第16話 手のひらの上、愚か者は踊る②
「わたくしは強い男性が好きなの。ディラン様のような素敵な方がいいわ」
ルーカス様が処刑されたら、次の王は誰なのかしら?
アンジェリカが甘えがかった声で問えば、ディランも興が乗ってくる。
「……勿論、俺だ。兄上はあくまで仮の王。その証拠に、国政に関わる一切のことは、すべて俺が命じている」
「まぁ、そうだったのですね! でも仮の王とはいえ、こんなにも従順になるものでしょうか?」
「母親の命と引き換えだ。放っておいても日を置かず死ぬであろうが……しばしの延命を望み、自らの命を差し出すとは、相変わらず愚かな男だ」
次期王位の略奪を企む王弟ディラン。
この様子を見るに、場が整えば、すぐにでも王位を欲するに違いない。
「わたくし、良いことを思いつきました」
聞きたいことは出揃ったから、もうこれくらいで良いでしょう。
あとは婚姻を受理させ、正式な妻として代理人になれる立場を得るだけ。
必要なのは、『決闘裁判』をルーカスとディランに起こさせ、代理人としてマーニャが闘技場に立つことである。
《勿論、私が戦うのだろう?》
面白くなってきたと身を乗り出すルビィに、その通りだと小さく目配せし、アンジェリカはディランの耳元へと唇を寄せた。
「亡国の聖女に溺れ、王妃として娶った国王ルーカス」
告げる声は、ささやくように密やかに。
「猛反発した諸侯達は、婚姻無効を訴え……そして国を憂いたディラン様は、『決闘裁判』を申し込むのです」
「だが兄上には代理人になれる者がいない。無効になるぞ」
ルーカスは何も言えぬまま、ただ堪えるように眉間にシワを寄せ、二人を睨み続けている。
「代理人には、わたくしが」
「お前が?」
「剣を持ったこともない滑らかな手……囲い者にした聖女すら、我が身可愛さに死地へと追いやる薄情者、となれば今以上に人心が離れるでしょうね」
とろけそうに甘い瞳で、うるりと見つめるアンジェリカを腕に収め、ディランの口元が愉悦に歪む。
「断頭台での神罰騒ぎも記憶に新しいはず。恐れを知った民心は、きっとわたくしに寄り添うわ」
「……だがすぐに負けては意味がないだろう」
「いいえ、重要なのは勝敗ではございません。歴戦の猛者と戦わされ……同情の声が一つ二つあがれば、しめたもの。闘技場は瞬く間に王への批判であふれ返るでしょう」
……ここでさらに、もう一押し。
「手の上で踊る、愚かな民衆。刺激的だとはお思いになりませんか? わたくしは恐怖に剣を落として泣き叫び、負けを認めて赦しを乞うの」
アンジェリカの提案が気に入ったのか、ディランは機嫌良く頬をひくつかせながら、静かに耳を傾けている。
「国王陛下は自らの行いを棚に上げ、余興にもならないと激怒するかもしれないわ。現王の名誉は地に落ち……そうねぇ、一年なんてとても待ちきれない」
闘技場の帰りにルーカス様を処分する、という手もございます。
そうすればディラン様は、すぐにでも王位を手にできるわ。
ルーカスに聞こえないよう、二人だけの密事のように、マーニャは声をひそめる。
どうです、楽しくなってきたでしょう、と。
「悪魔に魂を売り、呪われた聖女。愚かな妄言ですが、無駄に殺すよりも有効な使い道があると思うの」
恐れのうちに民衆を扇動できる駒。
いざとなれば王政批判のスケープゴートにもできる、使い勝手の良い存在。
プライドをくすぐる言葉は、誘うように……アンジェリカは内心笑いが止まらない。
「賢王ディラン様の治世に、わたくしは誰よりもお役に立てます。王になった暁には、どうかお傍にお召しください」
最後に一言添えると、この提案がいたく気に入ったのか、ディランは満足げに頷いた。
「でも困ったわ、まだ婚姻が受理されていないなんて」
早急に手続きを進めていただかないと、貴方のものになるどころか代理人にすらなれないわ、とアンジェリカは悩ましげに眉をひそめる。
「……いいだろう。それでは許可を出してやる」
「まぁ! ありがとうございます。でも『決闘裁判』は、あくまで演技。お手柔らかにお願いしますね?」
わたくし痛いのは苦手なの、と鼻にかかった甘え声でアンジェリカは懇願する。
「嬉しい誤算だな、まさかここまで面白い女だったとは」
機嫌良くディランは笑い、伏せるルーカスの髪を掴むなり、顔を上向かせた。
「王宮で囲うことを拒否し庇いだてをした結果、このような事になるとはな」
「……ッ!」
「お前は王に
分かったところでもう手遅れだが、と侮蔑の色を浮かべるディランの顔は醜悪で、アンジェリカは思わず目を眇めた。
「残念だが、死地へは
そう言い残すと乱暴にルーカスの肩を一蹴りし、そのまま身を翻してディランは屋敷をあとにする。
「愚かだこと」
ディランの乗った馬車が遠ざかるなり、アンジェリカの口から漏れ出た嘲るような呟き。
「お前はアンジェリカだな!? 勝手な真似をして、どういうつもりだ!?」
「あらあら、ルーカス様ったら怖い顔。面倒臭そうだから、お返ししますね。……それでは陛下、ごきげんよう」
平伏していた身体を起こし、問い質すルーカスを事もなげにあしらうアンジェリカ。
ニコリと微笑み、――瞬く瞳が翠緑色に代わる。
二人はどちらともなく視線を交わし、ルーカスは疲れたように溜息を吐いた。
「……マーニャか。隠して飲んでいた小瓶の中身は酒か?」
「はい。ルーカス様の前で飲むことを条件に、お酒を小分けにして持ち歩く許可を得たと伺いました」
「そのようなことを許可した覚えはない」
「ええッ!? でも確かに火急の事態だからと、ルビィ様も仰って……?」
差し迫った状況であると、マーニャの不安を煽ったはずのルビィは腕を組み、満足気な笑みを浮かべている。
その上、やらかしたアンジェリカは、どこ吹く風。
「……なるほど、そういうことですか」
《おっと、珍しく怒っているな? ほらアンジェリカ、お前のせいだ。謝っておけ》
《お断りよ。だってとっても嫌いなタイプだったんですもの》
おかげで良い暇つぶしができたわ!
反省の色がまったく見られない二人……分かったいたつもりだが、放っておくと、どこまでも増長してしまう。
――このままだと駄目だ。
強くそう思った瞬間、パチンと音を立てて、ルビィとアンジェリカが部屋の隅へと弾かれた。
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