第10話 使えるものは、すべて惜しまず使う主義


 あれから三日もの間、ずっと眠っていたらしい。


 思っていた以上に酷い状態だったようだが、ルーカスの手配した医師のおかげで、目が覚める頃には起き上がれるまでに回復していた。


《お前ひとりの身体ではないのよ? もっと大事になさい》

《アンジェリカの言う通りだ。まだ死なれては困る》

「お二人とも、またそんなことを……」


 病み上がりのマーニャを気遣うかと思いきや、相変わらず自分達の欲望に忠実な二人の悪女。


 マーニャのものはすべて自分のもの、とでも言いたげなその態度に、いっそ清々しさすら感じてしまう。


「熱が下がったおかげか、だいぶ頭がスッキリしました」


 朦朧とした頭に加え、燃え上がるように熱を持った背中。

 まだ痛みは残っているが、三日前とは比ぶべくもない。


「……それで、どのような経緯であの状況になったのですか?」


 どうみても女性優位の、色めいた状況。

 ベッドの上で屈強な男性にまたがり、自ら腕をまわして口付けをする寸前である。


 公開処刑の宣言から始まり、『死にたくなったら、いつでも死んで構わない』と言い放ち短剣を渡したルーカス相手に、どうしたらマーニャ優位でコトが進む流れになるのか……。


 説明を求めるが、肝心の二人は素知らぬ顔で宙を漂っている。


《まったく、いちいち五月蠅いわねぇ。減るものでもあるまいし、口付け程度で何だというの? さすがは神殿育ち、清純ですこと》

「口付け程度……」

《生き残りたいのでしょう? 使えるものは、すべて惜しまず使いなさい》


 王太子妃の身分を剥奪された挙げ句、高級娼館に売られ、その美貌と手管で見事復讐を果たした実績を持つアンジェリカ。


 使えるものを惜しまず使った結果が、断頭台行きだったのだが……説得力が物凄い。


《まぁそれくらいにしてやれ。神殿育ちが原因と言うよりは、マーニャの身分のせいだろう。王族、しかも聖女ともなれば、神殿内でも特殊な立ち位置だからな》


 それに神殿は、外から見えるほど綺麗なものではない。

『神に身を捧げる崇高な精神』を謳ってはいるが、蓋を開ければ腐敗が進み、貴族官僚と大差ないとルビィは言う。


 聖職者とは名ばかりの俗物だらけ。

 実際、世俗と切り離された空間であるがゆえ、違法な取引に手を染め、権力に溺れて女を囲う者も少なくないことをマーニャは知っている。


 だが鼻で笑うアンジェリカをいさめ、ルビィがフォローに回るとは。


 一体どうしたんだろう。

 とても、あやしい……。

 優しい言葉をかけられるが、嬉しさより先に、何かあるのではないかとマーニャは警戒してしまう。


《おおかた今回の侵略も、高位の聖職者達は我先に逃げ出し、要領良く生き延びたのではないか?》

「どうでしょうか、仔細は把握しておりません。自分の身に降りかかっているというのに……いつも、分からないことだらけです」


 その言葉に、ルビィとアンジェリカは一瞬、顔を見合わせた。


《……わたくし達が中に入っている間は、見聞き出来ているの?》

「いえ、眠っている時と同じように意識が途絶えています。元に戻る際は、目が覚める時の感覚に近かった気がします」


《神を降ろした神官は自我を保ち、その言葉を伝えるというのにお前ときたら……意識すら保てないとは情けない》

「ルビィ様。本人が望まず、無理矢理身体を奪われるのと、自ら身体を拓いて神を降ろすのとでは全然違います」


 普段はあまり自分の意見を言わないマーニャだが、この二人に関しては別である。


 言わないとどこまでも増長し、気付いた頃には恐ろしいことになってしまうと、知っている。


「あそこで意識が戻らなければ、一体どうなっていたことか……」

《ほぅ、私に口答えをするとは面白い。元気になった途端、随分と反抗的だな》


 ルビィは上機嫌で、マーニャの隣へと移動した。


《ところで酒はないのか? 侍女に言って、貰ってこい》

「駄目です! 珍しく庇ってくださると思ったら、お酒狙いで私を懐柔しつつ、話を逸らす魂胆ですね? そうはいきませんよ! 先程の経緯をまだ伺っておりません!」


 要求を拒み、なおも食い下がるマーニャに、ルビィは軽く舌打ちをした。


《しつこい奴め……》

《気弱で従順と見せかけて、ハッキリものを言う子ねぇ》


 とはいえ、いざとなったら情けなくなるのは、どうにかならないのかしら?


 たいして困ってもいないくせに《困ったわぁ、どうしようかしら?》と眉尻を下げ、わざとらしく溜息を吐くのがまた腹立たしい。


「お二人に限っては、きちんとお伝えしないと何をしでかすか分かりませんので」

《案ずるな。お前が気にするようなことは、何もしていない。与えられた短剣を振り回し、たらふく酒を呷っただけだ》

「短剣を振り回した!?」


 使えもしない短剣を、寝所で聖女が振り回す姿は、まさしく常軌を逸していたに違いない。


《わたくしだって少しお話をして、ルーカス様とお近付きになろうと思っただけよぉ》

「ルーカス様? なるほどあの方はルーカス様と仰るのですね! ですがお近付きって……物理的には止めてください」

《あら、何か問題でも? 心も身体も、まずはお互いを知るところから始めないと》


 そういえば相手の名前すら知らなかった。

 よくある名前だが、奇しくも敵国の王と同じであることに、嫌な因縁を感じてしまう。


 従うままに娶られたとはいえ、二人の『悪女』に手を借りなければ、夫となる男性の名前すら知り得なかった自分の情けなさに、溜息がこぼれた。


「……他には何かございますか?」

《これ以上は我らの想像の範囲内だ。確証を得られていないことも多く、下手に話すと誤解を招く恐れもある。今話せるのは、これだけだ》

《わたくしもルビィ様と同意見だわ。ごめんなさいねぇ》


 そう言われると、何も聞けなくなってしまう。

 取り付く島もなく二人に跳ね除けられ、マーニャがしょんぼりと俯いていると、扉がノックされて侍女らしき者が入室した。


「良かったです、お目ざめになったのですね。もし食べられそうなら、ミルク粥をお持ちしますが、どうなさいますか?」

「……お願いします」


 この屋敷に来てすぐ、湯浴みを手伝ってくれた侍女である。


 全部は無理でも、数口であれば食べられるかもしれない。

 ――そこまで考えたところで違和感を覚え、ふと窓の外に目を遣った。


 これだけの屋敷を維持するためには相当な労力を必要としそうなものだが、先程から屋敷内にはまったくと言っていいほど人の気配が感じられない。


 よくて数人……マーニャ同様、悪女達も気が付いたのだろうか。


《随分と静かな屋敷だな》


 ルビィがポツリと呟いた。




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