチ砲連装六基十二門です。

 イギリス戦艦の三八・一センチが優位に見えますが、イギリスの三八・一センチ砲は砲身がやや短く、砲身が短いと貫徹力などが弱いので、大きな威力差はなかったと言っていいと思います。むしろ、アメリカのテネシー型などは、同じ三五・六センチ砲ながら、砲身が長く、砲身が長いと射程も長く砲弾の貫徹力も強くなるので、こちらの威力のほうが強かったかも知れません。

 だから、扶桑型は、主砲だけ見れば、アメリカのテネシー型にはやや劣るけれど、だいたい米英の同時代の戦艦と同じ砲力を確保していたと言えるでしょう。

 第二次世界大戦当時には四〇センチ級の主砲を持つ戦艦が登場しています。とくに米軍は第二次世界大戦直前と大戦中に四〇・六センチ(一六インチ)の主砲九門を持つ戦艦を十隻も建造しました。扶桑型がこれらと砲戦したとすれば、まず勝てません。でも、それらと対等に渡り合えるのは帝国海軍では大和型の二隻のみ、やや不利だけど戦えるのは長門型の二隻の合計四隻のみで、とくに扶桑型がダメというわけではありません。


 ただ、扶桑型は、その十二門の主砲の配置に問題がありました。

 砲門数はアメリカのテネシー型などと同じなのですが、テネシー型が三連装砲塔四基に三五・六センチ砲一二門を収めたのに対して、扶桑型は連装砲塔六基でした。

 砲塔の数が多いと砲塔が重量を食うので、そのぶん、防禦ぼうぎょなどに回せる重量が減り、不利です。

 また、砲塔の下には大砲の砲弾や火薬がいっぱい積んであるので、ここを敵の砲弾に直撃されると一発で致命傷になる危険があります。砲塔の数が少ないと、砲塔の下を重点的に防禦するという方法が採れますが、主砲塔が六基もある扶桑型のばあい、けっきょく艦の多くの場所が「砲塔の下」ということになってしまい、それだけ「砲塔の下」一か所ごとの防禦は弱くなってしまいました。消火設備などの間接防禦も、テネシー型などのアメリカ戦艦にくらべると弱体だったようです。

 また、砲塔の配置も、六基の砲塔を、前部に二基、中央部に二基、後部に二基となっていました。

 このうち、中央部の二基は、前方と後方には艦の構造物があるので発砲できず、敵が艦の横にいないかぎり戦力になりません。

 艦隊決戦をやるばあい、「両軍は並行して進みながら横向きに大砲を撃ち合う」または「敵の進行方向をさえぎって横向きに敵の先頭艦に砲火を集中する」というのが典型的と考えれば問題になりません。しかし、そう都合よく陣形取りができるかというとそうもいかないこともあるはずなので、「多様な陣形に対応できる」という点では劣る、ということになると思います。

 実際に、スリガオ海峡夜戦では、扶桑も山城やましろも正面に待ち構える敵に対して発砲しなければいけなかったので、この砲塔配置は不利になったのではないかと思います。

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