渋谷区

第2話

 情治が予期犯罪防止課へ配属されてから二週間が経つ。その間に一件予期犯罪はあったものの、籍が東京にあるだけで、福岡ドーム内にいたので、そちらに任せた。しかしそれでも歌舞伎町の件で仕事はあった。

 あの女子高生は仲間内で小遣い稼ぎに、「そこそこ金を持っていそうで人生に疲れているおじさん」をターゲットにして売春を行っていたそうだ。もちろん犯罪である。そんな彼女にとって、中小企業の社員、死語かもしれないが社畜と言うのが似合う鮫島は絶好のターゲットだった。鮫島は彼女の口車に乗せられるまま、ホテルに連れ込み、性行為を行った。行為後冷静になり、自分は社会的に終わったと思った。そして混濁した意識の中、殺すというさらに自分を追い込む道を選択した。これまでの経験から、Brainもその選択をし、我々が駆け付けたというわけだ。

 頭の中を、二人の焦る顔、そして窓ガラスに映った自分の顔がぐるぐると回る。二週間前しっかりと着ていたスーツは既によれている。シャツにアイロンをかける気にはなれず、しわが入っていた。革靴は蛍光灯の明かりを鈍く反射するだけだ。


「それにしてもなんで俺に声かけてくれなかったんだよ」


 言葉よりも背が高く、肩幅のある男が、言葉に向かって二週間前の歌舞伎町事件についてまだ文句を垂れている。


「すみません。衝動的な殺人だと判断し、時間が惜しかったんです。それに成迫なるさこさんの力がなくても大丈夫だったしょう」


 でも何かあったらどうするつもりなんだと男が続き、その時は成迫さんが引き継いでくれるでしょうと言葉が返す。押し問答、じゃれ合いのように見えた。

 この男は成迫なるさこともる。可愛い名前に反して、ガタイがいい。50代あたりの見た目だろうか。まだまだ現役だといったように目はぎらぎらと光っている。一見取り締まる側というより取り締まられる側のような姿だが、やはり名前のように可愛げがある。


「お前の体はまだ自然なもんなんだから大事にしろよ。俺はもうBrainが壊れなきゃなんだっていいんだよ」


 灯は言葉に言った。そう、灯は一度肉体の死を迎えており、その体は外部行動装置Bodyなのだ。45年前殉職し、当時の体と同じ、本人曰く元の方がカッコいいらしい、Bodyを作り、変わらぬ姿で仕事や生活を続けている。


「憲法は改正されましたよ。外部行動装置による人間も、生身の人間も、その頭蓋骨の中にBrainが入っていれば平等の命として扱うと明記されています」


 でもよとまた押し問答が始まろうとする。がちゃりと時代遅れのドアノブが捻られる音がし、密理が入ってきた。


「なぁにまたやってるの?」


 密理は特有の甘い声で二人に声をかける。密理は声から想像通りといった姿だ。胸が大きく、本人もそれを気に入っているようで、シャツは第二ボタンまで開けられており、谷間に一つ黒子をのぞかせている。タイトスカートとピンヒールがよく似合う。歳は分からないが、言葉が敬語を使っていることからして、それなりにはいっているのだろう、本当に予想がつかないし、口にするのは恐ろしいが。


「もう、言葉ちゃん灯ちゃんのことはテキトーなところでほっといていいのよ。

このおじさんは若い子とラブホ行きたかっただけなんだから」

「それは語弊しかないだろ」


 密理に向かって灯がツッコむ。以上の騒がしい面々が予期犯罪防止課、通称Anticipate、新東京ドームを管轄とするメンバーだ。

 現在、各都道府県に一つづつ建てられているドームに、同じ課が一つづつある。それぞれがドーム内に籍が置かれている人間の殺人思考を担当し、所轄ドーム外にいた場合は他のドームと連携を行う形だ。


 「とにかく俺はお前らを心配してるんだ、もっと頼っていいんだからな…」


 灯がジャケットを正して、カッコつけようとした時、部屋にアナウンスが響いた。


『21110917185hk-jp。21110917185hk-jp。反町そりまちじん。殺人の思考を確認』


 空気が一気に張り詰める。まだ冷房をつけている室内は、体感さらに冷やされた。それでいてどこか体の内側から湧き上がる熱のようなものを感じる。体が凍り、動けなくなるのを防ぐため、守られるべき命を守るために。


「勘解由くん、行くぞ」


 情治ははいと応えた。情治、言葉、灯は警察車両が止めてある駐車場に急いだ。近づくと扉が開き、運転席に言葉が乗り、助手席に情治が乗る。灯はバイクに乗った。その方が性に合っているのだという。車に乗り込むとすぐにハンドルが出され、少しきつめのシートベルトがしまる。そして指令室にいる密理と繋がった。灯の方はヘルメットにインカムがついており、三人で会話をすることができる。


『昨日の夜、江戸川区にある家に帰った後一歩も外出していないわ』

「その家が現場か、それとも衝動的な殺人ではないかですね」

『ええ、とりあえずあなた達にはそこに行ってもらう。団地で、24号棟6階14号室よ。つくまでにできる限り情報を集めるわ』


 情治は言葉の横顔を何気なく眺めた。二週間前のあの時は、ひたすらに情報を欲していた。今はそうではない、仕事のことは、語れはしないまでも分かってきたつもりだ。ではなぜ自分はまた言葉の顔を見ているのか。それはより漠然とした、正義のヒーローに対する答えを、彼女は知っているような気がしたからだろうか。その目にただ吸い込まれただけなんだろうか。


『69歳男性、独身、一人暮らし。逮捕歴無し』


 1分と経たないうちに密理が追加の情報をよこした。老人の写真が表示される。全ての気力を失ってしまったような感じだ。情治はこんな人が殺人を思考するのだろうかと思ってしまう。


『一人暮らしですか。被害者は家族ではなさそうですね。誰かを呼ぶのか、それともどこかに行くのか』


 言葉はハンドルに指でリズムを刻みながら、熟考した。


『密理、仁に加害者ではない形で犯罪に巻き込まれた過去は?』

『調べてみるわ』


 情治は灯が簡潔に情報を聞く声と、先程の騒がしい中年とのギャップに驚いた。


『灯ちゃんビンゴ。仁は10年前、改造車両過失致死事件の裁判に出席してる。被害者である反町すみさんの親として』


 改造車両過失致死。今乗っている車もそうであるように、2180年現在、日本の自動運転車両のシェアは98%を超える。しかし、一部自動車マニアや、チンピラ、ヤンキーの間では、自動車を改造し、自動運転システムを停止させることが流行している。改造車両そもそもが犯罪であり、その中でも自動運転システム、事故防止システムに関わる改造は禁固刑に科される。さらに、死者。それだけ重なっていれば、犯人はまだ、刑務所の中にいるだろう。


『犯人は?』


 灯の言葉に無駄はない。


『犯人である当時17歳の釜付かまつき運也かずやは4年間の懲役後、未成年への処置として、偽名と偽自己番号フェイクズセルフナンバーで生きているわ。警察庁だけがその繋がりを保管している。こりゃ職権使って特許秘密にアクセスしてしか得られない気づきね』


 インカムの向こうで、気のせいかもしれないが密理が舌なめずりをする音が聞こえた。


『釜付運也の現在の名前は佐藤さとうしん。自己番号は215301011111aa-jp』


 佐藤信、その名前に聞き覚えがあった。政府がつける偽名としてどこにでもいそうな名前を割り当てられるのだから、無関係の誰かなのだろう。しかし誰だったか。


『22歳の時アパレルブランド、MEGUを起業して、SNSで大バズり。9月18日、つまり明日、東京都渋谷区の1〇9に店を開く』


 若さを体現したような男の写真が反町の隣に表示された。MEGU。社長、佐藤信。情治はファッションには疎かったが、SNSで何度か広告を見たことがあり、友だちの間でも話題に上ることが何度かあったから覚えていたのだ。22歳で起業し大成功なんて、若者の羨望の的だ。


「動機は復讐と見ていいでしょう」


 じっと黙っていた言葉が口を開いた。その目は真っすぐと前を向いていた。しかし前を見ているわけではない。行き先の決まったハンドルを強く握りしめている。


『…言葉、早とちりはよくない。その可能性もあるとしておけ。

それと、お前はもう帰れ、この仕事は俺一人でやる』

「以後気を付けます。しかし、仕事の放棄できません」

『これは仕事の放棄じゃない。年長者からの命令だ』

「警察組織に年長者に従う規則はありません。私が従うのは上官のみです。そして予期犯罪防止課の中で階級は存在しません。もし序列をつけるとするならば、配属されてからの年数という点で私の方が上です。年長者という定義も疑問です。Brainはあなたの方が長く存在しているかもしれませんが、そのBodyは15年しか経っていません」

『分かった、分かった。

大丈夫、なんだな?』

「ええ、何の心配があるんですか?」


 灯と言葉の会話はみるからに不自然だった。灯はお節介さが増しているだけだが、言葉の様子は普段と全く違っていた。一回も、彼女がこうしてまくし立てて話すところを見たことがない。二週間という短い期間とはいえ、ほぼ毎日会っていたのだ。情治は大きな違和感を覚える。

 荒川の手前の団地群で警察車両は止まった。きつめのシートベルトから解放され、外に出る。灯もバイクから降り、ヘルメットを外して、頭を二、三振った。


「言葉、いいのか?」


 灯は車から出た言葉の姿を捉えると、眉を少し下げて、もう一度訪ねた。彼自身も言葉の返事は既に分かっており、諦めていても聞かざるをえないと言った感じだった。


「ええ、犯行は明日だと思いますが、早とちりをしないためにも、見張りましょう。勘解由くんも勉強途中ですし」

「あ、はい」


 唐突に名前を呼ばれた。言い訳にされたような気がすると情治は戸惑い返答する。

 骨伝導型相互通信機器インカムを耳につけ、団地群をかけていった。ドーム建設による一時的な人口の過密状態。それを象徴するかのように建てられた団地群の一つ。高くそびえ立つ灰色の角柱がどこまでも無機質に並んでいる。

 24号棟、三人でぎりぎりの狭いエレベーターに乗る。数秒後、エレベーターは弱弱しいベルを鳴らして6階に止まった。


「廊下を一度だけ音を殺して、自然に、歩きます。そして本当に反町の家があるのか、反町は家にいるのか、一人なのかの三点を確認します」


 言葉の指示は、歌舞伎町の時と同じで、現場に踏み込むその一歩前で短く必要なことだけを伝えるものだ。情治と灯は頷き、訓練された体で、その指示を完璧に遂行する。音と影を消す高度な技術を使いつつも、あくまで自然に、予期犯罪の容疑者を見張るとは露も思われないように。スーツ姿のがたいのいい人間が三人歩いているのはそれだけでも非日常だが、そんなことを考えさせないほどの日常感を纏う。一歩一歩、反町の部屋に近づいて行く。9号、10号、11号、12号、13号…。

 太陽が強く、照らした。風が強く、吹いた。その一瞬時が止まった。全ての神経を、その先につく器官を、三つの確認のため、指示の遂行のために使う。

 ネームプレート、反町。物音、しかしそれは取っ組み合っているような、人を殺すような音ではない、訓練されていない人間が、通常の生活で発してしまうような音。そして玄関わきの、窓が網戸になっている。カーテンが風により部屋の内側の方向に浮き上がっている。

 その中に、写真で見た初老の男、反町仁はいた。一人、食卓に座り、コーヒーカップを持って、向こう側にあるベランダを眺めていた。


「ご苦労様です。あれは反町の家であり、一人でいるということが確認できました」


 実際には時も足も止まっていなかった。三人はただ、六階の廊下を一度通り過ぎただけである。


「では次は、見張りですね。どうしましょうか」


 見張り、反町の犯行を止めるための見張りはどこで行うべきか。数秒の沈黙、インカムを付けている部分が少し痒い。


「あの、あそこはどうですか?」


 情治は反町の部屋のちょうど向かい、23号棟の一室のベランダを指さした。

 灯は面白いやつだというように笑い、言葉はその目を少し大きくして固まった後、顎に手を置き頷いた。

 平行移動エレベーターで、23号棟に移動し、14号室の扉を叩いた。


「はーい、どちらさま…」

「警察庁のものです。ご協力お願いします」


 言葉と灯は慣れた手つきで、情治は少しにやけ顔で、それぞれの警察手帳を開いて見せた。部屋着姿でヘアバンドをつけている女性は、腰を抜かしてしまった。


「ママどうしたの~?」

「お客さん?わ!!警察だ!!バンバン」


 7歳ぐらいの女の子と10歳ぐらいの男の子が奥からぱたぱたと歩いてきた。女の子はママに抱きつき、男の子はこちらの警察手帳を見て、銃を構えるポーズをした。


「そうだよ~警察だよ~。おじさんたちはね、今悪い人を追っていてね、力を貸してくれないかな?」


 灯は腰を落とし、目線を子どもに合わせた。


「急に押しかけて申し訳ありません。あなた方には断る権利があります。その上で、ご協力をお願いしたいことがあります」


 言葉は膝を抱え、目線を腰を抜かした女性に目を合わせた。


「この部屋で、容疑者を見張らせてください」


 情治は片膝をついて、三人に頼んだ。女の子とちらっと目が合うと、その子はカッと耳を赤くしてお母さんの後ろに隠れてしまった。






 


 
















 





 
















 

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