「ミステリ」というジャンルに関するひとつの考え

樹智花

「ミステリ」というジャンルに関するひとつの考え

※この記事は佐賀ミステリファンクラブ会誌掲載の筆者の原稿をカクヨムで公開するものです。



 「ミステリ」とは、どこまでの範囲を指すのでしょうか?

いわゆる本格ミステリのことでしょうか? あるいは、ハードボイルド小説やサスペンス小説など、様々なサブジャンルを総合した呼び名でしょうか?

 様々な考えがあるでしょうが、ここでは筆者のひとつの考えを述べていきたいと思います。


 私事で恐縮ですが、先日ミステリのジャンル論を語る機会に恵まれました。ジャンル論を語る際は、相互の認識の丁寧なすり合わせが必要です。また、「このジャンルもミステリだよ」と言われても、直観的に納得できないことがありますので、以下の文章では評価軸的文脈と、若干の歴史的文脈という外部情報から埋めていきます。ジャンル評価やジャンル史の上から、ミステリを少し眺めてみよう、という感じです。以下のエッセイに納得はできないかもしれませんが、少しお付き合いいただければ幸いです。


 最初に、ミステリというジャンルを国内だけに限定して考えるか、海外まで視野に入れて考えるかで話が少し変わってくると思っています。国内ミステリだけでしたら、「本格ミステリ≒ミステリ」という認識が強いように思われますので、ミステリファン同士で語り合う際も、そこまで認識の齟齬はないでしょう。


 これから書くことは、海外ミステリも視野に入れようかと思います。流れとしては、本格ミステリ以外のジャンルが海外でどのように扱われているかも含めて、筆者が認識している範囲で、知っている・聞いたことがあることを書いていければと思います。もっと詳細に書かないといけない部分はありますが、「こういうとらえ方もあるんだな」程度に思っていただければ幸いです。



 まず、近年のアメリカ探偵作家クラブ賞(MWA賞)や英国推理作家協会賞(CWA賞)の長篇・短篇部門を見てみると、「純本格ミステリ」がそこまで強くないことが分かります。近年と書きましたが、これは六〇年代あたりからあまり変わっていないでしょう。邦訳があるものでも、例をあげれば、エリー・グリフィス『見知らぬ人』(MWA賞・本格ミステリ)から、ワイリー・キャッシュ『約束の道』(CWA賞・犯罪小説)、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』(MWA賞・ハードボイルド小説)など多様です。


 CWA賞には、007を創造したイアン・フレミングの名が冠された賞があります。二〇〇二年に新設された賞で、スリラー小説、冒険小説、エスピオナージュ(スパイ小説)などに与えられます。何が言いたいかというと、007の生みの親であるイアン・フレミングも「ミステリ作家」として認識されているということであり、その賞の対象ジャンルもミステリと認識されている、ということです。同様に、日本ではJ・J・マリックとして知られているジョン・クリーシーの名を冠した新人賞もありますので、ギデオン警視シリーズのようなモジュラー型警察小説も「ミステリ」とみなされています。


 CWAは五〇周年を記念するイベントとして、CWAゴールド・ダガー賞(最優秀長篇賞)のベスト・オブ・ベストを選びましたが、その作品はジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』でした。この作品はいわゆるエスピオナージュです。


 ミステリ作家・評論家のジュリアン・シモンズは著書『ブラッディ・マーダー 探偵小説から犯罪小説への歴史』(新潮社)のなかで、エドガー・アラン・ポー以来の探偵小説、またはポー以前の推理の要素を含む古典的作品が、従来の探偵小説を経て、いかに犯罪小説や他のジャンルへと拡散していったかを丹念に論じています。ポーが書いた作品のフォーマットの上に現在の探偵小説や犯罪小説は依拠している、といったことが述べられていますが、あながち的外れではないでしょう。


 また、フランスのミステリ作家、ピエール・ボワロー、トーマ・ナルスジャック––––このふたりは競作が多いですが––––もミステリ理論書『探偵小説』(白水社クセジュ)のなかで、やはりポーの探偵小説の原理原則や、ポーが書いた文学理論の内容を受け継ぎながら、様々なミステリのジャンルに触れています。例えばフランスのロマン・ノワールに触れることもあれば、レイモンド・チャンドラーのようなハードボイルド小説やコーネル・ウールリッチのようなサスペンス小説までも評価しています。


 アメリカの著名なミステリ評論家であるオットー・ペンズラーは、「犯罪や犯罪の気配が小説のプロットや中心となる作品であればミステリと言える」という趣旨のことを述べています。ペンズラーにいわせれば、フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』はミステリではありませんが、ドストエフスキー『罪と罰』はミステリと認識できるそうです。いわゆる「日常の謎」については、海外にはそれに類する言葉がなかったように記憶しています。


 ペンズラーの論は極論だとは思いますが、そのような傾向があることは確かです。例えば、ペンズラーとベテランミステリ作家によって編纂された年間アメリカ短篇ミステリのベストアンソロジーの内容を眺めていると、ほぼ本格ミステリがなく、犯罪小説で占められていることがわかります。それに、それぞれの巻に収録されているペンズラーとベテランミステリ作家の前書きを読んでもわかるでしょうし、そのベテランミステリ作家たちが書いた作品を実際に読んでみてもわかるでしょう。


 ここで、ハードボイルド小説を例にとってみましょう。ハードボイルド小説の起源と呼べるのはパルプ雑誌である「ブラック・マスク」誌に掲載されたキャロル・ジョン・デイリーの私立探偵小説です。もっと起源をさかのぼれば西部小説でしょうか。そこから、ダシール・ハメットは、心情描写を排しほぼ客観描写のみで記述された文体で「探偵小説」を書き、「探偵小説をハードボイルド文体で記述する」ことを発明しました。ここで書いておくと、ハメットは「ブラック・マスク」誌の作家でもあります。エラリー・クイーンは、「ハメットは『ミステリ』の新たな記述方法を編み出した」(大意)と評価しています。要するに、クイーンはハメットを「ミステリ作家」として認識していたということです。実際にハメットの長篇を読んでみても、謎解き要素がおざなりにされていないこともわかります。


 また、一九二九年はヴァン・ダイン『僧正殺人事件』とクイーン『ローマ帽子の謎』、そしてハメット『血の収穫』が出版された年です。ハードボイルド小説と本格ミステリの発展の過程は、車輪の両輪のような関係性があると言ってもいいのではないでしょうか。ここで強調しておくと、大雑把にくくれば、「ハードボイルド」とはもともと文体の総称であり、「本格ミステリ」とはもともと物語の構造の総称である、ということです。ですので、そのような文体でそのような構造の物語を書けば、ふたつを両立することができます。


 ハメットに影響されたレイモンド・チャンドラーや、この二者に影響を受けたロス・マクドナルは、優れたハードボイルド小説を書きましたが、これらの作品はハメットの作品の延長線上、すなわち「ミステリ」の延長線上にあります。チャンドラーは評論「素朴な殺人美学」(様々な訳がありますが、ここではハワード・ヘイクラフト・仁賀克雄編『ミステリの美学』から取りました)の中でミステリ黄金期の作家を批判していますが、実際にその評論を読んでみると、チャンドラー自身は「自分はミステリを書いている」という認識の上に立っていることがわかります。


 また、「ネオ・ハードボイルド」(註)以降のハードボイルド作家は、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドらのいわゆる「ハードボイルド小説御三家」と呼ばれる作家の少なくともひとりには影響を受けており、その意味で「ミステリ」の系譜上にある、と言ってもいいでしょう。実際に読んでみると、謎解き要素が重要なものになっている作品は多いです。現在では、ハードボイルド小説は最広義に取れば犯罪小説、最狭義に取れば一人称私立探偵小説だ、という評論家もいます。


 サスペンス小説についても、少し触れてみます。ボワローとナルスジャックによれば、本格ミステリを「理性の論理」の小説とすれば、サスペンス小説は「感情の論理」に依拠した小説です。すなわち、両者は「論理」というものを扱う点では同一なのです。違いはといえば、一貫した合理性を持つ「理性」を扱うか、場面々々でまったく違う様相を見せる「感情」を扱うか、ということです。例えばコーネル・ウールリッチの作品によく表れていますが、ウールリッチが描く登場人物の感情の表出は秀逸です。普通に考えれば筋が通りそうにないことを、「感情の論理」を丹念に追うことで、読者はいかにも「あり得るかもしれない」と思わされるのです。サスペンスを理解しようとする場合、抽象的な一般論を語るよりも、個々の作品や作家の読み味について語る方がわかりやすいでしょう。前述のコーネル・ウールリッチやマーガレット・ミラー、カトリーヌ・アルレーらの作品を読んだときに感じる読み味、それがサスペンスを感じるということです。


 ここで話は飛びますが、ハヤカワ・ポケット・「ミステリ」の創刊第一号、一〇一番はミッキー・スピレインの『大いなる殺人』です。スピレインは「通俗ハードボイルド」作家ですが、当時の認識としてはこれも「ミステリ」でした。少なくとも、当時早川書房の編集者でハヤカワ・ポケット・ミステリの作品の選定をしていた都筑道夫はそう認識していたはずです。「通俗ハードボイルド」(軽ハードボイルド)に関しても、ハヤカワ・ポケット・ミステリではたくさん出版されています。代表的な例をあげると、カーター・ブラウンやブレッド・ハリディらでしょうか。


 また、イアン・フレミングを日本で「発見」した初期の人物としても、都筑道夫が再びあげられます。実際、創元「推理」文庫やハヤカワ・ポケット・ミステリにイアン・フレミングの作品が収録されています。エスピオナージュに関しても、ナポレオン・ソロ・シリーズや当時流行った通俗スパイものはたくさんハヤカワ・ポケット・ミステリに収録されています。ハヤカワ・ポケット・ミステリの歴代ラインナップを見てみれば、いかにミステリが幅広いジャンルかが概観できるでしょう。


 フランスのロマン・ノワールや「セリ・ノワール」についても軽く触れておきましょう。フランスの名門出版社・ガリマール社は一九四五年に「セリ・ノワール」という叢書を刊行しました。フランス文学者の中条省平は、日本で言えば、これは岩波書店に犯罪小説文庫が出来たような衝撃を持つものであったといっています。また、「セリ・ノワール」という言葉は、映画の用語である「フィルム・ノワール」という言葉と密接な関係があります。「セリ・ノワール」は最初のうち、ハドリー・チェイスやピーター・チェイニイのようなイギリス人でアメリカン・ハードボイルド風の作品を書く作家のものや、ハメットやチャンドラーなどのアメリカン・ハードボイルドの翻訳が多かったようですが、次第にそれらに影響を受けた、フランス独自のロマン・ノワールが書かれていきます。フランスの裏社会の俗語をふんだんに使った作品が出始めて、それらではジョゼ・ジョバンニやオーギュスト・ルブルドンらが有名でしょうか。次第にその波も落ち着いてきたころに、ADGや「ネオ・ポラールの法王」ジャン=パトリック・マンシェットといった「ネオ・ポラール」の波が来ます。フランスではミステリのことを広く指す場合、「ロマン・ポリシエ」「ポラール」というそうですが、「ポリシエ」や「ポラール」は「ポリス」と大きな関係のある語といってもいいかもしれません。


 ロマン・ノワ―ルの関しては、ジャン・ヴォートランやディディエ・デナンクスなどの邦訳もありますが、「セリ・ノワール」を邦訳で概観するには量が少なすぎ、邦訳で全体像をとらえるのは不可能に近い、といってもいいでしょう。白水社クセジュから、ジャン=ポール・シュヴェイアウゼール『ロマン・ノワール フランスのハードボイルド』という解説書が出ていますので、それを読むのが良い手引きとなるのではないでしょうか。


 また、フランスの本格ミステリ作家といえばポール・アルテを思い出す方もおられるかと思いますし、ピエール・シニアックやフレッド・カサックを思い起こす方もおられるでしょう。カトリーヌ・アルレーのようなサスペンス作家もいますし、前述したボワロー、ナルスジャックのように本格ミステリやサスペンスを得意とした作家もいます。セリ・ノワール叢書のレオ・マレや、自分でミステリ専門誌を作っていたミッシェル・ルブランのような、邦訳はそこまでないけれど本国では作品数の多い作家もいます。フランスでもミステリは多種多様なとらえ方をされているのです。


 日本の評価においても、文藝春秋『東西ミステリーベスト100』のランキングを思い出していただければわかりやすいかもしれません。海外部門のランキングにも本格ミステリはありますが、全体を見渡すと、やはり冒険小説や犯罪小説、ハードボイルド小説、ノワール小説、エスピオナージュなどもランクインしています。八五年版を見ていただければ、その傾向がより顕著であることがわかるでしょう。


 ランキングを見ると、国内部門はやはり本格ミステリが強いですが、一方で他のジャンルもきちんとランクインしています。海外部門は本格ミステリもありますが、それ以外のジャンルも多数あることが見て取れると思います。ちなみに、どちらが良い悪い、という話ではありませんのでご注意ください。


 一九五〇年代以降の国内ミステリの様相は、当時の海外ミステリの受容の仕や影響が強かったこともあり、そうした文脈からも、ミステリは多様なサブジャンルからなっている、と思います。


 例えば、結城昌治や、再び例に出しますが都筑道夫、仁木悦子あたりを思い出していただければいいかもしれません。結城昌治は国内のミステリをほぼ読まずに海外のミステリを読んだ上でデビューしていますし、都筑は日本版EQMM編集長として様々なジャンルの作家や作品を評価し、その上で専業作家になりました。都筑が書いた作品のジャンルは幅広く、様々なジャンルで良作を残しています。また、仁木悦子が好きな作家のひとりはレイモンド・チャンドラーですし、『冷えきった街』などのように、ハードボイルド小説に影響を受けたとおぼしき作品も書いています。もちろん鮎川哲也や高木彬光らのような本格ミステリにおける例もありますので、一概にはいえないかもしれませんが。


 それに、ハードボイルド小説『野獣死すべし』などの著作がある大藪春彦を評価し、デビューさせた人物のひとりに、江戸川乱歩も含まれます。乱歩は評価したにしろしなかったにしろ、ハードボイルド小説も「ミステリ」としての評価軸の上に立てていたはずです。また、乱歩は、例えばロアルド・ダールの短篇作品のような味わいの作品のジャンルに、「奇妙な味」という名前を付けた張本人です。それらを「ミステリ」の文脈で評価していたかどうかはわかりませんが、乱歩は本格ミステリのみを評価していたのではないと思います。それは、乱歩編の『世界推理短編傑作選』一~五の収録作を見ても、おわかりいただけるかと思います。ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の『幻の女』を高評価したのも乱歩ですが、この作品はサスペンスの風味が強い名作です。


 乱歩はジャンルとしてのミステリの評価に関して懐が深いですので、本格ミステリだけでなくさまざまな作家や作品を評価しています。さすが大乱歩、といったところでしょうか。


 エラリー・クイーン、すなわちマンフレッド・リーとフレデリック・ダネイはアンソロジストとしても活躍しましたが、実際に彼らが「ミステリ」として評価した短篇には、本格ミステリとは呼べないものがたくさんあります。例えば彼らが編纂した、翻訳があるアンソロジーに掲載されている作品を眺めてみればわかりますが、内容は本当に多種多様です。本国版EQMMのコンテスト受賞作を集めた『黄金の13 現代篇』を見てみても、ジョルジュ・シムノン(多種多様な作品を書いたフランスのミステリ作家)やA・H・Z・カー(本格ミステリから犯罪小説まで幅の広いアメリカのミステリ作家)らが取られています。また、『クイーンズ・コレクション1』『同2』の収録作を読んでみても、ジョイス・ポーター(ユーモア本格ミステリ)からハロルド・Q・マスア(軽ハードボイルド)まで内容は多岐にわたりますし、『クイーンの定員』の目次を眺めてみても、本格ミステリだけにはとどまらないことがわかるでしょう。


 クイーンが評価したからと言って「ミステリ」というジャンルと言えるのかどうかは、また別問題かもしれませんが、非常にロジカルな作品を書く「本格ミステリ」作家の代表的な人物たちがそのように評価したことは、注目に値すると思います。


 また、最近の評価ですと、小森収編『短編ミステリの二百年』一~六巻の収録作を読んでみるといいかもしれません。もちろん、本格ミステリも収録されていますが、それ以外の、「ミステリ」が内包するジャンルは多岐にわたっていることがうかがえます。



 長々と書いてしまい、多少なりともみなさんのお役に立つ文章になっているかはなはだ疑問ですが、何かの参考になれば幸いです。せめて、ミステリファンがミステリを考える上での叩き台になればとてもうれしく感じます。なんだか舶来ものをありがたがるような文章になっていないか心配ですが、「ミステリ」というジャンルとらえ方には、様々な見方があるように思います。ここではどこまでが「ミステリ」としてとらえられているのかを、はじめに述べたように評価軸的文脈や若干の歴史的要素から簡単に眺めてみました。ここまでのことを簡単にいってしまえば、いわゆる「広義のミステリ」はどうとらえられてきたのか、です。


 あるジャンルには、そのジャンル特有の評価軸や歴史があり、その観点から見ると「この作品もこのジャンルと呼べるんだ」「この作品はこのジャンルと、あのジャンルの両方としても読めるんだ」などといった発見があります。その発見の一助になったのなら、望外の喜びです。



註:ネオ・ハードボイルド……小鷹信光により命名された、日本独自のハードボイルド小説の分類。主に一九六〇年代以降のハードボイルド作品を指すことが多い。探偵のキャラクター性の強調や、マチズモの弱化、探偵自身が事件に深いかかわりを持つ(場合によっては探偵自身の物語にもなる)、などのどれかの特徴が見られる。


※都筑道夫の名前を再三、例として出しましたが、それは日本のミステリの発展や海外ミステリの受容において、都筑がとても重要な役割を果たしているからです。都筑は本格ミステリ評論においても、『黄色い部屋はいかに改装されたか?』という有名な古典的名著を著しています。本格ミステリ論に興味のある方は読まれてみるといいかもしれません。また、ハードボイルド小説評論においても、「彼らは殴りあうだけではない」という名評論があります。都筑は原著でも読めたでしょうが、ロス・マクドナルドもレイモンド・チャンドラーもあまり訳されていなかった一九五〇年代後半において、ハードボイルド小説の本質を突いた先見性にあふれる評論を書いたのはさすがといっていいでしょう。


※このエッセイを書くために、様々なサイト、文献、有識者の方のお話を参考にさせていただきました。真に勝手ながら厚く御礼申し上げます。

本稿に事実誤認があれば、それは筆者の知識不足であり確認不足です。できるだけ確認はしましたが、間違いがありましたらそれは筆者の責任です。

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