目に優しい赤色が視界の上方に広がっている。それを楽しく満喫したいのに負荷やら今の状況やらが許してくれない。ただ下の方を向いて息を荒げながら足を動かすことしかできなくて、自身の運動不足を呪ってしまった。

 そんな風に呪ったところで現状が変わる訳ではない。ゴールに着いた後に見える景色を心待ちにただ必死に足を動かす。もう涼しくなったはずなのに額から大粒の汗が流れていて、ふと山に登るのは久しぶりだな、なんて思った。


 最後に山に登ったのはいつだったか。確か彼女と出会ってから1年とちょっと後。彼女が入院すると必ずお見舞いに行くようになって、それが日常になったとある日に夢巡りをお願いされて。その少し後だったような気がする。学校の行事で同学年の生徒は全員山登りをしなくてはいけなくなったけれど、彼女はその病のせいで行くことが許されてなかった。お土産を買う時間も一応設けられてあったから彼女に何が欲しいか聞いて。疲れで何か考える余裕もなかったけれど、買わなくては彼女が悲しむかもしれない。そんな想いで買ったものを丁寧に包んでこの行事が終わったら持って行こうと。そう思ったけれど万年運動不足のせいか当日のうちに持って行くことは叶わなかった。筋肉痛がとても酷かったから。それでも早めに持って行こうと比較的筋肉痛がマシになった翌日にお土産を持って病院に向かったっけ。私の姿を見た彼女はやっぱり、なんて言って笑っていたような気がする。理由を聞けば返ってきたのはこんな言葉だった。

「だって君、運動苦手でしょ? 体育の授業でいつも顔顰めていたの気付いてるよ」

 私は自分のことをあまり表情に感情が出ない人だと思っている。実際家族は私の感情の機敏に気付いたことがないし、私も小説を書く道すがらで気になって鏡で顔を見たことがあるけれどあまり表情に変わりはなかった。笑みを作ってもほぼ真顔と変わりがない。だからその時の彼女の言葉に驚いてしまった覚えがある。彼女は不思議そうに首を傾げていたから理由を伝えれば、彼女は尚も不思議そうに首を傾げながらこう話していた。

「案外君の表情分かりやすいよ? ほら、今だって驚いてるし」

 慌てて顔を触っても実際に見た訳ではないからわからない。ただ思い返すと彼女の前では比較的表情が動いていたかもしれない。そんなことに気付いたけれど、体育の授業では彼女だけを前にしていた訳ではないから少し違うだろう。ならば彼女は私の表情がわかるくらい知っていてくれてるのか。もしくは彼女自身が感情の機微に聡いのか。ただその時の私には言いたいことがあったからそんな考えを全部振り払ってこう口にした。

「きみだって結構わかりやすいよ」

「本当? えっ、うっそ分かりにくいかと思ってた」

「本当だよ。今だって大きく口開けて驚いてる」

「マジ? え、はずかしい」

 頬を赤く染めて隠すように手を顔の前に持って行く彼女に薄く笑う。そうすれば彼女もどこか恥ずかしそうにしながら笑っていた。

「私達、似たもの同士だね」

 ふと浮かんだようにそう口にした彼女に確かに、と頷く。関わる人はあまりいなくて、表情は似ていて、少しだけ人とは違くて。そう口にした彼女にだね、なんて笑う。


 そうやって彼女と笑い合える時間は、とても幸せだ。彼女がいずれいなくなってしまうことはわかっていて、それでもいなくならないでほしいなんて願ってしまうくらいには幸せで。そんな幸せを彼女も感じていたみたいで、彼女はふとこの関係を口にした。

 曰く、私達は親友だと。友人すらもまともにいない私に親友ができるとは思っていなかったからどこか驚いてしまって。それでもどこかしっくり来ていたからそうだね、なんて笑い合っていた。


 彼女と笑い合えるのはあと何回か。

 そんなことをふと考えて泣きたくなってしまったけれど、彼女の記憶に悲しい顔を刻みたくなかったから。それに今悔いのないように過ごした方が私も、きっと彼女も後は苦しくないだろうから。だからただ楽しく、心の底から溢れる嬉しいやら幸せやらの気持ちを表すように笑っていた。


 昔のことを思い出しながらひたすら足を動かしていたらいつの間にか山頂に着いていたらしい。息を整えながら少しだけ平坦になった道を歩けば、すぐ近くに見えてきた景色に自然と頬が緩んだ。

 泣きそうなほど綺麗な山からの景色を思い出としてきちんと写真に撮ってアルバムに仕舞い込む。恐らく近いうちに山を登ることはないから。だから目の裏に焼きつくくらい景色を見回して。墓参りの時に伝えられるように頭の中に浮かんだ表現をメモに残して。その場を離れた。


 夢巡りの最後はもうすぐそこまでやってきている。

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