第3話


 黒いハンドタオルを湿らせながら、授業を受けた。

 休憩に入るたびにといっても過言ではないだろうペースで、湿ったハンドタオルを袋に入れ、洗濯してある替えのタオルをポケットに忍ばせた。

 誰かとかかわったなら、体のことが知られてしまう。そう思う私は、ひとりを好み、人を避ける。

 話しかけられたところで、乗り気じゃない態度をとれば、相手は気まずそうに去っていく。

 自分がやっていることが程度の悪いことだとわかっているけれど、自分を守るためにそうすることを、私はやめられない。

 授業が終わるとすぐ、私は逃げるようにして帰った。学校から遠く離れれば離れるほどに、ほんの少しだけ緊張が解ける。そして、家に、暮らす街に近づけば近づくほどに、だんだんと緊張し始める。

「ただいま」

 なんとか一人を貫いたまま、家まで戻ることができたと、ほっと息を吐く。急ぎビニールに入れた黒いタオルとブラウスや靴下を洗濯しなくてはと、やる気スイッチを強引にオンにする。

「……あ」

「ああ、おかえり。これ、サイズあってるよね?」

 机の上には、長袖のブラウスが四着も置いてあった。

 全部、私が今着ているサイズだ。

「なんで?」

「だって、困るでしょ? 体育の時とか。ジャケットを羽織りっぱなしってわけにもいかないじゃん?」

「そう、だけど」

「ごめんね。遅くなっちゃって」

「ううん。ありがとう」

 普通の人は、どのくらいのペースでブラウスを買い替えるんだろう。

 どうして私は、くたくたになったブラウスを着ることができないんだろう。


 パリッとしたブラウスを纏い、ジャケットを羽織って家を出る。

 頭上には、濃い灰色が広がっている。

 テレビが「午後は警報級の大雨となるでしょう」というから、カバンの中には折り畳み傘を入れてきた。

 なんで、空は灰色なのに、落とすしずくは透明なんだろう。

 私も、雲みたいに透明なしずくを落とせたらいいのに。

 と、心模様は一足先に大雨となる。

『こんな天気、喜ぶヤツっているのかな』

『農家とか?』

『今日はこの後大雨なんだろ? 大雨なんか、農家だって嫌なんじゃないの?』

 名前がわからない誰かと誰かの会話を盗み聞くと、ほんの少しだけ心が晴れた。

 この空の下を歩きながら、普通の人も落ち込んでいる。そのことが、私をほんの少しだけ普通にしてくれたような気がしたのだ。


 お昼頃から降り始めた雨は、五時間目のころには本降りとなり、六時間目のころには皆の視線を黒板から窓へと移させるほどの土砂降りとなっていた。

 路面にはうっすらと水がたまり、駆け抜ける車がしぶきをあげている。

 ――雨がひどいので、しばらく校内で待機してください。

 スピーカーから、全校生徒、教員へ向けた放送が響いた。

「ええ……」

「だるぅ」

 教室の中に、抜き打ちテストの前のような気だるい雰囲気が広がった。

「このあと予定あるんだけどな」

「ピアノのレッスンがあるのに」

 各々、予定を崩されたことを嘆いている。

 と、その時、シュン、と電気が消えた。

 明かりを失った部屋に、携帯端末の光が蛍のように瞬く。

「うわ、停電?」

「冷房消えたー。これから蒸し暑くなるやつじゃん」

「もうさ、気合で帰らない?」

「んなこと言ったって水浸しだし、ほら」

「……うわ。電車止まってんの? 終わった」

 閉じ込められた校舎内は、未だかつて経験したことがないような雰囲気だった。

 いっそ楽しんでしまおうとワイワイ騒ぎ出す人がいれば、まじめに過去問を解く人もいた。本を読む人がいれば、ゲームを始める人もいた。

 地面を覆う水はどんどんと深くなる。

 一階の教室で待機していた生徒たちは、上層階の廊下への避難を余儀なくされた。

「あっついなぁ……」

 窓を開けると雨が吹き込んできてしまうから、開けられない。

 締め切った部屋の中は、どんどんと熱くなっていく。滝のように雨が降っているのだから、湿度が下がるはずもない。

 校舎は、まるで大きなサウナのようだった。

「黒田さん、大丈夫?」

「……え?」

 必死に存在を消し、黒が噴き出さないようにと願っていると、赤井さんに声をかけられた。

 久しぶりに、机ではないものを見た。

 その瞬間、衝撃を受けた。



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