目の前に白色が広がっている。

 視界の下も上もそこかしこに雪が舞っていたり積もっていたりと沢山あって、あまり雪が身近な場所に過ごしてこなかった私にはどこか新鮮に映った。

 綺麗ではあるけれどさっきまでいた場所よりも遥かに寒くて、防寒着に顔を埋めながら足を進める。

 いつもと違い過ぎるからこそ上手く足は動かなくて、それすらもどこか新鮮に映ってしまった。

 これからスキーをする。

 初めてすぎる体験に身震いしながら、それでも事前にスキーをやったことのある母にやり方を入念に聞いてきたからそのやり方を試せることに嬉しく思いながら。一歩を踏み出した。


 彼女は余命が近くなっていくにつれて焦燥していっていた。

 感情を荒げることは元々なかったが、結構わかりやすく表していた感情表現がなくなっていき、落ち込んでいる姿が多くなっていく。私がいる前では笑顔を保っていたけれど、それでも端々から感じる疲労に表面上は真顔を保っていたけれど、仲は深まっていたからこそ気付いていた。……そんな彼女の様子を指摘することは幾ら人との関わりがあまりなかった私でもできる訳がなく。ただ彼女が最期のその時まで幸せを感じられるように。いつものように振舞っていた。

 そうして刻一刻と余命の日は近づいてくる。そんな最中のとある日。彼女がその時では珍しく意を決したような顔をしていた時があった。無理をしたような笑顔や表情ではなく、気を引き締めたように顔を強張らせていて。彼女の中に葛藤があったことには気づいていたから話してくれるだろうと指摘せずに椅子に座る。今日は何を話そうかと思考を巡らせれば震えた声音で発した彼女にただ耳を傾けることにした。

「……君に、お願いがある」

 そう一言、発した彼女に頷く。どんなものでも聞けるように。……どんなものでも必ず叶えることを心に誓って。

 決意を込めた私に気づいたのか、彼女は少し表情を緩めてまた言葉を発した。

「私の、一番の夢を、叶えてほしい」

 少しずつ言葉を区切るように発した彼女の言葉の内容に少しだけ首を傾げる。彼女は迷うように視線を彷徨わせているから、次に彼女が発するであろう言葉の繋ぎとして質問した。

「夢巡りとは、別に?」

 そう問えば彼女は頷く。なるほどと一瞬だけ視線を落としてから、内容を聞く前に彼女のお願いを了承した。

「いい、の?」

 そうすれば彼女は驚いたかのように目を瞬かせてからこちらを見るから、もちろんと頷く。それに、と大切な言葉も忘れないうちに口にして。

「私と、きみの仲でしょ?」

 そう言えば彼女の目は途端に潤みだしてしまった。驚いてしまって慌てていると彼女はすぐに目の端に流れてきていた涙を拭ってから「ありがとう」と口にして内容を伝えてくれた。

「君にね、本を出してほしい」

 不思議に思って首を傾げれば彼女は一つ一つの言葉を区切るようにしながら口にする。

「君の夢が作家なのは、君から聞いたから知ってる。その時からずっと、考えていたことなんだけど。君が書いて世に出た本を、読みたいなぁって。結局君の小説は、読んだことがなかったから。だから、君は小説を書いて、本を出して。そして夢を叶えた後に、私のもとに持ってきてほしい。お墓に置くでも、私の写真の近くに置くでも、なんでもいいから」

 そこまで口にしてから彼女は深呼吸をする。彼女の言葉にはまだ続きがあったみたいだったから、言葉の続きをただじっと待っていれば一呼吸置いてまた口にした。

「だから君は文字を書いて、本を出して。そして私に届けてほしい。そうしたらきっと、君のいないあの世で楽しく過ごせるだろうから」

 少しだけ微笑んで言葉にした彼女に承知したと頷く。そうすれば彼女は迷いが吹っ切れたみたいに笑って「おねがいね」と言った。こちらも同調するように微笑めば、すぐに話題は移り変わっていく。

 自分の夢や自分の根幹に関わることを話すと彼女はどこか恥ずかしそうに微笑むことをこの時には既に知っていたから。だから彼女のお願いを忘れないように心に留めて話をした。何気ない話を。どうでもいい話を。彼女とそんな話をしている時は心から笑えるからいつものように笑って。


 そうしていれば月日は移り変わっていき、春の始まりの季節。

 桜が咲き始めた日。彼女はこの世を旅立った。

 享年15歳。彼女は産まれ、去っていく。

 少しだけ涙が出たけれど、不思議と悲しくはなかった。

 ただ寂しさと彼女の笑顔だけが思い浮かんでいた。


 ただひたすらに滑っていれば、いつの間にか終わりの時間になっていた。

 彼女のことを考えて、感傷的になっていたのかもしれない。

 少しだけ鼻をすすってからスキー場を出る。

 この1年、色々な新しい発見があって楽しかった。

 ふとそんなことを感慨深く思って、少し笑ってしまう。

 彼女のもたらした時間は、一人だったときよりも楽しくて。彼女と出会えてよかったとどれくらいになるかわからない想いを抱いてから微笑む。

 最初に伝えられた夢巡りは終わったけれど、でもまだ大事な夢は残っている。

 いつ叶えられるかな。自分の今の小説の状態を思い出してからそんなことを考えて。……そうしてまた彼女のことを考える。

 親友。私の墓参りは夢を叶える時まで取っておくから、それまで待ってて。とびきり良いものを出して、君を喜ばせるから。だから楽しみに待っていて。

 届くはずもないそんな想いを胸に忍ばせてからその場を去った。

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