断罪された聖女です。敵国の王から溺愛され次第、復讐を開始します

六花きい

第1話  お前は神を否定した


 ダリオスの神よ。


 生れ落ちてからこれまで、いつ如何なる誘惑にも惑わされることなく、ただひたすらに祈り続けて参りました。

 国を憂い、神聖国の聖女として、すべてを捧げて参りました。


 そして今、魂までもを捧げろと仰るのでしょうか――。


 公開処刑を待ちわびる民衆のさざめきが、処刑場を包み込む。

 手首に食い込む麻紐の痛みに顔を歪めながら、マーニャは迫る断頭台へと目を向けた。


(なにひとつ、楽しみの無い人生だった)


 重い足を引きずりながら処刑人に引っ立てられるようにして断頭台へ上がると、長い年月を経て古び、赤黒く染まった木板が耳障りな音を立てて軋んだ。


(……なにが、『正義の柱』)


 断頭台を『正義の柱』などと、最初に言った愚か者は誰なのだろう。

 跪かせ、台座の刑具に首を嵌め固定しようと、処刑人がマーニャの髪を鷲掴みにする。


「この断頭台は、かつて祖国を傾けた悪女達の首を分かち、王の力を知らしめてきた」


 本来であれば他国の王族、それも聖女であるマーニャに触れることすら許されない下賤の者が、歪んだ笑みを浮かべて嘲笑う。


「祖国を売り、敵国に通じたお前は『売国の悪女』……晴れて悪女の仲間入りだ」


 売国などしていない……だが真実など、関係ないのだ。


「聖女とやら、最後にお前の神へ、祈りでも捧げるか?」


 下卑た笑いを浮かべた処刑人に問われ、マーニャは唇を噛みしめた。

 為す術もなく痛めつけられた高貴な少女が断頭台へ上がる姿は、自国の圧政に苦しむ彼らにとって、生れながらに選ばれた者への憂さを晴らす『娯楽』なのだろう。


(……なにが、『聖女』)


 略奪と蹂躙を以て祖国を滅ぼした、アスガルド王国。

 軍事大国の侵攻は例外なく神殿にまで及び、神の領域は一夜にして血に染まった。

 そして聖女マーニャは捕縛され、戦争捕虜としてアスガルドに送還されたのである。


(まるで見世物のように死んでいく惨めな私が、今更何を祈るというのか)


 王女に生まれ聖女として役目を果たし、身も心も捧げたというのに。

 一度も報われることなく、最後は下賤の者の娯楽として命を散らせと、神はそう宣うのか。


(なにが、『神』……!!)


 迫り来る死への恐怖で毛穴が逆立ち、吹き出すような怒りに身体中の血が逆流する。

 処刑人が乱暴に髪を掴み、抵抗するマーニャの身体を引きずるようにして断頭台へと引き寄せた。


(――この苦しみすら、信仰の証であると言うのなら)


 こぼれ落ちそうな程に充血した目を見開くと、沸騰する血を全身に廻らせるようにドクリと心臓が脈打った。


 神聖国の王族は金髪翠眼。

 だが見開いたマーニャの翠眼が、血色の珊瑚の如く深紅に染まる。


「お、お前、なんだその目は!?」


 先程まで怯え、かよわい抵抗をしていたマーニャの雰囲気が変わった事に気付き、処刑人は思わず叫んだ。


 燃えさかる炎のごとく怒りを滾らせたその瞳に気勢を削がれ、鷲掴んだ髪を振り払うように手放すと、その勢いでマーニャの身体が大きく揺らぐ。


 鈍い音を立てて断頭台の側柱に頭を強打し、ゆっくりと身体を起こしたその額から、どろりと赤黒い液体が伝い、断頭台にぽたりと垂れ落ちた。


「――こんな神など、私は、いらない」


 凍えるほどに冷たい金属音が本来の声に交じり、マーニャの口からこぼれ落ちる。


 ひとしずく垂れた血に淡い光が宿り、重暗い空気を揺るがすように大地が震えた。

 跪いた足元で瑠璃色の輝きが円を描き、幾重もの波紋のように広がり、重なっていく。


「う、うわぁあッ!?」


 目の前に広がる光景に恐れ慄き、処刑人はペタリとその場に尻餅をついた。

 マーニャを閉じ込めるようにして円柱状に伸びた光は、雲の隙間を埋めるように天へと続く。


 暁の空をさらに紅く染める荘厳な美しさに、その場にいた者は皆、息をするのも忘れて魅入られたように立ち尽くした。


 キィ……ン、と遠く剣が交わる音が処刑場に響き、光の柱は雲の切れ間から天へと呑まれる。

 我に返った処刑人が再びマーニャを断頭台に拘束しようと立ち上がったその時、一筋の光が断頭台に向かって降りてゆく。


 天から差した光が断頭台に吸い込まれ――そして。


 ドガァァアアーーンッツ!!


 響き渡る轟音とともに、まるで神の裁きの如く断頭台が真っ二つに割れ、轟轟と音を立てながら瞬く間に燃え上がる。

 次いで処刑人にも光の矢が落ち、黒炭色に染まった身体からプスプスと細い煙をあげ、崩れ落ちるようにその場にぐしゃりと倒れ込んだ。


「神の、怒り……?」


 どこからかポツリと呟く声が、静まり返った空気を浅く揺らす。


「聖女様に手を下そうとした神罰では……?」


 その声が響くや否や、処刑場から我先に逃げ出した民衆めがけて光の矢がそこかしこに注がれ、鼓膜を震わせながら地を抉るソレは、民衆を狂乱の渦へと巻き込んだ。


 ……どれほどの時間が経っただろうか。


 焼け焦げ動かなくなったもの、もがき苦しむもの――。

 処刑場の外から遠巻きに様子を窺う衛兵達を目の端に留め、断頭台にひとりポツンと取り残されたマーニャは、静寂のうちに我に返る。


 その頬に影が差し、何が起きたか分からないまま恐る恐る顔を上げると、赤赤と陽のように燃え上がる断頭台を背に、目も覚めるような美女がマーニャを見つめていた。


《あらあら、大変。思っていたよりも危険な子ねぇ》


 脳内に直接響くような明瞭さを以て声が響き、絶世の美女がマーニャの顔を覗き込む。

 燃え上がる炎に溶けてしまいそうな、柔らかな薄桃の髪と瞳。


 滅多に見掛けない風采に加え、国宝級のサファイアが嵌め込まれた黄金のチョーカーは、神殿の奥深くに居てもなお耳にする、断頭台に露と消えた『悪女』を思わせる。


「アンジェリカ・グルーニー……!?」


 思わず口をついて出た名前に、まさかそんなはずはないだろうと、マーニャは息を呑んだ。


 夫である王太子に陥れられ、愛人の策にはまり高級娼館に売られた、悲劇の王太子妃。

 その美貌と手管で娼館に訪れた高位貴族を次々と篭絡すると、ついには王太子に反旗を翻し、王位継承式を血の海にした『血濡れ王太子妃アンジェリカ・グルーニー』。


 今際の際に夢でも見ているのかと目を見開いたマーニャを嘲るように、軽やかな笑い声が降り注いだ。


《随分と派手にやらかしちゃって……うふふ、この後どんな目に遭わされるのかしら? 磔? 牛裂き? 楽しみだわぁ》


 まさか……死を目前にして自分はおかしくなったのかと、反射的に震える手を組み、祈りを捧げる。

 これほどの目に遭ってもなお、死の間際に神を否定してもなお、最後は祈ってしまうのかとマーニャが自嘲気味に口端を歪ませたその時、ずしりと地に沈むような圧が身体を覆った。


《お前は神を否定した。いくら祈っても無駄だ》


 そろそろと目を上向けると、野性味を帯びたしなやかな肢体に騎士服を纏わせ、まるで男性のように短い髪をした女性騎士が、マーニャの喉元へ黒剣を突き付ける。


 剣柄には王の刻印。

 男性と見紛う体格と、マーニャを捕らえて離さない黄金の瞳。


 自信に満ち溢れたその様相は支配者のもの――女王然として厳かに告げるその声は、思わず地にひれ伏してしまいそうな程の威圧感を発している。


「ルビィ……ルビィ・シエノス……そんな、まさか」


 呆けたように呟いたマーニャの言葉に、その騎士は目を眇めた。

 自ら戦場に赴き、数多の屍を礎に、アスガルド王国を建国した初代女王……だが最後は裏切りにより処刑された、『狂乱の女王ルビィ・シエノス』。


 半世紀以上前、断頭台に露と消えた『悪女』らが、何故マーニャの走馬灯となって顕現するのか。


《聖女の血が呪縛を解き放ち、お前の怒りと清廉な魂が、眠る我らを呼び起こした》


 マーニャの心を読んだかのように、ルビィが告げる。


《神が最後に与えた情けかは知らんがな》


 吐き捨てたその言葉に、ふわりふわりと宙を舞いながら、アンジェリカがプッと吹き出した。


《いまさら神だなんて、ねぇ? 貴女が呼んだのだから、責任を取ってちょうだいね》


 ふわりふわりと宙を漂うアンジェリカをルビィが黒剣で撫で切ると、陽炎のように揺らめき、そして何事も無かったかのように楽し気な笑い声を立てた。


《さて亡国の聖女よ。この先待つ『死』を、甘んじて享受するつもりか? お前が望むなら、我らが力を貸してやろう》


 ガチャリと硬質な音を立てて黒剣を鞘にしまい、コキリと首をひと鳴らしした後、ルビィは仁王立ちで見下ろした。

 時が止まったかのように動きを止めたマーニャのもとへ、アンジェリカがふわりと近付き、そっと耳打ちをする。


《わたくしは、男を篭絡する手管と謀略を》

《そして、すべてを薙ぎ払う力を。……たよたうばかりで飽き飽きしていたところだ。退屈しのぎに丁度良い》


 誰もいなくなった処刑場で、燃え盛る断頭台がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。


 死か復讐か。

 ――――選べ。代償は、お前自身だ。




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