第2話 オリビアの詩集
「うわぁ……すごい!すごい!」
最初は怖かった鋼鉄のモフモフも、走り出せばそんな気持ちが吹っ飛んだ。言葉にならない興奮と尽きない好奇心がオリビアの心を満たしていく。砂利を蹴散らし砂を巻き上げ、なかなか乱暴なモフモフの車輪は、遠くに見えた景色を眺めているうちに近くへ引き寄せ、惜しむ間もなく後ろへ放り去る。これが無限に繰り返される爽快感は、他に例えが見つからない。
鋼鉄のモフモフ……オートバイって、こんなに楽しいんだ。
アーカシ姫さまは何も言わず正面を向いて、鉄の手綱を握っている。時折はさむ休憩中に、疲れませんか? とオリビアは尋ねたことがある。姫さまはハンドル(鉄の手綱)は握らない、優しく手を添えるだけでいいんだ、とお答えになった。真剣なまなざしで前を見すえる姫さまは、束ねた金髪を首に巻き、風の抵抗を顔に浴びて楽しんでおられるようだ。
走り出せば風になるんだ、オリビアは今すぐ趣味の詩を書きたい衝動に……あっ!
唐突に奇声を上げるオリビア、アーカシ姫さまはモフモフを止める。
「なんや、どないした」
「私、自作の詩集を……詩集を持ち出すのを忘れてました」
「それは大切なものなんか? 取りに戻りたいんか?」
「いいえ、大丈夫です、急に大声出してごめんなさい」
さよか、と一言呟いて、お姫さまは再びモフモフを走らせた。書き終えた詩は大切だけど、振り返らず新たに書き続けていこう。だって世界はこんなにも、書きたいことで溢れている。あの山も、あの空も、砂埃だって詩にしたい。ただ、部屋に置いたままの詩集が兄や父に読まれるのは嫌だなあ……
◇◇◇
フェルナンデス城内で、怒り狂った侯爵が娘のオリビアを探し回っている。侯爵家を後継ぐことになった次男も駆り出され、オリビアの探索が行われた。
アーカシ姫との謁見でオリビアが大爆笑したことが噂となり、元々評判の悪かった侯爵が陰で「フェルやん」だの「フェルフェル」などとと呼ばれ始めていることを知ってしまったのだ。
「どこだ! あのバカ娘はどこだ!」
身の危険を察して失踪したかもしれない、そう考えた侯爵はオリビアの部屋を捜索した。手がかりが見つかるかもしれない、どこに逃げようと必ず探し出してやる。引き出しを開けた侯爵が見たのは「心の唄」と題されたオリビアの詩集だった。侯爵は手に取り目を通す。
「漆黒の蒼」
昏き海底から出でし冒涜的な神よ
闇を吐き水面で跳び漆黒で輝かん
骨の無きその身を触手ごと喰らう
嗚呼、嗚呼、唇は漆黒に染まれり
侯爵は詩集を引き出しに戻し、目頭を押さえた。思えばオリビアにあまり構ってやれなかった、悪いのは私だ、これからはもっと優しく、寛容になろう。そして今度顔を合わせた時は、黒なのか蒼なのかを聞いてやろう。
この詩はオリビアがイカ墨リゾットを食べた感想を書いただけなのだが、本人のあずかり知らぬ所で世の中の役に立っていた。
◇◇◇
月が上り星が瞬き、夜が深まっていく。木陰に簡易なテントを張り、火を起こして食事の用意が始まる。アーカシ姫さまは慣れた手つきで水を加えた小麦粉をねり、乾燥させたイカのようなものを砕いて混ぜ、奇妙な形の鉄板に流し込んでいく。
「まあ、いい匂い、イカを混ぜて焼くのですか」
「……これはタコや」
「あらそうなんですね、美味しそうです」
「せやろ」
「タコを焼いてるから料理名はタコ焼きかしら」
「明石焼きや」
「はい? あ……かし……やき?」
「明石焼きや」
二度答えたアーカシ姫さまの声からは、二度と間違えないでくれと言わんばかりの強い意志が感じられた。鉄板の焼けるチリチリとした音。やがて夜風が木の葉をゆすり、生い茂る夏草が静かに合唱を奏でる。合間に聞こえる虫の声。
「ここらの魔獣は知能が高い、あんたも気いつけなあかんで」
「はい、ところで姫さま、明日はどちらへ」
「この先に魔導士の街がある、そこで探し物をするんや…………何か来るで」
草を踏む音がする、それは近づいてくる、ゆっくりとした足取りだが躊躇する感じでもない。慎重に、そして大胆に、やがてその身を二人の前に現わした。
四本足のそれは、子どもの背丈ほどある高さの鹿で、胴体を含めればなかなかの大きさ。夜中にケモノと出会 (でくわ) すだけでも驚きだが、オリビアを怯えさせたのは、それが人間の顔を持っていたからだ。
顔だけ毛がない異様な姿は、人でもケモノでもなく、まさに魔獣。
月の光を反射して、ときおり光るその瞳が見る者を不穏にさせる。
それは媚びへつらうような笑顔を見せ、人語を話し始めた。
「あ・驚かせましたか・すいません」
「……なんやお前」
「いや・なにしてるのかな・と思って」
「……あっちいけ、シッシッ」
「お食事中ですか・美味しそうですね・いいですね」
「……うるさい」
「いやー・香ばしい・いい匂いだ・うん・美味しそう」
「……しつこい、はよ行け」
「ああ・こんなの見たら・ぼくもお腹・すいちゃうな」
「…………」
根負けしたアーカシ姫さまがタコ……いや、明石焼きを投げて与えた。人面の鹿は嬉しそうに咥えて去っていく。その後ろ姿は、ちょっとかわいかった。
「あいつら図々しくてしつこいねん、あんたも気いつけや」
「は、はい」
何をどう気を付けたらいいのかわからないが、とりあえず明日は魔導士の街に行くようだ。テントに入り横になれば、虫の声とお姫さまの凄まじいイビキが聞こえる。新鮮な事ばかりで楽しい、こんな日がずっと続けばいいのに。
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【 闇を吐き水面で跳び漆黒で輝かん 】
──注釈
イカは墨を吐くし、水面を飛ぶこともある
そしてイカの約半数の種類が光ることができる
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